謝ったって許してやらない。アイツとキスをした。
いつものようにロードワーク中に突っ掛かってきたから、文句を言おうと振り返ったら思っていたより近くにアイツの顔があった。バランスを崩してそのままぶつかって、倒れ込んだ拍子に、唇同士がかすった。たった、それだけだった。
俺はとにかく驚いて、状況を頭が理解する前に「わるい」と口に出していた。
「あァ!?」
そうしたら、アイツがキレてきた。手か足か、なにか飛んでくると予想して身構えたが、「…チッ」と大きな舌打ちだけ寄越して行き先も告げずに去っていった。
それから一週間、アイツに会っていない。
最近では個人や他のユニットの人との仕事なんかもあるから、このくらいの期間会わないのは別におかしなことではない。たまたま事務所でも男道らーめんでも、俺がいないときにアイツがいてアイツがいないときに俺がいる。たぶん、それだけだ。
ただ、最後にアイツを見たのがあの時だったから、胸の奥の方でなにかが引っかかっている。アイツに会いたいのか、会いたくないのか、自分でもよくわからない。わからないから、誰かに話すのも難しい。それに、俺が例えば円城寺さんとかプロデューサーにアイツのことを相談するのは、外側からアイツの足場を崩してるみたいで、ちょっと卑怯な気がしている。こんなのは勝負じゃないんだろうけれど、決着をつけるにはやっぱりアイツと直接会わないといけない、そう思っていた。
「あ」
一週間と三日目。アイツを見つけた。
チャンプにメシをあげようと入った裏路地に、目立つ赤色のジャージの背中。しゃがみこんで手ずからチャンプに煮干しをやっていた。首だけで振り向いて俺を一瞥すると、「もうやった」とだけ告げてくる。俺の手元の猫缶のことだろう。「ああ」と返して隣にしゃがんだら、わずかに警戒した気配がしたけれど、立ち去る様子はないまま俺達は並んでチャンプの毛繕いを眺めていた。
「…この前」
「あ?」
口火を切ったのは俺だった。けれど、どう言ったもんか迷って、変な間が空いてしまう。またコイツがいなくなってしまう前に聞かないと。
「俺とキスしたこと」
「キっ…」
「気にしてるのか」
「してねえ!」
「そうか」
コイツがキスとか、そういう単語が苦手なのは知っているが、ごまかすのに叫ぶのはやめてほしい。大声にチャンプが逃げた。これで、俺達がこの場にいるための言い訳はできなくなってしまった。
「俺は気にしてる」
「…チビ?」
「…気にしてた、けど」
避けられていたわけじゃないことにほっとしたのと、俺ばっかりが気にしてたってことにちょっと悔しいのと、少し…残念、みたいな気持ち。
俺は、コイツがあのキスを意識していないことが残念なのか?
「…オマエが気にしてないなら、俺も気にしないことにする」
なんとか形にしようとした自分の感情は俺の予想外で、どうしていいかわからない。頭を冷やしたくて、ここから離れようと立ち上がる。だが伸びてきた手が俺の腕を掴んだ。
「待て」
「なんだ」
「勝手に逃げんなバァーカ!」
「逃げてねえ。バカって言うな」
逃げたっていうなら、あの時のオマエだって。そこまで考えてようやく気づいた。同じことをしている。違うのは、俺はあの時追いかけなくて、コイツは引き留めたってこと。
俺の腕を握ったまま、金の瞳がギラリとこちらを睨み付ける。
「気にしてねえけど、あの時チビが謝ってきたのには腹が立ってる!」
「は?なんでだ」
「知るか!あれが…あのキ、スが、謝るようなもんだと思ってやがんのが、気に入らねえ!」
なんだそれ。
あの時咄嗟に言った「わるい」って言葉に、謝罪の意味なんてほとんどないようなあれに、そんなにへそを曲げていたのか。わかるわけないだろそんなこと。ああでも、コイツがわけわからないのは今に始まったことじゃない。なんだか急に気が抜けてしまった。
「…よくわかんねえけど。キスしたことにキレてたわけじゃないってことか」
「さっきからそう言ってンだろ!」
「じゃあ次は謝らない」
次ってなんだ。勝手に口が動いた。言った俺自身も驚いているんだから、言われたコイツはもっと動揺しているだろう。ぐ、と黙り込んだかと思うと、唇を引き結んで、それから。
「!?」
掴まれたままだった腕と、逆側の肩のあたりが引き寄せられる。
コイツでも目をつぶるくらいは知ってたんだな、と変に感心した。
「…くはは!オレ様はチビなんかに謝らねえからな!!」
触れるだけのキスの後で、コイツはえらそうに高笑いをしてみせる。顔真っ赤のくせにって言ってやりたいが、俺も似たようなものだから口には出さない。
「俺だって」
もう、何度やったって、絶対に。
今度は俺から、引き留めて、掴まえて、もう一度キスしてやった。