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    「これは人の弱さと醜さのお話です」
    そう言ってリリーベルが語り出したのは痛みに満ちた過去だった。自分は聖女と呼ばれるべきではないというリリーベルの真相と本心とは。
    リケとの衝突で明かされる革命軍時代にリリーベルが背負った罪の話。

    その決意は幾千の日没を越えて 人形師の魔法使いのグランヴェル城襲撃後、怪我を負った賢者の魔法使いの回復のために治癒の魔法を使った。フィガロ先生の魔法に重ねがけをする姿を見た誰かにより、建国の聖女が再降臨したと噂が広まった。別に隠していたわけじゃない。ただ黙っていただけ。いつか知られることだろうと思っていた。それがわかった時、どういうことになるのかもわかっていた。……わかっていたはずだった。



    「リリーベル、見つけましたよ。今日こそあなたのお話しを聞かせてください」
     魔法舎内での細々とした仕事の合間にちょこちょこリケが話しかけにくるようになった。彼はとある教団で神の使徒として育てられてきた。人間に都合よく利用されるその姿に思うところはあるけれど、本人への刷り込みが強固なことと、それほどまで親しくないためにこれまで積極的に関わろうとしてこなかった。使命に熱く信心深いリケの熱量についていける気がしなかった。
     昔からの習慣で教会には通うものの、熱心な教徒ではないし、信心深いわけでもない。神がいるかと問われれば、いると思えばいるのでは?くらいの冷めた回答しかできない不真面目な教徒だ。何せ神様なんていないことは四百年前の一件で分かっていたことだし。『聖女』なんて大層な肩書きが与えられたのはその方がウケが良かったからだし、治癒の魔法が聖なるものっぽかったからだし、体面的に格好がついたからだ。奇跡なんて起こせるわけがない。私はただの村娘なのだから。
    「リリーベルは建国に尽力した聖女なのでしょう。きっと神から託されたものがあるはずです。僕はまだ未熟で学ぶべき立場です。ぜひ先達としての意見を聞かせてください」
     敬虔な神の使徒であるというリケの頼みには応えられない。私は肩書きだけの偶像なのだから。時々聞くリケの生い立ちを考えると尚更返答に窮するようになった。憐れんでしまうから。同情してしまうから。重ねてしまうから。周囲の人間に都合よく扱われていたかつての自分を思い出すから。
    「リケ、私はあなたにそんな風に言ってもらえるような素晴らしい存在ではないのです。何度も申し上げているようにあなたに教えられることは何もないのです」
    「またそんなことを言って!僕が若く幼いからと侮っているのではないですか?」
    「そんなことは……」
     目尻を釣り上げるリケに内心困り果てていた。妙な所で鋭いこの歳若い魔法使いはきっと私の躊躇いと後ろめたさにいつか気づいてしまうだろう。その時どんな顔をして向き合えばいいのかわからなかった。人工の傀儡だとわかっていて知らないフリをしていたと知られた時に「知っていたのですか」と問われたらきっと何も言葉を返せない。そんな無責任なことはできなかった。私自身ももお飾りの傀儡だったから。
     ……ああ、そうか。きっと私は自分が傷つきたくないのだ。リケのためと言い訳をしながら自分が追い込まれない逃げ道を探していたんだ。なんて卑怯で醜悪なんだろう。私にはこの子に求められる答えを与える資格などあるわけがない。そう思い至った瞬間、自分の中でブツリと何かが落ちた気がした。明かりを落としたように視界が黒く染まっていく。
    「……リケ、あなたに何も教えることはありません。私は聖女などではないのですから」
    「え、あ……」
     まともに言葉を返せないリケをその場に置き去りにその場を離れる。心が酷く無機質で乾いていた。何もかも投げ捨ててしまいたいような投げやりな気持ちで細々とした作業を終わらせると、誰にも会わないように気配を潜ませて部屋に戻った。とてもじゃないけれど、人に見せていい顔ではないことは予想がついていたから。


     ◆◇


     中央の国建国の際に活躍した聖女。リリーベルがその人だと分かったのはオヴィシウスという人形師の魔法使いがグランヴェル城を襲撃した直後のことでした。人形師の魔法使い達との戦闘でボロボロになった僕たちを治療する姿を見たお城の召使いがそんな風にリリーベルのことを呼んでいたのです。
     怪我の治療はフィガロがしてくれましたが、魔法の重ねがけをすると回復が早いからとフィガロに言われて彼の治療を受けた後にリリーベルの魔法をかけてもらったのです。怪我の回復が目当てでないというリリーベルの魔法をかけてもらうと空になったコップに水が注がれるような、不思議な感覚がしました。聞くところによると魔力の補充ができるのだということでした。そんなことができるのはごく限られた魔法使いであるのだと共に聞きました。その治療の様子を目にした召使いの人たちが建国の聖女の肖像画とそっくりだという話をしていたところ、城中に噂が広まったらしいのです。瞬く間にリリーベルの姿を一目見ようとやってくる人々が増えてちょっとした騒ぎになりました。リリーベルは否定しませんでした。特別隠していたわけではないと言って躊躇うように微笑みを浮かべていました。どうしてそんな顔をするのか僕にはわかりませんでしたが。

