祝われない朝露は光の夢を見る『命をもって償え』、それが神様から無惨様に与えられた罰。鬼への恨みを宿す人間に殺され、また生まれては殺されて、また生まれては死んで、人間の傷を刻み続ける。恨みの数だけ終わらない罰の人生。
親も配下も味方もいない、抗う力もない、生きる理由も生きて良い理由もない。あるのは命を捧げて死ぬ理由だけ。
自分さえいなければと全てを諦める無惨様の前に、これまで理通り恨みに従っていた炭治郎が現れるが、彼は今までとは異なる行動に出る。
***
七夕祭りで用意されたカラフルな短冊の中から赤色を選び、ペンのキャップをゆっくりと外した。
いつか。
何百万回も死んで罪を償って、
もしも神様が、
もう一度人間として生を受けることを赦してくれるならば、
私はお前の傍にいたい。
ただ傍にいて、手と手を繋いでいたい。
不滅よりも困難だろうが、それが私の夢。
いつか。
いつの日か。
きっと。
―いつか夢が叶いますように―
一文字一文字丁寧に書き、左下に月彦とサインをする。
間違いがないか確かめてから短冊を裏返し、その面の左下にもペンを伸ばし、こう小さく残した。
鬼舞辻 無惨。
~~祝われない朝露は光の夢を見る~~
第一話 イレギュラー
こんにちは、竈門炭治郎です!
先月高校一年生になったばかりで、最初は緊張していたけど大分クラスにも馴染めてきました。ちなみに来週運動会。リレー頑張るぞ!
勉強は率直に言って苦手です! スポーツの方が得意! でも運動会後の高校生活初の中間テストで赤点は色々マズいので、なんとか平均の上取れるように頑張るぞ! がんばるぞ~!(エコー)
それより! 今俺は大変なことになっています!! あーもうなんでこんなことに!!
「……はあ、はあッ……!」
「ま、て……、……ッア、はぁ、は……!」
「くそっどこまで追ってくるんだあの人! おい早く!」
「……ぐ、も、ぅ……かはっ………………」
ガクンッ! ズシャア!
引いていた手首が下へ消えた。慌てて急ブレーキをかけて振り返ると、黒髪の彼が歩道にうつ伏せに倒れ込み、ゴホッゴホッと尋常じゃないほど咳き込んでいる。血でも吐くんじゃないかってくらい苦しそうだ。あと多分倒れ込み方からして両膝擦りむいてる。
本能は救急サイレンをピーポーピーポーと大ボリュームで鳴らして携帯を出せと言っているのだが、如何せん俺は混乱している――のでとりあえず抱き上げた。
「いやかるっ! え、お前大丈夫か臓器ちゃんとある!?」
手に持っていたらしいこいつの日傘まで抱えられないから放置でいっか。いざレッツゴー。
「っは……最初に聞くのが、それか……。一応あるぞ、大して使い物にならんがな……けほっ……」
「えええ嘘だろ……「待ちやがれこの鬼がアアアーー!! 夫の仇ィ!!!」……やばっ早く逃げないと!」
「……よい……捨て置け……」
「は!? こんな往来でお前をほっぽり出して俺だけ逃げるなんてできるか! そんなの卑怯者のすることだし第一目覚め悪いだろうが! この馬鹿野郎!」
信号は青、家までもうすぐだ急げ、長男炭治郎頑張れ!
完全に羽毛で構成されてる中身スッカラカンな彼から、「これまで出会い頭に容赦なく首絞めてきて今更何だこいつ」って引いてる匂いがしてるけど、今は構っている場合じゃない。
早く安全な所へ、足を止めずに人混みを掻き分けて逃げ切ることだけ考えないと。
だって後ろからキーキー甲高い声で「お前さえいなければぁァアア!!」「早く死んで末代まで呪われてしまえ鬼がァー!!」とか叫んでる女の人が迫ってきてて怖いんだ。
そりゃもう、バスから降りて信号待ちしていたら、まさに運命の再会みたいに反対側に黒髪と紅い猫目の背の低い男を見つけてしまったショックをいとも簡単に更新するほどに怖い。
ちなみにザ・鬼の形相のその女性は、混乱した俺が「アレどこからどう見ても鬼舞辻無惨ですよね!?!?」と話しかけそうになっていた人(普通のオフィスカジュアル着てた多分普通の会社員)なだけに、恐怖倍増である。
豹変、ダメ、絶対。誰か早く通報して。
「おい無惨、なんであの人急におかしくなったんだよ! 明らかにお前狙いじゃないか!」
「鬼への恨みを、魂に焼き付けた人間は何千、何万といる……だから、……それを晴らそうとしているだけに、過ぎぬ……」
「つまり潜在的な恨みがお前を見た途端爆発したってことか!? 滅茶苦茶だそんなの!」
そう、俺が無惨を見つけて隣の女性に話しかけようと顔をそちらに向けた時点で、その人の様子はおかしかった。
あまりに血走った眼で無惨がいる方向を凝視しており、嫌な予感にゾッと背筋が震えて無惨を振り返ると、これまたゾッとするほど冷静な面持ちでその場に立っていた。
おおおおい待て待て。なんで逃げない。なんでスンッとしてるんだ、いつもの血管バキバキに浮き出てる瞳孔ガン開きの顔はどうした!? 俺が毎日使うバス停前の信号で殺人事件起こそうってんじゃないだろうな!? このままじゃ殺されるぞ!!
