鍾タルワンライ「愛」「心臓」「先生のそれは愛じゃないよ」
目の前の堅物が「愛している」などと宣うものだから、タルタリヤは嗤った。幾千年の月日を生きた正真正銘の神様が人の、しかも全うとは決して言えない部類の人間を愛でるだなんて笑い種でしかない。その証拠に真っ向から情愛を否定しても、眉ひとつ顰めることもなく、いつも通りの顔付きのままだった。
「どうして愛ではないと言い切れる」
「逆に聞くけど、先生はなんで俺のことを愛してるだなんて思ったの」
「公子殿と居ると此処がうるさい」
此処と抑えた先は左胸。心臓があるとされている位置。抱腹絶倒の四文字の通りにタルタリヤは大きく笑い声を上げた。腹を抱えて、ひぃひぃ、と息を吸う。目尻に溜まった涙を自身の指先で掬い上げた。
「やっぱり先生のそれは愛じゃない。ただ、物珍しいものを見て興奮したのを、愛だと錯覚しているだけだ」
瞳を細め、憐れみを視線に滲ませたタルタリヤは「それだけだよ」と言葉を結んだ。
◇◇◇
風に乗って雪が舞う国、スネージナヤ。その玄関先でタルタリヤは半笑いのまま、突然来訪した男を迎えていた。一体どうして、この男がこんなところに居るのか。来訪を歓迎する言葉もなく無言で向き合っていた二人を、ぱちりと火が爆ぜる音が現実に引き戻した。
暖気が逃げてしまう前に「どうぞ」と短い言葉で入室を許可すると、改めて来訪者へと向き合った。
「……で? 大好きな璃月を離れてまで、どうして鍾離先生がこんなところに居るの?」
「公子殿に会いに来たんだ」
「俺に?」
「ああ」
薄っすらと雪が掛かったコートを脱ぐと、こちらも相変わらず仕立ての良い上着。久しぶりに見る姿はどこもかしこも記憶の中と寸分変わらないままだ。強いて言えば耳飾りが新調されているくらいか。
「前に俺が〝愛している〟と伝えた時に、公子殿は〝気の間違いだ〟と言っていたな」
「また随分と前の話を持ち出すじゃないか。もう二十年くらい前の話だろ」
「十八年前だ。正確に言うと十八年と、七カ月」
細かい。だが、もうそんなに月日が経っていたのかと少しばかり懐かしい気持ちにもなった。旅人や、国の為に駆け回った時代を振り返る。現役を退き、今では近所の子供たちからおじさんと呼ばれる年頃だ。我ながら、良くもまぁ死なずに此処まで来たと思う。
「確かに、と思ったんだ。あの時の俺は公子殿の言に反論する言葉を持たず、疑いようのない証拠を提示する事も出来なかった。気の間違いだと言われても仕方がない」
瞳を伏せ、長い睫毛が陰影を落とす。右腕が左胸へと添えられると、ぎゅ、と上着に皺が寄った。
「だが、公子殿が国へと帰ってから、今に至るまで変わらずに此処が痛いままだ。少なくとも十八年と七カ月、俺の考えは変わっていない。今ならば、この月日の積み重ねを証拠とし、俺はお前を愛していると言える」
「まさか、それを言いに来たの?」
「そうだ」
いけしゃあしゃあとした様子。
璃月とスネージナヤは「ちょっと出かけてきます」と言う気軽さで行き来できる距離に無い。ただ、一言。それを伝える為だけに訪れたのだと聞かされたら、さすがにぐっと来るものがある。緩む口元を隠すように、あー……と間延びした声が零れた。
「俺が結婚してるとか考えたりしなかった?」
「考えはしたが、想いを伝えるだけでは罪に成り得ないだろう。では、邪魔をしたな」
手にしたコートを軽やかに羽織り、早々に帰り支度を始める相手の腕を思い切り掴む。出掛け際に子供が駄々をこねる様を見ているような、困ったような顔でこっちを見るんじゃない。
「待て待て待て! なに、あっさり帰ろうとしてんの!?」
「要件は済んだ。こうして他国に赴けるほどに情勢が安定したとは言え、往生堂の務めもある。長く留守にして堂主に妙な絡まれ方をされるのは御免だ」
「へぇ、まだ往生堂にいるんだ……じゃない! っくそ、一人ですっきりした顔しやがって!」
たった今、分かった事がある。
当時は恋愛ごっこの相手に俺を選ぶしかないほど、誰もこの男に近寄らないのかと考えていたが、そうじゃない。この男が独りよがりに突き進む所為で、誰も傍に近寄れないだけだ。
他愛のないやり取り。たったそれだけの事で心臓がうるさく鳴り響く。あの時も、破裂しそうなくらい速く脈打っていた事を思い出してしまった。
十八年と、少し。人にとっては短いと言えない永い時間だ。それだけの月日をかけて、ようやく忘れられそうだったのに。
とりあえず、今は、
「言い逃げなんて絶対に許さないから、大人しくそこに座ってて!」