ラブコメディは突然に2
「呪われてんな」
「……やっぱり?」
家入のひと言に、夏油ははぁ……と盛大な溜息を吐いた。大抵の場合、認めたくないことほどその事実は揺るがないものである。
趣味特技格闘技と豪語する夏油の日々鍛え上げられ、がっちりとした健康的な骨太のごつごつとした体躯の影は今やどこにもなく、いつも普段着にしている白いTシャツから伸びる腕は細く、シルエットはこじんまりとしていて、子どもが大人の服を着ているのかというぐらい、ぶかぶかでまるでサイズが合っていない。だが出るところは出て、とても柔らかで、そしてまろやかな曲線を描いている。
何ヶ月ぶりに五条と夏油が珍しくコンビを組んでの任務があり、まるでスキップでもするかのように軽やかに出かけていったのは数時間前。駅もコンビニもないぐらいのド田舎の山奥で、出現条件が特殊らしい一級相当の呪霊がいるらしいという窓からの穴だらけの情報のせいで、人手不足だというのに特級術師が二人も駆り出されることになった。
自他ともに認める呪術界の最強コンビが出張っていったのだから、家入はいつものように紙きれ一枚分も心配していなかった。それが深夜に帰って来たという報告と共に怒鳴り込むように呼びつけられ、まさか、と肝を冷やして駆け付けると、長く、艶やかな美しい黒髪と、しなやかな体に似つかわしくない、だぼだぼの男物の制服を着た少女が振り返って、「や」と遠慮がちに手を上げたのだった。
すっとした目元に涼やかな顔立ち、同じ女から見ても美少女だとひと目でわかる。初めて会う筈なのに、どことなく、でも確かに見覚えがあって既視感が親しみを呼び起こす。決定的なのはそのちょこんっと前に出された特徴的な前髪。しかし、家入の記憶が確かであれば、それはたった二人しかいない同級生の男子のはずだった。
「……夏油?」と聞けば、相手は小さく頷いた。あまりにも想定外の出来事に、それ以外は無傷であることにひとまずの安心とやっぱり驚愕が相まって、滅多なことでは驚かない家入ですら腰を抜かすところだった。
「男が女になる呪いだなんて、とんでもなく面白いじゃなかった、厄介なことになってるな」
「今面白いって言ったでしょ。ちっとも面白くなんてないよ」
「悪い悪い」
「本当、意味が分からないよね」
呪われた夏油の体を隅々まで診察してみたが、体の構造がどこもかしこもまごうことなく男から女になっているというだけで、それ以外は今すぐに死ぬような毒性も時限式の爆弾も見当たらなかった。
下半身にあった筈のものがなくなった代わりに、たわわに膨らんだ胸と女性器が体にある――ということに、汚れた体を洗う為に風呂に入って、生理的欲求に勝てずにトイレに行って、ごろんっとベッドに横たわって、幾度となくその体を眺めた夏油はひと晩かけてようやく慣れた。かつてその腕に抱いた相手と同じものが今自分の体にあるというのは不思議な心地だったが、体のことに意識さえしなければ、これまでとなんら変わりがない健康体だ。面白い、と言われたらまぁ、面白いだろうな、と言いたくなる気持ちは大いに理解出来たが、やっぱり意味が分からない。
知能レベルは大したことがなかったが、まるでこの世のすべての男が憎くて堪らなくて、いっそすべてを呪い殺してやろうかと言わんばかりなのは言わずとも伝わって来た。「男が憎い」と壊れたスピーカーのような女の金切り声が今もまだ耳の鼓膜を不快に揺らしている気さえする。
「男のことを相当恨んでいるみたいだった。これまでの被害者も男ばかりなのは偶然じゃないと思う」
「男に捨てられた?それとも男に殺された?女の恨みってやつか」
「どっちかな。男が憎いから殺してやるって言ってるように聞こえたけど」
「それであの橋を渡る男のちんこを根こそぎ全部もぎ取っていくなんてどんな陰湿な呪霊だよ」
「こら、硝子、言い方」
あまりにもあんまりで、もはやけらけらと笑うしかないのに、いつものように窘められて家入はははっと声に出して笑った。呪いによっていくら外側は女の姿をしていようと中身はやはり夏油なのだった。