『ッ逃げろ、無惨……!』
まるで俺の声がスタートの合図だったように、ぐぐっと足を引いた女性は耳障りな唸り声を響かせて信号を駆け出した。
一瞬、さっきまでは感じなかった濃い血の匂いがした。呪いや怨念の類の匂い。
このままじゃ無惨が死ぬ、あいつが殺される。そうはっきりと確信した。
チカチカと点滅する、彼岸と此岸を隔てるような青信号。横に曲がりたい車が焦れて白線にジリジリと近づく。走り迫る女の髪が朱に染まった生温い春風に逆立って。図ったような薄雲り、表情一つ変えない無惨。スローモーションみたいに動く世界で俺の本能が、鬼殺隊の頃(あのころ)のように日を噴く。
全速力で走れ――炭治郎。
謎の焦燥に背をドンッと押されるまま駆け出して女性を追い越す。そして不思議そうな顔して俺を見ていた無惨の手首を思い切り引っ掴み、彼の進行方向とは逆(つまり俺の帰り道)に走った。
『ぇ、おい……?』
『このッ……馬鹿野郎!』
どうして無惨を助け、何にこんなに苛立っているのか分からないまま、俺は無惨を掴む手に力を込めた。転ばないよう。離さないように。
そして冒頭に戻るのである。
「……覚えがある、はずだがな……ゴホッ、、は……!」
「無惨! 大丈夫か!」
ドタバタと絵面含め喧しい俺たちを道行く人は変な顔して避けつつも、好奇の視線を背中に刺すことは忘れない。
確かに夕方四時半過ぎに高校生が明らかぐったりしてる男(ヤダ美少年~とか声が聴こえたけどこいつ中身最悪ですよ騙されないで)を抱えて全力疾走していれば、それは目立つに決まっている。
俺明日からどんな顔してこの商店街通ればいいんだ。一番近い通学路だし実家すぐそこだぞオイ。
「炭治郎くん頑張れ~!」
「病気の子助けるなんて偉ぇな~。あぁ、学校の友達か?」
「炭治郎くんそのキレーな女の子あとでちゃんと紹介してねぇ~」
肉屋のおばさん、応援ありがとう!
八百屋のおじさんとその奥さん、こいつは友達でもなければ彼女でもないですよ!
「私は男だ…………」
「ぶはっ!」
ぼそっと至極不服そうに呟いた無惨に腹筋が死んだのと、実家の弁当屋の戸を壊す勢いで滑り込んだのはほぼ同時だった。
***
「…………」
「…………」
真っ白な色をした喉が上下する。
普通の人ならゴクゴクという音がするものだが、この男はお育ちが良すぎる。渇き切っているだろうに潤っている音が一切しないし、コップを持つ手の形や指の先まで透き通っているように繊細で美しかった。
淡い梅色の小さな唇に滴る水の雫を爪先で拭い、多少休まったのかそっと吐息を部屋に溶かした後は、蔦みたいな模様のベストとシャツの裾を丁寧に直している。
こいつはいつからお淑やかで清楚なお嬢様キャラになったんだ?
