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    38sgmj

    @38sgmj

    38(さや)と申します。
    えっちなやつや犬辻以外のものを載せています。
    大変申し訳ありませんが、基本的に読み手への配慮はしておりません。
    また、無いとは思いますが…。未成年の方の年齢制限話の閲覧や、転載、印刷しての保存等はおやめください。信じてます…。

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    38sgmj

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    音楽パロ再録本用に書き下ろしたお話です。

    バンドパロ 最初は二宮さんの負けず嫌いから始まったお遊びだった。大学の有名人、二宮さんに突然声をかけられたんだ。
    「お前、バンド組めるか」
     無遠慮に、そう、それだけ。二宮さんはピアノ科の先輩で、でも、おれの知っている二宮匡貴はバイオリン奏者のはずだった。姉に混ざって習い始めたバイオリンのコンクールで初めて見た二宮さんは本当に眩しくて、力強くて、輝いていた。そんな一方的に憧れて追った二宮さんは、同じ大学に入ってみればピアノに転向していたのだから世界がひっくり返ってしまった。それでも真面目に結果を出していけばいつか二宮さんと巡りあって、そして一緒に演奏出来る日が来るんじゃないか。自分にしては珍しく漠然とした希望を抱いて過ごしていた矢先のこれだ。バンド組めるか、だって。まさか仲良くなる前にバンドに誘われるなんて、ほんと、二宮さんって凄い人だ。なんでも、声楽科の知り合いが企画したイベントへのバンド出演を断ったら、そうだったわ、二宮くんには難しいわよね、なんて煽り以外の何物でもない言い方で返されてしまったらしい。それが、早い話プライドに触ったんだろう。二宮さんは大急ぎで学内のめぼしい人員に当たりをつけ、こうやって勧誘に回ってるわけだ。自分がすでにイケメンなくせに、後ろに黒髪の美人まで引き連れてさ。
    「器楽専攻、チェロの辻だ。今回はベースで誘っている」
    「え? チェロなのに?」
    「はい。実家にベースはあるので。……ただ、経験は無いですけど。……犬飼先輩、よろしくお願いします」
     表情の乏しい綺麗な顔を少しだけ困ったように歪めて、黒髪の美人——辻くんはおれに手を差し出してきた。細くて長い指に、すらりとした腕。速いパッセージにもボーイングにも有利な体格の彼は、器楽科の新入生の中でもとりわけ目立つ有望株だった。そして技術も演奏も十分優れているっていうのに、背も高くて顔まで良いんだから、本当に有望株すぎる。おれ、こういう綺麗で品のある美人、タイプなんだよなぁ。反射のように求められた握手に応えたおれは、自分と同じくらいの大きさの薄い掌を握りながらそう思った。
    「こちらこそ、よろしく。バイオリンのD年、犬飼です。この前の二宮さんとのチャルダッシュ、聞いてたよ。二宮さんのピアノとあそこまで合わせられるの、辻くんくらいなんじゃない? おれ、感動しちゃった」
     普段、挨拶の際に社交辞令も兼ねて伝える賛辞の言葉を、この時久しぶりに嘘偽りなく伝えた。それくらい彼の演奏もその姿も心に残っていた。
    「あぁ、あれ。……すごく、楽しかったので、……そう言ってもらえると嬉しいです。今度、フリスカの部分のアドバイス頂けませんか? 犬飼先輩も以前弾いてましたよね?」
     クールなイケメンだと。なんだったら、無表情で人形みたいなチェロ弾きがいると話題になっていた彼が、恥ずかしそうに、嬉しそうに、ふにゃりと笑った。自分の好みの顔が幼く笑っただけでもクルものがあるのに、彼はさらにこう続けた。犬飼先輩も以前弾いていましたよね、と。見ていてくれた。聞いていてくれた。遊びのつもりで、でも、実は真剣に演ったフリスカを、速弾きを、彼は聞き逃さないでいてくれた。
