宿伏ワンライお題(月/裏梅/誤解)
裏梅さん目線
"伏黒恵と月見酒をする"
突然主人から言われた言葉と同時にその言葉から自身が何をすべきかを直ぐに考え抜き一言だけ、承知致しました。と頭を垂れる。
宿儺様が虎杖悠仁の身体から抜け出し、自身の肉体を手に入れてから数年…
伏黒恵様の縛りのもとでも何不自由なく愉しげに過ごされている様子に、2人の関係性を近くで見てきた身として最近では素直に見守るに留めている。
出会った当初、まだ15歳という若さの少年が、青年となり、つい最近成人した。
といっても、昔…出会った時でも宿儺様が王として君臨していた時代ではとっくに元服を迎えていてもおかしくはない年齢ではあったけれど…。
月見酒をすると言われたが、成人の祝いとしての意味合いも兼ねているのか、それならば気合を入れて準備をしなければ。
千年、それ以上の歳月
宿儺様の傍に仕えてきて初めて見る表情が増えた。
それも全ては伏黒恵様のお陰で、ついぞ千年越しの目標は果たされなかったけれどもこの世を謳歌している宿儺様に私は満足だ。
果たして恵様が成人してから少し経つが、酒を飲む機会はどれほどのものだろうか。
月見酒といえば日本酒…それも冷おろしと呼ばれるものが好まれる。
甘いおかずは苦手のようだから、日本酒の辛さは苦手ではない筈…
お食事はきっと宿儺様が手ずから調理されるだろう。質の良い肉と野菜…生姜が好きだと言われていた筈だから、生姜も準備して…
酒を飲みながらつまめるようなものはどうするか…
主人や主人の想い人の為に思考するのは楽しい。
喜んでくれる姿や言葉、それを期待していないとは言えないけれど2人のためになるのであれば全力を尽くす。
そうして月見酒をするという当日、月は綺麗に満月で雲に時々姿を隠しながらもその姿を楽しみながら酒を飲むには絶好の日だ。
きっと今頃、縁側に座って楽しんでいるのだろう。
2人の呪力を屋敷の中に感じながら、屋敷の周りに集まった低級の呪霊を排除する。
宿儺様が作り上げた屋敷…
呪力によって守られた空間ではあるが、こんな屑の為に意識を奪われては欲しくない。
耳障りな悲鳴を短く上げて消滅した呪いを片隅に見て屋敷に戻る。
「あ」
「…そんな所で何をされているのですか?落ちてしまいますよ」
屋敷を囲う扉…小さな勝手口をくぐれば、悪戯を見つけられたような小さな声が聞こえて、池に架かる橋から下を覗いている伏黒恵様と目が合う。
少し乗り出している様子に、内心慌てながら声を掛ければ恥ずかしそうに謝られる。
宿儺様は何処に?
月見をしていたであろう縁側に目を走らせれば、小皿と徳利、二つのお猪口が置いてあり、主人の姿は無い。
「鯉が跳ねたので、少し見てみたいなと思って…」
「そうですか、また明るい日にしましょう、月明かりがあると言っても危険ですので」
チラリと池に視線を投げた恵様の言葉に、確か鯉が何匹か放たれていたのを思い出す。
動物好きだとは聞いていたが、魚も好きなのか?
私の促しに小さく頷いた素直な様子に少し驚きながらも、よたよたと歩いて縁側に戻るのを見届ける。
黒の浴衣が少し肌蹴ていて寒くは無いだろうか、肌が白い彼に似合っているそれは勿論宿儺様の見立てで、今日来た時に着替えさせられていたのを知っている。
後で上掛けでも持ってこよう。
「あの…裏梅、さん」
「はい、なんでしょうか」
意識を別に持っていっていた所で名前を呼ばれて、足を止める。
何か要望があれば直ぐに動けるように耳を澄ませる。
酒は無くなっていない筈…
つまみは少なくなっているから後で上掛けと一緒に持ってくるとして、声を掛けてきた恵様の少し躊躇している様子に内心で首を傾げる。
「その…、一緒に呑みませんか」
「…は?」
いけない。
思わず声が出てしまった。
なんと言われた?
