あるところに、不思議なテディベアが2体いました。名前を、テデ井、テデ谷と言います。彼らは彼らの持ち主である赤井秀一、降谷零の姿に似せて作られたテディベアで、多くのテディベアがそうであるように、持ち主の寝室の棚の上にいつも飾られていました。
彼らのどこが不思議なのかというと、彼らはなんと意志があり人の言葉を話し、自由に動けるのです。けれどこのことを人間は知りません。例え持ち主であっても。それがテデ界の暗黙のルールだからです。
だからテデたちは、赤井と零が寝静まったあと、或いは2人が家を空けている昼間に自由に動いて、喋って、遊びました。テデ井もテデ谷も赤井と零が大好きだったので、さりげなく2人を手助けしていつも見守っていました。例えば電気を付けっぱなしにして寝落ちしていたら消してあげたり、赤井が靴下を脱ぎっぱなしにしていると零が怒るので洗濯機に運んだり。
赤井と零が仲良く幸せそうに笑っているとテデたちは幸せで、逆に喧嘩して悲しそうだとテデたちも辛い気持ちになります。どうしてかはわかりません、きっとそれがテデというものの宿命なのでしょう。
だから2匹は、2人が喧嘩して大きなベッドの両端で背を向け合って寝ている夜には目配せして動き出し、力を合わせて2人を近付けて、いつもしてるみたいに手を繋がせて棚の定位置に戻ります。
2人はたまに素直になれなかったり、言いすぎてしまったり、思ってもいないことを言ってしまったりするんだということをテデたちは知っています。だから本当はいつも想いあっていてちょっとのきっかけがあれば素直に仲直りすることもちゃんと知っているのです。
ある日のこと、零が体調を崩して寝込んでしまいました。赤井はいません。仕事でアメリカに行っていて、帰ってくるのは来週になるのです。ベッドの中で苦しげに息を吐く零を心配そうに見守るテデたち。
「どうしようテデ井。れいが辛そうです」
「とにかく、赤井に連絡しよう」
2匹は話し合って棚からぴょんと飛び降り、零の枕元にあるスマホにテデ谷がもふもふの手を伸ばしました。その時
「……だめだよ」
静かに落とされた言葉に、テデたちの無いはずの心臓が飛び跳ねるような気がしました。
恐る恐る顔を上げると、さっきまで眠っていたはずの零がぱっちりと大きな目を開けて2匹を見ています。
「赤井に連絡しちゃだめだ。あいつの仕事の邪魔をしたくない。僕は大丈夫だから」
大丈夫ってなんだ。そんな苦しそうな赤い顔をして、まるで説得力がないし見てるこっちが辛いよ……いやでもそれよりも、今確認しないといけないことは――
「れい、ぼくたちが動くのを知ってたんですか?」
テデ谷が尋ねると、零は力なく笑います。
「僕達が気付いていないとでも思った?」
その言葉にカアッと赤くなる2匹。ただテデ井の方は元々赤いのでとても分かりにくいのですが。
「まぁ、知ったのは最近なんだけど。前々からおかしいなって違和感はあったけどまさかぬいぐるみが動くとは思わないからね。でも不可能なものを除外していって残ったものがどんなに信じられなくても、それが真実なんだって。昔どこかの名探偵が言ってたよ」
「そう、か。なぁれいくんとにかく今は、赤井に連絡するべきだ。きみ、昨日から何も食べてないじゃないか」
テデ井がそう言いますが、零は首を横に振ります。
「アメリカは、言ったところですぐに帰って来れる距離じゃない。それならただ闇雲に心配をかけるだけだ。それにこんなの、じっとしてれば明日には治るよ」
「だが……」
「テデ井」
零とテデ井の間に割って入ったのはテデ谷です。彼の元は降谷零なので、零の気持ちが痛いほどよくわかるのです。
「それならぼくたちが赤井のかわりにれいの手助けをしましょう」
テデ井は一度だけ緑色の目をまん丸にして驚きましたが、すぐに笑って頷きます。
「そうだな」
そして2匹は零に向かって向き直り胸を張りました。
「ぼくたちをただの愛らしい赤ちゃんベアだと思わないでいただきたい。誇り高き公安エース降谷零とFBIの切り札赤井秀一を模して作られた特別なテデですよ」
「赤井が帰ってくるまできみの手足になろう。なんでも言ってくれ」
