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    namautudi

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    namautudi

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    半年ぶりに書いた
    書き上げることは出来るかはわかりません

    松方弘樹世界を釣る ざざ、ざざ、ざざ。
     波の音は低く、静かに、しかし絶え間なく続いている。
     夜の埠頭は真昼よりも潮のにおいが強いような気がする。それは塩気の強い海藻のような、生臭い魚のしめった屍骸のような、海そのもののようなにおいだ。
     波は高くないが、小雨が降っている。あたりには誰もいない。波の音だけがずっと繰り返されている。私の足元からまっすぐ伸びる白いコンクリート製の埠頭に立つのは私ひとりだ。いくら手持ちライトで照らしても埠頭の先端は闇に融けて見えない。
     雨の日の夜釣りは静かだ。雨が海水を掻き回し魚の餌となる微生物が上がってくる。それにつられて魚も水面までやってくる。それに雨が海面を叩くから水中に酸素が多く含まれる。魚が活発に餌に食いつく。だから夜釣りはよく釣れる。だが雨の夜釣りは危険が伴う。無論足元は滑るし、夜だから海に落ちても探しにくい。だから人は少ない。当然のことだ。
     さっきも巡回中の警官に声をかけられた。私の顔を見ると若い警官はぺこりと頭を下げる。小さな集落では誰もが顔見知りになる。私の格好を見て夜釣りだと察したのだろう、警官は気を付けるようにと言った。最近都会の方から夜釣りに来て行方不明になった者がいたからだ。風の強い夜だった。波が少々高かったが、都会からわざわざ来たのにもったいないと思ったのだろうか。漁港でも捜索に協力したが、結局見つからなかった。波にさらわれてしまうと思いのほか遠くへ運ばれてしまうこともある。
     だが今夜は風が強いわけじゃあない。足元さえ注意すれば大丈夫だろう。
     せっかくの2連休だ。数か月ぶりだった。なかなかにハードな仕事なのだ。
     学生の頃はよく釣りに来た。
     生まれはここではなかったから、もちろんこの港ではない。ここは仕事のために住んでいるだけだ。仕事であちこちの地域を回ったが、今回たまたま海が近くにあった。けれどもこの港の寂れた感じが私の生まれた場所に似ているような気がした。
     私は海の近くで生まれた。小さな集落のほとんどが漁業を生業としていた。父もその漁港の出身ではなく仕事でその地に来ていて母と出会い、集落に根を下ろした。父は漁師ではなかったが、釣りを趣味としていた。娯楽のない街だったから空いた時間には誰もが釣りに行く他ないのだ。朝まずめも夕まずめも関係なく、埠頭にはバケツを横に置いて小さな折りたたみ椅子に腰を下ろし背中を丸めて釣り糸を垂れる者がずらりと並んでいた。主に老人と子供だ。漁から戻った男たちは昼間から酒を飲み、夕方には酔っぱらって寝てしまう。そう栄えた漁港でもなかったし、目新しい特産物もない町だ。それでも昔はよかったのだろう。昨今の不漁では船のガソリン代がかさむばかりで漁だけでは食って行けず、ましてや温暖化による海水温の上昇で赤潮が発生すると養殖も駄目になる不安定な産業だ。私の母は父と結婚した後は専業主婦だったが、級友のほとんどの母親たちは収入を補うために缶詰工場や乾燥ワカメの工場で働かざるを得なかった。早朝から働き、朝食時には一旦帰ってきて刺身とご飯を出し、また仕事に行くのだと友達が言っていた。朝から刺身など豪華だと思うかもしれないが、市場で購入し捌いて切っただけだ。それがいちばん簡単なのだ。
     母親どころか、子供たちの中にもヘラを使って貝を開けるアルバイトをしている者がいた。大概は中学生以上だったが、一部の家庭の者はこっそりと、しかし公然と小学生のアルバイトが認められていたようだった。それだけ貧しかったのだろうと思う。
