2022.9.14蜂須賀虎徹と山姥切長義は執務室内の座卓の端と端に座っていた。執務室にいると言っても今は何か業務がある訳でもなく、ただの待機時間である。だからこの部屋にいなくてはいけない訳ではないのだが、他に用事もないため2振ともそのまま部屋の中で銘々好きに過ごしている。
暦の上では秋とはいえいまだ残暑厳しく、今日は曇である分日差しがなくまだマシだが執務室前の庭には誰もいない。時折どこかの部屋から誰かの声が聞こえてくるくらいだった。
「そういえば君たち、もうすぐ交際2周年じゃないかい」
蜂須賀は読んでいた本を閉じると向かい合って座っている長義を見た。長義も読んでいた本を閉じて蜂須賀を見る。
「ああ、そういえばそんな時期だったかもね」
「あまり印象に残ってはないのかな?」
「まあ……記念日とかあまり気にする方ではないし」
「それもそうか」
山姥切の返答を聞いて蜂須賀は軽く笑った。確かに自分だってそういうことはそこまで気に留めない質だと自覚しているからだ。
「でも君は去年、南泉にプレゼントを贈っていただろう?いや、贈りあっていた、と言うべきかな。俺の記憶違いでなければだけど」
「よく覚えているね。うん、あの時は何を贈ったらいいのか分からなくて結局猫殺しくんに選んでもらったんだよね」
「確か万屋街のアクセサリーショップのペアリングじゃなかったかな?」
「えっ!?ちょっと待ってくれないか?!」
蜂須賀の言葉を聞いた長義の顔色がサッと変わった。蜂須賀は表情を変えないままこてんと首を傾げる。
「あれ、違ったかな?俺の記憶ではそうだと思ったんだけど……」
「……その記憶は合っているよ。間違いじゃない。けど何故それを君が知っているのかな?」
少し複雑そうな様子で長義は問い掛ける。
「どうしてと言われても……。主が言っていたから」
「主……プライバシーとしてどうなんだ……」
はぁ~っと大きくため息をつく長義を見て蜂須賀は困り顔になる。
「すまない、余計なことを言ったみたいだね。今の話は忘れてくれて構わないよ」
「別に良いさ。ただ単に驚いただけだから」
長義は苦笑いを浮かべると手元にあったグラスを手に取り口元へと運んだ。中身は既に飲み干していたようで空だったが。
「ちなみにその時選んだ指輪、今付けてるのかい?」
「ああ……今日は内勤だからね、ほら、中に下げてるんだ。指輪を指に嵌めてやらないのは少し悪いとは思うけれど」
そう言って長義は自分の首から下げたチェーンを引き出した。そこには銀色の小さな輪っかが下がっているのが見えていて、それを見た蜂須賀は楽しげに微笑む。
「ちゃんと付けているんだね」
「当然だろう?猫殺しくんからの贈り物だよ?」
長義も蜂須賀につられるように小さく笑う。そして自分の胸元のそれに手を当てながら話を続ける。
「正直、俺はこういったものを貰う立場になると思わなかったからね。最初は戸惑ってしまったよ。でもこれを見ていると、こうやって形に残る物があることがとても嬉しいことだと気付かされた気がした。今まで俺にとって貰った物というのは全て消えてしまうものだったから」
「消える……というのは」
「「俺」自身顕現してすぐに折られたこともあったし、戦場で仲間を守って破壊されたこともある。形あるものでも感情でも、折れればそこで終わりだ、何も残らない。たまたま俺はこうして「前」の記憶の残滓を持っているけれど、前の記憶というのは自分の実感のないもの、本を読むようなものだ。だから結局かつて貰ったものは、情ややさしさ、悪意、何もかも、残ってはない。そうでなくて物品としての貰った物にしても、本丸内での戦闘中誤って破壊してしまったこともあったし、取り上げられて壊されたり捨てられたりしたこともあった。だからこうして、ちゃんと残っていることが嬉しく思えるんだよ」
長義は目を細め、懐かしげに指輪を見つめていた。
「……そういうものなのかな。俺にはよく分からない感覚だ」
蜂須賀は眉を寄せて困惑気味の表情を見せた。その言葉に長義が不思議そうな顔をする。
「君は確か、既に2振目以降の刀だったはずだよね?違うのかな?」
「いや、違わないよ。俺には2振目の蜂須賀虎徹としての記憶しかない。だから1振り目がどんな性格をしていたのか、どういう風に過ごしていたのか、そういったことは全く知らないんだ。俺と全く同じ個体がいたらしいということは聞いたことがあるけど、会ったことはないしね。もちろん、この身体のことは分かるよ。人の身を得て戦うための肉体であること、人のように生活すること、人の営みを行うこと、その大前提となる知識はある。ただ、「自分」というものについての知識がない、それだけのことだよ。君が言う「本を読むようなもの」ということに近いんじゃないかな」
蜂須賀は淡々と、しかし穏やかに言葉を紡いでいた。
「……それは辛いことではないのかな?」
長義はそう呟くと、ふぅっと小さな溜め息をついた。その表情は少しだけ憂いを帯びているように見える。それを見て蜂須賀は軽く笑いながら言った。
「そんな風に見えるかい?」
「ああ、見えるね」
「そうか……。確かに、辛かったかもしれない。自分が何者なのか、それが分からずにいることは。だけど今はもう大丈夫だよ」
「どうしてだい?まさか偽物く……山姥切国広と上手くいったからとか言わないでくれよ?」
「あはは、それは残念ながら違うね。まあ、彼との交際も順調だし、関係も良好だと思っているけど。……でもまあ確かに、きっかけは彼だったのかもね。彼がいなかったら今の自分はいないだろうから」
蜂須賀はくすりと笑ってから話を続けた。
「国広はね、俺のことを「蜂須賀虎徹」だと認めてくれたんだ。それがどれだけ救いになったことか。俺の存在理由を、存在意義を、俺そのものを認めてくれる人がいたことは本当に嬉しかった。それからは少しずつ、自分を認められるようになって、自分の存在を自覚するようになった。俺は俺であると、そう認識できるようになっていったんだ」
「へぇ……。君とあの偽物くんがねぇ……」
「ふふ。あの時彼の存在に救われたのが事実なんだ。そして今でも助けられている。俺がこうしてここにいられるのは、全部国広のおかげだと思ってるよ」
そう言って優しく微笑む蜂須賀を見て、長義もまた笑った。
「……なるほどね。君の言いたいことが分かったよ。要するに、かれに感謝しているということかな?」
「うん、そういうことだね。そして、これからももっと感謝していこうと思うよ」
「そうかい。……そうだね、俺もそうしよう。俺も、猫殺しくんや主には、とても大きな恩があるからね」
長義はそう言って手元でいじっていたグラスをテーブルに置くと、ゆっくりと立ち上がった。
「さて、そろそろ戻るとするかな。業務時間も過ぎたことだし、非番に入って構わないだろう」
「そうだね。それじゃあ、また」
「ああ、またね」
2人は笑顔で別れると、それぞれの部屋へと戻っていった。