あなたの〜進捗2長義が眠ったのを確認して、南泉は脱衣所の入り口から上半身を乗り出し外を窺った。自室や執務室から遠い浴場を選んだせいもあるかもしれないが、廊下は不気味なほど静まり返っていた。
(まずは状況が掴めないと話にならない。が、今オレは側を離れるべきではない)
南泉は少し迷ってから洗面台に放置していた端末を手に取り、チャットを送る。宛先は、物吉貞宗。物吉は昨日の夜から15時間遠征に出ていたはずで、この時刻なら戻ってきているかいないかといったところだろう。状況が把握できているかよりも今審神者の相手をしていないだろうことを優先して選んだ。
『頼みたいことがある。遠征から戻り次第至急北棟の浴場。審神者に見られるな。来れなさそうなら言え。』
送ってから焦りのせいでかなり一方的な文面になったことを悪く思った。程なくして既読が付き一言『直ぐに』と返される。少し安心して画面を暗くした。
数分して入り口に気配があった。
「お待たせしました、ただいま戻りました……」
やや戸惑ったような顔をした物吉がそっと入ってくる。
「いきなり悪かったにゃ、助かる」
「いえ、大丈夫です。それより何があったんですか」
南泉の肩にもたれるようにして眠っている長義をちらと見ながら物吉が聞く。
「ちょっと面倒なことになってる」
「面倒……」
「今更何をって顔してんにゃあ」
「っ……いえ、」
「いや?その通りだと思うぜ」
気まずそうに物吉が沈黙したまま続きを促す。
「ただ今日は……あの人間、「やりすぎた」」
南泉が目を細めた。物吉はその周囲の温度が下がったような錯覚を覚えた。
「はじめから、オレらから見てあの状態は異常で、狂ってた。だけど山姥切は、愛されているし、愛していると。不満はない、自分の意思だと言っていたから。ならばせめてそれを尊重すべきだと、だから介入しなかった」
南泉は長義の頭を撫でて続ける。
「だが今朝、山姥切は明かに審神者に怯えていた。オレが静観できる時点は過ぎた」
「長義さまは」
「わかっている。山姥切は、現状に不満がないと言っていたんだ。それに納得しているとも。審神者に怯えていたのは、今オレに着いてきているのは、疲れていて「冷静ではないから」かもしれない。それでもオレは、こいつに無理矢理あんなことを強いるのは許せない」
「……」
「山姥切に嫌われても、恨まれてもいい。オレは、こいつをこの腐った箱庭から逃す」
「っ南泉さま……それは」
「”主”への叛意だと思うか?」
南泉の瞳の奥の赤が光った。物吉は思わず息を詰めた。南泉が片方だけ口角をつり上げて歪にわらう。
「山姥切が、怖がって、嫌がった。だからもうオレにあれへの義理はない」
「……けれど」
「まぁ、お前らにとっては、そうだよにゃ」
「……はい」
「いい、申し訳なさそうな顔をするな。お前はそれでいいんだ。「お前」の「幸運」は主君の下にあってこそ発揮される」
「では、何故、ボクに」
「だが同時にお前はそれでもオレ達「同胞」を見捨てない、売らない。そうだろう?」
圧迫するような気に思わず唾を飲んだ。
「はい」
張り詰めた空気が少し和らいだ。南泉は物吉の方を見て笑った。
「これはオレのエゴだ。審神者が山姥切にしてきたことを許すつもりもないし、ただの暴力を愛なんて呼んで受容を求めること自体心底反吐が出る。大切なものを大切にも出来ず何が愛だ。オレはこの現状を放置できない。例え、山姥切に恨まれるとしても、これ以上あの人間の側に置いておけない」
「っ……」
「……悪いな、こうやって巻き込んで。でも他にいなかったんだ」
南泉の表情は穏やかで、どこか達観したようでもあった。
「……それで、ボクに何をお望みですか?」
「山姥切を連れ出すにあたって今の本丸内の状況が知りたい。オレはもう直接審神者に楯突いた。審神者やかれに盲目的に忠実な刀剣に会ったらただでは済まないだろうから、」
「分かりました、ボクが偵察してきます」
引き取るように物吉が言うと南泉は眉を下げた。
「……頼む」
「はい、お任せください。……幸運を、お運びします」
物吉は立ち上がり部屋を出る直前、振り返り、南泉と眠る長義を見た。
「南泉さま、長義さま、どうか……ご武運を」
南泉は軽く目を見開いた後、ふっと微笑んだ。
「ああ」
物吉は、廊下を駆け出した。
***
「……猫殺しくん、」
「なんだ、起きてたのか」
「うん。……さっきの話」
「聞いてたか」
「俺のことなら大丈夫だよ」
長義は南泉の腿を枕に寝返りを打った。
「大丈夫じゃねぇ」
「……俺はね、別に主のことは嫌いじゃないんだよ」
「知ってる」
「……あの人は確かに乱暴なことをするけど、俺を愛してくれているし」
「……それも知ってる」
「ほら、あれは主なりの不器用な愛情表現というか……まあ、そんな感じだし、多分」
「……」
「あと、痛いけど気持ちいいのは本当だし」
「……お前それ本当にヤバいんだって」
南泉がはぁ、とため息をつく。
「だから、」
「分かった。お前の言い分は理解した。というかずっとしている。だが納得はしない」
長義の目が見開かれる。南泉はもう一度、深くため息をついた。
「お前は今のままで満足……なんだろうが、オレは嫌だ。このままではお前は壊れてしまう。それに、」
「それに?」
「オレが、お前に、こんな刀剣としての本分も果たせないところにいてほしくない。お前は自由にたたかう姿がいっとう綺麗だから。それだけだ」
長義はぽかんとした顔で南泉の顔を見る。それから口元を抑えて吹き出した。
「っはは、随分と熱烈な告白じゃないか」
「茶化すな」
「ごめん、ありがとう。嬉しいよ。君がそこまで想ってくれていることが分かって」
「おう」
「……そうだね。確かにこの本丸にいる限り、俺は戦場に出られない。数値だけ上がっても弱いままだ。それは、嫌だ」
「……お前、まさか」
長義は体を起こし立ち上がった。
「行こう。猫殺しくん。俺達の戦場へ」
「……いいのか?お前の意思で、行くんだぞ」