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    2024年ジュンブライベント。

    リリーベルが薬品の素材集めに訪れた村では結婚式を挙げるはずだった新郎が姿を消したまま帰ってきていなかった。新婦と彼女たちの幼なじみだという青年の依頼を持ってリリーベルは魔法舎に帰るが……

    「私があの子だったら、貴方を選んでいたのに」

     それは好きの気持ちを口にできなかった者たちの奏でる切ない叶わぬ恋の物語。

    門出と追想のカノン 疲労回復に役立つシィピィの実が豊作だと情報を仕入れて買い出しに来ていた。東の国寄りの中央の国の村。名をシピールという。果実を絞ってジュースにしてもいいし、皮を乾燥させて粉にしてしまうのもありだ。どんな風にして使おうかと考えながら歩いていると、お花屋さんの前を通った。店先には色とりどりの花が並べられていて、見ているだけでもとても楽しい。あいにく魔法舎には花よりも食べ物の方が喜ぶ面々が圧倒的に多いのだけど……自分用に小さいものを買って帰ってもいいかもしれない。前に賢者様は見るのは好きだけれど、世話をするとなると枯らしてしまうと言っていたから別のものの方がよさそうだ。端から順に花々を眺めていると、店の端の方で立ち話をしているご婦人たちの話し声が聞こえてきた。
    「一体、アレンはいつ帰ってくるんだろうねえ」
    「ローナもずっと待ってるってのに……結婚式だって延期になっちまって」
     ため息混じりに会話をする内容から察するにこうだ。結婚式間近の新郎が村から姿を消したらしい。花嫁は夫が帰ってくるのをずっと待っているけれど、一向に戻る気配がない。何も言わずに出て行ったから逃げ出したんじゃないかとまで噂が立っているのだと。
    「リゼロが付きっきりでローナの傍にいるんだろう、いっそのことリゼロと一緒になっちまった方がいいんじゃないのかい」
    「滅多なこと言うもんじゃないよ、まったく!ああ、いらっしゃいお客さん。すまないね、身内の話に夢中で」
    「いえ……どなたか姿を消されたのですか?」
     店主の女性が順を追って説明してくれる。さっきの話を大体聞いていたから何となく概要は掴めていたけれど、知らないフリをした。店主さんは先程話に出てきた花嫁に付きっきりで慰めてなだめているリゼロという青年の母だという。
     挙式間近の新郎が誰にも何も告げずに姿を消した。いなくなる前はそんな素振りもなく、花嫁さんや幼なじみであるリゼロさんと楽しそうに過ごしている姿が目撃されていたという。
     村の近くには森があって、そこに行ってないか確かめようとしたものの知らない間に森が深くなっていてとてもではないが足を踏み入れることはできなかったのだという。村の外に出て行ったのでなければそこだろうとは言われているものの、誰も捜索に向かえないのだと店主さんは眉を下げていた。リゼロさんも探しに行こうとして断念したのだと。
     試しに教えてもらった森を見に行ってみたけれど、鬱蒼としていて人が入り込めるような場所ではなかった。近づくと通せんぼをするような気配があった。人を拒むというよりは試すような不思議な雰囲気を感じる。何らかの魔法が働いていることは確かなようだった。
     村に戻って花嫁のローナさんと幼なじみのリゼロさんに話を聞く。ローナさんは純粋で素直そうなお嬢さんで、リゼロさんは物静かで落ち着いている人だった。リゼロさんを見た瞬間に既視感を覚えた。会ったことなどないはずなのに、初めて会ったように思えない人だった。
    「村の人はほとんどアレンのことは諦めていて……でも、ローナのことを置いて逃げ出すような無責任な奴ではないんです」
    「わたし……わたしもアレンは必ず帰ってくるって信じてます……っ」
     ローナさんは泣き腫らした目に涙をいっぱいに溜めて話をしてくれたけど、途中で泣き出してしまってリゼロさんになだめられていた。話の続きをリゼロさんが引き継ぐ。
    「僕もアレンを探しに行こうとしたんですが村の人に止められて……二人ともいなくなったらローナはどうするんだと言われてしまったらどうすることもできなくて……」
     ローナさんを支えるリゼロさんは悔しそうに言葉を吐き出した。その瞳はローナさんを心から案じていた。労るような、気遣うような視線に込められているの下敷きにあるものが見えた気がしてそっと目を伏せる。
    「……森からは異常な魔力の気配を感じました。聞かせていただいたお話の内容も合わせて考えると、もしかしたら厄災が関係しているのかもしれません。正式に依頼を出していただけるのなら賢者様にお届けしますが、いかがなさいますか?」
     二人は顔を見合せて頷きあった。こちらを見つめる目は決意に満ちていた。
    「よろしくお願いします」


     ◆◇


    「……というわけなのですが……」
     村長さんにリゼロさんたちとお話を持っていくと、正式に村の異変として調査の依頼書を出してくれた。それを持って魔法舎に帰ると、そのまま賢者様にお渡しした。もちろん他の依頼が山程届いているのは承知の上だ。後から持ち帰った依頼をその間にねじ込むことはできないだろうということもわかっている。けれど、だからといって見て見ぬふりはできなかった。依頼に着手するまでには時間がかかるかもしれない。そう伝えてはきたけれど、二人の決意が揺らぐ様子はなかった。どれだけ時間がかかっても待つつもりでいると。
    「できれば早めに解決してあげたいなと思いますけど……どうですかスノウ、ホワイト?」
    「リリーベルよ、森の異変からは悪しき気配は感じなかったのじゃな?」
    「はい、邪悪な気配はなかったかと」
    「ならば近場じゃし魔法舎に残っておる魔法使いで対処できるじゃろう」
     大半の魔法使いは任務に出ている。任務と任務の合間で手の空いた魔法使いを集めて向かってくださるとのことだった。
    「感謝いたします、賢者様。スノウ様、ホワイト様」
    「うむ、リリーベルも共に来るのじゃぞ」
    「今回の窓口はそなたじゃからの」
    「もちろんでございます。喜んでご同行させていただきます」
    「早く花婿さんを見つけてあげましょうね、リリーベル」
    「はい、頼りにしております。賢者様」
     快く引き受けてくださった御三方に深々と頭を下げる。予想外に早く花婿のアレンさんの捜索に取りかかれそうだ。後は彼が無事でいてくれることを願うだけだ。

     件のシピールの村には話をさせていただいた御三方とスノウ様たちに連れてこられたブラッドリーさん、それから手の空いていたクロエとカインが同行してくれた。アレンさんを見つけられたら結婚式を行うということで、クロエが式にも出られるような衣装を用意してくれた。
    「いいんですか?私の分まで仕立ててもらってしまって」
    「もちろんだよ!リリーベルの服もいつか作ってみたいと思ってたから叶ってよかったなって」
     ニコリと人好きのする笑みを浮かべてクロエが笑いかけてくれる。それに笑い返してワンピースのスカートを摘む。白が基調のシンプルながらも洒落っ気のあるワンピースの端には大柄な柄のレースが縫い付けられている。自分では選ばないようなデザインなのに、着てみるとものすごくしっくりくる。いつもクロエの作る衣装は素敵だなと思っていたけれど、実際自分をイメージしてくれたものを着せてもらうとこうなるのか。新しい世界が開けたような、大切な宝物に出会ったかのような衝撃だった。
    「分かるよ、俺も初めて衣装を作ってもらった時はそうだった」
     今も新しい衣装を仕立ててもらうと心が踊るけどなとにかりと笑うカインに笑み返して村の入り口へと向き直る。そこにはリゼロさんとローナさんが私たちを待っていた。
    「お待ちしておりました。賢者様、賢者の魔法使い様。リリーベルさん、僕たちの願いを届けてくださってありがとうございます」
    「早速来ていただいてなんてお礼を申し上げたらいいか……本当に、本当にありがとうございます……っ」
     ローナさんはこの間別れた時からは少し落ち着いているようだった。魔法舎に依頼を出したことで多少なりとも希望が見い出せたのかもしれなかった。
     二人に案内されて村長さんのお宅に伺い、アレンさんが姿を消した経緯と森にまつわる伝承の話を聞いた。古すぎて若い人の間では知られていないけれど、森の奥に幸運をもたらす天弓草がごぐ稀に咲くことがあり、それを見つけたものは生涯幸せに暮らせるというのだ。もしも森に入ったのならば、それを探しに行ったのかもしれないと。
    「まったくアレンには困ったものだ。ローナとの結婚式は延期になるわ、リゼロの外部就職の話もなしになるわ……」
    「村長、その話は今は関係ないですから」
    「関係ないことなかろう。期日までに出立できないから見送ると申しておったのはお前だぞ」
    「リゼロ、外の仕事の話ってまだ先の話だったんじゃないの……?」
     不安そうに訊ねるローナさんに困ったように微笑んで、リゼロさんは締切が早まったのだと説明していた。申込者多数で受付けは既に締め切られてしまったらしい。植物に関する研究をする施設の人員を募集していたとのことだった。将来を決めるまたとないチャンスだったのにと残念がる村長さんにリゼロさんは終始苦い顔だ。
    「それよりアレンのことでしょう。まったく、あいつが戻ってきてくれないと僕も他のことが手につかないんですよ」

