彼女が何を叫んでたのかは、いまいち覚えていない。ここで手首を切ってやるとか、いや切るのじゃ足りない死んでやるとか、辻くんなら一緒に死んでくれるよねとか、物騒なことをナイフ…というより包丁のようなものを握りしめながら叫んでいたようだった。
いつも人間とは比べられないような化け物を相手に戦っているはずなのに、恐怖で一歩もそこから動けなかった。普段は傷つくことのないトリオン体で戦っているが、今は生身なのだ。生身で、会話の通じない相手から刃物を突きつけられることがこんなに恐ろしいことだとは知らなかった。女の人が苦手な悪癖も影響していたのだろう、こんな時でも女の人と上手く接することができない。男だったら、待て、とか落ち着け、とか何か声を掛けられたかもしれない。いや、そもそも相手はまともじゃないみたいだし、意思の疎通なんてできないだろうけど。なんにせよ、できたのは数歩後ずさりすることだけだった。
彼女はタックルでもするかのように俺に突進してきた。ボーダーでの個人戦だったら難なく避けられるような単調な動きが避けられない。そのまま体重をかけたままぶつかられて、後ろにひっくり返った。受け身がうまく取れなくて、アスファルトにガツンと頭をぶつけ火花が散った気がした。彼女は俺の上に馬乗りになり、包丁を振りかざす。打ち付けて眩んだ視界の中、必死に手を伸ばして、その手を掴んだ。彼女は力を一切緩めない。必死な人間の、捨て身の馬鹿力がこんなにも強いものだとは知らなかった。いつ刃物が掠ったり、刺さったりするかもわからない中で、もみ合いの様になる。もう無我夢中だった。