驚愕して言われたことを忘れるなんて使用人にあるまじき失態だ。
彼は何を求めている?
「あ、すいません、嫌だったら良いんです」
「いえ、申し訳ありません、今なんと?」
「?、…裏梅さんも一緒に呑みませんか?」
一緒に呑みませんか…
その言葉に、全身に雷が落ちたかのような衝撃を受ける。この子は何を言っているんだ。
チラリと様子を見てくる恵様の目線に口の中で歯を噛み締める。
申し訳なさそうに両手を組んで指をいじいじと動かす彼の様子にこちらが居た堪れなくなる。
「俺が宿儺に思ってるイメージと、俺の周りの人達が宿儺に持っているイメージが違いすぎるんです。それは、呪いの王としてのあいつがあるから仕方ないとは思うし、俺だって未だに残酷な宿儺は一部だと思っているしゼロでは無いと思うけど、でも、宿儺にも優しい一面はあるし、ああ見えて可愛いところだってあると思うし…その、そう言ったところを他の人と共有したいなって…思って。」
あとは単純にあなたとも話したい。
こんなにも饒舌だったか?
この子は普段、澄ました顔をしている事が多くて…、宿儺様に対しても自分の芯を曲げない強さがある。
主人の柔らかな視線の先にはいつもこの子がいる。
共有したい。そう言った。
呪術師の中で、宿儺様のイメージは確かに唯我独尊で残酷で残虐的…
1人の人間を愛する、または、優しさとはかけ離れている存在だろう事は分かる。
だから私と話したい。
そう言っている。
その気持ちは分かる。
宿儺様の素晴らしさを知っているのは私だけだという自負もあるが、それに加えてもっと魅力を知って欲しいと。
ただし訂正するならば、あのお方が慈愛を持って接するのは貴方様だけですよ。
「宿儺様は?」
「水をとってくるって」
「では、あのお方が戻ってくるまで話し相手になりましょう」
酔っているのだろう。
アルコールで上気している頬と少し潤みのある瞳…
いつもより饒舌なのはそのせいかもしれない。
私の頷きにふにゃりとなんとも柔らかく笑われたお顔はとても愛らしくて、思わず目を細める。
こういう所が宿儺様を惹きつける所なのかもしれない。
現在は特級呪術師として数多くの任務を行い、成長を続けている彼は、宿儺様と縛りを結んだ事で級が上がったが、もともと特級になり得る才能、術式、そして努力をしていた。
それを間近で見ていた主人の嬉しそうな様子と言ったら…。
ああ、今なお成長を続けるこの若さに羨ましさと尊敬を覚える。
若い眩しさに数度瞬きをすれば、ここに座って下さい、と言わんばかりに縁側を叩かれて一言掛けて座る。
「裏梅さんはいつから宿儺の側にいるんですか?」
「…そうですね、千年は経ちます。ずっとお側にいられた訳では有りませんが…」
「裏梅さんは宿儺の事どう思ってます?」
「宿儺様は…とてもお強い方です。私は彼の方の為であるならば命を賭して命令を遂行致します。」
頷きながら話を聞く恵様の様子に、今度はこちらから、と口を開く。
「恵様は如何ですか?」
チラリと横に目を向ければ、考えているのか少し目線を彷徨かせるのが見える。
それから指を所在なさげに縁側の板に当てて、生じた彼の影に浅く、とぷりと指が沈む。
「…出会いは最悪だった、です。」
それはそうだろう。
聞いたところによれば虎杖悠仁が宿儺様の指を喰って受肉したのが始まりだ。
その後も少年院でのトラウマに近い出来事があったとの事だ。
それで何故、今このような関係になっているのかがとても不思議ではある。
「でも、術式や呪力に関して、宿儺の言葉から成長できた事も事実です。領域展開だってそうだ。呪いの王の言葉に耳を傾けるなんてー…って言われるかも知れないけれど、今だって的確にアドバイスをくれるし、上手く出来れば褒めてくれる。それが単純に嬉しい」
力に貪欲で何より努力する。