恨みを募らせ、ついには人を手に掛ける事件はこの世にごまんと溢れているし、ワイドショーで連日垂れ流しになっている有名人の浮気、不倫などくだらないニュースを見ては、いっそ下半身でしか生きられないようなクズ男の性器など切り取ってしまえばいい、と考えたことがある人間だって少なくないだろう。それをまさか強制的に男を女に変え、さらには無差別に行う呪霊がいるなんて誰も想像しまい。負の感情が呪霊の形になってなお収まるところを知らないとは、その執念にも似た強すぎる思いは感服に値するだろう。生前のうちにどうにかして違う面で発揮できればよかったのに、と同じ女として家入は同情せざるを得なかった。
「そういう厄介そうな女でも卒なくうまくあしらう男かと思ってたよ」
「硝子は一体、私をなんだと思ってるの」
「天然人誑し。ジゴロ。すけこまし」
「………。今回は会話する前に悟に祓われちゃったからね。会話する間もなかったんだよ」
夏油に呪いをかけた呪霊は五条の放った呪力に巻き込まれて跡形もなく祓われてしまったという。まるで会話さえ出来ていればうまく手懐けられたかも知れないのに残念だな、と思っている節を感じ取って、家入は夏油に対する認識が間違っていないことを改めて理解した。
「呪いっていうのは複雑に絡まり合った糸みたいなものだ。ひとつひとつ丁寧に手順通り解いていくしかないんだが、特に憎しみや妬み嫉みっていう負の感情がより集まった怨念ってのは厄介でな。思いが強すぎて解呪するのが難しい」
窓の報告通り、低級の群れと、その中に隠れていた一級相当の呪霊、今回の任務対象だった呪いをすべて祓除し、任務はきちんと遂行出来たらしいが、今の場合、完遂出来てしまったことの方が問題だった。
呪霊自ら解呪してもらうか、とはいえ知能レベルが低い呪霊にはそもそも言葉が通じないのでこの方法は当てにできない、呪霊本体に繋がっている呪いの糸を辿るようにひとつひとつ丁寧に断ち切っていくことが望ましい。しかし、今その呪霊本体は祓われてしまってすでに存在しない。祓除とともに呪霊の呪力もすべて消えるものだが、祓われる前に夏油の体に刻まれた呪いだけは解呪されるのではなくリミッターが外れた状態になり、強すぎる怨念はその縛りがさらに強くなった。ひと通りの診察の後、反転術式による解呪を試みたがやはり家入にはどうにも出来なかった。
「意外と冷静じゃん?」
大きく煙草をふかした家入は目の前の椅子に大人しく座っている夏油を見やった。ひと晩経っても元に戻る気配はなく、解呪の手立てもない、というのに前と違ってちんまりとしたサイズになったが、その様子はいつもと同じく冷静そのものだった。呪われた死体なんて腐るほど見てきた家入であっても、性別が逆転するなんてとんちきな現象は初めての事例で、解呪方法も皆目見当もつかず動揺を隠せないというのに、これまで十余年、生きてきた姿を取り上げられたとは思えぬほど呪われた本人である夏油だけがとても落ち着いている。
「こうなっちゃったものは仕方ないしね。呪力でなったものなら、解呪だってきっと何か手があるはずだよ」
「いつ見つかるかもわかんないのに?」
「ふふ、昔から周りが自分以上に慌てていると落ち着いてしまう性質みたいでね」
家入の呆れた声に夏油はただ肩を竦めた。長い髪、すっとした目元、笑い方、その仕草までもやっぱり間違うことなくすべて夏油なのに、性を感じさせる見た目だけがまるで違う。
「……先生、ひっくり返ってたな」
「あの巨体だから床に穴開くかと思ったよね。てか、絶対校舎全体が揺れたよね」
「今は呪いに詳しいアイヌの呪術師に片っ端から連絡してたけど……」
漫画みたいにひっくり返ってどっしーんと尻もち付いた夜蛾によって、木造建ての古い校舎がみしみしと軋んだのは嘘ではない。昨夜の様子を思い出して夏油は声に出して笑った。
夏油は非術師の家の生まれでスカウトされて呪術高専に来た。十五歳で親元から引き離され、まるで身請け同然で呪術界に引き入れられた訳で、夜蛾にとってはもはや我が子のような責任と覚悟を持っていたに違いない。それがひょんなことから呪われたとあっては落ち着いていられる訳がなかった。