     村長さんとの話を終えてローナさんを送っていくというリゼロさんと別れると、私たちは二手に別れることになった。森の探索をするグループと村の中で聞き込みをするグループだ。前者は賢者様とスノウ様、ブラッドリーさんとカイン。後者はホワイト様とクロエ、森の入口へと案内したあと私が加わる予定だ。自ら村の聞き込みを申し出たのは気にかかることがあったからなのだけれど。
    「あの兄ちゃん、花嫁が欲しけりゃ奪えばいいだろ。好機だぜ」
    「ブラッドリーさん、不謹慎ですよ」
     間髪入れずに放った言葉はスノウさまがたしなめるより、カインがとりなすより、賢者様が注意を口にするより早かった。空気がピリッと張り詰め、ブラッドリーさんが口角を上げて嗤う。
    「随分とあの兄ちゃんの肩を持つじゃねえか」
     鼻で笑うブラッドリーさんを真正面からじっと見つめて、口を引き結んで黙り込む。勝ち負けの計算をしたわけではなかった。ブラッドリーさんと言い合ってどれだけ惨めで無様な姿を晒すか考えて……半眼で投げやりに口を開いた。
    「……そんなんじゃないですよ」
     ブラッドリーさんに口で敵うはずがない。論破されてボロボロになって賢者様たちに気を遣われるだけだ。どれくらいまで情けない姿を晒すか考えて、退く選択肢を取っただけ。勝てない勝負をするほど無鉄砲にはなれなかった。
    「村で聞いた入口はこちらです」
     辛うじて道の入口が分かる程度の草の生い茂りよう。木々も通せんぼをするように入口を塞いでいる。近くに寄ればざわめくように枝派が揺れた。
    「ふむ、妖精の気配がするのう」
    「確かに南の薬屋の言う通り禍々しい気配じゃあねえな」
     この間の見立て通り害意はない。害意はないけれど、気配が騒がしい。何か森の中にあると考える方が自然だ。
    「これ、中に入れるのか?」
    「力で押さえつけるのは簡単ではあるが……ちと後が面倒そうじゃの」
    「ちょっと様子を見てみますか?」
     賢者様の発言に考える素振りを見せてからスノウ様が頷く。辺りを調べて埒があかなかったらカインを盾にして踏み入るとのことだ。ちょっと不穏な予定のような気はするけれど、北の魔法使いの決定に不服を唱えることはない。元々あちらの方が年長者でもあるのだし。お役御免を言い渡された私は村へと戻ったのだった。


     ◆◇


     村の方ではアレンさんについての話と天弓草についての情報収集を中心に聞き込みが行われていた。天弓草についてはご高齢の方しか知らないようで、知っている人を探すのに苦労していた。壮年の人でもふんわりおとぎ話として聞いたことがある程度で概要は掴めていないという。
    「村の書庫があるみたいでの。今からそちらへ向かうところじゃ」
     クロエはアレンさんについて聞いて回ったという。底抜けに明るくてハツラツとした人だったらしい。いつも前向きで落ち込んだ様子や悩んだ様子は見せない人だったのだと。
    「何か知ってるならリゼロなんじゃないかって。リゼロとローナはアレンと三人ですごく仲のいい幼なじみで、いつも三人でいたって」
     わんぱくなアレンさんと物静かなリゼロさんはどういうわけかものすごく馬が合ってよく二人で遊んでいるところが見かけられていたのだという。そこにいつからかローナさんが加わって三人でいるようになった。三人はいつも一緒で、冒険をする時もイタズラをする時も誰かが欠けることはなかった。仲睦まじい姿に誰もが頬を緩めて見守っていたらしい。
     ずっと一緒だと思っていた三人はある日突然終わりを迎える。リゼロさんが村の外で研究職に就きたいと言い出したからだった。
    「あの子は昔から植物のことが大好きでねえ」
     リゼロさんのことを聞くために彼の母親であるアネルさんを訪ねた。前回この村に来た時、立ち寄ったお花屋さんの店主だった。ホワイト様とクロエは村の書庫の方へ伝承の資料を探しにいった。バトンタッチする形で聞き込みを引き受けた私は、その足でまっすぐアネルさんのところへやってきた。
     アレンさんとリゼロさんの話から始まってローナさんとの三人の話もたくさん聞かせてもらった。どの話もとてもみんな生き生きとしていて、充実した日々だったのだろうと感じた。村長さんのお宅でリゼロさんの進路の話を聞いたと伝えると、アネルさんは息子のリゼロさんの功績を嬉しそうに出して見せてくれた。
    「すごく細かく観察されていますね……これを独学で?」
    「ああ、そうだよ。この村の人間は誰にもリゼロの探究心には敵わなくってねえ」
     確かに小さな村の中に眠らせておくにはもったいない才能だ。ひとつひとつの草花を事細かに観察して調べていて、設備は整っていないながらもその情熱を買って雇ってくれそうな場所はいくらでもありそうだった。最近着目されている植物のことについてもよくまとめてある。取り引きのある商会に話せば喜んで引き受けてくれそうな人材だ。
    「リゼロさんが望まれるなら就職先のご紹介はできるかと思いますが……」
    「ああ、うん……」
     私の申し出にアネルさんはハッキリとした答えを出さなかった。村から離れがたいのはローナさんとアレンさんのことがあるからなのだろうとは予想がつくけれど。紹介の話自体は喜ぶと思うというアネルさんに頷いて席を立った。これ以上はご迷惑になるだろう。色々教えてくれた礼を言って玄関を出ようとすると目に入ったものがあった。山吹色のベルが鈴なりに咲いたような花だった。
    「これは……」
    「ベルソニアの花だよ。ほら、礼拝の時のベルに形が似ているだろう。旅立ちの時とか送る相手の幸運を祈る時なんかに渡すんだ」
     祝福を授ける際に鳴らすハンドベルから名を取ったのだろう。言われてみればしっくり来る由来だ。これはきっとリゼロさんの出立の時に渡すはずだったのだろうなと思った。
    「ご利益のありそうなお花ですね」
    「バッチリさ!何せ、このあたしが手塩にかけて育てたんだからね」
     太陽に染められたような色の花は風になびいてゆらゆらと揺れていた。




    「あら、リゼロさん」
    「リリーベルさん」
     他の村人に聞き込みをしているとリゼロさんに遭遇した。ローナさんは一緒ではないようだった。きょろりと彼女の姿を探したのが分かったのだろう、リゼロさんはいつも一緒にいるわけではありませんよと苦笑いをした。アレンさんが帰ってきた時のために自分のことをしておかないととリゼロさんは言う。森の方の首尾もわからないし、遭難したまま見つけられないかもしれませんよと声をかけてみたものの、アレンさんが帰ってくるという確信があるという。幼なじみにしか分からない絆というやつだろうか。
    「アレンはローナと幸せに暮らすんです……でなければ僕が身を引いた意味がない」
     眉を下げて薄く微笑むリゼロさんに胸の奥がぎゅうと苦しくなる。きっとそうだろうと思っていた。けれどいざ目の前にするとどうしようもない気持ちになる。いたたまれないような、やるせないような上手く言葉にできないこの気持ち。
    「リゼロさん、もしよければの話なのですが……」
     この人に何かしてあげたい。力になってあげたい。できることなんて限られているけれど、私なんかでもできることがあるのなら。