     放課後に港へ行くと白っぽい船が上下に揺れながら並んでいたが、どの船も潮で錆びつき、あちこちが茶色く汚れていた。船体に巻き貝がたくさんくっついているものもあった。漁の網を上げる大きなモーターにはワイヤーロープがぐるぐる巻いてあり、小学生の私はそれを見るたびに、ある級友の父の足が片方、腿の途中からないのを思い出した。網を巻き上げる際に誤ってワイヤーロープが足に絡み付いたのだと聞いた。ワイヤーが足を切断したのだったか、締め付けたことで足が壊死し切断を余儀なくされたのだったか、おそらく聞いたはずだが今ではもう思い出せない。その片足のない父親は義足を作ったようだが、それを着けた所は一度も見たことがなかった。いつ級友の家に行っても居間で酒を飲み、困った顔の級友に絡むか、酔っぱらって鼾をかきながら寝ているかのどちらかだった。彼の家は大きな家で、ローンを払っている最中だったようだが、足を切断したことで支払いをしなくてもよくなったのだと聞いた。しかし級友には兄も姉もおり、その祖父母も同居していて家族は多く、保険金や年金だけでは足りなかったのだろう。彼の母親は夜の店で働くようになった。港は大きくなかったが、時折外国の漁船が立ち寄る。級友の母が働くのはその外国人が来る店のようだった。夕方に真っ赤な口紅を塗って安っぽいひらひらしたワンピースを着た級友の母が俯いて出勤していくのを何度か見たことがある。そのたびに通りすがりの私はなにか見てはいけないものを見たような気分がした。近くにいて級友の母に挨拶もしていた近所のおばさんたちは、彼女の姿が見えなくなると陰口を言い始める。『からだをうって』。『こどもにはずかしくないのか』。そんな言葉が繰り返された。
     私はその意味が分からなかった。子供だったのだ。けれどもそのうちに級友が家からこっそり学校に持ってきた女性の裸が載った雑誌のグラビア、漫画のワンシーンに挟まれる男女のキスや大きな胸の女の子の絵を見て興奮を覚えた。やがて級友の母が何をしているのかを理解し、私は潔癖と呼べるほどに嫌悪した。
     そのうちにあからさまな嫌がらせがはじまったらしい。級友も虐められていたようだ。私は父がその地の出身ではなかったため半ば余所者に近い存在だったし、性格も大人しかった。級友たちもどこか遠巻きで、必然的に友人は多くなかったから級友が虐められていることにしばらく気が付かなかったのだ。私が気づいたのは彼の顔や腕に擦り傷や痣が多く出来た頃で、そのすぐ後に彼の大きな家は売りに出され、もう少し大きな町に彼の家族は引っ越して行ってしまったのだった。
     陽に焼け、日々の力仕事で鍛えられた屈強な筋肉を持つ男たちは幼い私を圧倒した。村道や級友の家で見る大人の男は大概酔っぱらっていて怖かった。どちらかといえば色白で細身であった私の父にはないものだった。そして私もその性質を引き継いだ。漁港で生まれ育っても色白で細身の体は変わることなく成長した。そのこともあってか私は生まれ故郷のくせにいつまでもその地に馴染めなかった。
     だからこそ一人になれる釣りに惹かれたのかもしれない。
     小学生の頃は父に連れて来てもらったが、中学生になるともう一人で来ることが多かった。級友に埠頭へ誘われることもあったが、ほとんどが一人だった。大物が釣れた時、近所の釣具屋に釣果を持って行くと魚拓と写真を撮って店内に飾ってくれるのだが、写真を見た級友が学校でそれを話しからかわれるのが嫌だった。ますます私は俯いた。
     やがて大きくなり一人で遠くへ行けるようになると海だけではなく渓流釣りもしたし、湖沼でブラックバスを釣ったりもした。魚との駆け引きも楽しかった。頭脳戦なのか力技なのかそれはどの魚を狙うかによって違った。平日は勉強に没頭し、休みの前日は仕掛けを作り、竿を選び、天候を調べ、目覚まし時計をセットして、逸る心をそのままに眠りにつく。そしてアラームに起こされ、まだ明け方前の暗い世界に自転車で漕ぎ出すのだ。狭く重苦しい世間から離れて物言わぬ魚とふたりっきりになりたかっただけなのだろう。けれども、釣りというものは私を魅了した。