アイヌは昔からまじないに詳しく、その為の紋様も独自の進化を遂げている。夜蛾はアイヌの呪術連に紹介を依頼するだけでは満足できず、深夜にアイヌ呪術連所属の呪術師のリストをどこからか入手してきたかと思うと太陽が昇ると同時に片っ端から個人宛てに連絡を入れていた。でも、まだ何の連絡もないところを見ると、目ぼしい成果は得られていないようだった。
藁にも縋るとはまさにあの後ろ姿を言うのだろう、と思うと今さら夏油が慌てふためいて詮無いことを言って、これ以上彼の人の心を砕かせる必要はない。
「はー、けったいな性格」
「どうも」
「褒めてないよ」
にっこり、と微笑む夏油に今度は家入が肩を竦めた。この同級生は大人びているというか、相変わらず周りに気を使い過ぎる。正論ばかり言っていないで、子どもらしく我がままに振る舞ったり、少しは弱った姿も見せてくれれば可愛げがあるだろうに、きっとこれからもそうはしない。それが分かっているから、蹴りのひとつでも入れてやりたいのに、女の姿ではこれまでのような無体を働きにくい。
「有難いことに体の変化以外は問題ないし、術式も使えるし、のんびり解呪方法を探るよ。だからそんなに凹む必要はないんだよ――悟」
現に今、夏油の心は自分ではなく、もう一人の同級生の為に砕かれている。しゃっと音を立て、診察時に部屋を間引く為に設置されたカーテンを勢いよく開けると、その向こう側に置かれているソファーでだんまりとしたままずっと待ちぼうけしている五条がいた。
だらっと浅く腰掛け、その長い脚を持て余す様は報告書をサボっている時とまったくスタイルで、不透過の真っ黒なサングラスに半分隠されて表情はよく分からない。「え、これ凹んでんの?」と家入が聞くと、一瞥しただけの夏油がうんうんと小気味よく頷いたというのに、五条は何か言い返すでもなくその艶々の唇がつんっと尖らせた。サングラスの下からちら、と覗いた空色の瞳がアンニュイに翳っていて、なるほど、確かに凹んでいるらしい。
「つーか、五条の顔もめちゃくちゃ腫れてんじゃん。今回の任務そんなに手こずったの?治す?」
「あれは違うよ。私に引っ叩かれたんだよ」
「……なんで?」
「ただの教育的指導さ」
夏油が呪われた時、一緒にいた五条のなんでも見通す特別な眼は魂も術式も「夏油傑」だと言っているのに、その姿形はいつもの夏油ではなく、柔らかでまろやかで目線さえ合わないほどちんまりとした今の姿になっていた。夏油の体の変化を実際にその目で見て確認した五条が第一声で「おっぱい!」と叫んだ、次の瞬間、もはや反射的にぶち込まれた遠慮のない夏油の右ストレートが直撃したことにより、五条の頬は今や見るも無残に真赤に腫れ上がっている。
ぶすっと不貞腐れ、五条とどう見ても無理やり引きちぎられ、ボタンの吹っ飛んだ夏油の制服を一瞥し、何があったのかを家入は正しく理解して呆れたように額に手をやった。
「硝子の言う通り、いつ解呪できるかなんて分かんないのになんでへらへら笑ってんだよ」
「でも明日には解けてるかもよ」
「もしかするとずっとそのままかも」
「悟にしては珍しく悲観的だねぇ。明日は雪でも降るのかな」
「ふざけてんじゃねぇーよっ」
「わー、怖い。悟が怒ったよ、硝子」
「オマエがわざと怒らせたんだろっ」
きゃっと家入にしがみついて怯えた振りをした夏油に五条はぐぅ…と言葉を飲んだ。いくら制服は男物でも、元は男だと知っていても、家入と並ぶと背が高くて強気そうな涼やかな顔立ちをしていても、そうやってしなを作ってみせると本当に女子そのものにしか見えない。
これまでであれば衝突した時は煽って、煽り返して、どちらともなく喧嘩を吹っかけて「表出ろ」となって、殴り合いの喧嘩をしていたのに、目の前の夏油であって、いつもの夏油とはまるで違って、五条は勝手が分からなくなってしまう。
「これから先のことはゆっくり考えればいいじゃないか」
「だからなんでお前はそんな呑気なんだよ……っ」
「それにさ、一度女の子を経験してみたかったんだよね」
「「は?」」
