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    hinagami69

    @hinagami69

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    hinagami69

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    モクマさんお誕生日おめでとうございます!
    お祝いの気持ちで書き始めたらひたすらキスしてるだけの話になってしまいました。
    砂吐く勢いの甘ったるいラブコメです。モクマさんが今年で39歳になる体で書きました。

    残り四回のなんでも券「モクマさん、何か今お求めの品はありますか?」
     苦々しく思いながらそう問えば、モクマはポカンとした顔でこちらを見た。
     僅かな沈黙。食事のさなかの質問に、フォークに突き刺さった大ぶりなエッグベネディクトはその口に招かれる前にぼとりと皿の上に落ちた。
     一口大に切り分けて食べることなんてしない。そもそもモクマの一口はエッグベネディクト一個分のため、再び白磁の皿に舞い戻ったそれらは黄身は潰れ、挟んだアボカドははみ出し、ベーコンもマフィンも整えられたソースも全てが乱され凄惨な現場写真のような様相になっている。
    「ありゃりゃ」
     慌ててそれらを適当に重ね合わせようとするモクマをひと睨みすると指を引っ込めて改めてフォークを持ち直した。やはり、素手であらゆる食材に触れようとしたように見える。それだけはいただけない。
     目線一つでそれを理解したらしいモクマはフォークを使ってそれらをかろうじて原型のわかるレベルまで戻して改めて口に運んだ。
     無精髭の生えた口元が波のように動いてしばらくしたのちに喉が大きく上下する。
     その全てを見届けてから、添えられたカフェオレを口にしてからモクマはゆっくり口を開いた。
    「え、なして突然そんなこと聞いてくるの? ボーナスの時期にはまだ早くない?」
     ボーナス。そのような賞与制度もあったなとチェズレイは腕を組みながら聞いた。
     ヴィンウェイでは十二月の終わりに十三回目の給料として特別支給があるが、モクマの話では年二回あるところもあるらしい。しかしそれとこれとは今は話が違うのだ。チェズレイは口を開きかけて、また閉じた。
     どうやらこの男、自分の誕生日と言うものを理解していないようだ。
    「……賞与というものはいつ貰っても嬉しいものでは?」
    「まあ、そりゃそうだけども」
     これ幸いと誕生日のことは伏せておいた。質問の真意を掴みかねているのだろう。モクマは、時期外れのボーナスと本気で思っているのか顎先を指で擦りながら黒目を上へ向けている。
    「うう〜ん、美味しいお酒に美味しいご飯と美人な相棒。これ以上何もいらないってくらいだからなあ」
    「ええ、それは存じております。その上でお聞きしているのです」
     言われた三つの要素はすでに満たしたプランが頭にある。
     チェズレイとしてモクマの誕生日は盛大に祝いたい行事の一つだった。
     モクマの好物のレシピをナデシコを介しマイカ出身のカンナに聞いた。明るくない酒に関する知識もその流れで聞き、モクマが好きであろうアルコールの準備をした。つまみとしてのメニューも十分あるが、彼はクラシックを聞きながら酒を煽ることが好きだ。ここは一曲か二曲ほど披露しても良いかもしれない。そう考えて頭の中の譜面から適した数曲をピックアップしておいた。モクマは曲名なぞ知らないだろうし、これから知ることもないだろうが、そこはチェズレイ自身の矜持だ。
    「あなたの好みの品はいずれも消えものばかりですから。たまには形の残るものをお求めになっては?」
     ふと気付いたのだ。モクマを満たすもののほとんどは、彼が味わってしまえば消えてゆくものばかりだ。
     悪党として生きていく分には、その性分は好ましい。荷物が少ないどころかモクマはその気になれば身一つでどこへでも行けそうなほど抱えている物が少ない。
     その少ない荷物に、何か自分が与えたものがあれば。
     思い至った瞬間にむくむくと自分の好奇心がざわついたのが分かった。
     けれどいくら考えても答えは出なかった。ならば本人に聞いてしまう他あるまい。
    「う〜ん、それじゃあね」
     思案の海から浮上したらしいモクマは天井を眺めていた目をこちらに向けた。
     考えがまとまったらしい。さあ、なんでも用意して見せようではないか。裏社会を渡り歩く上で人脈も資金も潤沢にあるとこれは過信などではなく実績としてある。
    「お前さんを好きにできる券が欲しいかな」
    「……は?」
     しかしモクマの言葉はチェズレイのあらゆる予想を追い越した。いや、追い越してなどいない。明後日の方向へ向いた要求は、チェズレイの脳にあった温泉付き邸宅よりも、自身でテイスティングして原材料から決められる醸造所の設立よりも、他に思い浮かんでいたアイディアの全てより斜め上を行った。
    「なんです、それ?」
    「え、知らない? 子供の頃の定番だったでしょ『なんでも券』」