     私の話を目を丸くして聞いていたリゼロさんは口を閉ざして少しの間考え込んで、それから時間をもらえませんかと返事をした。急ぐ話ではないし、いつでも声をかけてほしいと伝えるとリゼロさんはホッとしたような、今まで見せなかった緊張の解けたような顔をした。もしかしたら素が出たのかもしれない。
    「私はこれからホワイト様達に合流して書庫の方にいますから、いつでもお声がけください」
    「ありがとうございます」
     柔らかに微笑むとリゼロさんは頭を下げて行ってしまった。その背中を見送って書庫があると教えられた方へと足を向ける。伝承については何かわかっただろうか。ホワイト様とクロエの成果に期待しながら二人の元へと向かった。


     ◆◇


    「お二人とも、首尾はいかがですか?」
    「あっ、リリーベル!見てよこんなにひっくり返したのに関係あるっぽいのはこれだけ!」
     クロエが指さしたものを見ると古ぼけた本が二冊。しかも記述はそう多くないときた。ホワイト様が今中を確かめている本が空振りなら手がかりはほとんどないといっていいとのことだった。集中しているようだから声はかけない方がいいだろう。ホワイト様の邪魔をしないようにコソコソと言葉を交わす。
    「リリーベルの方はどうだったの?」
    「リゼロさんが村の外で就職する話、突然だったってことくらいですね。でも相当優秀で何ヶ所かから声はかかってたみたいですよ」
     どれも返事を先延ばしにしていた。それがある日突然、受けてみようかなと言い出したのだという。それまで誘いがあちこちからあることは誰にも言っていなかったのだという。どこから降って湧いたかわからない話に村民たちは驚きと共に賞賛を贈った。アレンさんとローナさんの結婚の話が持ち上がったのはそのすぐ後のことだった。
    「無関係とは思えないよね」
    「恐らく直前に何かありましたよね」
    「もしかして二人が対決したとか!」
    「アレンさんはふっかけそうですけど、リゼロさんは乗らなさそうな気がしますが……」
     コソコソと互いの耳元で囁きあう。二人でうーんと唸ったその時、ホワイト様の「これじゃ!」という声が聞こえた。クロエと顔を見合せて、ホワイト様の目の前に寄る。広げて見せてくださった箇所には確かに天弓草のことが記されていた。
    「ごく稀に咲く天弓草を探し当てたものには妖精の祝福が授けられる……」
    「天弓草自体には魔力はないんですね?」
    「見つけられること自体が珍しいから、見つけただけで幸運ってこと?」
    「それもあるが、それを成しえた者に妖精たちが祝福を与えるためにその者が手にした天弓草に魔法をかけるということじゃ。幸運の証としての」
    「「なるほど……」」
     それ以上手に入る情報はないだろうとホワイト様に連れられて書庫を後にした。陽は既に沈みかけていて見事な夕焼け空が広がっていた。夜がすぐそこまで迫っている。スノウ様たちももう少ししたら戻ってくるはずだ。夜は村の集会所に泊めてもらうことになっている。夕陽に染められながらスノウ様たちの帰りを待って、スノウ様とブラッドリーさんに散々文句を言われるカインと苦笑いの賢者様を出迎えて村長さんのお宅へと向かった。

     森の方は散々だったらしい。通せんぼをする木々を凪払おうとすると森に潜む妖精に威嚇され、彼らの機嫌を損ねて森がめちゃくちゃになったら中にいるかもしれないアレンさんの捜索が困難になるかもしれないという話になって、渋々妖精を懐柔することになったらしい。中央の国の妖精には中央の魔法使いをとカインを矢面に立たせてみたものの、それが中々うまくいかなかったとのことだった。何度挑戦しても意思の疎通が取れず、そっぽを向かれ続けて日が落ちてしまったのだと。
    「もう少しで何か掴めそうなんだが……」
    「本当に明日は大丈夫なんだろうな、中央の騎士さんよ」
    「明日もこの調子では力づくで通してもらうことにならなんだ」
    「それはやめましょうって今日散々言ったじゃないですか……!」
     相当難航したらしい。うんざりと顔に書いてあるスノウ様とブラッドリーさんに苦笑いを返すことしかできない。明日はホワイト様の手に入れた伝承の話があるからうまく応対できるといいけれど。明日は全員で森に向かうことになっている。明日解決できなければ実力行使が行われてしまうかもしれない。
    「頑張って、カイン!」
    「応援してますよ、カイン!」
     両側からクロエと賢者様に応援されて明日こそはと意気込むカインを一緒に応援して笑い合う。そうしていると不思議と明日はなんとかなるような気がした。



    「リリーベルさん」
     夜風に当たってくると声をかけて集会所から抜け出す。外に人影が見えたからだった。そちらの方へと足を向けるとリゼロさんが立っていた。昼間の返事をしに来たのだという。辺りをきょろりと見回して、それから少し離れた場所に移動する。
    「昼間のお話、お受けしようと思います」
    「いいんですか?まだアレンさんは見つかってないんですよ」
    「明日、あなた達が見つけてくださるんでしょう?」
     疑いのない眼差しでリゼロさんは私を見つめた。その視線を受けてそっと微笑む。それを叶えるために私たちはやってきた。だからその期待に応えるために全力を尽くさなくては。
    「約束はできないですけれど、きっと」
    「そう仰ってくださるだけで十分ですよ」
     その場で書状を書いて丸める。魔法をかければ書状に羽が生えて羽ばたく。行き先を告れば、空飛ぶ書状は夜空へと消えた。早ければ明日には返事が届くだろう。アネルさんにも話した取り引き相手の商会は迅速第一、商機を逃すなの教えが徹底している。有能な人材が確保できるとなれば目の色を変えて飛びつくだろう。職人も研究者もみな手厚く扱ってくれる、信用のおける商人たちだ。私の作った魔法薬も長くお世話になっている。
    「アレンとローナの結婚式を見届けたらすぐに発ちたいんです。きっと長くはここにいられないから」
     リゼロさんは笑みを浮かべていたけれど、その下に悲しみと恐れを見た。祝福だけを贈れない理由。外へと目を向けることになった原因の見当はついている。
    「本当のことは二人に……せめてアレンさんだけにでもお話にならないんですか?」
    「そうですね、大事だから……大切だから余計に彼らの記憶の中に残る僕は綺麗なままでいたいんです」
     ひとりきりで抱えるのは辛くはないのだろうか。苦しみに押し潰されたりはしないのだろうか。整理がつけられないから一人この村から去ろうとしているのではないだろうか。けれどどれも推測だ。そして私はそれを指摘できるほどリゼロさんとは親しくない。私にできるのは彼の希望を手伝うことくらいだ。
    「商会から返事が来たらすぐにお伝えしますね」
    「お願いします」
     集会所まで送るというリゼロさんの申し出を丁重にお断りして手を振る。少しひとりで歩きたい気分だった。ぺこりと一礼して家に帰っていくリゼロさんの背を見送る。彼の決意を確かなものとするためには明日アレンさんを何としてでも連れ帰らなければならない。それが別離を意味したものだったとしても。
    「ほんと手前はあの小僧に甘いな」
    「……ブラッドリーさん」
     後方からかけられた声に振り返る。家畜の柵に腰掛けた長寿の魔法使いがそこにいた。


