秘密の植物園社会に疲れて柄にもなく訪れた寂れた植物園。俺がこの街に生まれ落ちた頃にはもうそこにあったという古臭い植物園は、人気はほとんど無いものの訪問者を静かに迎え入れていた。
区で運営しているここは入園も無料で、申し訳程度にパンフレットの置かれた無人の受付を通り過ぎ、ズカズカと歩みを進める。
入ってすぐは綺麗な花々が咲き乱れ、少ないとはいえ訪問してくれる人々を歓迎してくれているようだ。学生くらいの歳にみえる男女の組は花々をバックに写真を撮り、年配の男女はベンチに座り静かに花を眺めていた。
ここは俺の求める場所じゃない。綺麗に咲き誇る花は心をも浄化してくれるようだが、今の俺には少し色も匂いも賑やかし過ぎる。もっと落ち着ける静かな場所を探そう。
俺は道に沿って植物園の奥を目指す。いったい何と言う名前なのか、どこに自生しているものなのか、この国のものなのか、外国のものなのか、全く検討もつかない植物たちのアーチを潜りながら、ただひたすらに歩く。それほど大きな建物ではないはずなのに、行き止まりが見えない道をひたすらに。
そんな中、ふと気がつけば開けた場所に出た。耳にはチョロチョロと水の流れる音が聞こえ、横を見れば小さな…噴水とまでは言えないような水溜とベンチがひとつ。そのまま周りをぐるりと見渡せば、ここには花はほとんどなく、木や草、葉っぱばかりの緑の景色が広がっていた。水の流れる音の他には自分の足音のみ。静寂。だけど、ひとりきりという寂しさは感じない。ここが求めていた場所なのかもしれない。そう思い、茶色の古い木のベンチに腰をかけた。ギシッと音が立つが、ここはそんな音を気にする人もいない。背もたれによしかかり、上を見れば、ガラス越しに太陽が笑っていた。
ちくしょう。お前はいいよな。
誰に対してか自分でも分からない悪態をつく。目の前でさんさんと輝く太陽に、なのか、入口で人生を謳歌している人々に、なのか、はたまた会社のクソ上司や同僚に、なのか…。自分自身に、なのかもしれないが。
そうこうしてれば暖かさと静けさにまぶたが重くなってくる。今日は用事もないし、こんなとこには誰も来ないだろうから、すこしだけならまぁ、いいか。素直にまぶたを閉じれば、簡単に意識は闇に落ちていった。
自然と意識が浮上し、眠っていた事実を確認させられる。時計を見れば15分程しか居眠りをしていなかったようだが、なんだか妙に頭がスッキリしている。植物の…、マイナスイオンとかの効果なんだろうか。
このままもう少しぼーっとしててもいいかと思い視線をあげると、緑の多い景色に見慣れぬ赤色が混じっていた。じっとそれを見つめれば、視線に気がついたのかその赤色…少年の髪が揺れ、白い絹肌に輝く碧い宝石と目が合った。
「こんにちは」
驚いたことに、話しかけたのは俺で。自分の口から声が出たと気がついた時には、目の前の少年は驚きにその宝石をこぼしそうな程大きく目を大きく開いていた。
少年からの返事はない。それはそうだろう。このご時世、知らない人から声をかけられても話してはいけないなんて、赤ん坊でも知っている。運が悪ければ挨拶をしただけで警察を呼ばれる時代だというんだから、自分の失態にはすぐ気づく。
まずい、変な事態に陥る前に撤退した方がいい。
下心はないにしろ、見ず知らずの少年に声をかけてしまったのは事実だ。取りようによっては社会的な問題は免れない。慌ててベンチから立ち上がると、目の前で固まっていた少年がビクッと身を構えた。
あぁ、怖がらせてしまった。申し訳ない……。少年の心のキズになってしまったらどうしようか。俺が声なんてかけなければ…。
自分の軽率な行動を反省しながらも、これ以上ことを荒立てないように少年に背を向け出口を目指して歩きだした。
「こ……こんにちは!」
数歩進んだところで、背後からの声に足を止められる。声変わりもしてない、少し高めなその声は少し震えていて。緊張しているのか小さめな振り絞られたような声だったが、しっかり俺の耳には届いていた。振り返れば挨拶を返してくれた少年は、眉尻を下げた困り顔で、両手を胸の前でぎゅっと握ってこちらを伺っている。
返ってくると思わなかった挨拶に、今度は俺が固まってしまった。
何か……挨拶を返してくれた彼に、何か返さないと。
時間が空けば空くほど少年は困り顔から泣きそうな顔に移りゆく。
「げ、元気に挨拶が出来て偉いね!」
褒めれば途端に彼の顔に花が咲く。ぱぁっと明るくなった表情に、さっき入口の花々を見ても何も感じなかった胸がぶわっと熱くなった。
「ありがとうございます。…えへへ」
照れたような笑みを浮かべる彼に、心がザワつく。出口に向かおうとしていた体はいつの間にか彼を正面に捉えており、歩き出していた数歩分をもどりベンチの前に立っていた。
「ボク、いつもここに来るの?」
無難な質問をする。無意識に、まるで彼の緊張を、警戒心を解くように。
「うん。ひーくんとあそべないときは、いっつもここにくるの。おうちには赤ちゃんがいるから、ママたいへんだし……」
「ひーくん?」
「ひーくんはぼくのともだちで、いっしょにいるとすっごくたのしいんだよ!あ……、たのしいん、です。でもきょうは、はいしゃさんにいくから、あそべないって……」
