金曜日の香りオールマイトさんの香水は、どうやら曜日で変えているのだと気付いたのはいつだったか。
月曜日は柑橘のような爽やかな香り。火曜日は少しスパイシーな香辛料みたいな香り、と、多分使い分けているんだろう。どういう意図でそうしているのかは想像もつかない。単純に曜日を間違えないため、なんて単純な理由かもしれないけど。
――あ
デスクの後ろを通り抜けていくオールマイトさんから、ふわ、と漂う甘い香りに、俺は今日は金曜日だと思い出した。今週はテスト週間のせいで、忙しいわりに単調な一週間。普段の授業があれば時間割で把握してる曜日が、こういうときは頭からすっぽ抜けたりするので、オールマイトさんの香りは意外と便利だったりする。
金曜日の香りは、ちょっと甘い。多分俺は、これが一番好きかもしれない。顔を上げ、周りを見れば、職員室には俺とオールマイトさんしかいなかった。そうか、花金ってやつか。納得しながら、ならば土日に採点の続きをすることにして、今日は帰るかと思っているところに、ぽん、とメール受信のダイアログが出たので、俺はマウスを操作してそれを開いた。メールはオールマイトさんからで、送られてきた書類を開けば最初に誤字が目に入ったので俺は小さく息を吐く。仕事は早くなってきたが、本人の性格なのか、なかなか誤字が減らない。プリントアウトして、赤ペンを持った。何カ所か直しながら、それでもだいぶちゃんと作れるようになったと感心して。それを手にして本人のデスクに向かった。
「オールマイトさん」
俺が呼べば、分かりやすくびくっと肩を揺らす。なにか悪いことをしたあとに、怒られるのを分かってるような顔で肩をすくめて俺のほうを見た。いや、怒るんじゃねえよ。
「コレ、よくできてましたよ」
「あ、そうなんだ、良かった」
「でも、いくつか誤字と、てにをはのおかしい箇所があるので直してください」
横に立ち、書類をデスクの上に滑らせる。最初のころに比べたらだいぶ減った赤い文字に、オールマイトさんもホッとした顔で柔らかく微笑んだ。
「承知した」
「よろしくお願いします」
そう言って戻ろうとしたら、相澤くん、と呼びかけられる。俺は足を止め、振り返った。
「なんです?」
「あのさ、頂き物のチョコレートがあるんだけど」
食べない?と言われ、差し出された箱は、書いてあるブランド名は知らないがやたらに高級そうなパッケージだった。ちょうど、夕飯時の時間で腹も減ったし、テストの採点をしていたので甘いものを食べたい気分でもあり。
「いただきます」
「どうぞ」
ぱかと開けられた箱の中に手を伸ばす。綺麗な色と形に整えられた、宝石のようなチョコレートのうち、シンプルな三日月の形のそれを選んで、俺は口に放り込んだ。口の中であっというまにとろりと甘く蕩ける。明らかな洋酒の匂いがしたので、俺は思わず顔を顰めた。
「――これ、あなたは食べないほうがいいです」
「そうなのかい?」
「酒、入ってますね」
「ああ、なるほど」
ならあげるよ、と開けたままの箱を押し付けられたので、俺はありがとうございます、と言ってとりあえず受け取った。どうせもう帰るし、と、今度は赤い色のチョコレートを一つ、摘まんで食べる。それは苺のような味だが、いわゆるリキュールというやつだろうか、後味にやはりアルコールの香りがした。
ひく、とオールマイトさんが鼻を動かす。
「ほんとだ、甘いけど、お酒の匂いだね」
「そうでしょう」
「美味しそうなのに」
「一つくらいなら、食べてみますか?」
オールマイトさんがどれくらい酒に弱いのか、どれくらい飲んだら駄目なのかはよく分からない、ので。箱を差し出してみれば、オールマイトさんはそれを受け取り。蓋が空いたままの箱をデスクの上に置くと、これはやめとくよ、と言って。
「こっちがいいかな」
ボソリと呟かれた言葉に、こっちとは?と思うのと同時。ぐいと引き寄せられ、椅子に座ったままのオールマイトさんに倒れ込むように、抱き留められて。驚きで開いたままの唇に、柔らかなものが重なる。ぬるりと入り込んで、遠慮もなく彼は舌を絡めた。味わうように俺の舌先をしゃぶられて、じん、と頭が鈍く痺れる。驚きと混乱と、若干の快楽に流されるように抵抗も忘れて受け止めていれば、この行為を続けることをOKととったのか、オールマイトさんの膝の上に乗るような体勢で引き寄せられ、更に近くなった距離とともに唇の重なりが深くなる。そのまま解けなくなるんじゃねえかって、錯覚を起こしそうになる長い舌が、俺の舌に絡まり、粘膜を擦り合わせた。そのたびに、くちゅ、ぷちゅ、とはしたない水音が響いて、身体がじわじわと熱を持つ。
なんなんだ、なんなんだこれ。今俺は、オールマイトさんと、何を。
酸欠で上手く頭が回らない。なんだか溺れそうな気分になって強引に唇を引き剥がして、ぷは、と息を吐く。どく、どく、どく、と鼓動が早い。
「な、にを」
「ん?」
オールマイトさんは、零れた唾液を親指で拭って、それをぺろりと舐めた。ちらりと俺を見た瞳が、見たこともない濡れた色をしててどきりとする。
「味見?」
「あ、じ」
「チョコレート。美味しいよ?」
ああ、そういうことか。回らない頭で納得しつつ、俺はふうと息を吐く。
「チョコレート、食べてみますか?って、俺、さっき箱渡しましたよね?」
「こっちのほうが美味しそうだぜ?」
「ふざけんな」
ぐい、と手で顔を押して、のけようとしても、オールマイトさんはにこにこ笑ってるだけでびくともしない。クソ、マッスルフォームじゃなくてもこれかよ。
「オールマイトさん、っ」
「ね、君さ。今日の私の匂い、好きだろう?ちょっと、甘めの」
どきりとして、俺は押しのけようとした力を少し弱める。むっとした唇を突き出しオールマイトを見れば、変わらずニコニコと笑っているくせに視線が。目の奥がギラリと光ってるように見えて、逃げられなくなる。逃げられない。
「――嫌いじゃ、ないですが」
「うん、私もね、甘い匂いは好きなんだ」
肩口に、オールマイトの顔が押し付けられた。ぎゅっとさらに抱きしめられて、密着した身体の、俺の尻の下あたりに触れる熱の正体に気付く。ぶるりと身体が震えた。
「君から、甘い香りがするの、良いね。誘惑されちゃいそう」
「オールマイトさん、もしかして酒の匂いだけで酔いました?」
「あー、うん、そうかも?」
ふふ、と肩口に顔を押し付けたまま笑われて。俺は、ぽんぽんとその頭を撫でた。思いのほか、柔らかな金色の髪からはまた違った、甘い香りがした。だめだ、甘くて、熱くて、頭ン中が溶けそうだ。
ぐ、と手を伸ばし、箱の中からチョコレートを一つ取った。オールマイトさんの目の色みたいな、青い色のチョコレートを口に放り込む。上等なブランデーの香りにくらくらした。
「はは、いっそう甘い匂いだね」
「そうですね――なので、誘惑されて、ください」
オールマイトさんは返事の代わりに、甘い味を分け合うような口付けを、また。