犬辻放課後デート 辻ちゃんが応えてくれた。おれの誕生日に、隊とは別に辻ちゃんだけでお祝いしてくれるという。それも、放課後にデートしてくれるんだって。辻ちゃんから、学校が終わってからの時間をください、とメッセージを受け取って、それで、放課後デートだね、と冗談に聞こえるように返事をして、自分で言っておきながら次の返信が来るまでひどく緊張していた。何言ってるんですか。違いますけど。そうやって冷静に返されたらどうしようと、情けなくなるほど不安な時間を過ごしていた。それなのに、はい、よろしくお願いします、なんてわかってるんだかわかっていないんだか微妙な返事をもらって、それから誕生日までの数日間。今度は格好悪いくらいおれはそわそわとしていた。おれがクリスマスに、おれのことももう少し考えてよ、なんて言ったから辻ちゃんは律儀に守ってくれているだけなのか。それとも、本当に考えてくれるようになったのか。正解はわからないけれど、それでも、どちらだとしてもおれは辻ちゃんの気持ちが嬉しくて浮かれてしまっていた。別に付き合えるわけじゃないのに。辻ちゃんの気持ちがおれに向いているわけでもないのに、それなのに、もう、おれのことを考えてくれているだけで胸がいっぱいだった。自分の誕生日には辻ちゃんがおれのためだけにそばにいてくれる。おれのことだけを考えてくれる。嬉しい。嬉しい。どうしよう。こんなの初めてで、嗚呼、おれって、こんなわかりやすい恋愛なんてするんだって自分でも驚いてしまった。
今までも本気とは言い難かったけれど女の子と付き合って、デートして、キスをして、その先も経験してきたけれど、それでもこんなに自分に向けられる笑顔ひとつひとつに沁みるほど嬉しくなったことなんて一度も無かった。綺麗な辻ちゃんの顔がやわらかくゆるめられて、笑いかけくれるだけで、どうしてこんなにも泣きたくなるんだろう。辻ちゃんがおれの教室にわざわざ来てくれて、それで、犬飼先輩って声をかけてくれて、ねぇ、あの甘い笑顔、おれに向けられてるんだよ。信じられる? 辻ちゃんが普段近寄らない上級生の教室まで来てさ、おれ以外にも男だけでなく女の子だって残ってるっていうのに、笑ってくれたんだよ。やわらかく、ふんわりと。それがあまりに綺麗で、可愛くて、嬉しくて、おれ、一瞬頭が動かなくて、そうだ、おれ達以外にもいたんだったって慌てて気づいて、誤魔化すように、隠すように動いたんだ。
「可愛いでしょ、おれの後輩。ちなみに、この美人で可愛い後輩は、これからおれと放課後デートしまーす。良いでしょー。じゃあ、そういうことで。みんな、ありがとね」
そうやって無理矢理辻ちゃんを級友から見えないようにして、おれ、不自然過ぎただろうか。いつもみたいに。それこそランク戦みたいに俯瞰して行動出来ない。損も得も無いんだ。辻ちゃんがいるから、おれ、それだけで十分で、だから、嗚呼、こんなに頭は動かないし格好悪いんだ。
「先輩は、俺が思っていたよりも可愛い人ですね」
そうやって辻ちゃんに言われるくらいおれは上手く立ち回れていないらしい。なんだか姉ちゃん達に揶揄われている時みたいだ、なんて思いながらも子供みたいな反応をしてしまう。だって本当に、辻ちゃんてすごいんだ。おれが準備してきた言葉も表情も簡単に遠くへ追いやってしまう。辻ちゃんはおれとは違って計算なんてしていないだろうに、あっという間におれは丸腰にされてしまうんだ。
「辻ちゃんに言われるなんて、おれ、よっぽど可愛いんだろうね?」
せめてもの返しだって、辻ちゃんには痛くも痒くも無いみたい。
「ふふっ、そうですね。可愛いですよ。犬飼先輩」
楽しそうに笑う辻ちゃんに、おれはどんな顔をしていたんだろう。そんな顔しないでください、俺まで恥ずかしいじゃないですか。そうやって、ぽぽ、と顔を赤くする辻ちゃんを見て、おれはまたさっきみたいに学校指定の鞄を辻ちゃんに軽くぶつけて子供みたいに抵抗してしまうんだ。
「先輩揶揄うなんて、生意気〜!」
「ちょっと! 教科書折れますよ」
「良いんだよ、辻ちゃんのせいだから」
辻ちゃんには幼くて可愛い先輩に見えるんだろうけど、おれがなりたいのは辻ちゃんだけの格好良くて頼りになるスパダリってやつで、だから、本当はこんなのおれの理想とはまったく違うのだけれど。それでも。嗚呼、好きだ、好きなんだよ、ねぇ、辻ちゃん。
「……それで、俺、今日のこと色々考えてみたんですけど。……プレゼントを用意しようと思った時に、俺、先輩のことそこまで知ってるわけじゃないなって思って、……だから、……たくさんお話してみたかったんですが、……その、……あの」
あの後、辻ちゃんが連れていってくれた放課後デートの行き先はチェーンのコーヒーショップだった。おれもたまに使うその店は休日とは客層を変え、今はおれ達のような学校帰りの学生の姿も多く見られた。ただその大半は女の子で、だから、ほら、辻ちゃんはさっきまでの生意気な後輩の顔を潜めて縋るようにおれを見ている。こんなはずじゃなかったのに、ごめんなさい、お願い、助けて犬飼先輩。まるでそんな顔。大体のことはしっかり自分で出来て、あまり世話を焼く場面の無い辻ちゃんの唯一の頼りない姿に、おれは簡単に絆されてしまう。仕方ないなぁ、なんてわざとらしく言葉にして、嬉々として助け舟を出してしまう。いつも姿勢良く歩いている辻ちゃんが俯きながらおれの後ろにぴたりと着いて、席を取るのも注文するのも全部おれに任せてくれる。ただ、フラペチーノのカスタムまでは大人しくしていてくれたのに、支払いになった途端に俺が払います、とキリリと目に力が入ったのには流石に笑ってしまった。可愛いなぁ。可愛い。辻ちゃん。可愛いね。
