本丸には多くのものがいる。本丸には多くのものがいる。
これは、その中のとあるもののお話だ。
ふ、と女の目が覚める。窓から外を見れば、まだ太陽が顔を出していなくて。早朝とも呼ばれるこの時間帯に、女は布団の中から這い出た。
しゅるり、と寝間着を脱ぐ。変わりに鮮やかな着物を身にまとった。部屋の鏡の前で、身だしなみを整える。黒の流れるような髪はほつれ一つなくて。
満足したかのように女は微笑んだ。
部屋を出る頃には太陽もだいぶ登りはじめていた。遠くから焼き魚の良い香りがする。きっと今日の朝ごはんは焼き鮭なのだろう。女は浮き立つ気持ちを抑えながら目的地へと向かった。
目的の部屋へ行けば、そこは既にガヤガヤと騒がしい。女がそっと障子をあけると同時に、部屋の中の視線が女へ集まる。そんな視線すら気にせずに、女は中心にいた少女に笑いかけた。
「おはようございます、主様」
そんな彼女の挨拶に、少女は嬉しそうに微笑む。それと同時に少女の隣の青年が嫌そうな顔をした。
「俺のことは無視?」
「あら、失礼しました加州殿。見えませんでした」
「この櫛ほんっと腹立つんだけど」
「相変わらず短気ですわね」
女がそう鼻で笑えば、青年こと加州の口角がひきつった。鋭く睨みつけられても女は特に気にした様子も見せず、少女にしなだれかかった。
「これから女の身支度をするのですが。殿方はとっとと出ていって貰えますか?」
「俺が主の面倒見るから」
「はっ。身支度に関して刀が櫛に勝てると思ってるのかしら」
ちゃんちゃらおかしいわぁ、と言う女に加州は黙りこむ。旗色が悪いのだろう。悔しそうに女を睨みつける彼に、女は勝利の笑顔をうかべた。
「今は女の時間です」
女はとっとと加州を部屋から追い出した。
「清光、また櫛と喧嘩したの?」
大和守が呆れ顔を隠さずに尋ねた。
朝から加州は主の部屋に行っていたはずだ。その彼が膨れっ面で大和守の隣で朝食を食べている。だいたい何があったのかは理解した。加州がキッと大和守を睨みつけた。
「だってあいつばかり主の側にいてズルくない!?」
あいつ。名前こそは出さなかったが、誰のことを言っているのかはすぐに分かった。
目の前で味噌汁を啜っていた和泉守が苦笑いを浮かべた。
「あのおっかねぇ奴に毎日毎日飽きないな」
俺なら絶対無理、という彼に加州は悔しそうに唇をかみ締めた。
女は、本丸に多くいるものの一つだった。
名前はない。これは審神者の祖母が審神者にとあげた櫛だ。赤を基調とし黒の模様が鮮やかに描かれている、そんな櫛だった。
彼女は審神者の身の回りの世話を行った。幼い頃からずっと母のように見守ってきたのだ、そうなるのも当然で。