    「……聞いててくれたんだ。……すごい、嬉しい」
     誤魔化すように笑ったつもりが、なんだか頬も耳も熱い。思わず逸らしてしまった視線を戻しても、彼は表情を和らげたままだったから、おれは胸が熱くて、それで、頷いてしまった。
    「二宮さん、おれもバンドに加えてください」

     もはや下心で参加したバンドだったけれど、これがなかなか大変で、曲うんぬんの前に二宮さんはバイオリンでもピアノでもなくサックスを担当すると言い出して、これにはおれだけでなくあの辻くんまで動揺して固まってしまったのだからどうしようもない。
    「二宮さん、もしかしてバンドってジャズバンドのことでした?」
     まさかまさかと確認すれば、二宮さんはひくりと一度眉間を震わせ、何言ってんだ、とでも言い出しそうな顔でポピュラーのバンドだ、とのたまった。マジか。専攻してる楽器で演奏してもねぇ、そんなの上手くて当然だわ、と件の知り合いに言われて、その言葉に乗って二宮さんは本当にパート変更までするという。二宮さんマジかぁ。マジなんだ。そして、少なくとも今この瞬間まで話したことも近寄ったことすら無かったというのに、二宮さんは旧知の仲のようにおれに言った。
    「犬飼。お前は純粋に技術があるだけでなく、周りをよく見ているし聞いている。いずれはコンマスになる素質がある。ソロはまだまだだが、周りを引き立てる能力はバイオリン奏者の中では一番だと俺は思っている。そこで、だ。犬飼。お前、作曲もやってるだろう? 俺と辻、活かしてみないか」
     コンマス。引き立てる。二人を活かす。遥か上の憧れだった二宮さんからの言葉は、突如として同じフィールドで活躍する先輩としての言葉に変わった。嗚呼、こんな嬉しい言葉、貰っちゃって良いの? 驚きと喜びで言葉に出来ないおれは、さっき離したばかりの辻くんの細くて長い指を目で追って、それで、めちゃくちゃだな、なんてどこかで諦める自分を感じながら、笑った。
    「こんな美人、二人も好きにして良いなんて、おれ、超ラッキーですね」
     そう。おれは超ラッキーだ。ずっと追いかけてきた二宮さんと知り合えて、なんなら二宮さんもおれのことを知っていてくれて、それで、遠くからずっと良いなと思ってきた「チェロ人形」の辻くんと一緒に演奏出来るんだから。女子が九割の音大に入ってきたくせに、女の子が苦手でうまく会話が出来ないという彼は、知れば知るほど興味深くて、そして面白い男だった。女子学生に話しかけられれば真っ赤になって何も言えないくせに、いざ演奏が始まれば、さっきまで一言も会話出来なかった女の子相手でも完璧にサポートし、音を活かすことが出来る。音大の男なんて変人かゲイしかいないなんて揶揄されることが多いけれど、彼は間違いなく前者で、不器用なくせに誰よりも音を支えることに特化した変人だった。でも、それが、おれには愛おしい。二宮さんにバンドに誘われてから、犬飼先輩、とおれだけに向けられるようになった彼の控えめな笑顔が、どんな音よりも甘く感じられるほどだ。それを、活かしたい。おれの音で、彼も、憧れの二宮さんも、一瞬の芸術に仕立て上げたい。おれの頭をよぎるのは、いつか聞いた二宮さんと辻くんのチャルダッシュ。元々はマンドリンの曲だったものがバイオリンの超絶技巧曲として愛され、あまりの人気に禁止令なんかが出されてしまうほどの、今で言う大ヒット曲。酒場を意味する踊るような曲を学内トップクラスの無表情達が奏でて、それだけでも衝撃的だったのに、更に驚いたことに二人とも笑っていたんだ。楽しいって。気持ち良いって。普段表に出てこない感情が溢れていたんだ。本来バイオリン奏者でピアノに転向してもトップで輝き続ける二宮さんは、その卓越した才能と技術が逆に仇となって完全なソロプレイヤーだった。