テデたちの威風堂々とした態度に、可愛らしいやら頼もしいやらで零は笑います。
「ありがとう。それならちょっと、お願いしようかな」
それから2匹は零のために一所懸命働きました。2匹で協力して冷蔵庫からアイスノンを取ってきたり、ペットボトルの飲み物をよいしょよいしょと運んだり。ベランダのプランターからセロリを採取して、色付いたミニトマトはテデ井が玩具のライフルで枝の部分を撃ち落とします。テデ谷は野菜を洗うために、ふわふわな淡いクリーム色の自慢の毛が水に濡れるのも全く厭いませんでした。テデたちはみんな、テデ主に愛されるため、そして愛するためにこの世に生まれるのです。2匹は零と赤井が大好きでした。
テデ谷が包丁を器用に使い、テデ井が押さえた野菜をカットしていきます。
「オリーブオイルをかけて、塩を少々……さぁ出来ましたよ、運びましょう、テデ井」
「ああ」
2匹の献身的な看病のかいもあり、零は翌日には熱も下がりいつものスーツで出かけていきました。テデ井とテデ谷はホッと胸を撫で下ろします。
「よかったな、元気になって」
「ええ。でもまだ少し心配です。今朝もほとんどご飯を食べてなかった……きっとまだ本調子じゃないのに無理をしてるんですよ」
シュンと肩を落とすテデ谷にそっと寄り添うテデ井。赤茶の腕をテデ谷の背にまわしますがギュッと抱きしめるには長さが足りません。テデ井はいつも赤井が零を抱きしめるのを見ていて、いつか自分もあんな風にテデ谷をすっぽりとこの腕に抱ける日がくることを夢見ています。
その時、ガチャ、と玄関の鍵が開く音がしました。テデ井とテデ谷は、トテトテと廊下を走り玄関へ向かいます。
「おかえり、れいくん」
「おかえりなさい、れい」
玄関で出迎えたテデに、零は破顔して「ただいま。留守番ありがとう」と言いました。
そして2匹をひょいと抱き上げると、リビングに連れて行きテーブルの上にそっと置きました。
「君たちに伝えたいことがあるんだ」
伝えたいこと?なんだろう。2匹は顔を見合せ首を傾げます。でもなにかは分からないけど、きっとすてきなことに違いありません。だって零はとても嬉しそうににこにこ笑っています。
「実はね」
と、零が何かを言おうとしたその時、ガチャ、と再び玄関のドアが開く音がしました。続いてバタバタと忙しなく靴を脱いで廊下を走ってくる音がします。バーンとドアを開けリビングに入ってきたのは赤井でした。
「零くん!」
「赤井?!なんで……帰ってくるのは来週じゃ…」
驚いた零は、一拍おいてテデ井を見ました。テデ井は真っ直ぐに零を見ていて、そして口を開きます。
「そうだ。おれが連絡して、履歴は消させてもらった。勝手なことをしてすまない。だがおれの元は赤井だから、赤井の気持ちもよくわかる。もしも自分の預かり知らないところできみに何かあったら、きっと赤井は自分を許せない。だから」
「テデ井……」
俯くテデ井の黒いニット帽の上に大きい手が置かれ、赤井が「ありがとう」と優しく頭を撫でました。
そして次に赤井は零の方を見て、「連絡を受けてから生きた心地がしなかった。なにかあれば知らせてくれと言ったろ。体調は大丈夫なのか?」と言いました。
零は少しだけ気まずそうに目を泳がせ、「だ、大丈夫ですよ。これだから赤井に連絡するの嫌だったんだ。別に悪阻は病気じゃないんだし、一応今日病院にも行きましたけど赤ちゃんも問題ないって」と言い、その言葉を聞いた赤井は脱力したようにはぁーと息を吐き零を抱きしめました。そして「よかった」と小さく呟きました。
「……え?」
「……えぇっ!??」
驚いたのはテデたちです。
悪阻?赤ちゃん?どういうこと?
つぶらな瞳を白黒させ(いえ、実際は綺麗なグリーンとブルーなのですが)顔を見合せます。
「赤井、今この子たちにも話をしようと思っていたところだったんです」
「あぁ、きみたちがいる部屋でこの話をしないようにしていたからな」
「あのね、実は――」
少し照れくさそうにする零の話を、2匹は目を輝かせながら夢見心地で聞きました。
テデたちの日々は、これから忙しくなりそうです。