     ◆◇


     なぜここに、と尋ねると呆れた顔をされた。夜更けにフラフラ出歩く女を放置しておけるかというけれど、建前なのだろうことはわかっていた。
    「監視の傍から逃れるためには多少の嘘もつくだろ」
    「そんな気はしていました」
     そう理由をつければ賢者様たちの前ではスノウ様たちも強くは引き止めないだろう。特別悪巧みをするような材料も理由もない村だし。
    「花婿に一言言ってやりゃそれで済む話だろ」
    「それができないから苦労しているんですよ。誰もがみんな、ブラッドリーさんみたいに強いわけじゃないんですよ」
    「そんなもんかよ」
    「優しすぎるんです……自分よりも相手のことを考えてしまって」
     ふぅんと気のない返事をしてブラッドリーさんは横目に私を見る。その口から放たれた言葉は咎めるような響きがあった。
    「あの小僧はお前でも、お前の男でもねえぞ」
    「わかっていますよ」
    「ハッ……どうだか」
     それきりブラッドリーさんがこの件について何か言うことはなかった。遅くなるとスノウ様とホワイト様がうるさくなるから、用が済んだならさっさと帰るぞと促されて後をついていく。
     私にはリゼロさんの望むようにしかしてあげられない。それが本当に彼を思ってのことなのか、過去の贖罪をしようとしているのかは自分でもわからなかった。



    「今日こそ頼むぞ、カインよ」
    「ほほほ、うまくいかねば力をもって妖精たちを押さえつけねばならんからの」
     夜が明けて全員で森の入り口に立っていた。妖精たちは話に聞いていた通りザワザワと落ち着かない。昨日の内にみんなの前で伝承の話はホワイト様がしてくださった。恐らくはアレンさんが森に入り、天弓草を見つけた。けれど何らかの理由で森から出られなくなってしまった。後から来た誰か他の者に天弓草を横取りされまいと妖精たちが侵入を邪魔しているのではないかという結論に至った。
    「聞いてくれ!俺たちは天弓草を奪いに来たんじゃない!アレンを探しに行きたいんだ」
     カインの言葉に妖精のざわめきが小さくなった。互いにささやき合うような気配に変わる。
    「アレンを森から返してやってくれ、そいつの帰りを待っている人たちがいるんだ」
     カインの訴えに妖精たちのゆらぎが起こり、木々がさわさわと揺れた。そしてやがて木々や草むらが割れて人一人通れるくらいの道が出現した。
    「聞いてくれたってことでいいのかな?」
    「通してくれるってんだから通りゃいいだろ。騎士さんよ、先頭は任せたぞ」
    「行きましょう、カイン」
     妖精たちに働きかけたカインを先頭に、一列になって森の中を進む。上空からの日差しは木の葉によって遮られていて、陽は上っているというのに辺りは薄暗い。小動物や昆虫があちこちに顔を出す森の中をしばらく歩く。天弓草には辿り着けないままだ。妖精たちの開いた道を辿ってはいるけれど、先がどこまで続くのかは見えない。
    「け、結構歩きますね」
    「賢者よ、ギブアップか?」
    「どれ、歩き疲れたなら背負ってやろう……ブラッドリーが」
    「なんで俺なんだよ」
    「いえ、そういうわけじゃなくって!」
     慣れない荒れた道は確かに歩きづらいかもしれない。しかもただ道を歩かされているというよりは変にあちこちに行ったり、行ったり戻ったりを繰り返していて単なる道案内ではなさそうだった。まるで誰かの軌跡を歩かされているような。
    「あっ、見てくださいあれ……っ」
     北の魔法使いたちにからかわれていた賢者様が前方を指さす。木々の隙間から中に陽光が差している。そこだけが草木が避けたようにぽっかりと開けていて、異空間のように見えた。足早に進めば、光の中心に太陽の光を受けて輝く虹色の花が見えた。そしてその向こうに膝を抱えて蹲る青年の姿も。
    「あなたがアレンさんですか?」
     賢者様の問いかけに青年はぼんやりとこちらを見上げて聞き返した。
    「あんた達は……?」
    「リゼロに頼まれてあなたを探しに来た者です。私が依頼を仲介した魔女でこちらが賢者様。そしてこの方達が賢者の魔法使いの皆さんです」
    「……リゼロが……」
     光のない瞳が一瞬光を宿した。けれどその光はすぐに掻き消えてしまう。
    「お主、やはり天弓草を探しに来たのじゃな。なぜ摘み取らぬ」
    「はて、天弓草が目的ではなかったかの?」
     アレンさんはぼうっと私たちを見上げた後、俯いてしまった。話に聞いていた様子とは随分違って見える。明るくて溌剌としていて、誰にでも笑いかけるような人柄だったはずだけれど。
    「……はじめはそのつもりだったんだ。でも……俺が帰ったらリゼロは村を出ていくんだろう……?」
     アレンさんの答えに目を見開く。彼はリゼロを村に留めるためにここから動かないというのか。一体なぜこんなことになったのだろう。
    「お前、リゼロに勝って嫁をもらったんじゃねえのか?なんで今更あいつにこだわる」
    「俺がリゼロに勝った……?やめてくれ、俺は勝負すらしてもらえなかった。勝ちを譲られたんだ」
     蹲ったまま腕の中に顔を伏せるアレンさんの目の前に賢者様がしゃがみこむ。わずかに顔を上げたアレンさんと目を合わせるようにして賢者様は話しかけた。
    「よければ詳しくお話を聞かせてもらってもいいですか?」
     しばらく沈黙した後、アレンさんはぽつりぽつりと今までにあった出来事を話してくれた。ローナさんに告白しようと思っているとリゼロに告げたこと、その直後にリゼロが外部への就職を決めたこと、ローナさんがリゼロについていくと言い出す前にと告白ではなく結婚を申し込んだこと。
    「ローナが受け入れてくれて嬉しかった。でも時間が経つ度に俺が先に言ったからいいよって言ってもらえただけなんじゃないかって、リゼロみたいに人より優れてるわけでもないのに俺なんかが選ばれるわけないって思うようになって……」
     何かを成し遂げれば自信が持てる気がした。何か大きいことを成功させれば自分には選ばれる価値があったのだと思えるような気がした。だから村の年配の人たちが天弓草の話をしている時にこれだと思った。伝承の花を見つけて持って帰れば、ローナさんの夫として胸を張れるのではないかと。
    「でも、いざ天弓草を見つけたらこれを持って帰ったらリゼロがいなくなるんだと思ったら動けなくなったんだ……」
     叶うならずっと一緒にいたかった。傍にいて見守ってほしかった。今までみたいに笑ってバカをして穏やかな時間が過ごせたらいいのにと。それを崩した自分が自らの自尊心のために手柄を持って帰るのは傲慢じゃないかと思った。自分が戻らなければリゼロはきっと村に留まる。ローナだってリゼロと一緒になって幸せにしてもらえるんじゃないかと思った。自分なんていない方がよかったんじゃないかと。辛そうに絞り出すアレンさんの前にしゃがみこむ。
    「永遠に不変のものなどありはしません。想いも、立場も、関係も時が経つにつれて変わっていく」
     アレンさんは言葉を発さずにただじっと地面を見つめている。
    「その中であなたはひとつの選択をした。選んだからには責任を取らなければなりません。自分の選択を投げ出さず、やり通さなければなりません。そうでなければローナさんにもリゼロにもあまりに不誠実です」
     リゼロはローナさんをアレンさんから自分に鞍替えさせようなんて気は少しもなかった。アレンさんとローナさんの幸せを心から願っていた。村を出るのだって二人を羨むだけが理由じゃない。自分の力がどこまで通用するのかを試したかったはずだ。村に残る二人は手を取り合って幸せになる。リゼロは後の心配をすることなく、自分の選んだ道を歩いていける。
    「あなたを信頼しているからローナさんを任せた。疑うならリゼロ本人に確かめればいい。その天弓草を持って」
     アレンさんはじっと私を見つめて、それから目の前の虹色の花に視線を移した。陽光を受けて輝くそれの茎に吸い寄せられるように手が伸びる。ぷちりと根元から詰んだ花の周りをいくつもの光が取り囲み、光の粒子を振りかけた。黄金の光をまとって虹色の花が鮮やかに輝く。
    「なるほど、妖精たちはアレンが立つのを待っていたのじゃな」
    「青年の決意を祝福する機会を待っておったのじゃな」
     言葉を失って天弓草を見つめていたアレンさんは一度目を閉じて、それから目を開いて決意を込めるようにグッと顔を上げた。その表情に弱気な陰はもう見えなかった。
    「帰ります、ローナとリゼロの元へ」