アンサンブルには不向きだと、他の学生だけでなく、もしかすると本人もそう感じていたのかもしれないけれど、辻くんとのチャルダッシュはそんな従来の二宮さんのイメージを完全に払拭する演奏だった。いつも主役であり続けたピアノを、辻くんの音を支えるための伴奏として奏でたんだ。当然のことかもしれないけれど、孤高の天才が年下のチェロ奏者のために合わせたんだ。もうそれだけで聞いていた学生達は皆驚いて、息を呑んだ。二宮さんだけでも大事件で一ヶ月は語れるレベルだったのに、チェロ人形なんて揶揄されていた辻くんまで普段のプレイスタイルを変えてきたんだ。もう大混乱だ。そもそもバイオリンパートをチェロで弾くこと自体大変なのに、ピッチやパッセージ、ボーイングは相変わらず正確なまま、辻くんは二宮さんの感情的で情熱的なピアノの音を受けて、それに追従した。チェロ奏者は避ける傾向にあるフラジオレットだって情熱的に響かせたんだ。あの、チェロ人形、なんて呼ばれていた彼が。控えめな彼が自ら前に出て攻めた音を奏で、引くべきところではアイコンタクトすら無く二宮さんに合わせていた。二宮さんと辻くんのチャルダッシュは、まさに背中合わせ。音で通じ合う二人に、ぶわりと肌が粟立つような、息を呑むような衝撃を受けた。その日は興奮してうまく眠れなかったくらいだ。夢にまで見たのは、二人の長くて細い指と、辻くんの深い紫の瞳。楽しそうに笑う顔。それを、おれの手で輝かせたい。
    「というわけで、お待たせしました。二曲用意しました。一つは二宮さんのサックスを活かして、スカ。これはおれがボーカルで、中盤は二宮さん、ソロお願いします。で、二つ目はロック。こっちは二宮さん、ボーカルお願いします。それで、この曲は辻くんのベースが要だから、よろしくね」
     バンド結成から一週間。友人のツテを辿りに辿って協力を得ながら作り上げたオリジナル曲は二曲。誇張抜きで寝る間を惜しんで作り上げた曲達は、インク切れ寸前のプリンターが頑張って印刷してくれたカスカスな譜面だけれど最高の出来だと思っている。それをどういう手を使ったのか、二宮さんが激しい争奪戦となるレッスン室の予約を済ませて用意してくれた部屋で手渡していく。
    「急いで作ったからタブ譜はまだ無いんだけど、どう? 辻くん、いけそう?」
     手に取るや否や譜面に目を通し始めた辻くんに声をかけると、彼は真剣に伏せていた目をフ、と上げておれを見た。深い紫。それがゆっくり細くなっておれを見ていた。
    「いけます。タブ譜は見慣れないので、こっちで大丈夫です。……このウォーキングベース、……格好良い音ですね」
     彼の紫。それが、楽しそうに笑った。これはまずい。
    「……でしょ? ……辻ちゃん、最高だね」
     思わず呼称を変えて呼べば、彼は一瞬きょと、とおれを見つめて、そしてやっぱり楽しそうに笑ったんだ。
    「はい」
     持ち込んだパソコンでデータを聴いてもらって、それで、あとは各々自主練して、最後に軽く合わせてみた。当たり前だけど、二宮さんのサックスも歌声も初めて聴いて、なんだかそれだけで感動してしまった。この人、ほんと何でも出来るんだなって余計に尊敬してしまったし、イケボは歌ってもイケボだわ、なんて堪え切れずに笑ってしまった。それは辻くん——辻ちゃんも同じだったようで、二宮さんの声、歌ってもかっこいいですね、とセッション後に譜面にメモを取る二宮さんに聞こえないようにおれの耳元で囁いてきたくらいだ。嗚呼、でも、その声。おれ、辻ちゃんの声も好きなんだよなぁ。

