想うレコード、永遠に炭鬼舞新刊『My Sweetie』後日談
~想うレコード、永遠に~
これだけ押さえておけば問題なく読めます!
・転生&現パロ
・炭治郎十二歳、月彦十五歳の時から交際
↓
炭治郎二十六歳、月彦二十九歳の時に婚約(新刊ココ)
・月彦の髪は肩過ぎくらい
・月彦は孤児だけど育ててくれた兄・耀哉と巌勝と縁壱のことを家族だと思っている
・炭治郎からのプロポーズの贈り物は月彦の宝物
* * *
月彦が炭治郎と婚約して、一週間が経過したとある土曜日。
午前七時、ベランダの鉢植えと観葉植物の世話を済ませた月彦は、湯を沸かしパンをトースターに入れ、寝室ですやすやと眠っている婚約者を叩き起こしに行く。まだ夢の中で月彦とチョコレートフォンデュを浴びているから待って、なんて言われても無視。引き摺るように彼を洗面所に連れて行き容赦なく冷水をかけ、椅子に座らせてワックスで寝癖を直してやる。同棲開始から三年以上経過しているだけあり、朝の炭治郎の扱いは極めて雑である。もちろん愛と信頼故に。
朝食のバターロールにスクランブルエッグとレタスを挟みながら、月彦はまだ寝惚けている炭治郎のことを呼んだ。
「んー……どしたの、月彦」
「炭治郎、私な。さっき思ったんだが」
「さっきって?」
「お前の寝癖を直している時だ。ああ、今日も元気に広がっていたな」
「リビングの観葉植物みたいって笑ってたろ……それで?」
「私、髪を切ろうかと思うのだが」
ゴフッゴホッ。炭治郎が口に含んでいたダージリンの紅茶を吹き出し、気管に入ったのか派手にむせた。その反応に月彦もびっくりしつつテーブルを綺麗にし、青いガラス製の水差しから水を一杯彼に渡した。
「はあ……ごめんごめん、ありがと」
「大丈夫か?」
「なんとかね。……それで、髪切りたいんだっけ?」
「ただの思い付きだが……もう切っても良いかと思ったのだ」
月彦はバターロールを飲み込み、紅茶のカップを上品な手つきで持ち上げ表面を見つめた。
「元々、無惨の特徴を少しでも消すために伸ばしていただけだしな。炭治郎が無惨を内包した私だから好き、と言ってくれたから……もう逃げも怯えもしなくて良いのではと」
「なるほどね。受け入れて、吹っ切れるためっていう意味ではいいきっかけになるね」
「まあ二十年以上長いままだったから、愛着がないわけではないがな。炭治郎はどう思う?」
「……俺は……俺はっ……」
「俺は?」
「正直言うと……切らないでほしい!!」
「ほう、そうなのか」
申し訳ないやら居たたまれないやらで、炭治郎がワーッと両手で顔を覆った。何やら必死な様子を察し、月彦はプロポーズリングが嵌められた指でキャンディチーズを剥き、炭治郎の口元へと差し出した。ちなみに先日買いにいった正式な婚約指輪は、来月以降に届くことになっている。
「ほれ、炭治郎。あーん」
「あー……ん。……むぐ……なんかごめんな? でも月彦がそうしたいなら俺は止めない。月彦の気持ちを大事にしたい」
「ふむ……それは嬉しいが、何故切ってほしくないのだ?」
「えっ……と……それはですね……」
急に敬語。目を逸らし苦笑いで頬を掻く炭治郎に、月彦は呆れの溜息を吐く。
「炭治郎。私の髪好きか?」
「それはもちろん!」
「切ってほしくない理由、何故歯切れが悪い? 何か疚しいことでも?」
「そ゛っ……そんなこと、ないヨ!?」
「……ぶっさいくな顔だな、相変わらず」
いつもは凛とした自分好みの顔なのに、とは話が違う方向へ行きそうなので言わない。
嘘が吐けない炭治郎はうめき声を上げながら項垂れ、マスタードを満遍なくつけたウインナーをもそもそと食べ始めた。月彦はケチャップ派だが、彼はマスタードを多めにつけたがる。口の周りを真っ黄色にするまで塗るのは、子供の頃からちっとも変わっていなくて呆れるほど可愛らしい。月彦は甘やかに瞳を細め、ティッシュでそれを拭ってあげる。紅茶のおかわりもいれてあげ、角砂糖を一粒落として丁寧に掻き混ぜる。
「ありがと、月彦」
「朝の炭治郎はてんで使い物にならんからな」
「あはは……どうにも朝弱くてさあ。九時半過ぎるとやっと起きられるんだけど」
「いつも言っているが、休日はゆっくりして構わんぞ。無理に私の起きる時間に合わせずとも」