     ◆◇


     アレンさんと共に村に帰ると大歓声と共に迎えられた。光り輝く天弓草を手に帰還したアレンさんを皆が口々に褒め称える。はじめ戸惑うように、躊躇うような表情を浮かべていたアレンさんはすぐに笑顔を作り、自分の身に起きた出来事を冒険譚のように語ってみせた。村人たちは大いに盛り上がり、アレンさんに万歳を唱えた。
    「アレン!!」
     声と共に人垣がサッと割れてローナさんが駆けてくる。迷いなくその胸に飛び込んで泣きじゃくるローナさんをどうするか迷った後、アレンさんは彼女を天弓草を持っていない方の手でしっかりと抱きしめた。
    「ごめんな……ただいま」
     それは姿を消して心配をかけたことだったか、その心を疑ったことだったか。そのどちらにせよ、どちらもだったにせよあらゆる覚悟を背負うことを決めた姿に見えた。
     ローナさんの向こう側にいるリゼロを目に移してアレンさんが口を開く。己の行動を悔いるような、許しを乞うような目をして。
    「……リゼロ、ごめん」
    「まったくお前は……ごめんじゃないだろう」
     グッと口を引き結んでアレンさんが目を潤ませるのが見えた。リゼロは仕方のないものを見るよう目でアレンさんを見ていた。その表情は優しくて穏やかだ。……でも。
    「こういう時はありがとうだろう」
     その瞳の奥に見えた感情を読み取れるのはきっとほんのひと握りの人だけなのだろう。



    「リゼロ、忙しいところ悪いんですけど……」
    「ああ、リリーベルさん。大丈夫ですよ」
     作業中の手を止めることには申し訳なさがあったけれど、商会から連絡が入ればすぐに伝えると言っていた以上早めに知らせた方がいいだろう。というわけで書状が届いてすぐリゼロを訪ねてきたのだった。リゼロはアネルさんを手伝って会場の飾りつけをしていた。周囲の人に断って私の所まで来ると人の少ない方へ向かって歩き出す。公にしたくない様子からして村の人達に新しい就職先のことを話すつもりはないらしい。
    「母には話しました。母もいいんじゃないのって」
    「魔女に紹介された怪しい仕事だって疑ったりはしないんですか?」
    「リリーベルさんはそんなことをする人ではないと思いますし」
     お人好しとはまた違った感覚らしい。商会からの返事を見せるとリゼロは私に笑いかける。そことは母のアネルさんが品物を卸したことがあるらしい。評判の良い魅力的な働き口だと賛成してくれたそうだ。
    「出立の日には足を用意するって言ってますけど……」
    「明後日の朝は急すぎますかね」
    「一日も早く来てほしいようなことを書いていたから叶えてくれそうですけど……うん、希望を伝えてみましょう」
    「ありがとうございます」
     急ぎ故郷を離れたいのはアレンさんとローナさんの元から離れたいからだろうか。けれどそれを確かめるのは失礼な気がして代わりにニコリと笑い返した。
    「何でそんなに急ぐのかって思いますよね」
    「それは……」
    「僕、綺麗なままでいたいって言ったじゃないですか。結ばれたあの二人の傍にいたらその内恨んでしまいそうで」
     外に出ることを決めた時から二人に本心は話さないようにしようと決めていたという。アレンさんの話を聞く前から度々ローナさんからアレンさんのことについて相談を受けていたとそうだ。だからアレンさんの想いを聞いた瞬間に旅立つことを決意したのだと。働きに出る話は前々から進めていたから、リゼロにとっては急な話でもなんでもなかった。そのことを誤解させてしまったのは申し訳なかったけれどとリゼロは苦笑する。アレンさんとはまだ話をしていない。夜までに整理をつけてこれまでの話をするつもりだと言っていた。
    「出立の話はされるんですよね?」
    「いいえ。幸せになったばかりの二人に別れの話はしたくありません。……それにきっと、見送られたら惨めな気分になりそうで」
     旅立ちは一人でいいとリゼロさんは言う。全てを置き去りに、新しい自分を始めたいのだと。
    「すみません、リリーベルさんにはわがままを聞いていただいてばかりで」
    「いいえ。……そうだわ、呼び方を改めましょう。これからはリリーと呼んでください。その方が商会でより融通が利きます」
     リゼロはキョトンとした後、ふっと表情を緩めた。
    「ああ、だから僕の呼び名も変えたんですか?本当にリリーベルさんって何者なんです?」
    「商会に大恩を売ってある実績のある薬屋です」
    「なるほど、納得しました」
     二人、顔を見合せてくすくすと笑う。空には晴天が広がっていた。


     ◆◇


     翌日、アレンさんとローナさんの結婚式は村を上げて盛大に行われた。村の広場にはご馳走がぎっしりと並べられ、会場のあちこちにアネルさんの育てた花が飾り付けられていた。ローナさんの手にしているブーケもアネルさんの育てたものだそうだ。花嫁の手から幸運を託されて放られるブーケを手に入れようと、娘さんたちがひしめいている。
    「リリーベルは混ざらないんですか?」
     飲み物を手に隣で首を傾げる賢者様に苦笑いを返す。
    「私は遠慮しておこうかと……そういう賢者様は行かれないんですか?」
    「わたしは自分の幸せよりまずは賢者の魔法使いの皆の幸せかなって」
     照れたように笑う賢者様にふわりと微笑む。欲がなくて仲間思いで本当にいい子だ。みんなを優先して自分のことが蔑ろになってしまわないか心配でもあるけれど。
    「とても賢者様らしいですね」
    「そ、そうですかね……」
     指先で頬を掻きながらへへ……とはにかむ賢者様はとても可愛らしい。ひたむきで一生懸命で好感の持てる子。比べて私は卑屈で意気地がなくて親しむなどとは程遠い。上辺だけの優しさで自分の人となりを誤魔化している。そんな女に幸せなどやってくるわけがない。
     目の前で花束が宙に舞った。乙女たちの手が次々に伸ばされ、やがて歓声が上がった。幸運を手にした女性を囲んで村人たちが祝福の声をかけている。幸せそうに笑う表情はひどく眩しく見えた。私にはもうあんな純粋さも純真さもない。幸せと笑顔に溢れた村人たちがとても遠くに感じられた。



     結婚式から続く宴は夜になっても続いていた。ご馳走でしたお腹を満たし、村人たちの出し物の数々を眺めて、有志によって奏られる音楽に合わせてダンスが始まった。カインに誘われて人々の輪に加わる。久々ではあったけれど、踊り出してみると何とか形にはなった。ほとんどカインのエスコートだったけれど中々に好評で、そこかしこから割れんばかりの拍手をもらった。
    「やるじゃないか、リリーベル」
    「一応中央の国の生まれなので」
     肩を竦めて返すとカインはニッと歯を見せて笑った。一年に百回は踊るという踊り慣れているカインに褒められるのは悪い気はしない。いま一歩踏み出せないけれど興味がありそうなクロエの手を取り、輪に混ざる。最初はたどたどしい様子だったけれど、次第に笑顔になっていく。輪の外で眺めていた賢者様にも声をかけて輪に引き込む。最初は戸惑っていた賢者様も踊る内に慣れてきたようで、楽しそうな笑い声が上がった。
    「リリーさん」
     一通り踊った後に声をかけられる。そこにはリゼロがいた。丁寧に礼をして差し出された手を取る。音楽はいつの間にか明るく賑やかなものから落ち着いた上品なものに変わっていた。手を取り合い、ステップを踏んでくるくると回る。あちこちから溜め息が聞こえた。一曲終わる頃には辺りはしんとしていて、リゼロと礼をすると歓声と共に拍手が沸いた。