     練習期間は二ヶ月。通常の講義や課題の合間を縫っては三人で集まって曲を作り上げていった。おれはデモ演奏用のデータから、実際に録音したギターやドラムの音に差し替えて二宮さんと辻ちゃんの音を支えた。DJなんてしたことなかったけれど、二人の演奏を輝かせたいんだと高校時代の友人達を頼れば、お前がそんなマジになるなんて逆に気持ち悪ぃな、とドン引きされてしまった。それでも、友人達は深夜まで録音や練習に付き合ってくれたから、ほら、ようやくバンドとして成り立ってきた。生音の音源を流して、そこに辻ちゃんのベースが乗って、二宮さんのボーカルやサックスが重なる。大学で自分が担当するのはいつも主旋律ばかりだったから、こんな風に曲の土台を務めると新しい発見ばかりで、やっぱり音楽って楽しい。二宮さんの音は存在感があって格好良いし、辻ちゃんの音はひどく安心する。彼に任せていれば絶対上手くいくって確信めいたものを感じてしまう。だから、おれは自由に振る舞うことが出来る。
     あっという間に迎えたイベント本番。おれ達は二宮さんの指示で黒いスーツでステージに立っていた。オケと勘違いしてるのかな、とさり気なく衣装について聞いてみれば、スーツは正装だろ、だって。嗚呼、二宮さんって本当におもしろいよなぁ。でも、そんな二宮さんの真面目な天然には感謝してる。だって、普通にスーツって格好良い。今、おれの左隣で演奏する辻ちゃんは、より一層大人びた雰囲気の美人になっていた。それに、一曲目のスカで辻ちゃんが弾いているのはコンバス。本来弾くはずだったエレキベースは、この曲ならバスが良いんじゃないか、なんていう二宮さんの無茶振りに応えて変更になってしまった。やってみます、と余計な言葉もなく一言だけ返して完璧に練習して本番を迎えた辻ちゃんは、本当に格好良い。上手側で普段よりも太い弦をあの細い指で弾く姿はなんだかどきどきするし、中央に配置したターンテーブルをいじりながら歌うおれを見ながらテンポを誘導してくれる辻ちゃんの瞳に、じりじりとした興奮を覚えてしまう。おれに合わせるようで、正確にテンポを刻む四つ打ちのベース。融通を利かせつつも肝心なところは守ってくれる、まさに基礎。土台。曲を通して色付けをしていく二宮さんのサックス。ところどころ掠れるおれのボーカル。雰囲気も掴みも成功したように思えた。だって、おれ達のステージを見に来てくれた観客が、みんな初めて聴く曲なのにリズムに乗って目を輝かせてくれていたから。だから、スカが終わって、観客が次も似たような系統の曲が来ると構えている中で辻ちゃんがエレキベースに持ち替えた時。おれ、本当に興奮してしまったんだ。二宮さんがサックスを下ろしてスタンドのマイクを掴むと、打楽器専攻の友人に叩いてもらった激しいドラムを流した。十六ビートのリズムに、リズムの最後に刻む十六分のフィル。その四小節後にスライドで入ってくる辻ちゃんのベース。辻ちゃんの綺麗で大人しい見た目からは想像出来ない躍動感のある激しいフレーズは、この曲はさっきまでのスカとは違うんだ、と強く印象付ける。観客の顔色が驚きに変わったのを見届けると、計算通りのタイミングで二宮さんの歌が入った。自画自賛だけれど、本当に痺れるくらい格好良かった。歌の入りのタイミングも、イントロからの流れも完璧だった。二宮さんの低くてハリのある声であえて女性的な歌詞を追うと、そのわかりやすい意外性が聞き手を曲に引き込んでいく。音大のイベントではあるけれど、客層の半分は一般客だ。クラシックよりもロックやポップスに慣れ親しんだ人達が率先して腕を上げて流れを作ってくれる。それが気持ち良い。レコードを擦って、クロスフェーダーで左右を入れ替えて、クラブ的な音を入れていく。その機械的なサウンドが、あの二宮匡貴を誰も知らないアーティストへと変えていく。うわぁ。うわぁ、これは、気持ち良い。サビ前までポケットに入れられていた二宮さんの左手が、サビへの盛り上がりに合わせて次第に上げられていくと客席後方を指差した。それが合図。サビに入ると客席は自然と腕を上げて辻ちゃんの入れるアクセントに合わせて跳んだ。十六分の頭をわかりやすくしてあげると、お客さんも乗りやすいんじゃないかな。練習中におれがそう言ったことを覚えていてくれたから、だからほら、楽しい。みんな、踊ってる。