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    でんく

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    でんく

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    学パロ3話

    水鏡 3 連れて行かれそうだった。攫われてしまいそうだった。

     現実世界と紙一重のところにある異界の気配が、瘴気のようにあの場に満ちていた。

     重雲ほど壊滅的ではないが、行秋とて霊感が強い方ではない。それでも事の異常さにはすぐに気が付いた。四時四十四分が近づいていくにつれ、重雲を狙うナニカの息遣いが大きくなっていった。二人をぐるりと取り囲むかのように、重雲を欲しがる視線が増えていった。
     無論、行秋もただ手をこまねいていただけではなかった。離れないように重雲の手を固く握りしめ、大鏡から意識をそらすために会話を誘導した。最後の方は、懇願するような調子になってしまったけれど。
     しかし、そんな彼のささやかな抵抗は実を結ぶことなく――〝重雲〟は鏡の中に閉じ込められてしまったのだった。



    「二人ともおはよう! 重雲は久しぶりだね!」
    「おはよう、香菱」

     通学路の途中、後ろから聞こえてきた快活な友人の声に、行秋と重雲は振り返る。重雲が元気よく挨拶を返せば、香菱は嬉しそうな笑みを浮かべた。
     少年二人が早朝の学校に侵入してから、既に一週間が経っている。校内で倒れた重雲は三日三晩目覚めることなく、行秋もその間自宅謹慎していた。意識を取り戻した重雲に身体の異常がないことが確認されたのち、一週間後の今日、初めて登校が許可されたのだ。あの事件の後、少年達が会うのもこれが初めてだった。

    「ねえねえ、この前何があったの? 重雲は入院してたっていうし、行秋もしばらく学校に来てなかったし……」

     三人で並んで歩きながら、香菱が何気なく話を振った。その問いに行秋が僅かに身を固くする。隣を歩く重雲は、にんまりと彼らしくない笑みで口を開いた。

    「聞きたいか?」
    「……重雲、やめてくれ」
    「お前に止める権利はないはずだ、行秋」
    「あなたたち……どうしたの?」

     行秋と重雲は何やらただならぬ雰囲気である。二人が険悪な空気になりかけている理由が分からず、香菱は困惑した。そんな彼女の目の前で、重雲は馴れ馴れしく行秋の肩を組んでみせる。組まれた方はやや迷惑そうに、そしてどこか戸惑ったように眉をひそめたのだった。

    「まあ、大した話じゃない。行秋と一緒にいる時に、少し頭を打っただけだ。それより香菱、今日は部活に出るのか?」
    「部活? 確かに今日は料理部の活動日だけど」
    「邪魔にならないなら、行ってもいいだろうか? 久しぶりにお前の料理が食べたい」
    「えっ、来てくれるの!?」

     香菱がぱっと目を輝かせた一方で、行秋は絶句していた。あの重雲が、自分から香菱の料理を食べにいくなんて。彼女の創作料理はこの上なく美味であることも多いが、なんとも形容し難い刺激的な味になってしまう場合もままある。辛い物や刺激物が苦手な重雲は、彼女の料理も苦手としていたはず……なのだが。

    「行秋も一緒に来てくれるよな?」
    「えっ、と……」

     にこりと微笑むその人の顔は、正真正銘重雲のものだ。だが行秋には、いつものパーカーを着ているこの生き物が、何か得体の知れないもののように思えて仕方がなかった。
     何かがおかしい。何か、普通ではありえないことが起こっている。そう思いつつも、奇妙な圧力に負け、結局彼は首を縦に振らざるを得なかった。



     重雲の身に起こった異変は、これだけで終わらなかった。元から引っ込み思案という訳ではなかったが、派手好きで目立ちたがり屋になってしまったようなのだ。授業では積極的に手を挙げ、休み時間にはエアギターを披露して辛炎を喜ばせ、ジョークを飛ばし続けていた。クラスで流行っている唐辛子のスナック菓子を、美味しそうに食べてみせたりもした。彼の友人達が知る限り、こんなことは今まで一度もなかった。
     その変化はおおむね好意的に受け入れられた……ただ一人、行秋を除いては。



     四限終了のチャイムが鳴り、昼休みになった。行秋は鞄から弁当を取り出したが、しかし、包みを開けないままぼんやりと考え事をしている。午前中の重雲の行動を思い出して悶々としていた彼は、肩を叩かれて大袈裟なほどびくついた。

    「うわっ! ……って、なんだ、重雲か」
    「一緒に昼ごはんを食べよう」
    「あ、ああ……うん」

     曖昧に頷き、彼は弁当を持って重雲の後についていった。聞きたいことは山のようにあったが、それは昼食を食べながらでもいい。重雲がおかしくなってしまったからといって、二人で昼飯を取る習慣が残っていることに、彼は密かな安堵を覚えた。
     行秋少年は疑いもなしに歩いていった。二人のお気に入りの場所である、中庭を通り過ぎるまでは。

    「ちょっと、どこまで行くつもりだい」

     廊下の真ん中で重雲の腕を掴み、行秋は焦ったように言った。後ろを向いた重雲は悠然と微笑んでみせる。

    「さあ、どこだろうな」
    「中庭でいいじゃないか」
    「今日はそういう気分じゃない。ほら、ここで止まっていないで早く行こう。ここじゃ通行の邪魔になる」

     立ち止まった二人に疎まし気な視線を向ける上級生が、すぐそばを通り過ぎていく。行秋が何も反論できないうちに、重雲はその手を引き寄せ、包帯の切れ端をなびかせて軽やかに走り出した。行秋も足をもつれさせながら引きずられるように後に続く。
     ホールを抜け、ポスターがべたべたと貼られた保健室の前を過ぎ、裏階段を一息に駆け上がっていく。二階、三階、そして四階へ。軽く呼吸を整える二人の目の前には施錠されたドアが一つだけある。屋上に続く扉だ。

    「何を……」

     重雲はズボンのポケットからクリップを取り出し、それを引き延ばして針金のようにした。先端を軽く曲げ、それを躊躇うことなく鍵穴に突っ込む。彼が堂々とピッキングを行う様子を、行秋は声も出せずに息を詰めて見ていた。幸か不幸か、屋上の扉の鍵は簡素なもので、即席の針金でもすぐに開いてしまった。
     扉を開け放ち、重雲は行秋の方に振り返る。逆光で行秋にはよく見えなかったが、その顔は今日一番の笑みを浮かべているような気がしてならなかった。

    「これでようやく、二人きりになれるな」
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