プレゼント ナナは気がつくと、大きな木のうろにいた。見覚えがあるような、ないような。
外には青空が広がっている。頭を突き出して、周囲を確認する。どこかの森のようだ。
「……どうしよ、わかんない」
ナナはこれでもエルフだ。来たことがある森ならば、すぐにわかる。初めてであれば見たことがない、と感じる。
だけどこの、成人女性がすっぽり隠れられる大きなうろのある木も、それよりは幾分背の低い木々が連なる光景も、わかるともわからないとも断言できない。妙に既視感はあるが、具体的な場所が出てこない。
「…………っ」
ぶるり、と肌寒さが襲ってきて肩が震えた。とりあえずここを出て、大きな枝によじ登ろうと思い立つ。できる限り高いところを目指そう。
見覚えのある木でも山でも建物でも、その端っこでも見えればと考えたのだ。ところが。
「……ひゃあっ!」
うろに手をかけたのとは逆の腕をするりと掴まれ、変な声が出た。
「あっ、あっ……!?」
「うっせー、でっけぇ声」
呆れたような嘆息。聞き慣れた男の声が至近距離からする。
「へっえっ、エド……ガー?」
顔ごとそっちを見れば、思った通りの男がいた。
「おうおう、俺様だけど? 誰か他のやつに見えんのか?」
「なん、ここ……さっき……」
しっかり周りを見回したはずだ。うろの中にはたしかに、自分一人だったのに。
「……まあ、夢の中だし、そんなこともあんじゃね?」
「え? ──これ、夢なの?」
そりゃもちろんエドガーを夢に見たことは、恥ずかしながらあるが。……夢の中の登場人物が夢だと教えてくれるなんて、めちゃくちゃ斬新ではないか。
「たりめーだろ。ほら、外もいつの間にか宿の裏庭になってんじゃん」
「──あっ、ほんとだ!?」
うろの外に広がる景色は、いつの間にやら見慣れた定宿の光景になっている。なるほどこんな不思議が起こるなら、これは夢で間違いなさそうだ。
ナナはほっとして、体の力を抜いた。するととたんに全身が重くなる。
「わかったか? それじゃもう一眠りするんだな」
「うん……すごいねぇ……。夢の中でもさらに、ねむくなるなんて……」
頼れるリーダー兼彼氏の言葉に頭が従ったのか、すみやかに意識が遠ざかる。
その一瞬。視界に映ったあの表情は、……気のせいかな……。
☆
「起きましたか」
閑散とした、昼下がりの冒険者の宿。エドガーは突っ伏していたカウンターから身を起こした。よだれに気づいて口元を拭う。
覗き込んでいるのは同じパーティーのリックとサミュエル。首尾はどうだったかと視線で聞いてくる。
「ああ、会えたよ。多分引っ張り出せたんじゃねーか」
エドガーの手には、くすんだ銀の小さな十字架が握られている。チェーンに繋がれたペンダントヘッドだ。四つの先端にはそれぞれ、黒っぽい石がはめ込まれていたが、今はすべてが砕け散っていた。
先日の冒険で手に入れたアイテムである。目立った効果も装飾品としての価値もなかったようなので、パーティーで紅一点のナナのものになった、はずだった。
「すまんな」
鑑定をしたサミュエルが何度目かになる謝罪を漏らした。老賢者の目をすり抜けたこれは、呪いのアイテムだった。
身につけた者を悪夢に引きずり込み、その虜にする。ありふれた呪いよ、拐かしなんかに使われたんでしょうね、と正体を看破した女魔術師は言っていた。
その彼女は今、ナナの部屋で本人の介抱をしているはずだ。
「じいさん、結局は何も起きなかったんだ。あんたの聖魔法で解呪もできたんだからチャラだぜ」
「そうですよ、誰もわからなかったんですから。ナナには可哀想なことをしましたが……後でみんなで甘いものでも奢ってあげましょう」
リックに肩を叩かれ、そうじゃろうか、とサミュエルはまだ気にした様子だったが。
「ああ、だな」
殊更にニヤリと笑ってみせ、エドガーは手の中の銀細工を捻り潰した。それを目にとめたリックも苦笑する。
「代わりのアクセサリーは……エドガーに任せてもいいですかね」
「そうだな。……ま、あいつは大勢での宴会のほうが喜びそうだが」
ナナの悪夢の中。大して長居はしなかったが、あの森は──おそらく、彼女の一番恐れることだ。
鳥の声すらしない、ひとりぼっちの世界。
永い時をひとりで過ごすかも知れなかった彼女の恐怖は、まだ心の奥底に巣食っていたらしい。
──だが、知るか。
たとえ世界に自分たちしかいなくなるとしても、この手は離さないと決めている。
もし彼女を独りにして逝きそうになったときの万一の覚悟も、とうにしている。
……もちろん、そんな未来なんて、頼れる仲間たちが許さないだろうが。
この自分を相手に選んだ事の重大さを、もう少し思い知るといいのだ。
再確認した獰猛な決意を胸の奥に仕舞って、エドガーは立ち上がった。
「そろそろ起きたかね。間抜け面を見に行くとするか、よだれ垂らしてたら笑ってやろ」
「そんな、あなたじゃないんですから」
さきほどの仕草を見られていたらしい。観察力の高い頼れる仲間と一緒に、エドガーは客室へつながる階段を上り始めた。