「それこそいつも言ってるけど、月彦と一緒に食べないと美味しくないから。だからこれからも叩き起こしてほしい」
真剣な眼差しを改めて向けられては、月彦は頷くしかない。
「それに月彦、俺の世話するの好きでしょ」
「はあ? 頭沸いてるのか貴様。誰が好き好んでゴリラマッチョなお前をベッドから転がり落として洗面所まで引き摺るか」
「婚約してもツンデレは絶好調だね」
月彦の素直じゃない表情と感情を眺めつつ、林檎のコンポートのように甘い匂いを嗅ぐのが、炭治郎の日々の楽しみである。さっきまで慈愛をもって世話をしていた自覚があるだろうに、足を組みツンとした顔はまるで仕方なくやってあげているとでも言いたげだ。炭治郎はにんまりとした口角でダージリンティーに息を吹きかけ、ゆっくりと味わった。
朝食が終わり、二人でソファに座ってしばしくつろぐ。次の連載のプロットを紙に出していた月彦が、あっと小さく声を漏らし手を止めた。そして眉を吊り上げ炭治郎の左頬をぐにーと引っ張った。
「おい」
「いひゃいよーひゅきひこ」
「私の髪の話はまだ終わってない。何なのだ、切ってほしくない理由とは」
「えおっとねー」
月彦が指をバチッと弾いて続きを促す。炭治郎は赤くなった頬を擦りながら、開き直ったような目をして月彦の黒髪を掬い撫でた。
「綺麗な髪がベッドに広がってるの、すごくエロくて興奮するから。だから切らないでほしいなって」
「…………は?」
「月彦が俺の世話するのが好きなのと同じで、俺も月彦の髪洗うの好き。髪洗ってあげるからって言うと、大抵のお願いきいてくれる月彦がチョロ……こほん、可愛いし。禰豆子が遊びに来た時いつもヘアアレンジされてるの、あれ見られなくなるのも寂しいし……あ、あとうなじが垣間見えるのが……」
「…………」
想像以上に疚しい理由のオンパレードで、月彦は哀しみに頭を抱えて蹲った。
「何故私はこんな奴と婚約してしまったのだ……そうだ、耀哉……実家に帰ろう……」
「え、泣くほど嫌だった? でも正直に言った方がいいだろ?」
「……うん……それは、まあ……」
「それでも、それでもこれは月彦が決めることだからっ……! 俺はお前の決断を応援する! 無惨の頃の長さに戻しても、どんな姿でも、俺は月彦を愛してるからな!」
「そ、そうか……」
これを切ったら、本当の意味で無惨である過去を受け入れられるかもしれない。けれどどこか躊躇いのような違和感が消えないのは、それ以上に優先する何かがあるからなのだろうか。
「……無惨であった過去……、月彦としての人生……」
首にかかる短い髪は鬼舞辻無惨を、背中を覆う長髪は嫌な思い出しかない人間時代の姿を彷彿とさせる。どちらの姿を想像しても月彦の中でしっくりこない。月彦は自身の髪をサイドに流し、くるくると指に巻き付けて考える。そしてハッと気づく。この肩から胸辺りの長さに込められているのは、無惨を創っていた哀しみではない。むしろ逆で。
「……炭治郎との記憶、そのもの……」
「ん?」
「決めた。もう少しこのままでいることにする。切ったらお前の性癖がまた歪みそうだ」
「歪んでないよ、普通だよ……でも分かった。俺としては嬉しいけど、また心境の変化があったら言ってな」
「ああ、ありがとう」
触れ合うだけのキスを交わせば、廊下の奥で洗濯の終わった音が鳴った。月彦は立ち上がりながら髪を後ろでキュッと結わえ、家事の段取りを頭の中で思い浮かべる。
「やっぱり似合うよ、その髪型」
「うなじが見えるからか」
「それもあるけど……出逢ってからずっとその髪型だったから、月彦らしいっていうか。もうとっくに、お前のチャームポイントになってるんじゃないかな」
「あっはは。炭治郎が言うなら、そうなのだろう。……私は洗濯をする、炭治郎はリビングの掃除機かけておいてくれ」
「任せて、月彦」
過去を乗り越えるよりも、過去ごと自分を抱きしめてくれた彼とのレコードを、大切に守りたい。月彦は自分で決めたそれに、胸のすく思いがした。
心晴れ晴れ、いつも通りの朝。
カーテンから射し込む澄んだ陽光を受け、チェストの上に飾られている青いダズンローズと二十年前の指輪がキラキラと輝いていた。
おしまい