その名はドロップ1 魔法舎の中庭にはよく猫が来る。
「あら、今日も来たんですか?お天気が良くて日差しが気持ちいいですね」
のんびり日向ぼっこをする姿に思わず声をかければ間延びした鳴き声が返ってくる。大口を開けて欠伸をする姿はのどかで微笑ましい。近づいても逃げる気配はないし、随分と人馴れをしている。だからといって誰かの飼い猫というわけでもなさそうだ。元より動物に好かれやすい体質ではあるけれど、こんなに気を許されるのも珍しい。
「もう先に誰か構ってくれる人がいるのかもしれませんね」
そっと手を伸ばして体を撫でる。その猫は気持ちよさそうに目を細めて受け入れていた。
その後賢者様をはじめ何人か猫に構っているのを見かけて人馴れしているのはそのためかと納得した頃だった。掃き掃除をしようとしていたところ、中庭の噴水に腰掛ける人影を見た。猫たちがじゃれついているその人は普段の人を寄せつけない雰囲気などどこかに置いてきたような穏やかな顔で猫の頭を撫でていた。
(ファウスト様……)
擽ったそうに身を捩る猫に笑いかけ、気の抜けた様を見ているとせっかくの休息の時間を邪魔するようでそっとその場を離れた。
それからも何度かその場面に出くわし、都度その場を離れる私を誰かが見ているような気がした。じっと物言わぬ視線の先を辿ると一匹の猫がいた。綺麗な毛並みの穢れのない真っ白な猫だった。どこか気品と風格のあるような猫がただじっと私のことを見つめている。
(なんだろう……あの子とはそんなに関わりもないはずなのに)
こちらから見つめ返すとその猫はツンと顔を背けてファウスト様に甘えるように擦り寄った。優しく撫でる手を気持ちよさそうに受け止めている。さっきまでの凝視が嘘だったかのような態度に首を傾げる。
(よくわからない子……)
疑問符を浮かべながら他の仕事に取り掛かろうとその場を離れた。
しばらくする頃、遊びに来る猫たちとは大方仲良くなれたけれど、件の白猫だけはいつまで経っても慣れてくれなかった。こだわりが強いのか、こちらを一瞥するだけで鼻を鳴らしてそっぽを向かれてしまう。賢者様にこの子の話をしたら、私も懐いてもらえないんですとちょっと残念そうにしていた。
「せっかくの美人さんなのになぁ」
と心底ガッカリした様子の賢者様が可愛らしくて思わず頭を撫でてしまったら、キョトンとした後に気の抜けた笑みを浮かべて自分が猫だったら私に撫でてもらいにいくのになんて仰るからおかしくなって二人で顔を見合せて笑ってしまった。そう、きっと私も猫だったら賢者様に甘えに行くだろうなと思う。そんなことを考えながら猫たちと戯れていた時だった。
「やはり君は動物に好かれるな」
降ってきた声にハッと顔を上げるとファウスト様がいらっしゃった。当返答しようか迷っている私の前でファウスト様は噴水の縁に腰掛ける。任務先から帰ってらしたのか。ファウスト様は賢者の魔法使いの任務でここ数日魔法舎を空けていた。待ち侘びたように猫たちがわっとその足元に群がる。わかっていたけれど大層な人気ぶりだ。私から距離を取っていた白猫も優雅に歩み寄ってくると当たり前のようにファウスト様の隣に陣取った。ピタリと体を寄せて甘えたようににゃあと声を上げる。
おねだりに応えて顎の下を擽る手にうっとりとした顔を見せて、手が離れると私をちろりと見下ろすと軽く鼻を鳴らした。それで思い至る。ああ、この子。
(ファウスト様が好きなのか)
だからその周りをウロウロする私と賢者様に懐かなかったんだ。素知らぬ顔で手を舐めている猫に小さくふっと笑む。いいなあ、この子は遠慮なく大好きなファウスト様のお傍にいられるのか。何のしがらみもなく当然のように寄り添えるのか。そう考えると羨ましくて、ほんの少し寂しい。愛しい人の傍に寄り添えるならその時間は大切にした方がいい。邪魔者は退散すべきだ。スっと立ち上がる私にファウスト様が声をかける。
「邪魔をしたか」
「いえ、そうではなくて……溜まっている他の仕事をそろそろ片付けなくてはと思いまして。ファウスト様はお疲れでしょうから、どうぞゆっくりしてらしてください」
ぺこりと頭を下げて背を向ける。白猫の丸いスプリンググリーンの瞳がじっとこちらを見つめているのを感じながらその場を去った。