     チェズレイには当てはまらない『定番』がこの世にはあるらしい。まあ世間一般的『定番』が自分に当てはまることなど今生でほとんど一度も無かったので、それはそうとしてそのようなものがあるのかと興味本位が勝った。
    「村では肩たたき券とかも、あったかなあ。あとはお手伝い券とか。こう紙にね書いてさ〜切り離し用の点線も一緒に書いてね。枚数とかは特別決まってはなかったけどそれを折って渡すの」
    「なるほど、自由にできる金銭が少ない幼児の涙ぐましい贈呈品だ——ところでモクマさんは私にそのような幼児の遊びを付き合わせたい?」
     話を聞いた限り、子供扱いである。思わず寄せた眉根で睨むように見ると、モクマはその眉を下げて笑った。チェズレイが憎めない笑い顔である。知ってか知らずか、この男は最近よくこの顔をするようになった。
    「思ってない、思ってない。おじさん本当になんも思いつかんくて」
     手を振って否定をしながらモクマは今一度カフェオレを口に含んだ。すっかりぬるくなっているであろうその濁った液体がゆっくり喉に落ちたあと、一緒に含んだ空気を吐き出すようにしてから「それにね」と続けた。
    「お前は俺の好きなもんは消えものばかりって言ったけど。お前は違うでしょ」
    「おや、私も消えものですよ。いつかは消えます、死という終わりを迎える生きた『もの』ですから」
    「あはは、そう言われちゃあそうだけどさ。なおさら生きてるお前を好きにできる権利が欲しいよ」
     そう言うモクマの表情も声音も冗談ではないと訴えかけてきたものだから、チェズレイも茶化すことはやめにした。
    「モクマさんは己の欲を正直にぶつけるための大義名分が欲しいと、あァ私はその権利とやらでどれほどの恥辱を味わうのでしょうねェ……」
    「言い方もうちょっとあったでしょ?!」
     フフフ、と笑いながらチェズレイは頭の中でずっと空欄だったプレゼントの枠に『なんでも券』と書き込んだのだった。



     不思議な質問をされたもんだ。と思った日から一ヶ月ほど。
     その日は朝起きてからと言うもの、なんだかとっても凄い日だった。
     言葉が拙くなってしまうほど、凄い日だった。
     まず久しぶりの丸一日のオフだったし、朝から豪勢な朝食が用意され、あまつさえ日の昇っている時間での飲酒が許された。(日中の飲酒は節度がないと共に暮らし始めてすぐチェズレイから禁止されていた)
     昼も夜もとんでもなく尽くされて、晩酌にはピアノの演奏まであって、なんだってこんな良い夜を、と思った末にこれである。
    「モクマさん、お求めの品をご用意しましたよ」
     渡されたものは、五枚綴りの紙であった。ペラペラのコピー用紙なんかではない、厚みのある紙。キラキラしていて、金箔が所々混じっているような紙の中央に艶々した文字で『チェズレイ・ニコルズへの命令券』と書かれていた。
     モクマはその時になって一ヶ月前の出来事を思い出した。あ、あの時の。なんて思った矢先、でもなんで突然? と言う疑問が浮かんでもたげている。
    「お誕生日おめでとうございます、モクマさん」
    「え?」
     お誕生日おめでとう、そう確かに言われた。
     目線が手元にあるキラキラした紙から、目の前のチェズレイに向かい、そうしてそばに置かれたタブレット端末に行く。ホームボタンを押してロック画面を見ると、そこに現れた日付は確かに、馴染みのある数字だった。
    「あ、今日俺の誕生日だったんだ?」
    「もしや今の今までお気づきになられていなかった?」
     胡乱げな眼差しを投げられて、しまったと冷や汗が流れる。
    「す、すまん。おじさん今まで誕生日なんて意識したことなくって」
     そうか、誕生日か。
     理解すると『なんだかとっても凄い日』だったのも頷ける。律儀な相棒のことだ。この日のために入念な準備をしていたに違いない。それならそうと、早く言ってくれればいいものの。いや、この男は記念日だとかそう言うものを大事にしそうだから、そもそも相手が自分の生まれた日を忘れていると言う考えはなかったのかもしれない。
    「もしやあなた、ご自分の年齢もお忘れとは言いませんよねェ?」
    「え、えーっと」
     背中を流れる冷や汗が一筋二筋と増えていく。
     正直言って、思い出せない。あれ、今って何年だっけ。俺って何年生まれだっけ。生まれ年は思い出したような、今が何年かわかれば逆算できる。そう思ってタブレットに伸ばした指を、チェズレイの手袋のはめた真白な指先が静止を促した。
    「フフフ、物忘れのひどい人だ。良いでしょう、私が思い出させてあげますよ」
     そう言ったチェズレイの顔が音もなく近付いてきて、目を閉じるよりも前に唇に触れた。チェズレイの唇が。
     え。と思うと、ようやくピントが合うまで距離を開けたチェズレイは面白くてたまらないと言ったような顔で舌なめずりをした。
    「あなたの年の数だけキスをしましょう、きちんと数えて、覚えておいてくださいね」
     返事を待たずして、鳥のようなキスをまた一つ二つと落とされる。
     え、すでにわからん。今ので三回ってこと? こんなのを繰り返されちゃうわけ?