夏油の言葉に二人はきょとんっと目を真ん丸にして思わず間の抜けた声で聞き返した。今、何て言った?と信じがたいものを見るかのような眼を前夏油があははっと声に出して笑う。
「あ、別にオネエ願望とかじゃなくて、二人ともそういう想像したことない?友達と話のネタでさ、自分が逆の性別だったらどんな姿だっただろう、っていうやつ」
残念ながら高専ではじめてまともに学校に通い始めた五条にはそんな経験はなかったが、そう言うからには、夏油はかつて友達とそんな話になったことがあったのだろう。受精するたった一瞬、その時の精子が持っている染色体の違いで、この世は男と女に性別を二分する。5秒違えば自分は違う性別だったかも知れない訳だ。妄想するだけはいつだって自由で、金のない中学生にとってコストのかからない、たらればの「ごっこ遊び」のようなものだ。
「硝子は男だったらしてみたかったこととかある?」
「んー、中学生の頃、女子グループ同士で誰と誰がつるむ、つるまないがうざかった。男はそういうの気にならなくていいなってその時は思ってたね」
「あー、あるよね、女子ってそういうの。いつもみんなできゃっきゃっしてて楽しそうだなぁって見てたけど」
「ははっ、実際はいつもマウント取ろうとする女とか、ベタベタ一緒にいたがる女とか、面倒くせぇのばっかだよ。よく知ってんだろ」
「かと言ってひとりでいると、影でぼっちだなんだ言われるしね」
「そうそう。ほっとけっつーの」
「まぁ、そこは男同士でも大なり小なりあるけど」
「あと暑くなったら人目を気にせず上裸になっても許されるところも悪くないし、ガニ股で座ろうとも文句を言われることもないし」
「あー、女子は見た目でいろいろ言われがちだよね」
家入の話を聞きながらうんうん、と納得顔で頷いている夏油に「そうじゃなくて!」と五条は再度がなった。
「わ、そんなに大声出してどうしたの」
「想像と現実は別だろーがっ!こんな非常時に何言ってんだ!」
「意外とリアリストだよねぇ、悟は」
「お前が呑気だっていうのは私でも思うけどな」
「え、そう?」
家入にまでそう言われてしまった夏油は心底不思議そうな顔をしていた。きょとんとした表情のせいでいつもよりあどけなく見えた。
「だってさ、我ながらそこそこ可愛いと思わないかい?」
だぼだぼのTシャツの裾を摘まんで、どう?と夏油が問いかける。
「悟はどう思う?私、可愛くない?」
「え?は……?」
それから続いた声はいつもより高くて、ころころと鈴が鳴るようだった。ちょっと小首を傾げてみせた夏油はまるでドレスを翻すかのようにその場でくるりと回ってみせた。ちらっと覗いた白い腹はいつものムキムキに割れた腹筋ではなく、つるりと透明感がある滑らかで柔らかな肌をしていた。たった一瞬、だけどサングラスの下の青い瞳はじっと釘付けになった。
どうってなんだ。どうって。
ふふ、といつものように笑っているのに、頬の輪郭がまろやかだからかいつもよりどこかあどけなく見えて、こんな異常事態であっても本当にとても楽し気に見えて、思わずんんっ、と五条は喉を詰まらせた。
「か、か、かわ……」
「ね、同性の硝子から見たらどう思う?」
五条の答えを待たず、夏油は隣の家入に全力で可愛い子ぶりっこをしてみせた。
「んー、女になってまだ数時間の癖になんで私より胸がデカいんだよと思ってる」
「胸の大きさも身長とかによるんじゃない?」
「チビで巨乳もいるだろ」
「確かにそうだね。おっぱいってどうやって大きくなるのかな?」
「生まれ持ったポテンシャルによるってか?そこも特級だからか?あぁ?」
「だから私が望んでそうなった訳じゃないってば」
「クソ生意気。こうしちゃる」
「あぁんっ!」
夏油の着ているぶかぶかのTシャツから零れんばかりのふたつの胸の膨らみを真正面から両の手でがしっと鷲掴みした家入は、それを思いっきり揉みしだいた。
「あっ、あっ!やだ、硝子っ、あっ、あっ、あんっ、やめてって、あっ、あぁんっ!」
Tシャツだけでブラジャーのひとつもしていない無防備な乳房は手のうちに握り込まれ、もにゅんもにゅん、ぷるんぷるんっと上下左右に大きく揺さぶられる。その上、悪戯な爪の先にぷっくりと膨らんだ乳首の先端をカリっと引っかかれ、胸への初めての刺激に夏油の敏感な体はびくんっびくんっと大げさなほど震えて、開きっぱなしの口からはあられもない甲高い声がぽろぽろと零れていく。