     後から後から申し込まれる踊りの誘いを全てこなしきった後、人の輪から外れて集会所の方へと来ていた。外に設えてあるベンチに腰を下ろしてふぅと息を吐く。あんなに踊ったのは久しぶりだった。普段酷使しない足がパンパンだ。遠い昔、仲間と事ある毎に踊っていた記憶を思い返して薄く笑みを浮かべた。あの方も踊りが上手かった。きっと今はもう拝めないだろう光景に苦く笑う。先に捨てたのは私の方なのに。
    「リリーさん」
     夜闇に浮かび上がった陰に微笑みかける。リゼロもあれから何人もの人たちと踊っていた。相手に合わせて踊るのが上手かった。リゼロとなら踊りたいという人が殺到するのも頷けた。
    「先程はお疲れ様でした」
    「それはリゼロも」
     ぽつぽつと話をして、沈黙が落ちる。リゼロはしばらく口を閉ざした後、言葉を発した。ずっと抱いていただろう疑問だった。
    「リリーさんはなぜ僕にここまでしてくれるんです?」
     当然の問いだった。理由がなければ成り立たない厚遇だった。疑問に思わないわけがない。
    「……昔々ある所に……」
     昔々、ある所に幼なじみの少年がいた。成長し、青年になった彼らは暮らす土地が脅かされていたため自警団を立ち上げた。そこに後から加わった娘がいた。娘は二人を慕い、とても仲が良かったがある時リーダーを務めていた方の青年に求婚された。無鉄砲だったけれど明るく前向きで、人を惹きつける魅力に溢れる人だった。
    「娘はリーダーの申し出を断った……その子は物静かで思慮深い、彼の右腕の青年のことが好きだったから」
     娘は右腕の青年を想ったが思いを告げなかった。二人の間にいることが苦しくて、三人の仲が崩れることを気に病んで姿を消した。
    「……その想われていた方が僕だったと」
    「ごめんなさいね、同情のつもりはなかったの。でもあなた達の話を聞いているとどうしても他人事に思えなくて」
     申し訳なさそうに返すとリゼロはふるりと首を振った。何となくそんな気はしていたという。
    「僕を見る時のリリーさんはどこか悲しそうで」
     きっと自分を通して誰かを見ているのだろうと思っていたのだと。その正体がずっと気になっていたのだとリゼロは言う。
    「お二人はもういらっしゃらないんですか?」
    「リーダーは他の人と結婚してもうとっくの昔に亡くなっているわ。好きだった人は今もいらっしゃるけど……」
    「その人に想いは伝えないんですか?」
     考えたことがなかった。伝えようと思ったこともなかった。あの方たちの前から気まずくて逃げ出した自分の弱さ、ズルさ、そしてその後の顛末を思うと自分だけ過去の整理をつけようとするのはきっと身勝手で傲慢で、卑怯だ。自分だけ楽になろうだなんてできるわけがない。今で既にお側にいたいからと建前の理由を盾に魔法舎に居座って我を通しているのに。疎まれるのも迷惑がられるのも当然だ。私はそれだけのことをしている。最初からあの方の眼中にだって入っていなかっただろうに。
    「私にはそんな資格ないですから……」
    「……例え僕にしたことがあなたの取り返せない過去への懺悔だったとしても、僕は確かに救われました。僕にとってはそれが全てです」
     リゼロはそう言って優しく笑った。翳りなどない、穏やかで安らかな微笑だった。信頼と感謝の込められたそれに小さく微笑み返す。
    「あなたは自分のことを悪く言うけれど、僕は優しい人だと思います」
     リゼロの言葉に上手く返すことができなかった。ありがたいとは思うものの、素直に受け入れることができなかった。遠くなる背を見つめ、家々の間に消えていく姿を見送ってから小さく息を吐く。リゼロとの会話の途中から誰かが物陰に潜んでいる気配を感じていたからだった。訓練のされていない、素人のそれ。今も伺うように息を潜めてこちらを見つめている。
    「いらっしゃらるんでしょう、賢者様」


     ◆◇


    「え、なんでわかったんですか?」
    「一時期とはいえ戦場に身を置いていた過去を持ちますから」
     参ったなぁと眉を下げて苦笑を浮かべる賢者様にため息を吐く。賢者様が宴から姿を消したなら魔法使いの誰かが探しに来そうなものなのに、周りには誰の気配もなかった。
    「途端までブラッドリーと来ていたんですが、野暮用を思い出したって言ってどこかに行ってしまって」
     辛気臭い話を避けたんだろうというのは何となく予想がついたけれど、触れないでおいた。取るに足らない弱い魔女の未練のこもった思い出話などに興味はないに違いない。酒の肴になるような話でもないし。
    「どこから聞いてらっしゃいました?」
    「えぇと、リリーベルが革命軍に合流したところから……」
     概ね最初からだった。額に手を当ててため息を吐きたくなるのを抑える。自分の愚かさがわかるからあまり聞かせたくない話だった。自分の行動の全てがそれだったと思われるのが嫌だった。あの時はいくつもの条件が重なって、それしか取る方法がなかったのだと思っているから。……でもそれも、みっともなくて見苦しい言い訳なのかもしれない。
    「今の話が全てではなく、ランズベルグ領のひまわり畑の時にお話しした聖女の役目に追い詰められていたというのも事実です」
     私の言葉に思い至ったようにハッとした顔をして、賢者様は悲しそうな顔をされた。革命軍にいた頃、怪我人の過度な治癒を強要されて精神を病んだというのも紛れもない事実だ。けれど一番苦しんだのは尊敬する人と自分の想いの板挟みになったことだから。

    『リリー、この戦いが終わったら俺と結婚してくれないか』

     どうしてもはいと頷くことができなかった。自分の心を偽ることができなかった。私の想いは私のもので、誰かにどうこうされるべきものではなかったから。その答えが友情と信頼にヒビを入れるものだったとしても、どうしても譲れなかった。
     人間と魔法使いのすれ違いの原因の一つに数えられる出来事だっただろうと今では思う。大局に影響を及ぼしたかはわからないけれど、無関係ではなかったのだと思う。私はあの人の気持ちに応えられないと言った。誰かを想っていることもその相手も伝えなかったけれど、きっとあの人にはわかっていたに違いない。けれどあの時選ぶべき選択肢があったとしても、何度繰り返しても私は自分の心を偽ることはしなかったと思う。それが破滅へと続く道だったとしても。
    「……私はリリーベルのことを責められないと思います」
     ややあってから賢者様は静かに口を開いた。自分の気持ちを押し殺して他の誰かと結ばれるような選択が自分にできる自信がないと。自分の心には正直でいたいのだと。
    「賢者様はお優しいですね」
     気を使わせてしまって申し訳ないと思うと当時に少し救われた気分になった。本当に身勝手なことだとは思うけれど、あの時は誰にも本心を言うことができなかった。聞いて顔をしかめられるのが目に見えていたし、あの直後から人間たちに周りを固められて身動きが取れなくなった。怪我人に治癒を施す回数は日増しに多くなり、死者への手向けも残らず同行させられ、心は軋んでいく一方だった。誰にも助けを求められず、一人膝を抱えて泣いていた。それだけのことをしたのだと世界から責められているような気がした。あの時、賢者様のような人がいてくださったら何かいい方法が浮かんだだろうか。私が唯一縋れたのは革命軍を去る時にフィガロ師匠が残していってくれた置き土産だけだった。
    「あの時賢者様がいてくださったら……何か変わっていたかもしれませんね」
     何気なく言ったつもりだった。笑って話したはずだった。けれど賢者様はみるみる目に涙を浮かべて唇を噛みしめている。そんなつもりじゃなかった。そんな顔をさせるわけでも泣かせるわけでもなかったのに。
    「けん……」
     戸惑いながら声をかけ肩に手を伸ばしかけた時、賢者様に勢いよく飛びつかれて態勢を崩す。何とか転倒は免れたものの、賢者様はこちらに体を傾けたまま私を抱きしめて離さない。肩口でしゃくりあげながら賢者様は私を抱きしめる力を強くしていく。絶対に離すまいとするかのように。
    「辛い時は辛いって言っていいんですよ……悲しいって、苦しいって言っていいんです。わたしでよければいくらでも聞きますから……っ」
     もうそんなに子供じゃありませんよ、そう言うつもりだった。けれど抱きしめられる腕の強さと、温かい体温と注がれる無償の優しさに触れたらそんなことは言えなくなってしまった。私を抱きしめるのは私よりもずっと若くて幼い女の子のはずなのに、頼りになる長年の友人のようだった。そっとその背に手を伸ばし抱き返して擦り寄る。応えるように腕の力が込められる。じんわりと染み込む体温に瞼を閉じた。目の端からは一筋の涙が零れた。
    「……ありがとうございます、賢者様」