小さいながらも敬語で喋ろうとするその姿に、微笑ましさも感じながら会話を続けていく。少し緊張が解けたところで、ベンチに座ることを促せば、何も疑うことなく駆け寄り隣に座る。その姿はよりいっそう俺の心を震わせた。
「そうなんだ。ボク、いい子だね。あ……、そういえばボク、お名前なんて言うの?」
「えっとね、ぼく、かんの……」
「ん?どうしたの?」
褒めれば褒めるほど嬉しそうに話してくれる少年の愛くるしさに、自然と手が伸びそうになるのをぐっと堪える。ボク、と呼び続けるのもどうかと思い名前を聞けば、はにかみながら喋っていた少年がはっとして、また困り顔でこちらを見上げてきた。
「あ、あのね、オジサン…。学校で、しらない人におなまえ、おしえたらダメっていわれてたの……」
「あぁ、そっか。ボクはちゃんと先生の言うこと守れる偉い子なんだね。すごいなぁ。でも、僕達もうこんなにいっぱいおしゃべりもした友達でしょ?」
「お、ともだち……?ぼくとオジサンが…」
おずおずとそう聞き返す少年は、上目遣いで小首をかしげる。少し無理があったかな、とも思ったが、せっかく名前を教えて貰えるチャンスを無駄にするわけにもいかないと、少し強引に出てみることにした。
「そうそう。なにも友達は同じ歳じゃなくてもいいんだよ。気が合えば、誰だって友達なんだから!ボクはオジサンと友達なの、嫌かい?」
少しだけ早口になってしまった。どうかな?と少年を見れば、ぽかんとしている。
やはり、無理があったか……?流れる沈黙に緊張が走り、ごくりと喉が鳴る。そのまま少年を見つめ続ければ、彼は数回瞬きをした後、その表情をまた明るくさせた。
「んーん!ぼく、ひーくんいがいに、おともだちいなかったから、うれしい…!」
すっごく、すっごく嬉しいです、と満開の笑顔を向ける少年に、心臓が痛いほど締め付けられる。胸を突き破りそうなほどの鼓動が、惰性で生きていた俺に『生』を教えてくれたようだった。
もっと….もっとこの子の笑顔がみたい……!
「そっか。じゃあ僕が記念すべきお友達2人目だね!僕はカズユキ。サトウ カズユキって言うんだ」
よろしくね、と心の内は隠しながら笑顔で左手を差し出す。彼に不信感を抱かせないように。純粋に『友達のオジサン』として。
「あ、えっと、ぼくは、かんのんざか どっぽっていいます!」
そろ…っと差し出された手は想像よりも小さくて柔らかく、強く握ったら壊れてしまいそうで、優しく触れる。握手にしては優しすぎるくらいの力加減で、でも、しっかりとどっぽくんの手を感じるように握った。
「どっぽくんね!僕のことはカズユキでもカズでも好きに呼んでね。あと、僕達もう友達なんだから、無理して敬語使わなくていいんだよ」
「じゃ、じゃあ、カズユキくんってよんでもいい……?」
俺に手を握られたまま、どっぽくんは嬉しそうに、だけど少しだけ遠慮がちにそう聞く。
もう、そんな遠慮なんていらないのに!
もちろんだよ!と返せば、どっぽくんはまた嬉しそうに笑い、どっぽくんの手を握ったままの俺の手にもう片方の手を添えて、「ありがとう、カズユキくん」と今日一番の笑顔を向けてくれた。
そのまま日が暮れるまで…どっぽくんの門限の時間まで、俺たちは他愛のない話で盛り上がった。
夕焼けに染まる道路で、どっぽくんの後ろ姿を見守る。さすがに家まで送るのは、他の人の目やどっぽくんの親の目もあるからと植物園の前で「またね」
と手を振ったどっぽくんはどこか寂しそうだった。
だから、また今日と同じく来週の水曜日ここに来ると告げれば、俯き気味だった顔があがり、控えめに手を振ったどっぽくんは「また、らいしゅう、ね」と言い、帰路についたのだった。
これが俺とどっぽくんの出会いの話。
水曜日の植物園が俺たちの大切な場所。
「どぉっぷぉ!きのう、おれっちいなかったあいだ、なにしてたん?」
「ひーくん、おはよ。きのうはね、しょくぶつえんにいったよ」
「しょくぶつえん?ひとりで?」
「うん。さいしょはひとりでいったんだけど、そこでともだちができてね…」
「は?ともだち?」
「あ、カズユキくんのこと、ひみつなんだった…」
「カズユキくん?」
「あ、あ…!ひーくん、カズユキくんのこと、ないしょなの!…だれにもいっちゃダメだよ!」
「だれにもいえないトモダチってどうゆうこと?おれっちにもいえないって、どうゆうともだちなん?」
「ひ、ひーくん……おこってる?」
「べっつに〜?だいしんゆうの おれっちにもいえないトモダチって なんなのかなっておもっただけだけど?」
「ご、ごめんね、ひーくん…。カズユキくんとやくそくしたから……。えっと、こんど、ひーくんもしょくぶつえん、いっしょにいこ?そしたらカズユキくんともあそべるし……」
「おれっちとだけあそべばいいじゃん…」
「え?ひーくん、なに?小さくてきこえなかった…」
「なんでもない!じゃあこんどおれっちもいっしょにいくから!」
「うん!カズユキくん、やさしいから、ひーくんともなかよくしてくれるとおもう!…あ!」
「ん?どしたのどっぽ?」
「カズユキくん、しょくぶつえんにくるの、いっつも水よう日だった……」
「おれっちのハイシャの日じゃん!」
「ひーくんのむしばがなおったら、いっしょにいこうね……」
「も〜〜〜〜!まだまださきじゃん〜!」
モブのカズユキくんが最強のセコムに出会うまであと数週間。