「わーーーーーーーっ!何してくれてんだー!硝子っ」
五条の雄叫びが割って入って、ようやく解放された夏油がふらふらっとその場にくず折れるのに五条は駆け寄った。
「はぁっ、はぅん……っ」
「傑ーっ!大丈夫かーっ」
「さとる……、私………うぅ、汚された………っ」
「はわわ……、す、傑………っ」
「ふっ、童貞には刺激が強すぎたか。女子中育ちをなめんな」
女としてまだ1日足らずの夏油と、十余年と女として生きてきた家入では、家入の経験値の方が言わずもがな圧倒的に上だった。高専に入るまで女子に囲まれて育ったという家入の手技に夏油はなすすべもなくその場にへたり込んだ。咄嗟にその細い肩を掴んで支えた五条だったが、顔をまあかに染め、はぁはぁっと荒い吐息を零し、長い髪を乱しながらぴくんぴくんっと体を小刻みに震わせる夏油の姿に眩暈がした。視界がくらくらする。だって、これまで見たグラビアなんて目じゃないほど、それはもうエロくてエロくてエロ過ぎた。
よく考えたらグラビア以外で女の乳を拝んだのは初めてのことだった。五条がしかと目に焼き付けた夏油の胸を思い出す。肌は艶と張りがあって、まるでボールのように丸く、柔らかそうに大きく膨らんで、ピンク色の乳輪の中心にはぷっくりとした乳首があった。今や同性の家入が言うのであれば、やはり女になった夏油の胸は大きい部類に入るのだろう。
あれが先ほど家入の小さな手に好き勝手に揉みしだかれ、ぷるんぷるんっと滅茶苦茶に揺れていた様をまざまざと思い出して五条の視界はカッとまあかに染まる。心臓がうるさいほどどくどくして、逆上せたみたいに酸素の足らなくなった肺がはぁはぁっと息を荒くさせ、堪らなくなってまたわー!と叫び出したくなった。
「……だったかな」
「へ?!な、なにっ、聞いてなかった……」
突然話しを振られ、ハッとした時には目の前に夏油の顔が迫っていた。いつもすぐ隣にあった琥珀色の三白眼と同じ瞳だが、今では五条の目線よりも随分と下の方にある。平均よりも幾分か高く、五条に迫る百八十センチを超える身長があった夏油だったが、今では百七十センチないぐらいしかない。
「これまでと違って女の体になってしまったけど、君の親友なのは変わりないと思っていたのは私だけだったかな、と聞いたんだよ……」
「そんなことねぇーよっ」
今度は思わず食い気味に即答してみせると、まったくもう、と呆れた顔をしていた夏油は目を丸くした。そんなこと、言われるまでもない。五条の答えなどはなから分かっていただろうに、あえて聞くなんてどうかしている。そんなに信用がないのか、まるで試すかのような問いかけにちょっとムッとすると、その変化を正確に理解した夏油はとても満足げに笑った。
「うん、嬉しい」
花が綻ぶ、とはまさにこのことを言うのだろう。ぱぁっと嬉しそうに目を細めた夏油を見て、五条は初めてそれを実感し、自然と頬が熱くなるのに気が付いた。
相手はあの夏油なのに、まるで夏油とは違って見えて、でもやっぱりその穢れのないまっすぐな魂はひとつも違うことなく夏油だと思い知って改めてドキドキしてしまう。
一般的な美醜の感覚は持ち得ているつもりだが、五条とは正反対の夏油のすっきりとした涼やかな顔立ちはアジアンビューティーと呼ばれるものにあたるのだろう。どちらかというと綺麗系に分類される気がするが、可愛いか可愛くないか、と聞かれたらどう見ても可愛い。否応がなく、これまで出会ったどんな女よりも可愛く見えた。
「……傑、さっきの話だけど」
「え、どれのこと?」
「だから、オマエのこと、か、か、か、かかかかわ……」
こてん、と小首を傾げた夏油の長い髪がはらり、と流れていく。
なんだそれ。可愛い。爆裂に可愛い。いつもと違って背の低い夏油の、上目遣いになった細い三白眼にじっと見つめてくるのはあざとくて可愛い。もう無理。