     しかしながら私にも受験というものが迫り、釣りからは徐々に遠ざかった。両親の望む難関の大学は塾なしでは合格することが出来ず、どうにか入学してからも講義に付いていくには釣りなどしている暇はなかった。いや、暇はあったのかもしれない。だが大学のあった都会には故郷にはない娯楽があった。釣りに費やす時間がなかっただけだ。
     大学で資格を取り、研究をした後、私は仕事で数年ごとにあちこちの地を転々とした。その間も釣りをすることはなく、まるですっかりと抜けて落ちてしまったかのようだった私の釣りに対する思いは、この故郷に似た静かな漁村に来てまたゆっくりと湧き上がった。
     仕事で海岸線に車を走らせるたび、あの辺りはカレイが釣れそうだ、アイナメが釣れそうだ、夜にはアナゴだろうかと思う。
     激務のためと言いわけして未だに独り身だった私は誰にも気兼ねせずまた釣りに没頭したいと思うようになっていた。それは仕事からの逃避という意味もある。要するに私はまた一人になりたくなったのだった。
     釣り道具は一切持って来ていなかったから、すべて買い揃えるところから始めた。漁港だからあちこちに小さな釣具屋があったし、何を狙うのかによって使い分ける仕掛けや竿は知識として覚えていた。餌は、昔は自分で獲っていたが、今回はイソメを買った。それから布製の椅子。クーラーボックスとタモと折りたたみ式のバケツ。仕掛けを入れる樹脂製のケース。ロッドケースも必要だ。当時は考えなかったが、案外小物類が多い。一度に買い揃えるのも大変だ。だがそれが楽しみでもある。あの頃と違って金もある。子供の時のわくわくした気持ちが湧いてくるのが自分でも分かるくらいだった。
     カレンダーを何度もながめ、今夜が自分にとって久しぶりの2連休であることを確認した。その日に急な仕事が入らないことを強く願った。
     それでようやく今夜が来たのだ。
     体力が若い頃と同じではないことは分かっている。釣りは楽しみではあるものの、普段寝ている時間に起きて行動するということはそれだけで疲労するものだ。釣りを終えた後の休息時間を多く取ることで翌日の仕事に影響がないように体調を整えておかなくてはならない。そんなことまで考えなくては趣味活動を行うことも出来ない年齢になってしまったのだ。20年以上。いや、30年近いだろうか。そんなブランクで失ったのは体力だけではない。おそらく反射神経も同様だろう。足を滑らせたときに対処出来るか。そんなことを考えると、いきなり夜釣りはハードルが高かったのではないかとも考える。
    けれども来てしまった。漁港の駐車場に車を置き、大荷物を肩に掛け、えっちらおっちら歩いて埠頭まで歩いてやって来てしまった。
     さあ、これからだった。
     埠頭の真ん中付近までさらに歩く。ランタン型手持ちライトの光の中で斜めに落ちていく雨粒が見えた。いつもは白いコンクリートが雨で濡れているせいか、それとも夜のせいか、暗い色になっていた。私は肩に掛けていたクーラーボックスを下ろし、その横にナイロン製のロッドケースも寝かせた。仕掛けのケースやら小物類が入ったナイロンバッグはそのすぐ近くに置く。手に持っていたライトをクーラーボックスの上に乗せると、私は海を覗き込んだ。水面は遠い。そして真っ黒でよく見えない。海面までライトの光は届かないようだった。いつもはもっと高い気がする。引き潮か。そういえば調べたはずだ。
    「釣れますか」
     不意に背後から声をかけられ、私は飛び上がるほど驚いた。濡れたコンクリートに足を滑らせかけ、声の主にがしりと上腕をつかまれる。慌てて振り向くと、そこに立っていたのは若い男だった。
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