     建国の聖女ということは都の端にある立派な建造物であるブラン大聖堂の主だということです。そのことをリリーベルに尋ねると、リリーベルは目を丸くした後に困ったように主ではないのだと教えてくれました。祀られているのは確かだけれど、あれを運営しているのは貴族で、自分には関わりがないのだというのです。果たしてそんなことがあるのでしょうか。神のように大聖堂に崇拝対象として掲げられている聖女様が関わりがないだなんて。リリーベルは今まで自分のことを黙っていただけだというけれど、なぜそう言って自分のことを隠すのでしょう。僕たちに知られて都合の悪いことでもあるというのでしょうか。
     けれど聖女の役目を負っているのであれば、人々を導かなければならないはずです。道に迷った者を照らし、正しい道に導くことこそが僕らのように選ばれた者の使命ではないのでしょうか。建国の際に聖女として人々を導いたのであれば、神の御言葉だって聞いているかもしれません。何か神から授けられたものがあるのかもしれないません。
     人々を導くための修行の身である僕にはリリーベルから学ぶべき多くのことがあるはずです。そう思うのに、いくら尋ねてもリリーベルが頷くことはありませんでした。いつも遠慮をするように困ったように笑って「私はリケに何かを教えられるような素晴らしい者ではないですから」と言ってはぐらかすのです。賢者の魔法使いの皆は僕が新しいことを学び、知っていくことを喜んでくれます。とてもいい事だと言ってくれました。リリーベルだってその一人でした。けれど、聖女の役目やブラン大聖堂のことになると困ったような顔をするばかりで何も教えてはくれませんでした。そのことが僕には納得がいきませんでした。積もりに積もった不満はついにリリーベルに向かってしまいました。何度目になるかわからない、「教えてください」「なにも教えられることはありません」のやり取りをした時でした。

    「またそんなことを言って!僕が若く幼いからと侮っているのではないですか?」

     いつものように「ごめんなさいね」と返されるのだと思っていました。それを聞いてまた僕は子供扱いをされた、取り合ってもらえなかったと怒るはずでした。けれどその時リリーベルはすぐに言葉を発さず黙り込んだままでした。ついにちゃんとした答えをもらえるのかと期待したその瞬間。

    「……リケ、あなたに何も教えることはありません。私は聖女などではないのですから」

     平坦な感情のまるでこもっていない返事が返ってきました。あまりの冷たさに戸惑ってリリーベルの顔を見た瞬間、言葉が出てこなくなりました。そこにいつものリリーベルはいなかったのです。濁った水晶玉のような眼をして感情がはがれたような顔でこちらを見ているリリーベルに思わず息を呑みました。リリーベルはそのまま何も語らず、くるりと背を向けて行ってしまいました。あまりの変わりように頭が追いつかなくて、僕はただ呆然とその背中を見送ることしかできませんでした。あれは一体なんという感情だったのでしょう……


     ◆◇


     訓練から戻ると談話室を覗いた。自分がそうしようと思ったからじゃなくてミチルの後をついて行ったらそうなっただけだ。そこにはリケが膝を抱えてソファに座っていた顔をその上に乗せて何かを考えている。いつものはつらつとした様子とは打って変わって静かな様子に一抹の不安を覚える。取り越し苦労ならいいんだけど。
     ミチルがリケの沈んだ様子に駆け寄って何かあったのかと尋ねている。話に加わろうかそっとしておこうか迷っていると賢者様に腕を引かれた。
    「フィガロ、ちょっと……」
    「なに?賢者様。デートのお誘いなら大歓迎だよ」
    「いえ、あのそうじゃなくって……」
     苦笑いを返しつつも賢者様の顔は晴れない。ああ、何だか嫌な予感がするなあ。賢者様の手には薄い色合いの綺麗な封筒が握られていた。それだけで差出人が誰かわかる。
    「実はリリーが……」
     ほら、やっぱり。なんとなく何があったかを察して面倒なことになったなと目を泳がせる。賢者様が開いて見せてくれた便箋には

    「気分が優れないので少しお休みをいただきます」

     と書いてあった。十中八九リケ絡みだし来るべくして来た決裂だと思った。ずっと様子を見ていて、いつかはこんな日が来るんじゃないかなあとも思っていた。それが今日偶々起きただけだ。この件については下手に触れられないし、本人同士でなんとかするしかない。周りが何やかやと手を出せるような案件じゃないんだ。それを一体何人がわかってくれるだろう。そもそも、リリーが話をする気にならなければ解決しない問題なんだ。殻にこもる選択をした時点で大分手詰まりだと思うんだけど。だけど南の国に帰らなかったことだけは意外だった。普段ならそれくらいしてもおかしくない案件だから。
    「どうしましょう……」
    「どうしたもこうしたもリリーが整理をつけるまではどうにもできないと思うよ。南の国に帰らなかっただけでも大分頑張ったと思うけど」
     俺の言葉に顔を曇らせる賢者様は一体どこまで知っているんだろう。
    「賢者様は『聖女の』リリーベルについてどこまで知ってるの?」
    「ええと……ランズベルグ領で見た鎮魂の祈りを捧げる神聖な姿と、革命軍を去る時に色々理由があって苦しんだ末に姿を消したこと……でしょうか」
    「色々……色々か。じゃあ人間たちの治癒の強制以外の理由も知ってるんだ?」
    「それはええと………はい……」
     その返答の間と歯切れの悪さはリリーのことを思いやったものだってことはよくわかった。恋慕の間に挟まって苦しんだ挙句に雲隠れすることを望んだなんて、早々人に話そうとは思わないだろう。賢者様は優しくて賢い。いつだって俺たちに寄り添おうとしてくれる。そんな彼女だからこそリリーも心に隠した真実を伝える気になったのかもしれない。だったら、もう一つだけ。
    「賢者様は『聖女』って本当にいたと思う?」
    「えっ?だってリリーのことを中央の国の人たちはみんな聖女様って言いますよね……?リケだって……」
    「でも、リリーは自分のことをただの村娘だって言うだろう?」
    「それは……確かに聖女なんて恐れ多いって言ってるのを聞いたりもしますが……」
     同じ中央の国の魔法使いだってアーサーもカインもリリーのことは聖女様とは呼ばない。同じ魔法舎に暮らす魔女として接している。それは彼らなりに何かを感じ取っているのだろうと思う。気遣いのできる、優しい子たちだ。リケは聖者にかける思いが強すぎて前のめりになっているみたいだけど。リリーがこれから色々な相手と関わる上では大事な経験だろうと思うから、下手に手は出さずに見守ってやりたいと思う。心配している賢者様には悪いけど、折角の機会だからこれは自分たちで何とかしてもらおう。
    「リリーはきっとあまり触れてほしくないと思うよ。何か動きがあるまで俺は見守ることにするよ」
    「……わかりました」
     大人しく引き下がる賢者様にニコリと笑いかけてその場を後にする。団欒室からはリケが言葉を探すようにしながらたどたどしくミチルに話をしているのが聞こえていた。