     ◆◇


     翌朝、誰も目覚めていない早朝からベッドを抜け出して外に出る。もうすぐで夜が明ける時間帯だった。同室の賢者様はまだ夢の中だったし、他の仲間も昨日は遅かったようだからすぐには起きてこないだろう。
     朝の澄んだ空気を肺いっぱいに吸い込み、大きく息を吐き出す。気持ちのいい朝だった。のどかな村の中をゆっくりと歩き、辿り着いたのは街道へと続く道だった。村のすぐ近くを通る街道の所まで到着すると、置いてあるベンチに腰かける。大きく息を吐いて、それからあくびをひとつ。空は段々と白み始めて太陽が登ろうとしていた。
    「やぁ、参ったな。早いですねリリーさん」
     私を見つけるなり苦笑を浮かべたのはリゼロだった。大きな鞄を手から提げた彼は出立の装いをしていた。彼の見送りをするためにここまで来たのだった。
    「余計なお世話だったかしら」
    「いえ……なんていうか、何となく見送りに来てくれるような気がしていました」
     肩を竦めてみせるリゼロに機嫌よく笑う。ひとりきりの出立なんて追われているみたいで悲しいじゃないか。見送りの一人や二人いたって文句を言われることはないだろう。
    「やっぱりリリーさんは優しいですよ」
     そう言ってリゼロは笑う。陰のない、朗らかな笑顔だった。
    「何から何まで面倒見てもらってしまって、甘えっぱなしで申し訳ないです」
     面目なさそうに苦笑するリゼロに出世払いだと思ってほしいと告げると彼は明るく笑った。恩返しのために頑張らなくてはとやる気を見せるリゼロは頼もしい。
     馬車の近づく音が聞こえる。どちらともなく席を立った。鞄を手にしたリゼロが私に向かって手を差し出す。
    「ありがとうございました、リリーさん。あなたに出会えたからアレンとローナは幸せに暮らせるし、僕も新たな門出を迎えられます」
    「新しい環境で大変なことも多いと思うけれど……あなたの努力が実を結ぶことを祈っているわ」
     手を握り握手を交わす。この先の人生を見つめるリゼロの瞳は希望に満ちていた。これからリゼロは彼だけの、彼のための人生を歩むのだ。
    「母にリリーさんへのお礼を預けています。よろしければ後で受け取ってください」
    「えぇ、ありがとう。必ず後で寄らせていただくわ」
     馬車が目の前に停る。荷台に乗り込んでリゼロが頭を下げる。ゆっくりと出発した時、村から駆けてくる人影があった。リゼロの名前を大きく呼びながらその人達は街道へと駆け出してくる。
    「リゼロ!」
    「リゼロ……ッ」
     アレンさんとローナさんだった。二人は息を切らして、すがるように馬車を見つめている。馬車は止まらない。リゼロが戸惑ったようにこちらを見つめていた。誰が彼らを……と村の方を振り返ると賢者様とカイン、クロエの姿が見えた。その後ろにスノウ様、ホワイト様とブラッドリーさんの姿も見える。賢者様と若い魔法使い達もアレンさんの後を追ってこちらへと走ってくる。
    「いつでも!いつでも帰ってこいよ……!」
    「私達、リゼロのこと待っているから……っ」
     アレンさん達の呼びかけにリゼロは瞼を閉じた。目を開いた彼は晴れやかな、吹っ切れたような顔をしていた。
    「さようなら、君たちのことが大好きだよ!」
     荷台から身を乗り出して大きく手を振るリゼロの顔には笑顔があった。アレンさんもローナさんも涙をこらえつつ笑顔を浮かべて手を振り返している。
     後から追いついた賢者様たちもそれぞれリゼロさんにエールを送り、手を振っていた。馬車が遠くなっていく。見えなくなるまでリゼロは荷台からずっと手を振っていた。



     私が抜け出したことは北の魔法使い達に感知されていたらしい。ちょうど早起きだったカインが外に出て見回っていると鞄を持ったリゼロの姿を見つけた。その話を伝えると、賢者様がアレンさん達を呼んでリゼロを見送りに行こうと言い出したらしい。リゼロは誰にも言わずに旅立つつもりだったろうけど、あの吹っ切れたような笑顔を見る限り、皆に見送ってもらえて心の整理がついたのだろうと思えた。
    「すみません、私この後寄るところがあって……長くなるかもしれないので皆さんは先に魔法舎に……」
    「いえ、リリーベルを待ちます。私もまだ見たい所がありますし、一緒に帰りましょう」
     笑いかけてくれる賢者様に微笑み返す。他の魔法使い達の様子も伺うけれど、皆異論はないようだった。なるべく早く済ませますと言い置いてリゼロの家へ向かった。

    「いらっしゃい、待ってたよ」
    「リゼロは元気そうに旅立ちましたよ。アレンさんとローナさんも見送ってくださって」
     アネルさんは目を丸くして、それから少し心配そうにリゼロの様子を尋ねた。
    「笑顔で手を振っていましたよ」
     今後この村に戻ってくるかに関しては保証はできないけれど、確かに全てにケリをつけたような晴れ晴れとした顔だった。
    「一人で静かに出て行くから見送りはいらないって言われたけど……あんたは行ってくれたんだね」
    「私が声をかけた以上、付き合うのは当然ですよ」
    「そうじゃなくてもあんたは見送ってくれただろうさ」
     アネルさんの確信したような声を前にちょっと肩をすくめるに留めた。自分でもちょっとそんな気がしたからだった。アネルさんは私をリビングのテーブルへと案内し、お茶を淹れてくれた。心のこもった優しい味だった。アネルさんはどこかへ行、戻ってきた時その手には紙袋が提げられていた。それを目の前に置かれる。これがリゼロの言っていたお礼だろうか。紙袋を引き寄せて中身を確認すると、目が覚めんばかりの山吹の花々がこちらを見ていた。
    「これ……っ」
    「ベルソニアの花束だよ。あんたにいいことがあるようにってあの子が」
     昨日早々と宴の席を切り上げて家に帰って作ってくれたらしい。アネルさんが帰ってきた時には完成していて、明日私に渡してほしいと頼まれたのだと。花嫁のブーケより余程必要だからと言っていたそうだ。昨日あんな話をしたからだろうか。
     リゼロの気遣いに感謝してそっとほほ笑む。リゼロだって大概優しい。こんな私のために幸運を祈ってくれるなんて。
    「……あの、アネルさん。お願いがあるのですが……」


