星は瞬く「あなたから日付を指定してのお誘いとは珍しい」
「……言うな」
夜の帳が下りた頃合、蓮花塢の四阿にて姑蘇藍氏の宗主と雲夢江氏の宗主が各々茶杯と酒杯を手にして向かい合っていた。
「嬉しいという話だよ」
茶杯を掲げた藍㬢臣が微笑みながら、そう言った。少し顔を逸らしながらも江澄も酒杯を掲げ、一息に煽る。
「いいお茶だ」
「口にあったならよかった。雲夢の高山で今年採れたばかりのものだ。気に入ったのなら帰りに包もう」
「それは嬉しい。ありがたくいただこうかな」
四阿は湖から吹く風がよく通り、些か残る雲夢の暑さを涼やかに和らげてくれている。空には星も少しづつ煌めき出してきていた。
「――何故今日だったのか、理由を聞いても?」
藍㬢臣がゆったりとした口調でそう問うと、江澄は杯に継ぎ足した酒を再び一息に煽ったあと、ふうっと胸から息を深く吐き出した。
「今日は……姉が婚姻の式を挙げた日だ」
吐息と共に重く吐き出された言葉に、藍㬢臣は江澄から目を離さず、続きを促すように視線を動かした。空になった酒杯を手の内で弄びながら、江澄は続きをぽつりと切り出した。
「姉の晴れ姿をあいつに見せに、夷陵まで行った」
当時、師兄であった魏無羨は乱葬崗にて温氏の生き残りと居を構えており、公的には江氏からも破門された状態であった。
「俺とあいつで、姉の婚礼は百年語り継がれ、誰もが絶賛する最高の式にすると、昔から話していたんだ。ずっと……ずっと。それなのに……」
かつて姉の幸せを共に夢想して話していた相手は仙門百家から煙たがられるようになっており、とても式には参列させられるような状況ではなくなっていた。最高にするはずの式は、蘭陵金氏の金鱗台で執り行われたこともあり、それは盛大なものであった。しかし、家族が、たった三人の家族が揃うことは叶わなかった。
「どうしても思い出してしまう」
そしてその後、三人が揃うことができた瞬間は、不夜天での姉の最期、一度きりであった。十数年経った今でも思う。あの時、他に選択肢はなかったのか、もっと早く気づくことができたら、もし、もし……。
「この日ばかりは」
《もし》などないのに。
分かって、いるのに。
「だから……っ」
両手で顔を覆い、俯いた江澄の背にふわりと腕が回り、そっと抱き寄せられた。きつく押し付けていた手があたたかい掌によってゆっくりと外され、そのまま目元を覆ってくれる。長い袖に包まれふんわりとした白檀の香りが鼻元をやわらかにくすぐった。
「――……話してくれて、ありがとう」
藍㬢臣がそう耳元でささやくと、掌の下で熱い涙がながれるのを感じた。このひとは長い間、たった独りで耐えてきていたのだろう。今回の件だけでなく、色々なことを。そういう人だと分かっていたはずなのに、まだこんなにも知らない、独りきりで抱えていることがある。だから。
「またひとつ、あなたのことを知ることができてよかった。……呼んでくれて、ありがとう。阿澄」
低く輝く星がちかりと美しく瞬いた。
終