     ◆◇


     魔法舎にいればどこかしらで見かけるリリーの姿がどこにもなかった。偶にはそんな日もあるかと思っていたが、夕飯の時間になっても食堂に現れず皆が団欒をしている場にも姿を見せなかった。自室から魔力を感じるから南の国に帰ったというわけでもないようだ。部屋に籠ること自体が珍しいから何か調べ物でもしているのかと思ったが、どうにも賢者の様子がおかしい。
     先程リリーに食事の声かけをしてくると言って部屋を訪ねていった以降ぎこちなさが見えるような気がした。そう考えてみるとルチルとミチルもどこか落ち着かなさそうにしているし、レノックスはいつもよりも口数が少ない。他にもリケはどこかいつもの覇気がない様子で、アーサーとカインの会話にも時々テンポの遅れた返答をしていた。違和感を覚える人物を並べてみると誰に何があったのかは大方予想がついた。誰が悪いという話ではないだろうし、いつかは起こり得ると予想できたトラブルだ。当事者がそれぞれの抱える思いを上手く開示して歩み寄れれば解決に到れるだろう。問題はその歩み寄りが上手くいくかだが。
     リリーは聖女であることを認めはしたが、あの頃の話をしようとはしない。それが彼女の中であの頃のことが負担にも重荷にもなっていることが窺えて苦い気分になる。彼女の記憶全てを疎ましいものにしてしまったのはきっと苦悩する彼女を救えなかった、救おうとしなかった僕だ。手の届く場所にいたはずなのに見殺しにしたその責が今目の前に突き出されている。
    (だからって今更僕に何ができるっていうんだ……)
     その心にのしかかる憂いすら取り払ってやれないのに。その身や心を案じることすら碌にしないでいるのに。今も苦しんでいるのに寄り添ってやれない。そんな薄情者にリリーを想う資格すら本当はないんだ。

     夜更けに廊下を歩く気配を感じた。フラフラと頼りなく漂う気配に不安を覚えた。けれど今声をかけたところで何になる。そもそもどんな言葉をかけたらいいかすらわからない僕に。
     部屋から出て階下へゆっくりと降りていく魔力を気配だけ追う。廊下を覚束なく進み、中庭へと出てくるのを察知してカーテンの隙間からその姿を覗き見る。今にも倒れ込みそうなか弱さで歩を進めるリリーの姿が見えた。その不安定さに鎖で縛られるように胸が締めつけられる。このまましゃがみこんでしまったら見て見ぬ振りをするんだろうか。一人膝を抱えて泣くリリーのことを暗がりに置き去りにするんだろうか。再び手を貸すのを躊躇ってリリーが傷つくのを放置するんだろうか。そこまで考えてとてつもなく憂鬱な気分になって、リリーの姿を追ったことを後悔した。初めから気付かない振りをしていたらこんなにも胸の痛みを覚えることなどなかっただろうに。
    (とはいえ今の僕がリリーにしてやれることなんて……)
     深く関わることを避けてきた。単なる昔の知り合い以上の関係でしかいなかった。顔を合わせれば突き放すような物言いをして、リリーの身を案じてもそうとわかる言動を取ってこなかった。関わることが怖かった。彼女の中で自分がどんな存在に位置づけられているかわからなかったから。
    (本当はわかっているはずだ。リリーの髪を留めている髪飾りは僕が贈ったものなんだから……)
     リリーが髪をまとめるのに愛用しているのは遙か昔、共に戦っていた頃偶々一緒に買い出しに出た時に買い与えたものだった。本当は欲しがっていたのに、戦いの最中だからと一度手に取ったのに売り場に戻したそれを諦める必要はない、戦いが終わった後につければいいと後から買って渡したもの。何の気なしにあげたものだったが、リリーは今でもそれを使っている。とっくの昔に朽ちて当然のそれはどういうわけか今もリリーの髪を飾っている。もしも起源があの頃なら僕は彼女に何て仕打ちをしてしまったのだろう。
     頼る者のなかったリリーを絶望に叩き落としたのは僕だ。そんな男がただ純粋に好意を向けられていいはずがない。そんなに想われる資格なんてこれっぽっちもない。あの好意に応えられる余裕も権利も何もないのに。いくら想われたって不幸にすることしかできないとわかっているのに。
    (それなのにまだ君にここに留まってほしいだなんて……)
     そんなこと、とてもじゃないけど言えるはずがない。傷つくくらいなら南の国に返した方がいいことなんてわかりきっているのに。
     やめた方がいいのはわかりきっているのに、再度窓の外に視線をやる。リリーはしゃがみこんではいなかった。両手を広げて月の光を浴びていた。けれどその輪郭が揺らいでいるように見えてヒュッと息を呑む。その存在はあまりに淡くて月の光に溶けて消えてしまいそうだった。背中を氷塊が滑り落ちていくように血の気が引いた。
     じっとしていられなくて慌ただしく席を立つと部屋から飛び出す。極力音を立てないように階下には降り、湧き上がる不安感に追い立てられるように足を動かす。中庭に出てその中央に立ち、月光を受け止めるように佇むリリーの腕を引き止めるように掴んだ。
    「……ファウスト……様……?」
     戸惑いがちに僕の名を呼ぶリリーの輪郭がハッキリして、揺れる瞳に光が見えて込上がっていた焦燥感がゆっくりと引いていくのがわかった。リリーはしばらく戸惑っていたけれど、やがてほんのりと微笑を浮かべた。
    「……大丈夫、ですから……」
     控えめな、少し困ったような曖昧な笑みだった。