「え〜? 良いよぉ、大丈夫。先輩に格好つけさせて?」
別に格好つけたいわけでも、良い先輩を演じたいわけでもないけれど。それでもおれはこの後の展開がわかってしまって、わざと約束と違うことを辻ちゃんに言った。すると、辻ちゃんはランク戦の時とは違っておれの行動の意味を汲み取ることなく、焦ったようにおれを見て言ったんだ。
「だ、ダメです、だって今日は先輩のお祝いでっ」
「お会計、一緒になさいますか?」
「ぅぁっ、……あ、ぁのっ、……は、はぃ、……ふ、ふたり、分、……ぃ、いっ、しょ、に、……ぉ、……ぉ願ぃ、しま、す」
今までずっと見ないようにしていたレジのお姉さんに、辻ちゃんはあわあわと真っ赤になって慌てふためいている。店に入った瞬間から女の子達の注目を集めていることはわかっていた。自分で言うけれど、おれ達はお互いそれなりに背も高くてタイプの違う顔の良い男子生徒で、それもこの辺では有名進学校の制服を着た学生だ。そんなふたりが連れ立って店に入ってくれば目立つに違いない。実際ずっと視線を感じていたし、レジに並んでいる最中や、なんだったら今でも後ろから、かっこいい、可愛い、なんてヒソヒソと交わされる言葉も聞こえてきていた。レジのお姉さんも、ずっとおれの後ろにぴたりとついて俯いている辻ちゃんのことを気にしているのは伝わってきていたし、多分、嗚呼、お姉さん的には辻ちゃんがタイプなんだろうなぁっていうのもわかっていた。だから、きっと会計の時にはおれだけでなく辻ちゃんにも話がふられるんだろうと思って、だからこそ、それを回避してあげたかったのだけれど。辻ちゃんは周りの様子に気づけないほど緊張していて、でも、苦手な環境でもおれを祝うのだという目的を忘れないでいてくれた。辻ちゃんのその姿勢だけで既に嬉しいのに、スマホをかざして決済しようとする辻ちゃんにクーポン出てるよ、と教えてあげても、先輩のお誕生日にクーポン使いませんよ、次の時に使いましょう、なんて当たり前のように二回目を約束してくれる。辻ちゃんはそれだけじゃない。スマホを覗きこんだ時に近づけた肩は、とん、と小さくぶつかって、少しだけ低い位置にある辻ちゃんの特徴的な紫の瞳はひどく近い距離でおれを見上げていた。
「俺にかっこつけさせてください」
まだほんのりと頬は赤いままなのに、かっこつけたいんだとおれの言葉になぞらえて口にする辻ちゃんは間違いなく格好良かった。嗚呼、おれの後輩、こんなに格好良いのに可愛いとか反則すぎる。きっとそれに気づいていないのは本人くらいで、レジのお姉さんも後ろに並んでいた女の子達も場所が場所なら叫んでいたに違いない。それくらいのことをしているのに、本人はとにかく女の人から離れたくて仕方ないようで、周りのことなんて何にも見えちゃいないんだ。そのくせ、受け取ったフラペチーノを嬉しそうに眺めた上で、犬飼先輩、俺の分も飲んで良いですからね、と笑いかけてくれるんだもん。もう、反則どころの話じゃない。席に戻ってお言葉に甘えて一口貰えば、辻ちゃんは普段のポーカーフェイスなんてどこへやら、やさしい顔でおれを見ていた。辻ちゃんって回し飲みとか気にしそうって思っていたけれど、案外気にしていない様子に驚くのと同時に、間接キスなんだけどなぁ、なんてこっちばかりが意識してしまう。そう、おればっかり。おれの差し出したホイップがたっぷりと乗ったスプーンを素直に口を開いてぱくりと堪能した辻ちゃんは、しばらく美味しいです、と目尻を下げていたけれど。はたと気づいて小さくおれに耳打ちしてきたんだ。
「せ、先輩っ、もしかして、これ、……このままだと、間接キス?」
今頃になって意識して赤くなる辻ちゃんに、おれはもう負け越し続きだ。
「そうだよ。やっと意識してくれた? せっかくだし、辻ちゃんが意識してくれた記念に写真撮っとく?」
周りの女の子がざわついていても、もう匿ってなんてやれそうにないや。おれは恥ずかしそうに瞳を潤ませ始めた辻ちゃんの肩を抱いてスマホを構えた。写真。辻ちゃんがたくさん撮ろうって言ってたやつ、今記念に撮っちゃおう。きっと、これから辻ちゃんとは記念日だらけになると思うんだ。だから、一口ずつ減ってしまったこのフラペチーノだって、良い思い出だね。
「辻ちゃんが覚えきれないくらい、たくさん色々なこと教えてあげる。だから、辻ちゃんもおれにたくさん教えてよ」
カシャ、と何枚か撮って、四角い液晶の中に収まった辻ちゃんに満足して笑えば、辻ちゃんは困ったように眉を下げて、そして、薄い唇をきゅっと上げて答えたんだ。
「……俺は、甘いものが好きです」
ようやく距離の縮まった辻ちゃんは、小さく口を開けておれを試すような目で見ていた。自分の誕生日に叶った辻ちゃんとの放課後デートは、どうやら過去一難易度が高そうで、そして過去最高に甘そうだ。