鍾タルワンライ「酒」「毒」カラン、と来客を告げる鐘が鳴る。ぐるりと視線を巡らせるとすし詰めのような人数の男たちが、酒瓶を片手に大騒ぎをしていた。目的の人物の姿はない。さて、どうしたものかと思案していると「やぁ、」と気安い声が掛かる。視線を声のした方に向けると、手に小さな小瓶を持ち、頬を僅かに赤く染め、吐息に酒気を混ぜた赤毛の男が片手を上げてにこやかに笑っていた。
「公子殿。これはどういう状況だ」
「どういうも何も、見ての通り。ただの酒盛りさ」
大げさな身振りで肩を竦めてみせる。
「部下の労いの為に『俺のおごり』って連れて来たら、随分と溜め込んでいたものがあったみたいでね。羽目を外して、あのザマだ」
あの、と視線で指し示す先では幾つもの空瓶が転がり、一方では脱ぎ始め、一方では口喧嘩。隅の方では既に深い眠りについた相手に「なぜ俺は彼女が出来ないのか」と延々愚痴っている様子も漏れ聞こえてくる。混沌としか表現できない光景を見た鍾離は柳眉をひそめ、それを見たタルタリヤから軽やかな笑い声が上がる。
「まぁ、店に迷惑をかけそうになったら止めてるし、売り上げにも貢献してるから多めに見てよ。それより鍾離先生がこんなところに来るなんて珍しいね?」
鍾離と言う男は最上級のものを好む。正確に言えば好んだものが最上級の品々ばかりなのだが、傍から見ればどちらも変わりない。こんな場末も場末。安酒を水で薄めたようなものを出す店に足を運ぶなんて、と意外そうに瞳を細めた。
「品を受け取りに来たんだ」
「品?」
「ここの店主は酒道楽でな。店には出していないが、蔵に珍しい酒を眠らせているんだ。仕舞い切れなくなる頃合いに人を通して買い付けないかと声が掛かる」
「なにそれ初めて聞いたんだけど」
「店主も、俺も、人に言う必要がないからな」
「違うよ。先生が自分で買い物ができるって事をだ」
嫌味ひとつを落としたところで、鍾離の顔色は変わらない。タルタリヤが言葉を続けようと口を開いたところで、後ろから歓声が沸き起こる。酔っ払いたちが、手を叩き、中心にいる二人を囃し立てていた。
「あれは?」
「ああ、ちょっとしたお遊びだよ。口に咥えたボトルを相手に飲ませるんだ。遠目にはキスしてるようにも見えるし、気になる相手なら神様が悪戯を起こしてくれるかもしれない」
手のひらにすっぽりと収まるサイズの小さな小瓶。その底を口で咥える者と、飲み口に唇を付けて中身を飲み干していく者。シガーキスと呼ばれるものがあると言うが、それと同じような嗜好だろうか。璃月ではあまり見ない文化に、ふむ、と興味深そうな様子を見せた鍾離に対してタルタリヤは悪戯な笑みを浮かべた。
「俺と試してみる?」
◇◇◇
上を向いて小瓶の底を大きく開いた口で受け止める。ガラスに歯が当たると、かちん、と硬質な音が響いた。
「ん」
いいよ、と言う意志を示すと相手が覆い被さるように顔を近づけてくる。いつも通りの涼しい顔をして、何を考えてるか分からないような顔だ。頬を染めることは無いにしても、目を瞑るくらいすれば少しは可愛げがあるものを、――なんて思っている間に鍾離の指先が頬に触れる。まるで口付けするかのようなシチュエーションに、喉奥でくつりと笑いが零れた。二人分の体重を受け止めた椅子が、ぎ、と音を立てる。
相手が小瓶の先端を咥えたことを見届けると、今度はゆっくりと腰を浮かせていく。顔の距離は一定に、中身を零さぬようにゆっくりと。やがて完全に体勢が転じると、徐々に相手の咥内に液体が流れ込み、嚥下の旅にこくりと喉が上下した。吞み切れなかった一筋が口端から首筋に流れて、シャツを濡らす。
横目で周囲の反応を伺えば、老若男女問わずにこちらへと無遠慮な熱い視線を向けていた。どうやら頬を朱に染めているのは酒の所為だけではなさそうだ。目の前の朴念仁が、こんな俗っぽい行為をしているのが余計にクるらしい。
「ん……」
強まる悪戯心に突き動かされるまま、相手の首に腕を撒き付けて、しな垂れ掛かる。これなら、よりそれっぽく見えるだろう。ちょっとしたサービスだ。眼下で雄弁に「重たい』と言葉なく告げる視線は黙殺した。やがて全ての酒を飲み切ると互いの唇を離し、空になった小瓶だけが残される。
「……で? どうだった?」
「値段相応の酒だな」
「っはは! そりゃ先生がいつも飲んでるヤツには敵わないよ! 比べる方が可哀想だ」
あはは、と高らかに響く笑い声。間を縫って店主が待たせたと言う言葉と共に、奥の扉から姿を現した。
「じゃあ、先生。またね」
「ああ」
またね、と手を振り、艶めいた雰囲気などすっかり流した姿勢の良い背を見送る。少しくらいは狼狽する様子を期待していたのだが、何ひとつ様子が変わらないと言うのは癪だ。でも、まぁ。
「先生って牙が生えてるのか。それを知れただけ収穫はあったかな」