     ◆◇


     誰とも何も話す気になれなくて、何があったかを探られるのも嫌で部屋に引きこもってしまった。けれど部屋に篭っていてもそれはそれで頭の中で色々なことを考えてしまって息苦しくなっていた。リケが悪いわけじゃない。きちんと説明をしなかった私が悪い。リケはきっと不思議の力や世界のことを知るのと同じ感覚で私に神に仕える者としてのあれこれを尋ねただけだ。神の使徒としての意識の強いリケには当然の行動だ。それを私が上手く受け止められなかったのだ。使命もなく、矜持もなく、ただ名ばかりの聖女だったのだと話すことができなかった。失望されるのが怖かったわけじゃない。聖女の話をすることで私について回る、まるで触れたことのない、人間の勝手で作り上げられたブラン大聖堂の説明をしなければならないからだった。
     人間の思惑で作られたあの大聖堂の話をするには人間との間にあった後暗い過去の話を避けて通れないからだった。その話をすることでリケの心に暗い影を落としたくはなかったし、アーサーの掲げる人間と魔法使いが共生する未来に水を差すのがわかっていたからだった。建国の際の利権や策謀の話はなるべく若く、可能性と希望の溢れる若い魔法使いにはしたくなかったし、どう受け止められるのか不安でもあった。それを上手く伝えられない己の未熟さが今回の事態を招いた。私がもっと話上手だったなら。私の心がもっと強かったなら。リケのことも傷つけることなく穏便に済ませられただろうに。
     横になっても頭はいやに覚醒したままで眠気はやって来ず、思考だけが目まぐるしく頭の中を支配している。狭い空間に閉じこもっているのが苦しくて、外の空気を吸いたくて、辺りが静まり返ったのを確認してそっと部屋を抜け出した。
     体は重量を感じずふわふわとしていて、食事を飛ばしたせいか、それともずっと横になっていたせいか足元は覚束なくて、よたよたしながら廊下を壁伝いに歩いて中庭に出た。外気は少し肌寒くて、頭に籠ったもやをほんの少し晴らしてくれたような気がした。ひやりとした空気を吸い込み、大きく深呼吸をする。全身を巡る血液に冷気が纏って通り抜けているような気がした。何となしに空を見上げれば、異様に明るい月が真っ暗闇に浮かんでいた。このまま月に呑まれて消えてしまったなら楽になれるだろうか。そうしたら誰のことも傷つけず、皆は平穏に暮らせるだろうか。そんな考えが頭をよぎる。私一人いなくなったところでさしたる損害はないだろう。元よりどうしても外せない役目を負っているわけでもない。私がいなくなれば話をする必要もなくなって下手に暗い過去をほじくり返す必要もなくなる。そう、私さえいなければ……そう思って目を閉じた時だった。
    (―――――!?)
     急に強く腕を引かれて反動で振り向いた。そこには焦ったような顔のファウスト様がいて頭が混乱した。なぜこの方がここにいるのか、どうしてそんな顔をしているのか、なんで腕を掴まれているのか。辛うじて名前を呼ぶことしかできなかった。頭をいくつもの疑問が通り過ぎ、けれどどれも言葉として口からは出てこなかった。ただただ不安と安堵の狭間のような表情になんと返していいのかわからなかった。掴まれた腕はいつまでも離されないまま、その視線はじっと私に注がれている。その真意が分からなかった。どうすればいいのか、なんと言えば正解なのかが予測できない。下手なことを言ってこれ以上落胆させたくはない。これまでにも何度も私は失敗しているのだ。
    「……こんな夜更けに……、……そんな薄着では風邪を、ひく……だろう……」
     歯切れの悪い言葉に取り繕った跡が見えて何だかものすごく申し訳ない気分になった。他に言いたい言葉があっただろうに、それを呑み込んで当たり障りのない言葉を選び抜いて音にしたのだと思うとやるせない気持ちになった。こんなに迷惑をかけて、気を遣わせて私は一体何をやっているんだろう。掴まれた腕は依然離してもらえる気配はない。それが何となく引き止められているようで、繋ぎ止められているようで何とも言えない気持ちになる。きっとものすごく心配をかけているんだろう。見て見ぬふりができないからきっとここまで来てくださった。放っておけないから手を伸ばしてくださった。本当は関わりたくなんかなかっただろうに、あなたは優しい人だから。
    「……大丈夫、ですから……」
     大丈夫。そう、大丈夫。大丈夫にならなくては。これ以上心労をおかけしないように、お手を煩わせないようにしっかりしなくては。面倒を見なくていいようにしっかり自分の足で立たなければ。辛い過去にも向き合って越えていけるような自分にならなくては。
     そっとファウスト様の手が離れていく。そっと目を閉じ大丈夫、と自分に言い聞かせる。
    「ちゃんと自分で整理をつけます」
     そう返すとファウスト様はそうか、とだけ答えて視線を私から外した。


