宿伏ワンドロライ
(奪う、魔性、10年後)
ショタ伏
「迷子なのか?」
多くの人間が行き交う流れをなんと無しに噴水の前にあるベンチに座って眺めていればいつの間に居たのか、10歳に満たないくらいの少年が立っていた。
その小さな口が形作った言葉が自身に向けられたものだと気付いた時、純粋無垢なまあるい瞳と目が合った。
大きな瞳がキラキラと光を集める様は綺麗なモノで、口に含めばきっと甘美なモノなのだろうなあとぼんやりと思う。
「そうさな、そう見えたのならそうなのかもな」
この少年には俺が心細そうに見えたのだろうか、それにしても物怖じせず、空いているベンチに座る様は堂々としている。
「やっぱり、アンタもか…何で大人は直ぐ迷子になるんだ。」
思わず口許が緩んでしまいそうになる。
まだ声変わりの迎えていない高い柔らかな声が不満を含んで溜息混じりに吐き出される。
ちらりと横を見れば、短いズボンにTシャツの簡易な服装がより一層少年らしい線の細い身体を際立たせていて、地面に着いていない足はふらふらと揺れている。
まろい膝小僧は傷ひとつなく、整っている顔はとてつもなく柔らかそうにふくりと膨れている。
「誰とはぐれた?」
「…俺じゃない。甚爾が迷子になったんだ。」
つまらなさそうに、呆れを前面に押し出した言葉に堪らずくつりと笑いが溢れ、じとりと睨み付けられる。
「そうか、早く見つかると良いな。」
「ん」
全くもって面白い。
退屈を持て余し気分転換にと来たが良いものが見つかった。
自身の気分が上向くのを感じながら目線を行き交う人間へ戻せば、少年も真っ直ぐと前を見る。
「名は?」
「…、知らない人には教えられない。」
「ケヒっ、そうか!」
少年の迎えが来るまで、退屈凌ぎには丁度良いと思えば、想定外の返答に今度こそ声が上がる。
大人に言われたのであろう事を律儀に守るくせ、自身が迷子になっていると言う子供のような事実は認めない。危うい純粋さに食べてしまいたくなる。
「宿儺だ」
「?」
「俺の名だ」
久し振りに口にする自身の名前に小さな頭がことりと傾げられる。
それから言葉の意味を理解したのか、小さく分厚い舌が口腔内で音を作る。
"すくな"
耳に心地よい柔らかな呼び声に鎖が絡む窮屈さと充足感を感じ、確かめる様に何度か呼ぶ声にゆったりと答えてやる。
「何かあれば俺の名を呼べ」
「何かってなに」
「いずれ分かる」
分かっているのか分かっていないのか、なんとも曖昧な頷きを返して来た少年は退屈そうに脚を揺らす。
まだ育ちきっていない身体は吹けば飛ぶようで、少し引っ掻けば直ぐに皮膚が破れそうだ。
こくりと咽喉を上下させて欲を飲み込みベンチの背もたれへと背を預ける。
ジッと見上げてくる視線を感じて声だけを出し反応を見せてやれば、少し躊躇してから小さな口が開く。
ああ…合間から見える歯ですら小さく愛らしい。
「俺の名前…聞かないのか?」
「見ず知らずに教えては駄目なのだろう。」
「もう違う」
キッパリと言い切った少年は早く聞けと言わんばかりに前のめりになり催促してくる。
一度空を見上げた目を小さな同席者に向ければ聞かずとも言い出しそうに口元が波打っているのが見える。
彼の言う通り名前を知ったのなら見ず知らずの人間では無くなるのだろう。人間を構成するパーツの中でも名前は特別なものだ。
けれども、伝えた名前の真偽を確認するでも無く素直に受け入れ疑わないまっさらな存在についぞ悪戯心が擽られる。
「まだ俺の事を何も知らないだろう?」
「…じゃあ、スクナの好きなものは?」
「さぁな」
「嫌いなものは?」
「特には無いな」
「…どこから来たんだ?」
「お前の知らないところからだ」
「っ〜!教える気ないだろ」
笑いが込み上げてくる。
こうも愉快な気持ちになったのはいつぶりか…
躍起になるところは子供らしく、不機嫌に眉を寄せている姿に目を細める。
このまま連れ帰る事は簡単で、今すぐにでもと手を伸ばしそうになる。
「またいずれな。そろそろ時間だ」
「迎えが来るのか?」
「ああ」
抜け出したのがバレたのだろう、騒がしい気配が感じ取れ有意義な時間が終わりを告げる。
それと同時に、行き交う人間の合間から少年に似た風貌の男が歩いて向かってくる。
「此処にいたのか、恵」
「甚爾」
「なんだ?また"お友達"か?」
くわりと欠伸をしてみせた男はベンチに座った少年へ帰るぞと促し手を向ける。
きょろりと視線を彷徨わせる様子を見ながら迎えの来た少年を見送る。
「そんなんじゃない…スクナだ」
「ああ?誰だそりゃあ、連れて来んなよ」
父親だろう男に手を引かれベンチから立ち上がった少年が何度か振り返りながら離れていく。
まだまだ実ったばかりの瑞々しい存在
これからどう成長していくのか愉しみで仕方がない。
きっとあと10年もすれば…
end.