優しくてカッコいい人 もし、恋をするなら、相手はどんな人? そんなことをまさか高校入学早々考えさせられるとは思わなかった。
(〝好きな異性のタイプは?〟 なんでこんな質問が……)
海野あかり十五歳。今日から羽ケ崎学園に通う女子高生だ。入学式の後、教室で自己紹介シートというものを書くことになったのだが、羽ケ崎学園に入ろうと思った理由は? あなたの趣味は? 高校生になって、やってみたいことは? 等定番の質問に加えて、最後に好きな異性のタイプは? という質問があり、思わず手が止まってしまった。
やっぱり高校生になれば、みんなそういうの気になるのかな……自己紹介シートの高校生になって、やってみたいことは? という質問には「もちろん、恋したい♡」という選択肢もある。いわゆる思春期という年頃になり、わたしも恋愛に全く興味がないわけではない。けれど、これまで好きな人はおらず、異性について考えたことが少なかったため、好きな異性のタイプなんて難しい質問だ。
(どうしよう、思いつかない……)
こんな質問、恥ずかしくて書けない子もいるだろうし、空欄にしようかとペンを置こうとしたその時、ふと今朝出会った男の子を思い出した。
(そう言えば、今朝会った男の子、佐伯くんだったよね?)
佐伯瑛くん。今朝、学校へ行く前に近くを歩いていた時に出会った男の子だ。端正な顔立ちで、絵になるってああいう人のことを言うんだろうな、とつい見惚れてしまった。それから、道に迷ったわたしに駅までの地図を描いてくれた。そして、驚くことに佐伯くんも羽ケ崎学園の生徒でしかも同級生らしい。もし、恋をするのなら――。
(えぇと、やっぱり優しい人が一番だよね……それから……中身が大事とは思うけれど、どうせなら、カッコいい人がいいな……)
優しくてカッコいい人。ありきたりだけれど、結局この答えに落ち着くような気がした。自己紹介シートにこう書いたからって何かが決まるわけじゃないし、これでいいかと他の項目も埋めて自己紹介シートを提出して帰った。
でも、好きな異性のタイプについて考えた時、どうして佐伯くんのことが浮かんだんだろう。ふと、そんなことが気になった。佐伯くんとは今日出会ったばかりなのに。いや、今日出会ったからなのか? 改めて彼について考える。
今朝、初めて会った時に見惚れてしまったようにカッコいいなとわたしも思った。さらに、入学式の後で知り合った同級生の女の子の西本さんも今年の新入生は彼に憧れて入学してきた子も多いと言っていた。やはり学園での人気も高いらしく、カッコいいについては全く申し分ない。
だが、優しいについてはどうだろう。道に迷ったわたしに地図は描いてくれたけれど、何だかぶっきらぼうだったし、学校で会った時は店で働いていることは絶対学校で言うなと命令するように言い、優しいどころかむしろ偉そうだった。佐伯くんはわたしの好きな異性のタイプとは違うのかな? そもそもそれが本当に好きなタイプなのかどうかも分からないけれど……。
(確かに佐伯くんはカッコいいけど、優しい、かなぁ?)