     ◆◇


     二日後、部屋から出てきて団欒室に顔を出した私を賢者様とその場にいた魔法使いたちが温かく迎えてくれた。具合を尋ねるミチルの後ろでハッとした顔をして気まずそうにするリケの姿を見つけてそっと口元に笑みを乗せた。私の変化に気づいたミチルに名前を呼ばれてニコ、と笑みだけを返す。静かに足を踏み出してリケの前に立つ。短く呼びかけるとわずかに緊張した返事が返ってくる。人と諍いを起こしたことがなかったのだろう、どう言葉を発するべきか迷っている様子のリケの瞳を真正面から見つめる。リケがほんの少したじろいだ。
     その傍から囁くようなエールを送っているのはアーサーで、リケの背を支えるのはカイン。オズ様は何も言わずに静かに成り行きを見つめている。リケが物怖じせずにたくさんのことに挑戦しようとするのは彼らの支えがあるからなのだろうと推察できる。その真剣な思いには正面から向き合いたい。
    「リケ、先日は不躾な態度を取ってしまい申し訳ありません。その件も含めてあなたとお話したいことがあるのですがお時間いただけますか?できればアーサーと共に」
     突然指名されたアーサーは目を瞬かせて不思議そうに私も?と聞き返した。それにしっかりと頷いてみせれば即答で「わかった」と返事が返ってくる。
    「僕もあなたの話を聞きたいと思っていたのです。聞かせていただけますか、リリーベル」
     見つめる二対の瞳に頷き返す。込み入った話になるから場所を変えて話したいと告げれば二人は応えるように立ち上がる。その姿を見つめていたミチルが一歩前に踏み出そうとするのをフィガロ先生がやんわりと止めていた。視線が合うと小さく頷いてくれる。軽く黙礼して感謝を伝えるとリケとアーサーを伴って自室へと向かった。



     二人に椅子を勧めて自らもお茶の準備をして席につく。対面に座る形になったリケの表情は少し硬い。二人の前にすいとカップを差し出してから私は口を開いた。
    「まずは『聖女リリーベル』についてのお話しをしましょう」
     アーサーによると聖女としての話は聞かされるものの、その生い立ちや人となりについてはほとんど知らされてこなかったらしい。いくつか文献を読んでみたもののそれらについて言及はなく、実際に会うまで私自身のことについてはよくわからなかったのだという。
    「慈悲深い人だったと記述はあったが詳しくは書かれていなかった。本だけでは聖女リリーベルがどういう人物だったのかは掴めなかった」
     周りの大人に尋ねてみても信心深い、慈しみに溢れた人だったようだと誰に聞いてもそれ一辺倒の回答しか得られなかったらしい。もしかしたら以前私を祀っているというブラン大聖堂に足を踏み入れた時、大多数の人間の目に留まらなかったのはそういう理由なのかもしれない。意識しなければ同じ存在だということすら認識されない希薄さ。伝えられなかった情報はまるっきり不要だったと言われているようで苦い気分になる。
     リケとアーサーには簡単に生い立ちから話した。南の国にほど近い中央の国の外れの村に生を受けたこと、その村は百合が綺麗に咲く丘の近くにあったこと。司祭様の話が好きで村の小さな教会に通っていたこと。
     元々私は教会に通いはすれど熱心な教徒ではなかった。信仰心なんてあってないようなものだったし、司祭様のお話が聞きたくて通っていただけだった。当然信託を受ける力もなければ聖職者になるなんて考えたこともなかった。そんなことよりも野山に咲く花や生い茂る植物を調べて学ぶことの方が好きだったし、実際生業にしようと思っていたのはそちらの方だった。
     成長するにつれ中央の国の混乱は身辺に迫り、傍若無人で非道な魔法使いに抵抗する勢力の話を聞きつけて革命軍に参加した。家族や村の人たちのことが好きだったし、相応に守りたい気持ちもあった。私が不思議の力を使えても邪険にせず、慈しんでくれた人たちだったから。
     創薬の知識が豊富だったから革命軍では治療の任に就き、たくさんの兵士たちに魔法薬を提供した。魔女であることも頼りにされ、乞われて治癒の魔法を施すことも度々あった。どういうわけか私の魔法は魔法使いにも人間にも効果が高く、次第に重宝されるようになっていった。
     はじめの内は天使だ女神だなんて言っている人たちがちらほらいたけれど、その内誰かが聖女のようだと言ったことがきっかけであちこちから聖女と呼ばれるようになった。そんな大それたものではないと訂正を試みたけれど、親しくしていた仲間たちからも私を聖女として正式に扱うのはどうかという話が出た。その頃には誰にも引けを取らない治癒魔法の使い手になっており、軍の中核を担っていた。神の信託も受けず、敬虔な使徒でもない自分に務まるか不安はあった。自分よりも余程神を信じる信心深い人はいたし、多数の民衆をまとめ導くのならもっと適任だと思う人物は他にいた。けれど傷ついた兵士に寄り添う姿勢や仲間たちの不安を受け止め拠り所となるに足る人となりを推されて聖女を名乗ることになった。……今思えば私には過ぎた荷だった。
    「ですから私は聖女の仮面を被っただけのただの村娘なんです。あなたの期待に応えられなくてごめんなさいね、リケ。ガッカリしたでしょう」
    「神の信託を受けた聖女でないことは残念ですが、あなたが謝ることではありません。僕の方こそ事情も知らずに問い詰めたりしてごめんなさい」
     それは私が理由を話さなかったからだ。上手く伝えられる自信がないから誤魔化して濁していた結果、リケに不快な思いをさせてしまったのだ。誤解を解くためにはこの先の話もしなければならない。できることなら触れさせたくなかった、醜くて卑怯な人間の話。立ち向かうことすらできなかった、弱くて情けない私の話。
    「リリーベルの話を聞いてやっと腑に落ちた。伝え聞くリリーベルは奇跡の力で傷を癒す話と鎮魂の祈りで無念の内に散った戦士たちの魂を浄化する話ばかりだったから」
     他にできることなどなかった。それが私の全てだった。逆に作り物めいた話があれこれ伝わっていない方が不思議なくらいだ。あの人間たちならやりたい放題、好き放題にやっているだろうと思っていたから。勝手に人を祀って大聖堂なんかを建てて好き勝手している人間たちの系譜に連なる者たちなのだから。