この世に恐るるものなど何もないと言わんばかりの天上天下唯我独尊の男がかぁぁぁっとさらに頬を赤く染め、たったひと言絞り出すのに四苦八苦していた、次の瞬間、ばぁん!っと大きな音を立ててドアが開いた。
「夏油さぁぁぁぁぁん!!!!!!!」
ドアに引き続き、叫びながら飛び込んで来たのは一等可愛がってきた、わんこのように人懐っこい、後輩のひとりである灰原だった。
「夏油さん夏油さん夏油さん夏油さぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!」
「灰原」
「うるっせぇ!聞こえてるっつーの!」
鼓膜を突き破らん勢いの大きな声はもはや兵器のひとつだと思う。キーーーンと耳の奥が痛んで他に何も聞こえなくなるほどだった。顔はすっかり血の気が引いて真っ青で、だけど昨夜の夏油の話を聞いてここまで全速力で駆けつけてくれたのだろう、はぁはぁっと荒い息だけが何度も熱く激しく吐き出されている。
「五条さん!夏油さんが大変なことになっているって聞いたんですけど本当ですかっ!うわ!美少女!!」
「灰原!そんな大騒ぎしたら先輩たちのご迷惑ですよ……、………っ!」
「七海まで来たのか。朝からご苦労なこって」
「そんなに叫ばなくても、傑ならそこにいるだろ」
「「え?」」
灰原と、その後からのっそり追いかけてきた七海は一緒になって目をぱちくりして、五条、家入、そして見知らぬ美少女の顔を順に見やる。初めましての筈なのに、どこか馴染み深い、不思議な気配がする。
「灰原、七海」
「!!!!!!!」
目の前でこちらを見上げている美少女の柔らかな声で名前を呼ばれて、灰原はまるで新婚さんいらっしゃい名物よろしくその場で思いっきりひっくり返った。ポーカーフェイスが得意の七海ですら表情を凍りつかせて固まったのが誰の目にも明らかだった。
「……もしかして、夏油さん?」
「うん、わかる?」
「分かります!」
視界に飛び込んで来た夏油の姿にひた、と熱視線を注いだかと思うと、灰原はぱっと表情を明るくした。
「めちゃくちゃ可愛いです!というか、お美しいです!!」
「わぁ、嬉しいなぁ。そう言ってくれるのは灰原だけだよ」
目の前でくるっと一回転して見せた夏油に灰原は「素敵です!」と頬を紅潮させて手を叩いた。その様はまるでスタンディングオベーションで拍手する観客のようだった。
「大変なことになってるって聞いて、まさか大怪我をしたんじゃないかってすごく心配したんですよっ」
「ぴんぴんしてるよ。この通り、女になっちゃった以外は」
「よかったです……っ!いや、本当はよくないかも知れないけど!でも、夏油さんが怪我した訳じゃなくてよかったです……っ!」
「灰原……」
夏油にひと際懐いていた灰原の切り替えは早く、というより男でも女でも夏油が無事であればどちらも関係ないのだろう。任務先で大変なことに、と聞いた時は一体どんなひどい怪我を、と最悪の想像をしていただけに、どんな姿であろうと無事で元気な姿を見せてくれたことにほうっとしたようだった。
「そんな風に思ってくれて、私は本当に嬉しいよ。ありがとうね、灰原」
健気で一途で素直な後輩のまっすぐな思いを受け止め、夏油はぷるんぷるんっと揺れる2つのバルーンのような胸をじーんと震わせた。よしよし、といつものように、だけどいつもより背が小さいせいでうんしょっと爪先で背伸びした夏油に優しく頭を撫でられて、いつもより顔を赤らめてでれでれと相貌を崩している灰原を見て、五条の胸の内はムカムカからイライラまで一気に急上昇して、ついに爆発した。
「灰原~~~オマエ~~~っ!」
「うぇっ!な、なんで五条さん怒ってるんですか?!」
「絶対ぇ許さねぇ~~~からなっ!」
傑のこと可愛いって!めちゃくちゃ可愛いって!俺が先に言おうと思っていたのに!!
あんまり素直に口に出して見せた後輩に怒りを露わにした五条はただの八つ当たり以外のなにものでもない。灰原はひぇっとわざとらしく悲鳴を上げたかと思うと、夏油の背中に回ってぎゅうっと縋りつく。
それがさらに五条の怒りに油を注いだのは言うまでもない。
(次回、すぐるのデカパイをしまえる服がない!さとすぐ買い物デート編です!笑)