下校中も彼のことを考えながらぼんやりと歩いていたら、また道に迷ってしまった。
「あれ? ここは?」
学校から桜並木を歩いていたはずが今は青い海が目の前に広がっている。行きはこんなに海の近くを歩いたっけ? 通学路から外れてしまったのか。小さい頃もこの街に住んでいたけれど、引っ越して高校入学と同時に戻って来たばかりだから、学校周辺の地理はまだ分かっていない。学校の帰りにもまた迷子になってしまうとは……途方に暮れかけたその時、
「何してんだよ、こんなとこで」
この声はまさかと思い振り向くと、やはり佐伯くんだった。もう今日三度目の出会いだ。
「佐伯くん! あれ? その格好、お店のお仕事?」
佐伯くんは早くも学校の制服から今朝出会った時のお店の服に着替えている。入学式だというのに、もうお店のお仕事があるのだろうか。
「今日も店は営業日だからな。ていうか、おまえ、店のこと誰にも言ってないだろうな?」
「言ってないよ! 約束したんだし」
お店のことを誰かに話していないかと聞いてきた佐伯くんに首を横に振って答えた。羽ケ崎学園もアルバイト自体は校則違反ではないのだが、佐伯くんのお店は夜遅くまでやっているため学校から良く思われないだろうと心配しているらしく、改めてわたしに店のことは誰にも話すなと念押ししてきた。入学式も関係なくお店のお仕事をするくらい佐伯くんにとってお店が大事なことはわたしもよく分かった。だから、秘密は守ると改めて約束するが……。
「そうか……でも、おまえ、ぼんやりみたいだから心配だ」
と、佐伯くんはあまり信用していない様子だ。
「わたし、ぼんやりじゃないもん! 佐伯くんって、なんでそんな――」
顔に似合わず口が悪いのだろう。ムッとして言い返してしまう。喧嘩になりかけたが、佐伯くんは何かを思い出したようにハッとした。
「……と、俺、買い出しあるんだった。おまえと喧嘩してる暇なんてないから、そんじゃ」
「待って! 佐伯くん!」
買い出しに行こうとする佐伯くんを引き留めた。どうしても彼に用があるのだ。
「なんだよ。買い出しあるって言っただろ?」
「あの……わたし、また道に迷ってて、聞いてもいいかな?」
「えっ……なんだ、そういうことは早く言えよ。また地図描いてやるから、紙とペン貸せよ」
「あっ、うん」
わたしが道に迷っていると知ると、佐伯くんも少し落ち着いたようだ。言われた通り、鞄からペンケースとメモ帳を出して佐伯くんに渡すと、今朝と同じく地図を描いた。ほんのさっきまで喧嘩腰だったのに、わたしが困っていると言えば、それとは関係なく助けてくれる。
「このまま海沿いに歩いて行って、突き当りを曲がれば駅だから。これで大丈夫か?」
「うん、大丈夫そう。ありがとう、佐伯くん」
「いや、まあ、これくらい別に大したことじゃ……」
素直にお礼を言うと、佐伯くんは頬を赤くしてそっぽを向いた。もしかして、照れ屋さんなのかな? ちょっとかわいいかも、なんて思ったら、そっぽを向いていた佐伯くんは海を見つめていた。驚くほど穏やかで優しい目で。今日一日で一番いい顔をしている。そう言えば、今朝初めて彼を見かけた時も海を見ていたっけ。
「海、好きなの?」
もしかしてと思い聞いてみた。
「ああ、好きだ」
佐伯くんは海を見つめる優しい目をそのままわたしに向けた。低く甘いその声も波の音と共に心地良く胸に響いて、ほんのりとときめくのを感じた。
(佐伯くんは優しくてカッコいい人、なのかな……?)