「……さて。世話になったな、礼を言う。私はそろそろ失礼する」
「いやいやいやいや待て待て、待て無惨、お前一体何なんだ何があった、ていうかまず道知らないだろどうやって帰るんだ……だから待てってば! また襲われたらどうするんだよ!」
「その時はその時。死ぬだけだ」
「訳分かんないこと言ってないで落ち着いて話し合おう! ほら早く座れこの悪鬼が! 殺すぞ!」
「落ち着くのはお前だ。言っていることが支離滅裂だぞ」
助けた勢いで二階の自室(うちは一階が店で二階が居住スペース)に連れてきて勉強机の椅子に座らせて水まで出してしまった俺もどうかしているが、この男も大分、かなり、どうかしている。
今の今まで殺意駄々洩れの人に追われて体調悪くしていたくせに、綺麗に水を頂いて「さて帰るか」なんて頭がおかしいとか思えない。危機意識を持て。
飢えたライオンの檻に単身飛び込もうとしている人だってもう少し警戒心や恐怖心を顔に出している。
「おい無惨」
「なんだ」
「説明しろ。全部。一から千まで」
「何故?」
「は? 何故って……えーと……なんでだろ??」
首傾げると盛大な溜息で呆れられた。
とりあえず何かしらの理由を探そうと腕を組み頭を捻ってみるが、自問自答の体も成せず撃沈。
その間、無惨からは小さじ程度の呆れと紛れもない困惑の匂いだけが漂っていた。
「うーん……なんでだろうな? なんか今は別に殺してやろうって気持ちが湧かないんだよ。逆になんで俺より身長低いんだろうとかどこで暮らしてるのか、とか……そういうことばっか気になる」
「…………」
「とにかく俺に敵意はない。分かったら椅子に戻れ、横になりたいなら布団敷くけど?」
「……いや、平気だ。…………」
「そうか。俺、本当に色々気になって仕方ないんだよ。お前からも敵意は感じられないし、誰にも言わないから話してくれよ、な?」
「……十八時までだぞ。半には戻って夕飯の支度をしなければならない」
「分かった! 一時間はあるな!」
抵抗を諦めた無惨はしぶしぶといった風に肩を竦め、椅子に戻ってくれた。
もしかして無惨って案外流されるタイプなのだろうか。こっちが攻撃的じゃなければこんなに聞き分けいいなんて驚きだ。今は人間だからか?
水のおかわり(麦茶もあると言ったけど水がいいらしい)を氷付きで持ってきて部屋に戻ると、無惨はキョロキョロと何かを物色していた。
「無惨? どうした?」
「……おい、私の日傘はどこだ」
「あ、それなら走ってる時に置いてきた」
「どこに」
「道端に……」
「…………」
あ、すごい怒ってる。
「ご、ごめん……だってお前が倒れた時それまで抱えられなくて。新しいの買うから許してくれ」
「はー……。まぁ仕方ない、か……だから捨て置けと言ったのに」
「捨て置けるわけないって言っただろ、あんな状況で」
「……まさかこんなイレギュラーが起こるとは、な……」
**
この辺で力尽きた……。
↓下に書いたのは第一話のラスト?っぽい感じで書いていた、炭治郎に惹かれてしまった無惨様のシーン。楽しむことも笑うことも何も赦されず、ただ人々を恨みから解放するために生死を繰り返さなければならない無惨様。誰かを想うなど、相手も自分も苦しめるだけ。自分のせいで、また誰かが苦しむ。もう嫌なのに、存在ごと消えたいのに、助けてくれた彼を呼ぶ声が止まらない……。
私の手首を掴んで、引いて、肺が限界を迎え歩道の真ん中で倒れた私を抱き上げてくれた。
そのまま走りながら、臓器の数を本気で疑っているものだから、なんだか面白かった。
コントとは、ああいうやり取りのことを言うのだろうか。
一応全てあるけれどまあ役に立たないし欠陥だらけだし、身長含め鬼の時代より大幅に縮んでいるのは、単に満足な食事を摂れない環境な上に成長期がなかったからである。
『無惨! 大丈夫か!』
まだちゃんと聴こえる。
私の聞き間違いではなかった。
咳き込んだ私の顔に自分の顔を近づけて、ぐっと身体を強く抱え直した炭治郎。
肩と膝裏を支える腕や意外とがっしりしていた胸板は、お日様に干した布団のようにどこか柔らかくて、心地良い熱さを感じた。
心配してくれている――その事実が今も私を揺さぶってやまない。
「炭治郎…………」
両目から溢れて頬を伝っていくこの熱は、一体なんだ。
どうしてこんなに胸が痛い。
いつもの発作より何倍も胸が痛くて脳裏に炭治郎の声と顔が離れないのは、何故だ。
痛い。
苦しい。
切ない。
なのに、決して不快ではない。
それどころか、ああ、どうして。
「……炭治郎。炭治郎…………」
私には、この『心』と呼ばれる場所から全身余すところなく満ち満ちていく感情の名前は、分からない。
分かるのはたった一つ。
これは、私などが感じてはいけないモノ。
そう、絶対的な罪だ。
この終わらぬ罰に彼を巻き込んではいけない。イレギュラーは今日限りにしなければ、彼も私も後悔するだろう。きっと、否、確実に。
だって、私は『生きる』ためではなく、
『死ぬ』ために生まれてきたのだから。
***
ちなみに無惨様を一番最初に殺したのは縁壱さん。彼を倒すから彼に罰を与えるに変わった宿命に従って。しかし回数を重ねるうちに、誰よりも無惨様の魂に寄り添い理解する者へと更に宿命を変えていく。