印象的なフレーズを続けて、コーラス。韻を踏んだ言葉をおれと辻ちゃんが二宮さんの歌に重ねる。たった四文字の単語でも、辻ちゃんの声が響いてる。大好きな声。二宮さんの深みのある声とはまた違う、角の無いやわらかな低音。痺れちゃいそうだ。少し低い位置にあるマイクに、ころんとまぁるい頭を傾けて声を届ける辻ちゃんは妙に色っぽい。そんな辻ちゃんが、間奏でおれの知らない顔をして笑った。サビで盛り上がった観客は、二宮さんのボーカルが抜けた間奏でワッとわかりやすく歓声を上げた。そんな中、上手の最前列を陣取った高校生くらいの男の子達が声を上げたんだ。
    「辻先輩っ!」
     その声は大きな歓声の中では小さなものだったけれど、雀斑の散る頬を熱気と興奮で赤く染めた彼は確かに辻先輩、と叫んでいた。彼の横でも何人か仲間だと思われる男の子達が辻ちゃんの名前を呼んでいて、それに気づいた辻ちゃんは、ずっとお澄まし顔で演奏していた顔をやわらかく崩して口元だけで笑った。そして、一歩二歩と前に出ると腰を屈めて、差し出された男の子達の掌をパン、パン、と叩いた。ちょうど休符のタイミングで行われた、いわゆるハイタッチは観客の興奮を誘うには十分すぎるパフォーマンスで、ラスサビは本当に想像以上に盛り上がった。演奏後に送られた鳴り止まない拍手と歓声に思わず涙が出そうになるほど感動したというのに、へらへらと笑顔を浮かべて手を振るおれとは違って、無表情のままぺこりと頭を下げてはけようとする二宮さんと辻ちゃんを見たらそんな涙も引っ込んでしまった。
     それでも、最後のアンコール用に指定のイベントTシャツに着替えようとした時。辻ちゃんはスーツのジャケットをハンガーに掛けながら、おれに言ったんだ。
    「犬飼先輩のおかげで、とても楽しかったです。それに、こんなに弾いていて終わりたくないって思ったの、今日が初めてです」
     その、おだやかで、それでいてうっそりと笑う辻ちゃんの顔を見たら、また胸が熱くなってしまった。おれの作った曲で。辻ちゃんの長くて細い指と、深い紫の瞳。それらを輝かせて、そして楽しいのだと笑ってほしい。その願いがすべて叶った瞬間だった。おれはあまりの嬉しさに一瞬自分のことをコントロール出来なくなってしまって、いつもならすぐに出てくる言葉を紡ぐことが出来なくなってしまった。きっとそれは表情ですらそうだったんだろう。おれがようやく、ありがとう、と笑うと、辻ちゃんはステージで男の子達の手に応えた時と同じ顔をしておれを見ていた。
    「……本当に、犬飼先輩のおかげです。何かお返し出来れば良いんですが」
     出会ったばかりの頃は、チェロ人形、なんて言われていたのに。正確に音を奏でる無表情なお人形、そんな風に思われていたのに。今の辻ちゃんは、その頃とはまるで別人のように表情豊かにおれに笑いかけてきてくれる。もちろん、それはわかりやすいにこにことした笑顔ではないけれど。でも、おれの大好きな、綺麗で品のある静かな笑みだ。それが嬉しかった。
    「……こっちこそ、辻ちゃんと二宮さんのおかげですごく楽しかったよ」
     嬉しいのに、なんだか気が抜けてしまって、上手く笑うことが出来なかった。それでも、辻ちゃんはやわらかく目尻を下げておれを見ていてくれた。
    「良かったです。犬飼先輩にも楽しんでもらえて」
    「え?」
    「……先輩はひとに合わせるのが上手だから、あまり満足に演奏出来てないんじゃないかって思ってたんです。……でも、さっきのステージで、先輩、本当に楽しそうに笑ってたから。……ふふっ、だから俺も、すごく楽しかったです」
     カタン、とハンガーを掛けると、辻ちゃんはもう一度おれを見て笑った。相変わらずそれは静かな笑い方だけれど、綺麗だなぁと、好きだなぁと思わせるには十分すぎた。二宮さんはこのイベントに出るきっかけになった声楽科の先輩に引っ張られて違う部屋に行ってしまったし、今は控え室には誰もいなくて、だから、余計に止められなかった。
