「武者さん、水やりはこれぐらいにしておこう」
「うん、そうだね有島。あ、そういえば、そこのピーマンがもうすぐ収穫出来るように見えるんだけどどうかな?」
いわゆる真夏日と呼ばれる日が続いている。武者小路実篤と有島武郎は敷地内にある菜園で水やりをしていた。作物は順調に育っている。収穫の頃合いを見てまた次の作物の予定を考えなくては。身を屈めてふたりはつやつやとしたピーマンの実を眺めた。
「……うん、そろそろ収穫してもいい頃だと思う。戻ったら蘆花さんに伝えておこう」
「あれ?」
有島の頭上から降ってきたのは武者小路のなにかに気づいたような声。先に立ち上がった彼に倣って有島も立ち上がる。
「武者さん? どうかしたのかい?」
「あれ見て、ラヴクラフトさんだ」
武者小路が指で示したさきには、ベンチにてじっと座しているハワード・P・ラヴクラフト。こんな炎天下でひとり、なにをしているのだろうか。
「ラヴクラフトさん。今はおひとりですか」
こくん、と頷く。額には汗が滲んでいる。感情の起伏が読めない瞳のまま、彼は静かに口を開く。
「……ポー様、仕事、潜書。私、休み、暇、います」
付き従っている主人は潜書のため不在らしい。ラヴクラフトは暇を持て余して外へ出たようだが、彼の母国とは違うこの国の夏の気候に果たして抗えるのだろうか。
「ここに居るのは暑くないのかい?」
「あつい、とける、します」
「うわぁ、溶けちゃダメだよ! 早く中に入ろう!」
よく見ると顔が火照っているように見える。このままではいけない、熱中症で倒れてしまう前に保護しなくては。武者小路と有島は慌ててラヴクラフトの両腕を掴み談話室へ急いだ。
「志賀ー!! 冷たいもの持ってきて!」
「んだよ武者――って、ラヴクラフト?」
談話室に居たのは志賀直哉だ。武者小路の声に呆れながらも応えた彼は、友人ふたりの後ろにいる長髪の男に驚いた。
「……冷たい、望みます、要求」
「有島、扇いでやれ」
「うん」
まずはうちわを扇いで風を送ってやる。その間に志賀が冷蔵庫から麦茶の入ったボトルを取り出し、グラスと一緒に運んできた。武者小路がタオルで顔を拭ってやっている。氷も足して麦茶をラヴクラフトに差し出せば、いつもの様子とは比べものにならない勢いでグラスを空にした。
「ラヴクラフトさん、そんなに一気に飲んだらお腹壊しちゃう」
「氷、冷える、します。私、溶ける、いません」
どうやら麦茶で少しは涼しさを取り戻したということらしい。空のグラスを差し出し、もう一杯欲しいと目で訴えている。
「外でぼーっとしてたって? 珍しいこともあるもんだな」
「まだ昼間は暑いんだから、外にずっと居るのは危ないよ」
「この国の暑さ、知る、しません。アイス、美味しい、知る、います」
「お、アイス好きなのか」
「アイス、好物、好みます」
「じゃーちょっと待ってろ。……よし、伊吾に食われてねぇな。これやる」
「…………?」
再び冷蔵庫から志賀が長方形のものが入っている袋を持ってきた。袋には大きく「志賀」と名前が書かれている。談話室の冷蔵庫は共用のため、おのおの私物には名前を書いて入れておく必要があった。受け取った袋を開くと、卵色をしたなにかに白いものが挟まれている。訝しんだラヴクラフトはそのままはぐ、とかぶりついた。中身を認識したとたん、彼の声に喜びの色が表れた。
「バニラ、チョコ、甘い。……皮? 脆弱、脆い、です」
「それはもなかって菓子に使う皮でさ、単純にこいつで挟んだアイスをモナカアイスって言うんだ。美味いだろ、購買で売ってるから気に入ったらまた買えよ」
「あっ、下に紙敷いとかないと零れるよ」
「新しいアイス、発見、いました。美味」
もぐもぐと咀嚼しながら、ラヴクラフトは頷いた。食べたそばからぼろぼろと零れるもなかの欠片は、武者小路が広げたティッシュによって衣服への付着は防がれている。元気になった様子のラヴクラフトを見て、武者小路は異国出身の友を思った。
「こうも暑いとレーニャたちも心配になるね、大丈夫かなあ」
「空調設備が整っているから屋内は問題ないだろうけど……冷却に適した雑貨もある程度必要かもしれないな」
最近手持ち式の小型扇風機を手にした来館者を見るのだと有島は語る。志賀も首にかけるタイプの扇風機を身につけている利用客を見かけると話した。ラヴクラフトはあんぐりと大きく口を開け、モナカアイスの最後のひとくちを放り込む。
「私、アイス、たくさん、充分、生存可能、します」
「いや、アイスだけで夏は越せねぇし腹壊すからやめとけ?」
「ポーさんに怒られてしまうよ」
「…………」
「ほら、アイス以外にもラヴクラフトさん好きなものあるでしょ? 他のものもたくさん食べなきゃ!」
アイスを食べ終えたラヴクラフトがいつもの調子で言うと、志賀と有島がつっこみを入れる。それによりどこか拗ねたような表情のラヴクラフトを、必死に武者小路が宥めた。
どうやら今年も、それぞれ夏を乗りきるために知恵を出し合う必要があるらしい。