鍾タルワンライ「凡人」「嫉妬」宙に舞い散った水滴が光を拡散し、虹色に染まる。空は分厚い雲が空を覆い、雨粒が落ちた。桶をひっくり返したような……とまではいかないものの、髪を伝って落ちる水滴が煩わしい。
土が水気でぬかるみ、気を抜けば足を滑らせそうな悪条件の中。男たちは各々の武器を手に取り合い、対峙していた。既に互いの身体には刃を交えた幾筋もの切り傷が出来ている。
「さすがだね、先生。条件は俺の方が有利なはずなのに」
「そういう公子殿こそ、この視界の中で良く正確に射貫け……おっと」
会話を遮るように一射。胸を狙ったそれは相手のシールドによって、無情にも弾かれる。
荒く乱れる呼吸を大きく息を吸い込んで整えながら、互いの距離を測りつつ、タルタリヤは目の前の相手を見据えた。
いつも涼しげな表情が頬を紅潮させ、荒い呼吸を繰り返す様はいつかの夜を思い出させる。違う意味での興奮が脳裏を過ぎる前に気を取り直し、再び弦を引いた。
幾つもの弓先は相手のシールドに跳ね返され続けているが、そろそろ頃合いかと機会を見ると、限界まで弦を引き絞る。力強い一矢を受けたシールドは崩れ落ちるように剥がれていった。
相手のシールドは耐久限界があると言う。そして、今まさに限界を迎えた。すぐに張り直す事は不可能のはず。
使う元素力が多すぎて、特定の条件でしか使えないとっておきだ。 キィン、と言う硝子が弾かれたような高い音が響くと同時に、雨粒が小刀へと成形される。
幾つもの刃がタルタリヤの手の動きに合わせて宙を舞った。それを見ていた相手から感嘆の吐息が零れる。
「ほう、器用なものだ」
「そりゃどーも! 暢気なことを言っていられるのも今のうちだよ!」
死角を含めた幾つもの刃による多面攻撃と、自身の一振り。その存在を知覚できても腕は二本しかなく、同時に襲い来る刃を弾くことは達人でも至難の技だ。
「考えは悪くない。……が、それはそれとして、少し面白くないな」
「なっ……」
これで勝負を決めてやる、と思っていた矢先。距離を詰める前に、目の前で槍一本に全ての雨刃が叩き落とされた事実に目を見張る。
驚愕を浮かべている間に逆に距離を詰められて、くるり、と華麗にひと回りする相手を見ることとなる。
次の瞬間に揺れた世界で、相手の蹴りをくらったのだと認識した。
◇◇◇
気を失った相手が暗転した世界から目を覚ますと黒雲は随分と薄くなり、淡い陽が周囲を照らしていた。
どれくらい寝ていたのかと、右に、左に、ゆっくりと眼球を動かして状況を確認している。
「起きたか、公子殿」
声を掛けると、何処かぼんやりとした焦点の合わない瞳で見返された。暫く見つめ合っていると少しづつ意識が覚醒したのか、苦虫を噛み潰したような表情へと移り変わっていった。
表情がくるくると変わる様は見ていて飽きない。
「この、エセ凡人」
「言っておくが、先ほどの戦いで魔神としての力は揮っていないぞ」
「……へぇ。俺は純粋な力の差で負けたって?」
一段と低くなった声と共に、ぴり、とした殺気が肌を突き刺す。
「そういう事だな。人々が何百、何千とかけて培ってきた技術の粋だ。容易く超えられては立つ瀬がない」
「何千年も生きた先生だからこそ、使いこなせてるって言うのもあるだろ」
言葉を紡ぎながら泥まみれのままの相手へと手を伸ばした。不貞腐れながらも「ありがと」と、感謝を口にして手を握り返す律儀さは彼らしい。
彼を立たせながら先ほどまで彼が見せていた、狂気に似た歓喜を思い出す。楽しい、と全身で表現するような。もっと、と何処までも貪欲に追いかけるような。
こちらの前ではそんな表情をした事など無いと言うのに、だ。おかげで少しばかり力が入り過ぎたが、わざわざ言うようなことでも無い。
次の手合わせの予定をねだる相手の言葉に、笑みを深めて頷いた。