自己評価が低いけれど周りをよく見れており盤面把握、周りへの指示は優れている。
最近になって、宿儺様の言葉で少しずつ自己評価を見直しているのか大胆になってきつつある。
私が近くで見て感じたこと…。
褒められて嬉しい頑張ろうと思う可愛らしさ…
愛らしい人だなと、そう思うには十分。
「そうなんですね。」
その愛らしさに思わず笑ってしまえば、徳利を傾けて喉を上下させた恵様の目がスッと細まる。
少し拗ねたような顔に、それすらも可愛いなと思ってしまう。何千と歳下の彼の様子に口元が緩む。
「…なんで笑うんです」
「いえ、申し訳ありません。とても可愛らしいお方だなと思ったものでして…」
おっと、可愛らしいは禁句だったかな…
きゅっと眉を寄せ、いつもより柔らかく動く表情筋に内心で苦笑していれば、恵様の目線がふいっと私の後方へ投げられる。
「なんだ、口説かれておるのか?」
「宿儺」
瞬間、私の身体は反射的に反応してバッと腰を上げて振り返り、訝しげな表情を浮かべる宿儺様に頭を下げる。
「ち、違います。誤解です」
慌てて否定して宿儺様の様子を見れば小さく笑っているのが見えて少し安心する。
「裏梅さん、凄く良い人で俺は好きだな」
「ほう?」
恵様ーーーっ!?
ダラダラと冷や汗が止まらず口の中が渇く。
なんて事を…っ
内心焦りながらも表面には出さず、ただ様子を伺う。
「なんだ、口説かれていたのでは無くて口説いていたのか?」
「うん、良い人だから」
「お前の大好きな善人では無いがな?」
「あんたより善人だろ」
揶揄い口調で2人で楽しんでいる会話にもう一度ホッとする。
笑いながら徳利を傾ける恵様に気付いた宿儺様がそっと恵様の手を掴み徳利を取り上げる。
「取られては適わんからな…もう終いにするぞ」
「誰に誰をだ?」
「…全く、困ったやつだなお前は。ほら水を飲め」
困ったようにため息を吐いた主人が恵様に水を渡して、飲み干すのを確認してからその腕の中に恵様を抱き上げる。
心地良く酔うことが出来たのかふわふわとした様子の恵様に視線を送れば少し潤んだ翡翠色の瞳と目があって、柔らかく微笑まれる。
「おやすみなさい」
夜の挨拶
それを交わすことなど久しく無かったからか、言葉が詰まって上手く出てこない。
何とか絞り出した声に満足そうに笑う恵様を眺める。
よく、笑うようになった…
噴き出すように大口を開けて笑う事はなかなか無いけれど、とても綺麗に、可憐に笑うことが増えた。
宿儺様の副腕が恵様の身体をしっかり抱き上げて、頭を撫でる。
その主人の表情も、以前は見せることのなかった柔らかいもので従者としては嬉しいものだ。
その反面で、少し負けたような悔しさがあって内心で小さく笑うしか無い。
流石に私でも引き出せないものはある。
何千年と側にいて、初めて見る表情に何度感動したか…数えきれない。
それと同時にそれを引き出す恵様に何度感謝したことか。
「裏梅、明日はしじみ汁でも作ってやってくれ…起こしに来なくてもいい」
「御意」
腕の中の恵様の目蓋が重そうに落ちてきている。
きっと呑み過ぎたのだろう…
その様子を見下ろす宿儺様の言葉に頷き短く返事をする。
宿儺様と恵様の気配が遠退くまで暫く頭を下げ続けてから、ゆっくりと息を吐きながら顔を上げる。
選んだ日本酒は気に入ってくれただろうか…
徳利を揺すれば水音も立たずほわりと胸の中に暖かさが広がる。
宿儺様だけでなく、私自身もなにかと変わった気がする。
きっと彼は、私にも宿儺様にも特別な存在であって、いつの間にか私たちの中に大きな存在としてあるのだろう…
明日はきっと昼ごろに起き出して来るだろう2人を思いながら、縁側に置かれた食器を片付ける。
見守る事しかできないけれど、、
立場の違う2人が幸せであるならば私はそれで満足だ。
2人の周りが騒がしくならないように従者として出来る限り彼らに命を賭けよう。
end.