     困惑を極めるモクマに対し、チェズレイはそれはもう嬉しそうにその手を引いてベッドルームへと足を向けた。
     
     どうやら相棒は本気らしい。
    「あなたはそのままで」
     そう前置きをして、チェズレイはモクマを押し倒して馬乗りになった。ちゅ、ちゅ、ちゅ、と軽いリップ音を立てて唇を付けては離してをして服を脱がされる。
    「あ、あの〜チェズレイさん」
     行き場を失った、と言うより、行き場を彷徨った手でチェズレイの服に手をかけながら声をかけると唇をまた吸われてから「なんです?」と尋ねられる。
    「そのままって、どこまで?」
    「おや、堪え性の無い方ですねェ……そんなに私に触れたい?」
    「そりゃあねえ」
     言いながらチェズレイの着ているシャツのボタンを外してみるが、咎められないのでセーフなのだろう。
    「私のキスした回数をきちんと覚えているのであれば、ご随意に。ちなみに今の回数は覚えておいでですか?」
    「え〜っと、六回。あいや、さっきの含めて七回か?」
    「フフフ、正解です」
     あ、やっぱりあの可愛らしいキスもカウントされるんだ。
     そう思っていたらまたその唇が降ってきたので、その顔が離れる前に手を回して固定する。チェズレイの肩が僅かに跳ねた。それを横目で見ながら、モクマは離れた唇を繋ぐように舌を伸ばした。閉じられた薄い唇をつつくと、勝手知ったるチェズレイはゆっくりとそこを開いてくれる。あたたかい口内を貪るように舌で這った。
     去り際にわざと音を立てて吸い付けば、恨めしそうな目をしたチェズレイがそこにいた。
    「誰がここまでして良いと?」
    「回数、覚えてれば良いんでしょ? 今ので八回目」
     ニヤリと笑って伝えたら、今度はチェズレイの方から深いキスをされた。彼の長い舌がモクマの口内に差し込まれることは珍しい。いや、行為の最中お互いに頭が茹ってしまえばどちらが先なんて考えてもいないが、戯れの段階でチェズレイの方から、と言うのはあまりない経験だった。
     舌先で歯列をなぞられ、舌を絡められる。それが普段、自分がチェズレイにしている順序だと分かってモクマは口内を貪られているからだけではない快感がゾワゾワと沸き立つのを感じた。
     クチュ、クチュと音を立てながら淫靡なキスは終わりを告げた。銀糸が二人を繋いでそれがぷつりと途切れた時に、チェズレイは小さく息をついた。
    「こんなの続けてたら、おじさん窒息しちゃうかも」
    「よく言いますよ。あなたの肺活量を私が知らないとでも?」
     息を乱しながら告げるチェズレイに同調しようとしたが失敗に終わってしまったらしい。確かに肺活量には自信がある。水中でもそこそこ息を止めていられるが、それとこれとは勝手が違う。こうも目の前でチェズレイが必死になって口を吸ってくるのだ。平常心でいられるわけがなかった。
    「ですが……この調子では私の方が保たないのは、そうでしょうね」
     ふむ、と考えたチェズレイはおもむろに目を向けた。それはモクマの指先を辿り、そうして全身に回る。
    「良いでしょう。本日はあなたの誕生日。私が一肌脱いでさし上げましょう」
    「いやいや、何が良いのかおじさんさっぱり……報連相しっかりしよ?! ってうわっ」
    「色気のない声ですねえ」
    「いやいやだってさ」
     言いたくもなるだろう。チェズレイはモクマの左手を取るとおもむろにその親指に唇を落としたのだ。そのまま人差し指、中指、薬指、小指と順番にその薄い唇が触れていく。
    「もしや、それで五回?」
    「えぇ、そうです。どこかの下衆な人がねえ、私のプランを崩してくるので」
    「それはすまん」
