月明かりの下で 真夜中に魔法舎の中庭にリリーの姿が見えた。中庭の噴水の縁に腰掛けて空を見上げている。こんな時間に何をと思うのと夜風に長く当たるのはいけないだろうと溜め息を吐く。
階段を降りて中庭に出れば、気付いたリリーがふわっと笑う。苦言を呈しにやってきたのにそんな顔で出迎えられると言いづらい。
「何をしているんだ、こんな夜更けに」
「窓から見た夜空がとても綺麗だったので」
いたずらが見つかってしまった子供のような顔をしてリリーが首を竦めた。叱られることをやっている自覚はあったらしい。ふぅと息を吐いて上を見上げるとなるほど、いつになく星が輝いていた。その中で一番に目を惹いているのが。
「……今日は月が綺麗だな……」
不吉の象徴。厄災を運んでくるもの。悪い印象しかないはずなのに思わずこぼれ落ちた言葉にハッとする。普段なら口にしないことを口走ったのはいつになく輝いている月のせいか、それともいつもと違う環境にリリーと置かれたからか。リリーからの返答はない。言い表せない居心地の悪さを覚えてリリーを盗み見る……つもりがぽかんと口を開ける彼女とバッチリ目が合ってしまった。益々気まずさが増す。
「……リリー?」
「あ、すみません……月が綺麗ですねって告白の言葉なんだって聞いて……」
「な……」
予想もしなかった返答に凍りついているとリリーがくすくすと笑う。
「ふふ、わかってます。ご存知なかったんですよね」
なんでもその文化は賢者の世界のものなのだそうだ。かつて教鞭を執っていた文豪が他の言語を自分の国の言葉に訳すときにそう言ったのが後世に伝わっているらしい。非常に文化的な話だが心臓に悪い。
「でも、そんな話を抜きにしても本当に綺麗な月……」
リリーはまだしばらくそこにいそうな雰囲気だった。少し間を開けて隣に腰掛ける。手が届くか届かないかの距離。噴水の縁に置かれた手に向かって伸ばせば重ねられるところにある。
「本当に、綺麗だ……」
リリーに倣って夜空を見上げて呟く。同意の言葉と共に僕に笑いかけるリリーの方を見られなくてずっと空を見ていた。この子に僕の隣は歩かせられない。だからといって向けられる想いをきっぱりと拒絶したわけでもなければ現実を突きつけたわけでもない。彼女の幸せを願うなら他の誰かと幸せになってほしいと告げるべきなのに。
「応える気がないのにいつまでもリリーを縛るのは残酷じゃない?」
いつかフィガロに言われたことがある。頭では理解っている。わかっているのにどうしてもそう言ってやれない。いつも笑いかけてくれるリリーの顔が曇るのを見たくなくて。……それもきっと言い訳なのだろうけど。
この想いは僕だけが知っていればいい。彼女に応えないことを決めたのは僕自身だ。荒野を歩く供はさせられない。……だが。
小指を絡めることも、ましてやその先を触れ合わせることさえ許さないことをも自身に課した自分をほんの少しだけ恨めしく思った。