【月曜日】
じりじりと照り付ける太陽。風に揺れるヤシの木立。白い砂浜と真っ青な海。
まさに南国。これぞ南国。そんな鮮烈な景色を貫く道を、道満は晴明とふたり肩を並べて歩いていた。
新たな微小特異点の調査のため……ではなく、マスターである藤丸立香から与えられた一週間の特別休暇を、ここ、ルルハワで過ごすためである。
常夏の島、永久の楽園ルルハワ。
といっても、ここは本物の南の島ではない。かつて存在した同名の特異点の記録を基に、カルデアのシミュレーターを用いて再現されたものだ。サーヴァントや職員たちの慰安が目的とされているそうだが、監修担当のBB曰く「本当はマスターさんのリフレッシュ用に作ったんですよ? それを使わせてあげてるんだから感謝してくださいね」とかなんとか。感謝も何も使わせてほしいなんて頼んではいないし、今回ここで休暇を取るように命じてきたのは他ならぬ立香その人なのだが。
「いやあ、思った以上に暑いなァ。マスターの言う通りTシャツでも着てくるべきだった」
普段通りの白い狩衣を陽光の下で輝かせ、あははと朗らかに晴明が笑う。
確かに暑い。不快な湿気こそないとはいえ、単純に気温が高いのだ。正直なところ、道満も己の格好――当然、いつもの法衣である――を少々後悔し始めていたところだった。とはいえ話に乗る気にはなれず、遠い目で空を眺めながら「はぁ」と気のない返事を返す。
――何故、こやつと一緒なのですかねェ。
道満の頭の中はそんな疑問でいっぱいだった。
言うまでもないことだが、この組み合わせを決めたのは立香である。事前に希望を聞かれた覚えもない。術比べや手合わせが好きにできるというなら諸手を挙げて喜ぶところだが、この『休暇用りぞぉと』においてそれらは全て禁止であると厳命されている。つまり、一週間もこの男と共に在りながら、ただただ怠惰な時間を過ごす以外に何もできないということだ。
なんという無駄。なんという無益。
立香は笑顔で「楽しんできてね!」などとのたまっていたけれど、こんな状況でいったい何をどう楽しめというのだろう。
「おまえ、いやだなあ……と思っているだろう」
晴明がにやりと唇を吊り上げる。
「ンンン……心を読むのは止めていただきたいのですが」
「そんなことをせずとも顔に出ているよ。まぁ安心しなさい、おまえが退屈しないように私もいろいろと考えてきたからね。ガイドブックも用意したし、少しばかりここで試したいことも決めてきた。おまえと私、ふたりでないとできないことだ」
「……ほう?」
ちりん、と髪に下げた鈴が鳴った。
おまえと私、ふたりでないと。
どこか乞うように響いた言葉に、無意識のうちに足が弾んでしまっていたらしい。それを咳払いひとつで誤魔化し、別に何もありませんでしたが? という顔を保ちながら、道満はすたすたと歩みを進めた。目の端に映る男が笑みを深めたのは見なかったことにする。己の心情など筒抜けだとわかってはいるが、その事実を認めるのはどうにも癪だった。
「はてさて、我らふたりでなければ為せぬこととは、如何様なものでございましょうや。何やら新たな術式でも考案なされましたかな。まァ、ええ、争いごとは禁じられておりますが、術を封じられているわけでなし。晴明殿がどうしても、どうしてもと仰るなら、儂とて鬼ではございませんので、付き合って差し上げなくもないですぞ」
「おまえ、心が乱れると本当に饒舌になるね」
「何か?」
「いいや、なんでも。とりあえず、詳しい話は宿に着いてからゆっくりとしよう。時間はたっぷりあるのだしね」
ほら、そろそろ見えてくる頃だ。
男はそう言って目を細め、袖を熱い風に揺らしながら、延びる道の先を指さした。
休暇中の滞在場所としてふたりに用意されていたのは、ダイヤモンドヘッドの麓に建つ一軒のコテージであった。
木造りの小屋のようなものだろう。そんな道満の想像とは裏腹に、目の前に現れたのは邸宅と呼ぶのが相応しいほどの立派なものだった。前庭には花と萌黄色の芝生。白と木目を基調とした建物は周りを囲む木々と見事に調和しており、明るく開放的でありながら隠れ家的な雰囲気も醸し出している。造り自体は全く異なるものではあるが、どことなく晴明の屋敷を彷彿とさせるようにも思えた。
ふたりだけで過ごすにしては、これはいささか大きすぎるのではなかろうか。
道満がそんなことを考えている間にも、晴明はうろうろと歩き回りながら中の様子を確認していた。まるで縄張りを見回る狐がごとしである。慣れない場所に興奮している童といってもよかろう。兎にも角にも落ち着きがない。
「ジャグジー付きのバスルームに寝室がふたつ……おお、キッチンもリビングも広いなあ。これは窮屈な思いをしなくてすみそうだ。ほら道満ご覧、テラスから海がよく見えるよ。浜にも下りられるようだから後で散歩にでも」
「ええい、到着早々はしゃぐでないわ! 先程の件はどうなったのです。宿に着いたら説明していただけるという話だったのでは?」
「おまえこそ、そう急くものではないよ。時間はたっぷりあると言っただろうに……まあいい、話すからそこに座りなさい」