     謝っている間に、さあ次はこちらだと右手を持ち上げられたのでモクマもされるがまま、力を抜いた。左手と同じように親指から始まって順々に小さな口付けが落とされていく。
     ちゅ、と人差し指に。
     れろ、と舌を這わされた中指にはささくれがあって血が滲んでいたのだった。わざとそれを刺激するように舐められ唇を落とされたものだから、解放された時にはピリピリとした僅かな痛みとスウスウと空気を冷たく感じる両方が一等長い指の先を襲ってむず痒くて仕方がない。痛みには慣れているはずなのに、ささくれの痛みってのはなんでこんなに感じてしまうのだろうなあと思っていると、チェズレイもしてやったりと言うような顔をするからこれまた困ってしまう。
    「おじさん誕生日なのにいじめられてる……」
    「つい数分前までお忘れでいらしたのに、調子が良いですね」
     詫びのつもりか、はたまた特別目立った怪我もないからか、薬指はいたって自然に唇を落とされて終わった。
     最後に残ったのは一番ちいちゃな指先だった。モクマの爪はチェズレイのそれとはまるで違って全てが平たくそして分厚い。その中でも小指は爪の面積が小さく、ふくふくとした肉の主張の激しい指先だった。チェズレイはその一際小さな指先にうやうやしく口付けをした。まるで御伽噺のワンシーンのように、その姿がスローモーションのように見えた。かつて御伽噺みたいに誓いを交わしたその指先からチェズレイの唇が離された時、どちらからともなくまた唇を重ね合った。
    「ん……ふ、ぅ」
     甘やかな吐息も丸ごと飲み込んだ。チェズレイはゆっくり唇を離すと「さて、お次は」と言うものだから、本当にこのまま続ける気なのだろうか。と大人しく組み敷かれながらモクマはこそばゆさと、深い情事に縺れ込みそうでそこまではいかない空気にヤキモキした。
     もちろん、チェズレイとの約束だ。今だってきちんと覚えている。モクマのカウンターが正しければ、今でちょうど二十回だ。もはや自分の年齢なんてどうでも良かったが、まだ大体半分を切ったくらいだと言うことは自分でも分かる。二十といえば、自分は里を出てすぐの頃だ。今よりも髪色は黒々としていたが、今よりも顔色は青々としていた。いつだって死にたかった。死ぬことができなかった。そんな頃合いだ。
     それがチェズレイが今しがた長く愛するように口付けた小指の誓いで文字通り世界が変わったのだから、その年月を辿るようにキスをするチェズレイを尊重したい気持ちは大いにある。けれど自分の下半身は先ほどから熱を持って仕方なかったし、今すぐにでものしかかったチェズレイの肩を掴んでこのベッドに引き倒したい獣のような己を飼い慣らすのに躍起になっていた。
     そんなことを考えている間に、いつの間にか手袋を外したありのままの指先がモクマの足に触れた。処理を怠った、ほうぼうに毛が伸びたふくらはぎを撫でさすり、その指がモクマの足にかかる。
     もしや、今の手の指みたいなことを、やろうと言うのではないだろうか。
     モクマは一瞬、自分の足にキスを落とすチェズレイを想像した。その映像はあまりに倒錯的でそして背徳感を誘った。あの、チェズレイが、この俺の足に……?
    「申し訳ありません、試みようと思いましたが無理なようです」
    「あ、あ〜! 良かった! そうだよね、おじさんの足は流石にね!」
    「いえ、いけると思ったのですが……もう少し衛生面を保証していただければ……」
     え、それってつまり。足の先まできちんと綺麗にしたら、いつかは実現するということだろうか。先ほど浮かんで霧のように消えたヴィジョンが一瞬にして脳に浮かび出された。
    「いや、いやいや。なんか、だめだよ、やっぱり。それはさせられないから、今後もしなくていいよ」
    「おや、そう言われると俄然叶えたくなりますね」
     全くこの子は!