    「辻ちゃん」
     おれは、既にシャツを脱いでインナーの半袖姿になっていた辻ちゃんの真っ白な手首を掴んだ。
    「……お返し、……辻ちゃんが良い」
    「え?」
    「おれ、ほんとに楽しかった。辻ちゃんが言うように、おれ、今までそこまで満足した演奏って出来て無かったし、……チャルダッシュだって、遊びじゃなくて本気で演りたかった。二宮さんのバイオリンに憧れて、ここ受けて、でも二宮さんはピアノに転向してるし、おれも二宮さん追いかけてたくせにファーストよりもセカンドっぽいことばっかしちゃってるし、なんか、……うん、ちょっと、……嫌になってた。でも、今回こうやって二宮さんに誘ってもらって、辻ちゃんと一緒に演奏出来て、おれ、ほんと、すごく楽しくて。やっぱり音楽って楽しいって思えて、それで、……すごく嬉しかった。もっと辻ちゃんと一緒に演奏したいって思ったし、……歌だって、……辻ちゃんの声、もっと聞きたいって思った。……だから、……お返し、もらえるなら、……辻ちゃんが良い」
     勢いで掴んでしまった手首を、今は離そうか、緩めようか悩んでいる。驚いて見開かれた紫を段々見ていられなくなって、情けなく俯いて掴んだ手首ばかりを見ている。骨っぽい手首だ。集中すれば、少し緑がかった血管のリズムも測れそう。どうしよう、これは、格好悪い。心臓も沈黙もうるさくて、この流れはまずいと、ごめん、と軽い声を出して急いで顔を上げた。なーんてね、ごめん、重かったよね。そうやって急いで笑わなきゃ。そう思ったのに。
    「良いですよ」
     辻ちゃんは、今まで見た中でいちばん甘くてやわらかな顔で笑っていた。良いですよ、って。
    「……え?」
    「俺でお返しになるかはわかりませんが、でも、良いですよ。犬飼先輩がそれで良いなら、俺に出来ること言ってください」
    「……え、……良いの?」
    「はい。犬飼先輩、今回一番の功労者ですもんね。すごく頑張ってくれたんですから、何でも言ってください」
     そこまで純粋な子だという印象は無かった。どちらかというと辻ちゃんはリアリストで、賢い子だと思っていた。でも、今、自分を欲しいと言われて簡単に良いですよと差し出してしまう辻ちゃんは、おれの知らない辻ちゃんだった。
    「……なんか奢ってとか、課題付き合ってとか、……そういうのじゃないかもしれないよ?」
    「はい」
    「……ほんとにわかってる?」
    「ふふっ、わかってます。大丈夫ですよ」
     わかってます、と言いつつ可笑しそうに目を細める辻ちゃんは少しずるいと思った。
    「ほんとぉ? おれもファンサ欲しい、とかでも?」
     なんだかそんな辻ちゃんに対してムキになってしまって、うっかり本音が混じる。それにすら余裕そうに笑う辻ちゃんは、嗚呼、さすが、器楽科期待の新人だ。
    「あぁ、あれ。高校の後輩です。あの子は昔から良い子だったから応えましたが、その横は生意気なやつだったからちょっと強めに叩いちゃいました。……犬飼先輩は、……どっちが良いです?」
     試すような紫にぞくりとした。辻ちゃんはおれに知らない顔を全部見せてくれるらしい。チェロ人形、とはかけ離れたやわらかい顔も、生意気な顔も、試すような色のある顔も、全部。おれはまた胸が熱くなって、情けないことにまたじわじわと視界が揺らぐのを感じていた。おれは、握ったままの辻ちゃんの手首を持ち上げて、じゅ、と強く吸い上げた。赤く赤く色がつくように。誰にも見せられない秘密を共有するように。唇を離すとそこは思っていた通りに濃い楕円が出来ていて、辻ちゃんを見ても深い紫はおれを許してくれていた。
    「……どっちも欲しい」
     泣きそうなほど昂ったおれに、辻ちゃんはまた知らない顔で笑った。
    「辻、了解」