    「……私の話をするのならばブラン大聖堂の話もしなくてはならないでしょう。あの豪奢で贅の限りを尽くしたような趣味の悪い権力の話を」
     ひやりとした口調にリケとアーサーが背筋を伸ばした。
    「よろしいですか、これからお話するのは人の弱さと醜さの話です。穏やかで平和な故郷の陰の話です。聞かなかった方がよかったと後悔するかもしれません。それでもあなた達はこの話を聞く覚悟がありますか」
     唾を飲み込む喉の動きが見えた。拳をギュッと握りしめるのが見えた。顎を引いて先に返答を寄越したのはアーサーだった。
    「ぜひ聞かせてほしい。きっと私は知らなければならない話だと思うから」
     迷いなく言い切ったアーサーの横顔を見て、リケも覚悟を決めたようにこちらを向く。
    「世界には正しいことも正しくないことも同じように存在しているのだと知りました。もし過ちが繰り返されているのなら正さなければなりません。そのためにも真実を知らなければ。教えてください、リリーベル。かつてあなたに何があったのかを」
     まっすぐな曇りのない二対の瞳に静かに頷く。そうして私は話し始めた。自身の犯した罪と今尚そんな私を聖女として祀る大聖堂に関わる話を。


     ◆◇


     聖女の座についた後もやることは変わらなかった。生者の治療と死者の鎮魂。ただその数がべらぼうに増えた。一人一人の話を聞いたり個人のために祈ることは難しくなり、効力は減るけれどもそれよりも一人でも多くの者に祈ってほしいと言われた。一人一人時間を取るには対象者はあまりに多く、誰かを優先すれば他の誰かを蔑ろにしていると捉えられてしまうのでこれまでのような魔法の使い方はできなかった。それでも治療や祈りを施した兵士や民衆には多大な感謝を寄せられ、日増しに私を頼る声は増えていった。
     軍は多くの同志を迎え、遂には悪行の限りを尽くしていた魔法使いを追い詰めるに至った。最終決戦を前に私は軍主に呼び出された。今の中央の国で知らぬ人はいない、初代国王となるアレク陛下その人だった。明るく希望に溢れ、皆の心を惹き付けてやまない人だった。その口から語られる理想は何よりも輝かしく見え、希望を見た者が人間も魔法使いも関係なくその配下に加わった。皆からの尊敬と信頼を集め、もうすぐ栄光を手に入れようとしているその人が大事な話があるという。公の場ではお顔を見ることもあったけれど、面と向かって話すのは久しぶりだった。
     革命軍がまだこじんまりとしていた頃と同じように気さくに笑いかけてアレク様は席につくように促された。いつもは護衛に周りを固められているのに、その場は人払いがされていて静かだった。私に笑いかけるアレク様には親しみと信頼があった。……そして、惜しみない愛情も。

    「この戦いが終わったら私の妻になってくれないか?」

     そのセリフを口にした時、リケもアーサーも目をまん丸に見開いていた。思いもかけない言葉だったのだろう、二の句が告げないでいる。ここで受ければ幸福な未来が待っていただろうか。今でも時々考える。……でも。
    「お断りしました。私には他に大切な人がいたから」
     一考の間もなかった。その場でその話は受けられないと返事をした。アレク様は眉を下げて寂しそうに笑って「そうか」と言った。あの場で引き留めようとなさらなかったのは、その理由も相手もわかっていたからなのではないかと今は思う。あの時私は理由を言わなかった。ただ「お受けできません」とだけ返事をしたのだ。
     それ以降アレク様と顔を合わせることはなかった。翌日から私の元には怪我人とご遺体が次々に運ばれ、息をつく間もなく祈りを捧げる日々が続いた。邪悪な魔法使いを打ち倒し、城を奪還した後も各地で続く混乱の場に駆り出されて魔法を使い続けた。わずかな休みさえも許されず、どこに行くにも人間の護衛がついて回った。親しい仲間と言葉を交わすことすらできないまま心も魔力もどんどん削られていった。仲間の無事を確かめたいと頼んでも聖女様には聖女様の責務を果たしてもらわなければと聞き入れてもらえず、疎外感と失望感が心も体も蝕んでいった。
    「眠ろうとしてもまともに寝つけず、ほとんど睡眠を取れないまま力の行使を続けました。弱っている所を見せたらどうなるかわからないという正体のわからない不安感と焦燥感がありました」
     夜になると一人天幕の中で膝を抱え、声を押し殺して泣いていた。願っても助けを得られないことはわかっていた。私を弱らせ、意のままに扱おうとしている思惑が透けて見えていたから。魔法使いと接触させないようにしていることに気づいていたから。
    「このまま死を迎えるのだと思っていた時、懐に師匠から渡されていた魔法の触媒を忍ばせていたことを思い出しました」
     師匠が革命軍を去る時、どうしようもなく困ったら使いなさいと手渡されていたものだった。今この時を置いて使うタイミングは他にないと思った。触媒を使えばたちまちの内に力が湧いてくるような気がした。今ならなんでもできる気がした。どんな願いだって叶えられるような気がした。だから祈った。ありったけの心を込めて一番の願いを。