     ◆◇


    「あ、来た来たリリーベル〜っ!」
     紙袋を手に提げて賢者様達のところに戻るとクロエが大きく手を振っていた。勢揃いした賢者様と魔法使い達の手にはアイスクリームのカップが握られている。爽やかな黄色が目に眩しい。
    「シィピィを使ったアイスだってさ。酸味があって美味いぞ」
    「シィピィってこの間リリーベルが買ってきてくれてましたよね」
    「うむ、ネロがこの間ジュースにしてくれたやつじゃな」
    「疲労回復に効く飲み物じゃったな」
    「ああ、あれもか。悪くなかったな」
    「皮はネロから引き取ってお薬にしている最中です。完成したら皆さんの任務のお供にできますよ」
     クロエからアイスクリームを受け取り、口に運ぶ。スッキリとした甘さと爽やかな酸味がマッチして美味しい。
    「リリーベル、その紙袋はどうしたんですか?」
    「ああ、これはリゼロのお母様のアネルさんからいただいたんです。今回のお礼にって。皆さんにってシィピィの実もいただきましたし、アイスクリームのレシピもいただけましたから帰ったらネロさんにお願いしてみましょうか」
     ネロさんの手作りアイスの言葉に歓声が上がる。賢者様が私の傍まで来て紙袋をそっと覗き込んで小さく感嘆の息を吐いた。
    「かわいいお花ですね……」
    「ベルソニアという花なんです。門出や幸運を祈る時に贈られる花だそうですよ」
     へぇ……と花を眺める賢者様の横からクロエがひょこりと顔を出す。花を見ると楽しそうな声が上がる。
    「ほんとだ可愛い!今度作る時参考にしたいかも!」
     魔法舎に帰ったら部屋に飾るからいつでも訪ねてきていいですよと笑いかけるとクロエが満面の笑みで返事をした。



     魔法舎に帰って一息ついた頃、早速クロエが部屋に訪ねてきてベルソニアのスケッチをしに来た。山吹色のベルの形をした花は揺れる度に音が鳴りそうに見える。鈴なりに咲く姿は圧巻の一言だった。
     クロエは前から見たり横から見たり様々な角度から覗き込んでは手元のスケッチブックに書き込んでいる。完成してから見せてもらうと見事な出来栄えだった。
    「すごいですねクロエ……!そっくりそのまんまで」
    「えへへ、ありがと!素敵だから頑張っちゃった!」
     それまでクロエとゆっくり話すことはなかったから初めての機会にめいっぱい話をした。笑い声と笑顔の溢れるティータイムだった。お茶を飲み終えて帰っていくクロエを見送って、机の下に隠すようにして置いていた紙袋を取り出す。持って帰ってきた紙袋から中身を移し替えた小さな紙袋。そっと抱きしめてから取っ手を指と指の先で摘む。廊下に顔を出して誰もいないことを確認すると足音を立てないように目的の部屋を目指した。

     扉の前に到着してもノックをすることができなくて俯く。突然訪ねてお土産を渡すなんて間柄じゃないことはわかっていた。わかっていたはずだった。でもどうしても渡したくて、意味なんか伝わらずとも受け取ってもらえたらいいなと思っていた。でも面と向かって渡そうとして、いらないと跳ね除けられてしまったら。迷惑だと言われてしまったらと考えると怖くて扉を叩くことができなかった。ここまで持ってきてしまった手前、自室には引き返したくない。でも拒絶を返されたら立ち直れる気がしなかった。
     しばらく迷った挙句、ドアノブに紙袋の持ち手を引っ掛けて提げておくことにした。これなら処分されてもきっと目にすることはないだろう。誰よりあなたに渡したかった。言葉にできなくても自分の祈りを伝えたかった。幸せは望んでなくとも、少しでも心穏やかに安らかな時間が過ごせますようにと。そっと扉に手を這わせて額をこつりと触れ合わせる。瞼を閉じて小さく、呟くように名前を呼ぶ。
    「……ファウスト様………」
     あなたにひとつでも多くの幸がありますように。





     扉の前に気配を感じる。感じるが部屋に入ってくる様子はない。長い間そうしているから何か用があったのかと思ったのだが。
    「……リリー?」
     名を口にするが向こうに聞こえるわけがない。元よりそのつもりだった。当然扉の向こうのリリーが応えることはなく、その内気配が遠ざかっていく。
    (なんだったんだ……)
     とりあえずドアを開けて廊下を確認するが、当然リリーの姿はない。ドアを閉めようとしてドアノブに何かがかけられているのを見つけた。ひとまずそれを外して部屋の中に戻る。中には小さな花束が収められていた。
    「……山吹色の花?」
     それは見たことのない、リリーが好きそうなかわいらしい形をした花だった。
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    mgn_t8

    DONE「これは人の弱さと醜さのお話です」
    そう言ってリリーベルが語り出したのは痛みに満ちた過去だった。自分は聖女と呼ばれるべきではないというリリーベルの真相と本心とは。
    リケとの衝突で明かされる革命軍時代にリリーベルが背負った罪の話。
    その決意は幾千の日没を越えて 人形師の魔法使いのグランヴェル城襲撃後、怪我を負った賢者の魔法使いの回復のために治癒の魔法を使った。フィガロ先生の魔法に重ねがけをする姿を見た誰かにより、建国の聖女が再降臨したと噂が広まった。別に隠していたわけじゃない。ただ黙っていただけ。いつか知られることだろうと思っていた。それがわかった時、どういうことになるのかもわかっていた。……わかっていたはずだった。



    「リリーベル、見つけましたよ。今日こそあなたのお話しを聞かせてください」
     魔法舎内での細々とした仕事の合間にちょこちょこリケが話しかけにくるようになった。彼はとある教団で神の使徒として育てられてきた。人間に都合よく利用されるその姿に思うところはあるけれど、本人への刷り込みが強固なことと、それほどまで親しくないためにこれまで積極的に関わろうとしてこなかった。使命に熱く信心深いリケの熱量についていける気がしなかった。
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    mgn_t8

    DONE2024年ジュンブライベント。

    リリーベルが薬品の素材集めに訪れた村では結婚式を挙げるはずだった新郎が姿を消したまま帰ってきていなかった。新婦と彼女たちの幼なじみだという青年の依頼を持ってリリーベルは魔法舎に帰るが……

    「私があの子だったら、貴方を選んでいたのに」

     それは好きの気持ちを口にできなかった者たちの奏でる切ない叶わぬ恋の物語。
    門出と追想のカノン 疲労回復に役立つシィピィの実が豊作だと情報を仕入れて買い出しに来ていた。東の国寄りの中央の国の村。名をシピールという。果実を絞ってジュースにしてもいいし、皮を乾燥させて粉にしてしまうのもありだ。どんな風にして使おうかと考えながら歩いていると、お花屋さんの前を通った。店先には色とりどりの花が並べられていて、見ているだけでもとても楽しい。あいにく魔法舎には花よりも食べ物の方が喜ぶ面々が圧倒的に多いのだけど……自分用に小さいものを買って帰ってもいいかもしれない。前に賢者様は見るのは好きだけれど、世話をするとなると枯らしてしまうと言っていたから別のものの方がよさそうだ。端から順に花々を眺めていると、店の端の方で立ち話をしているご婦人たちの話し声が聞こえてきた。
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    mgn_t8

    DONE診断メーカー「三題噺」より
    「不機嫌」「言い訳」「昼下がり」
    フォロワーさんとワンドロ(+5分)

    リリーが魔法舎に来てすぐ後くらい。ファウスト語りで主にファウスト+レノックス。リリーはチラッとな革命軍組の話。
    胸に隠したそれは 再会してからずっと気になっていることがある。レノックスのリリーに対する呼び方だった。昔は敬称付けでリリーベル様と読んでいたが、今はリリーと愛称で呼んでいる。ここに至るまでどんな経緯があったのかは知らないが、共に南の国から魔法舎にやってきて親交もあったというから僕の知らない間に親しくなったのだろうということは考えなくても分かる。分かるけれど、レノックスとリリー、時にはフィガロを加えた三人の様子を見ていると胸の奥がざわりと騒ぐのを抑えることができなかった。

     ある日の昼下がりだった。東の魔法使いたちの午前の実地訓練を終えて食堂で皆で昼食を取った後だった。図書室で今後のカリキュラムを考えようと足を向けた時だった。廊下の向こうから歩いてくる人影を認識した瞬間、口を引き結んだ。レノックスとリリーだった。和やかに会話をする姿は親しみに溢れていて信頼に満ち満ちていた。未だここにいる魔法使い全員に慣れていない様子が窺えるリリーの朗らかな笑顔が向けられているのは微笑を浮かべたレノックスだった。何となく彼らから視線を逸らして黙ってそのまま歩を進める。
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