苦笑する男に促されるまま、リビングに置かれた白いソファへと腰を下ろす。道満の大きな身体をふわりと柔らかく受け止めるそれは、やはり長身の晴明が隣に座ってもまだ十分な余裕があった。おそらく本来は三人掛けなのだろう。
さあ座ったぞ、早くしろ。
そう言わんばかりの道満の前で、晴明はどこからともなく一冊の本を取り出してぱらりぱらりとめくり始めた。紙面の大きさも、時折覗く鮮やかな色も、地下図書館で何度か目にした娯楽雑誌を思わせるものだ。陰陽道に関する書物にはとても見えないが、西洋の魔術やまじないでも書かれている本なのだろうか。
「ええと……ああ、あった。これだ」
ぴたりと手を止めた晴明が、開かれたページをすっとこちらに向けてくる。
まず目に飛び込んできたのは肌色だった。数度の瞬きを間に挟んで、それが文字通り肌の色だとようやく脳が理解する。全裸の男と全裸の女が絡み合う姿を描いた絵。その横には毒々しい紅色の字で『ポリネシアンセックスで初めての快感を♡ ルールと楽しみ方を徹底解説!』という見出しが付けられている。
「これをね、試してみたいんだ。おまえと」
「ンンンンン……ぽりねしあん、せっくす……とは、なんぞや……?」
耳慣れない言葉に眉をひそめて、道満は本と男の顔を交互に見やった。
もちろん、性的な意味の言葉なのだということくらいはわかる。肌色の絵はどう見ても『そういうもの』だし、セックスという単語の意味も現界の際に知識として与えられていたからだ。ただ、その前にくっついている六文字が何を意味するのかだけがわからない。
ぽりねしあんせっくす、ともう一度口に出してみる。
そうすると、なんとなく神秘的な響きに聞こえなくもない……ような、気も。
「ポリネシアンセックスというのは、ポリネシア地方に伝わる性行為の方法だ」
ぱらりと晴明がページをめくる。
「詳しいことはここに書いてあるから、後で目を通してもらうとして……簡単に言うと、五日間かけて一度のまぐわいを行うものと思ってもらっていい。四日間は互いに触れ合うだけ、性器の挿入は五日目だけだ。時間をかけて行うものだし、日を空けてもいけないから、こういう時でないと試せないだろう?」
男が示してみせた場所には、やはり派手な紅色で書かれた『具体的なやり方はこちら!』という見出しが踊っていた。そして、そこから続くページ半分ほどの解説文も。
ねっとりと舌を絡ませてだとか、触られなくても濡れてしまうだとか、気絶するほどの快感だとか。一瞥しただけでもいやらしい言葉が並んでいるのがわかってくらりと目眩がする。なんだか真面目に考えていたのが馬鹿らしくなってきた。何をするのかと期待していたのに、この男、結局は休暇を利用してふしだらなことをしようとしているだけではないか!
「失礼な。話は最後まで聞きなさい」
「心を読むなと言うておろうが!」
「だから顔に出ているんだって。いいかい、これは道教や陰陽道に通じる行為でもあるんだよ。肉体以上に精神的な交わりを深め、陰と陽の気を循環させ整える。房中術の一種と言ってもいい。ただのまぐわいとは根本的に別物、私とおまえだからこそできる和合の儀なんだ」
「…………詭弁では?」
「……そんなことはない」
「声が小さくなっておりますがァ?」
じとりと晴明を睨みつけて、道満はその手の中からべしんと本を叩き落とした。あぁ、と男が間抜けな悲鳴をあげる。
本当にこの男はいつもいつも――!
呆れやら怒りやら苛立ちやら、ないまぜになった感情でじくじくと頭の芯が痛んだ。そんなことしか頭にないのかと男に問いただしたくなる。今更な話ではあるが。
しかしその一方で、ポリネシアンセックスという行為自体への拒否感が自身の中にないことを、道満は内心ではっきりと理解してもいた。少しばかり悔しくはあるが、他にこれといってすることがないのは確かだし、退屈しのぎと思えば悪くない。道満だって気持ちいいことは好きだ。これまで知らなかったことを知るのも好きだ。期待していたものとは違ったというだけで、晴明の提案そのものは、道満にとって決して厭うべきものではなかったのだ。
それに、晴明が本気で自分を言いくるめる気ならもっとうまいやり方をしただろうという思いもあった。もっともらしい文献をでっちあげるなり、実際に交合が必要な術式を組んでくるなり、この男ならどうとでもできたはず。それをしないということは――
結局これは普段と同じ、甘いばかりの閨事の誘い。その延長でしかないということだ。
本当に、腹が立つほど回りくどいけれど。
「まぁ、どうしてもと仰るなら、と申したのは儂ですしねえ……」
床に落ちた本を拾い上げ、開いてぽんと膝の上に置く。
「……仕方ありませんな。楽しませてくださるのなら、五夜の間、お付き合いして差し上げましょう」
紅色の字を指でなぞりながらそう言って微笑んでみせれば、こちらを見つめる男もまた、ふにゃりと柔らかい笑みを浮かべた。最高最優の男らしからぬ、どこか子どもじみた甘ったるい顔。平安の世に生きていた頃には考えられなかったそんな表情も、今ではすっかり見慣れたものになってしまった。
とくん、と小さく心臓が跳ねる。
――嗚呼。星見台で共に時を過ごすうち、己はこんなにも絆されてしまったのだ。