     出演者総出で立ったステージでみんな指定の白か黒のTシャツを着ていたというのに、辻ちゃんだけはおれのつけた真っ赤なキスマークを隠すために長袖を着込むはめになっていた。それでも、辻ちゃんは怒るでもなく、呆れるでもなく、おれの横に立っていてくれた。辻ちゃんはおれの心を自由にしてくれる。どこまでも昂らせて、知らない感情をみせてくれる。まさに、ムジカ。おれの愛した音楽。
    「辻ちゃん、楽しいね」
    「はい。犬飼先輩と一緒だから、楽しいです」
     ステージの端で二人笑いあって、それから、もっとたくさんの音楽を探しにいこうと思った。でも、まずは、おれの知らない辻ちゃんをたくさん教えてほしい。それで、たくさん音を奏でよう。ね、辻ちゃん。
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    38sgmj

    MOURNING去年書いて、いやなんかこれおもんないわ、とボツにした犬辻。でも、人生何が起こるかわかりませんし、おもしろく感じる日も来るかもしれない。ので、こっちに載せて保存しておくことにします。
    辻ちゃんの無自覚な好意を受けての犬飼先輩の話。
    犬辻 おれは多分、辻新之助に好かれている。
     年齢は一歳下で、ボーダー歴では一年近く先輩にあたる辻新之助。二宮先輩に紹介されて初めて知った彼は、なるほど、先輩が好みそうだ、と思うくらい容姿も優れていた。当時としては希少な攻撃手の一人で、こんなに大人しそうなのに危険な前衛を張るのか、と驚いたのを覚えている。年齢以上に大人びた雰囲気で、でも、ほんのり丸みを帯びた頬のラインが幼く可愛らしい、おれの大切なチームメイトで、先輩で、弟分。そんな存在が辻新之助だった。それが少しずつ変化していったのは、おそらく高校進学後。学校でも顔を合わすようになって、はたと気がついた。おれは多分、辻ちゃんに好かれている、と。もちろん、彼はおれに限らず誰にでも丁寧に接する子で無闇に人を嫌ったりしないから、元々好かれていたのだと思う。でも、そういうのとは違う、どちらかと言うと恋慕に近い感情でおれを見ていた。勘違いだとか、自惚れ、自意識過剰。何度もそう思って考え直したけれど、おれは人の好意を察するのが得意なほうだったから、多分これは間違っていない。犬飼先輩、とおれを呼ぶその声が、おれを見る黒い瞳が、どうにも甘くおれに届くのだ。
    2312

    38sgmj

    MOURNING衝動の吐き出しとリハビリを兼ねて
    3/5 追記
    舞台俳優犬辻1
     約二週間、全十六公演最後となる大千穐楽を迎え、メイクを落として着替えも済ますと、気持ちはもうすっかり次の舞台に向いていた。重複する舞台スケジュール、どれ一つとして疎かにしたつもりはないけれど、それでもおれは次の舞台に賭けていた。

     おれが舞台俳優の世界に足を踏み入れたのは三年前。幼い時から姉達を真似て雑誌モデルやちょっとしたエキストラとして撮影に参加させてもらっていたけれど、当時アイドル界の異端児として活動していた二宮さんを見て、嗚呼、おれもあのキラキラした世界で輝きたい、とアイドルを目指すようになった。二宮さんの所属する事務所の訓練生として少しずつ成果を上げていっていたある日、転機が訪れた。二宮さんがある番組のオーディション番組の審査員として参加することになった。それは、日プ、と呼ばれる国民プロデューサーによる投票でメンバーが決まるアイドルオーディション番組だ。事務所関係なく現役アイドル代表として二宮さんや、ライバル事務所所属のグループのリーダーも審査員として参加する、かなり大がかりなイベントだった。おれは正直、まずは事務所の直接の後輩にあたるおれ達訓練生から見てほしかった、なんて思っていたけれど、オーディション参加者の一人を見て考えを改めることになった。