ほんの少しだが、彼の優しさに触れられてそう思えた。もっと佐伯くんを知りたい。こんな気持ちは初めてかも……。
それから、程なくして佐伯くんが働いている喫茶珊瑚礁でわたしもアルバイトすることになって、五月になると、事故とはいえ学校の帰り道で彼とキスをしてしまった。そんなことがあっても、佐伯くんは相変わらず口が悪く、屈折しているけれど、珊瑚礁の秘密を共有しているからか、わたしにはありのままの自分でいてくれている。だから、わたしも佐伯くんとは何でも言い合えて、自然と瑛くん、あかりと名前で呼び合うようになった。そして、学校や珊瑚礁の他に休日もデートして、友達になるのに時間はかからなかった。瑛くんと二人の時間は楽しい。わたし、瑛くんが好きなんだ――いつしか本当に恋心を抱くようになっていた。
そんな今日も瑛くんと水族館デートで、オルカショーを見に来ている。瑛くんは怪獣っぽいものが好きだからなのか、オルカも気に入っているらしい。折角だから最前列で見ようと言われ、びしょ濡れになりそうだなぁと思いつつも、二人で最前列に座ると、目の前でオルカが盛大に飛び跳ねて、ものの見事にびしょ濡れになった。
「ウワッ、びしょ濡れだな! さすが最前列」
「だからイヤだったのに……」
今日のデートのために着てきたお気に入りの水色の花柄ワンピースもびしょ濡れになった。その上、下着も透けちゃっているし……恥ずかしげに頬を赤らめて、つい愚痴をこぼしてしまった。瑛くんにはこのくらいでブーブー言うなって怒られるかもしれないけれど……。
「ゴメン! びしょ濡れくらい、平気だと思ったんだけど……やっぱ、男と女じゃ、違うもんな」
ところが、瑛くんは怒るどころかわたしに謝った。びしょ濡れになったせいで透けている胸元にちらりと目をやり、気にする素振りも見せる。こんなふうにわたしに歩み寄るような姿勢をとるなんて、出会ったばかりの頃はとても考えられなかったので、少し驚いてしまう。
「そうだよ……」
「俺が悪かった。機嫌直せよ。タオル借りてきてやるから。行こう?」
そう言って、瑛くんはわたしに手を差し出した。海を見るような穏やかで優しい表情で、わたしの大好きな瑛くんの表情。びしょ濡れで身体は冷たいのに、瑛くんの優しさに触れて、心は温かい。
「うん!」
喜んで瑛くんが差し出した手を取った。やっぱり瑛くんは優しい。繋いだ手の温かさからもそれが伝わってくるようだった。
オルカショーの係員さんからタオルを借りると、瑛くんは一枚を肩にかけて、もう一枚をわたしの前に広げた。
「ほら、拭いてやるから」
「えっ?」
まさか瑛くんが拭いてくれるとは思わずきょとんとしてしまう。すると、瑛くんは顔を赤くして慌てたように付け加えた。
「あっ、変なこと狙ってるんじゃないからさ」
「わ、分かってるよ!」
変なこととは事故でしてしまったキスのことを言っているのだろう。あの時のことを瑛くんはかなり気にしているようで、そんなに意識されると、わたしまで顔が赤くなってしまう。瑛くんは広げたタオルでわたしを拭き始めた。乱暴にしないよう、優しく丁寧に拭こうと心がけているようでドキドキしながらも嬉しさを覚えた。一方で、瑛くんはタオルを肩にかけたままで、いつもは無造作にセットされている髪もぺたんこになって水を滴らせている。肩にかけられたタオルを取り、わたしも瑛くんを拭き始めた。
「おい、何してんだよ」
「瑛くんは、わたしが拭いてあげる」
「いいよ、俺は……これくらい平気だから」
「ダメ。風邪引いちゃうから。わたしばっかりじゃ申し訳ないし、いいでしょ?」
瑛くんに優しくされると、わたしも瑛くんに優しくしてあげたくなるから。瑛くんも照れているだけで、本当に嫌ではないことも分かっている。わたしにも妙に頑固なところがあると瑛くんは諦めたように息を吐き、素直に頼んでくれた。
「……じゃあ、お願いします」
瑛くんと互いを拭き合う形になった。言った時は気づかなかったけれど、タオル越しに瑛くんに触れて、触れられる度、胸がドキドキする。こんなにドキドキするのは――瑛くんも同じなのか、手が震えてわたしの胸に触れた。ドキッと鼓動が一際大きく高鳴る。
「きゃっ……!」
「ゴメン! 今のはわざとじゃ……」
「う、うん。大丈夫……瑛くんなら、いいよ?」
やってしまったと謝る瑛くんに気にしなくていいと伝えると、瑛くんは安堵と驚きが入り混じった表情で目を見開く。
だって、瑛くんは優しくてカッコいい、わたしの大好きな男の子だから。