    「誰も知らないどこか遠くへ行きたい」

     呪文と共に足元に全てを呑みこむような穴ができた。一瞬迷ったものの、お守り代わりに傍に置いていたバレッタと触媒の入っていた器を胸に抱えて穴に飛びこんだ。
    「そうして私は戦場から逃亡しました。言い伝えにある『力を使い果たして百合の花になった』なんて嘘っぱちです。後から始末に困った人間たちが作り上げたそれっぽいデタラメです」
     聖女の再降臨なんてご都合主義もいいところだ。勝手に殺しておいて姿を見せれば復活したなどとうそぶく。私の言い伝えを作り上げた人間たちは今も自分たちの都合のいいように事実を捻じ曲げ続けている。
    「……では、そのような話を広めているブラン大聖堂は……」
    「彼らが語る話には虚構が含まれている、ということだな……」
     人間たちの仕打ちに二人は少なからずショックを受けているようだった。魔法使いを排斥しようとする一派の仕業だったようにも思えるが、今更それを確かめる術はない。あるのは私の名を使った大聖堂を思うがままに利用している奴らがその一端を担った人間の縁者だろうという推測だけ。
    「ブラン大聖堂は中央の国建国のすぐ後に建てられたと聞いています。アレク様と側近によって戦場で花になるまで力を尽くした聖女として」
     けれど必要以上の過ぎた装飾と、流布された明らかに誤りである聖女の最期がある事実を示していた。
    「この平凡で大人しい村娘にあんな立派な大聖堂を宛てがわれるのはあまりに不自然だと思いませんか?」
     その先を想像したのだろう、リケが胸の前で手を握りアーサーが膝の上の拳を握りしめる。返ってくる言葉はなかった。
    「異を唱えに私が姿を現すことを狙ったのだと思います」
     人間たちが私が姿を消した後に必死に探していたのは以前にレノックスから聞いた。草の根を掻き分けてでも探し出し、アレク様に献上しろと命令がくだっていたのだと。それが戦場から逃亡したからか、アレク様からの求愛を受け取らなかったからか、或いはそのどちらもかはわからないけれど。
     アレク様と側近の意向で建てられたブラン大聖堂は今貴族となった側近の家に管理が委託され、大聖堂に関わる一切をその貴族が取り仕切っているらしい。大聖堂を治めるのは大聖女として選定された乙女のみと決められており、国中から候補に挙げられた少女たちが集められているという。完成当初から続くこの習わしも恐らくは私の代わりか大聖堂を我がものとするための傀儡を据えるための策略だ。事実、近年の大聖女は全て管理者である貴族に関係の深い少女たちがその地位を与えられていると聞く。そこに私が現れればさぞかし邪魔だろう。
    「先日、私を魔法使いに捕らえさせようとした貴族がいたことは二人も知る通りでしょう」
     少し前、魔法使いを使って私を捕らえ、大聖堂の贄としようとする貴族がいたことがわかった。アーサーたちの力を借りて無事帰ってくることができたけれど、件の貴族は素知らぬ顔をして今も中央の国の政治に携わる権力者として力を振るい続けている。ヴィンセント殿下にも協力を仰いでこれまでの悪事の証拠を集めているけれど、中々思うように進んでいない。
    「……叔父上にこの話は……」
    「今度お話ししようと思います。手紙を書きますので届けてもらえますか、アーサー」
    「もちろんだ」
     いつかは明かさなければならない話だった。黙してはいられない話だと思っていた。ようやく口を開く決意をするきっかけをリケがくれた。今回のことがなければまだ口を閉ざし続けていたかもしれない。
    「リケ、私は大事な機会をくれたあなたに感謝しています。私はそれでいいけれどあなたは……後悔してはいませんか?」
     リケは両手を胸の前で組んだまま俯いていた。その様子は落ち込んでいるようにも、静かに考えているようでもある。聞く覚悟があると答えてはくれたが、まだまだ柔い心に傷を残したりしていないかが心配だった。リケは今まで面と向かって突き刺さるような悪意を向けられたことなどなかっただろうから。
    「……うまく、言えないですけど……」
     言葉を選ぶようにリケは口を開いた。
    「全ての魔法使いが善ではないように、人間もそうなのだと……道を誤る者がいたなら正さなければなりません」
     いくら立派に歴史のあるものでも正しいとは限らない。そのことに衝撃を受けつつも、リケは考えることをしたいという。
    「ただ聞かされるだけでなく自分の目で見、自分の耳で聞いたことを元に考えていきたいと思います。何が正しくて、何が間違っているのかを自分で確かめたいです。そうして過ちを犯している者がいるならその者を正し、導きたいと思います」
     リケらしい、まっすぐな答えだった。ひとつひとつ言葉を確かめるようにして答えを選び取ったリケの意思を尊重したい。そしていつか自身に立ち返ることになるその時は力になりたいと思った。
    「リリーベル、一つ確認させてほしい」
     意志のこもった力強い視線に真正面から向き合う。背筋を伸ばしたアーサーが言葉を続ける。
    「お前はブラン大聖堂をどうしたい。貴族たちの完全なる虚構だというならそれを信じて集う者たちは……」
    「ブラン大聖堂の取り潰しまでは望みません。心から私を慕っている教徒もいるでしょうし……」
     全て間違いだったと言って切り捨てるのは簡単かもしれない。けれど、今日まで聖女の存在を支えにしてきた人たちもきっといるだろうから。
    「正しい在り方で存続することを望みます。誰かの得のためではなく、教徒の皆さんが等しく祝福を受けられる本来在るべき姿になることを」
     緊張した面持ちだったアーサーがふっと表情を和らげる。その微笑みが在りし日のアレク様と重なってじわりと目元が潤む。尊敬していた。親しみを感じている相手として好きだった。あなたの真意はわからないけれど、もしもどこかで歪んで今日まで伝わっているのなら在るべき形に戻したいと願うから。私たちと笑いあっていたあなたを信じたいから。
    「私もだ。教徒たちの純粋にリリーベルを信仰する気持ちを大事にしてやりたい。そのためにブラン大聖堂の在り方を考えていきたい」
    「私にできることなら何でもしますので遠慮なく仰ってください」
    「ああ、その時はよろしく頼む」
     力強く頷くアーサーに微笑む。思ったよりもずっと強い子たちだった。ずっと頼もしい子たちだった。話してよかったと思う。言葉にすることで自分の中の過去と気持ちにも整理をつけられて、前に進む気力が湧いた。偽りの大聖堂を何とかしなければならない。そこに巣食っている腐敗の王を排除しなければ。