一目見てわかった。推し、だ。推しが出来た。彼しか目に入らない。イケメンなんてこの業界にいればいくらでも見るし、おれだってその自覚があるからこうしてアイドルなんて目指してるわけだけれど、それでも、これは、顔が良い、と思った。まだ成長途中だってわかる薄い体は幼いけれど、それでも細身の長身、長い手脚、小さな顔、少し吊り目気味の涼しげな目は時に妙な色気を生んだ。他の応募者のように自信に満ち溢れているわけでも愛嬌があるわけでもないけれど、それでも淡々と、いつか二宮さんと並んでお仕事がしたい、と語る彼の黒目は鮮やかな紫色に輝いていた。書類審査はもちろん、二次審査、三次審査と危なげなく合格していった推しは、次のグループ課題でおれを完全に沼に落としていった。自分の合否がかかっている場面でも躓く候補者を懸命にサポートしグループの底上げに貢献し、メインのカメラには映らないところで自分の課題に静かに取り組み、そして、アイドルとしては致命的な表情の薄い顔をやわらかにゆるめてグループの成功を喜んでいた。顔が良くて、優しくて、サポー
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    38sgmj

    DOODLE雰囲気妖怪パロな笹→辻
    死人(モブ)が出ます。辻ちゃんははっきりと名前は出てきません。雰囲気です、雰囲気。
    ちょっと不穏な笹→辻 オレはあの日出会った人を、思い出せないくせに必死に探している。

     友人の誘いで入部した山岳部は思いの外楽しめていて、あっという間に迎えた夏休み前最後の登校日には必要書類の提出も済み、初心者向けの山とはいえ、とうとう初めての縦走の旅に出ることになった。大きなザックに地図や計画書、コンパスにヘッドライト、食料や寝袋等、必要な物を入れて、オレは緊張と同じくらい興奮していた。天気予報だって暗記出来るくらい確認していたし、初心者だからこそ万全な状態で臨めるよう努めていた。つもりだった。
     状況が一転したのは、一日目の予定の半分にも満たない距離を登ってからだった。予報にも、目視出来る限りの空からも予想出来ない雨が降ってきたのだ。山の天気は変わりやすいとは言うけれど、まさか雲すら沸かずに此処まで急変するなんて。そんな風に思いながら引率、顧問、両名の先生からの指示に従いオレ達部員三人は速やかに雨具を着ることになった。雨は降り始めたけれど、やはり空には雨雲は見受けられず、また、勢いも弱く小降りだ。おそらく直ぐに止むだろう、そう全員が考え、だからこそ一人の反対も無く計画書通り山小屋までの道を進むことになった。今思えば、この時に引き返していたならばこんな結末にはならなかっただろうに。しとしと降っていた雨はオレ達の予想を裏切って次第に雨粒を大きくしていって、時折氷の粒まで混ざるようになった。まるで行く先を拒むかのような雨は風まで纏って圧倒的な理不尽さでオレ達を苦しめた。雲なんて一つも無かったのに、今では空は真っ黒で分厚いそれで覆われてしまっていた。真っ白な雨は視界を遮り、足元をぐずぐずに溶かしていく。こんな状況になってようやくオレは己の身の危険に気づいて震え上がった。この山は初心者向けだと聞いていたし、どのガイドブックにもネットで検索した記事にも同じようにそう書いてあったというのに、そんなのまるで嘘かのような険しく危険と隣り合わせの道は余計にオレを焦らせる。どうしてこんなに足元が不安定なんだ。雨で滑る。それに、体が重い。帰りたい。帰りたいよ。オレは一番経験の無い素人だったから、列の真ん中を歩いていた。先頭はこの山に詳しい引率の先生。もう先生の背中すら雨で見えないけれど、せめてオレの前を歩く友人の背中だけは見失わないようにしなければ。そう思った矢先の話だ。ガシャン、と石の崩れる音がした瞬
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