     これは、私と仲間の決意の一歩の話である。
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    mgn_t8

    DONE「これは人の弱さと醜さのお話です」
    そう言ってリリーベルが語り出したのは痛みに満ちた過去だった。自分は聖女と呼ばれるべきではないというリリーベルの真相と本心とは。
    リケとの衝突で明かされる革命軍時代にリリーベルが背負った罪の話。
    その決意は幾千の日没を越えて 人形師の魔法使いのグランヴェル城襲撃後、怪我を負った賢者の魔法使いの回復のために治癒の魔法を使った。フィガロ先生の魔法に重ねがけをする姿を見た誰かにより、建国の聖女が再降臨したと噂が広まった。別に隠していたわけじゃない。ただ黙っていただけ。いつか知られることだろうと思っていた。それがわかった時、どういうことになるのかもわかっていた。……わかっていたはずだった。



    「リリーベル、見つけましたよ。今日こそあなたのお話しを聞かせてください」
     魔法舎内での細々とした仕事の合間にちょこちょこリケが話しかけにくるようになった。彼はとある教団で神の使徒として育てられてきた。人間に都合よく利用されるその姿に思うところはあるけれど、本人への刷り込みが強固なことと、それほどまで親しくないためにこれまで積極的に関わろうとしてこなかった。使命に熱く信心深いリケの熱量についていける気がしなかった。
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    mgn_t8

    DONE2024年ジュンブライベント。

    リリーベルが薬品の素材集めに訪れた村では結婚式を挙げるはずだった新郎が姿を消したまま帰ってきていなかった。新婦と彼女たちの幼なじみだという青年の依頼を持ってリリーベルは魔法舎に帰るが……

    「私があの子だったら、貴方を選んでいたのに」

     それは好きの気持ちを口にできなかった者たちの奏でる切ない叶わぬ恋の物語。
    門出と追想のカノン 疲労回復に役立つシィピィの実が豊作だと情報を仕入れて買い出しに来ていた。東の国寄りの中央の国の村。名をシピールという。果実を絞ってジュースにしてもいいし、皮を乾燥させて粉にしてしまうのもありだ。どんな風にして使おうかと考えながら歩いていると、お花屋さんの前を通った。店先には色とりどりの花が並べられていて、見ているだけでもとても楽しい。あいにく魔法舎には花よりも食べ物の方が喜ぶ面々が圧倒的に多いのだけど……自分用に小さいものを買って帰ってもいいかもしれない。前に賢者様は見るのは好きだけれど、世話をするとなると枯らしてしまうと言っていたから別のものの方がよさそうだ。端から順に花々を眺めていると、店の端の方で立ち話をしているご婦人たちの話し声が聞こえてきた。
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    mgn_t8

    DONE診断メーカー「三題噺」より
    「不機嫌」「言い訳」「昼下がり」
    フォロワーさんとワンドロ(+5分)

    リリーが魔法舎に来てすぐ後くらい。ファウスト語りで主にファウスト+レノックス。リリーはチラッとな革命軍組の話。
    胸に隠したそれは 再会してからずっと気になっていることがある。レノックスのリリーに対する呼び方だった。昔は敬称付けでリリーベル様と読んでいたが、今はリリーと愛称で呼んでいる。ここに至るまでどんな経緯があったのかは知らないが、共に南の国から魔法舎にやってきて親交もあったというから僕の知らない間に親しくなったのだろうということは考えなくても分かる。分かるけれど、レノックスとリリー、時にはフィガロを加えた三人の様子を見ていると胸の奥がざわりと騒ぐのを抑えることができなかった。

     ある日の昼下がりだった。東の魔法使いたちの午前の実地訓練を終えて食堂で皆で昼食を取った後だった。図書室で今後のカリキュラムを考えようと足を向けた時だった。廊下の向こうから歩いてくる人影を認識した瞬間、口を引き結んだ。レノックスとリリーだった。和やかに会話をする姿は親しみに溢れていて信頼に満ち満ちていた。未だここにいる魔法使い全員に慣れていない様子が窺えるリリーの朗らかな笑顔が向けられているのは微笑を浮かべたレノックスだった。何となく彼らから視線を逸らして黙ってそのまま歩を進める。
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