     そんな思いを抱いていたら足さきを撫でるのをやめたチェズレイが再び顔を合わせてきた。これは深いキスではないな、と気配で察しながら瞼を閉じると暗闇の中チェズレイの「フ」と言う吐息に近い笑い声がすぐ近くで聞こえた。そうしてそのまま頬の左右に軽く、そうして閉じたばかりの両瞼にちゅ、ちゅ、ちゅ、ちゅ、と流れるようにキスをされた。
     瞼のキスは初めてだな。
     モクマは閉じられた薄い皮膚の下、チェズレイの唇の形を眼球越しに感じながらそんなことを思った。なかなか悪くない、今度俺もチェズレイにしてやろう。ああでも、メイクをしているところに触れられるのは嫌なのだろうか。涙を吸うのに近くを触れた時は何も言われなかったが、瞼というのは勝手が違う気がする。
     やがて閉じた世界の中で首筋に一度キスを落とされた後に、胸元に空気が入るのを感じてモクマは暗闇の世界から脱却した。視界の中ではモクマのシャツのボタンを外して、その開いた場所に手のひらを差し込んでいるチェズレイがいた。
    「なんかもう、恒例行事みたいになってるね」
    「お嫌です?」
    「ん〜ん、ただお前さんにそうされると、俺も触りたくなっちまうなあと思っただけ」
     言いながら、脱がせかけだったチェズレイのシャツに手を伸ばす。するりと脱げ顕になった白磁の肌の肩口に、もう見慣れた傷跡が見える。チェズレイの視界の中にも、見慣れたであろうモクマの傷跡があるはずだ。同じ位置に一つ、そうしてモクマには胸に消えない銃創が四つほど刻まれている。
     チェズレイがそこに一つ一つキスをしてくれる。
     モクマはそれを黙って受け取っていた。これは二人だけの儀式である。チェズレイがその施しを終えれば、モクマもまたその目の前の真白の雪に残る足跡を辿るように舌を伸ばした。色の変わったそこは僅かに凹凸があって、舌先で辿るとよくわかる。もう何度もした行為だ。これは性愛を求めるのとは違う、もっと性愛よりも原初的な、互いを確かめ合う行為に近かった。
     ようやく二人揃って上半身を曝け出したところで、そろそろかな。とモクマは思っていたのに、チェズレイはそこから下がることなくもう一度顔をあげて、今度はモクマの額にキスをした。
    「すごい、今日はいろんなところにキスしてくれるね」
    「唇へのキスはあなたが邪魔されるので」
    「それはすまんて」
     笑っていうと、チェズレイも小さく笑った。笑った口を閉じる前に、モクマさん。と金平糖を舌にのっけたみたいな声で名前を呼ばれる。
    「うん?」
    「キスをする場所でそれぞれ意味があると、ご存知ですか?」
    「え〜、おじさんがそんな小洒落たもの知ってると思う?」
    「いいえ? だから教えて差し上げようかと」
     そう言うと、もう一度ちゅ、と額に小さな感触を覚えた。
    「まず額は祝福の意味です。今日のあなたにぴったりですね」
     金平糖が溶けきって砂糖水みたいになった声が甘やかに響いた。
    「そしてここ、頬。そして瞼」
     もう一度目を閉じて新鮮な感覚を味わう。
    「頬のキスは親愛の意味があります」
    「ああ、チークキスって言うもんね」
     唯一覚えのある箇所だ。モクマには馴染みがないが、チェズレイの頬にするキスは慣れたものがあった。あれほど唇を合わせることは緊張していたのに。
    「瞼は?」
     気になって尋ねると、チェズレイは少しだけの沈黙の後に「憧憬ですよ」と答えてくれた。
    「昔、母がよくしてくださいました。頬のキスよりもいつの日か瞼へのキスが多くなった」
    「そりゃあ……」
    「フフフ、その頃には私はもう父に重宝されていましたからね」
     それだけ聞いたら、愛おしい記憶の断片のように聞こえたかもしれないが、その意味を知ってしまったらすんなりそう感じることは難しかった。憧れの気持ち。別にそれは抱いておかしくない。チェズレイのような見目も美しく芯の強い男は、それこそその位置へのキスを受けて当然とすら思える。けれど、その相手が母親となると。その意味を知った時のチェズレイの心を慮るとチリリと胸をライターで炙られるような痛みを覚えた。
    「あなたがそんな顔をなさる必要はありませんよ」
    「だってねえ……」
    「必要がない、という証明にその首筋に印をつけておきましたから」
     つつ。とその指先がモクマのの一点をついて、そのままわざとらしく引っ掻いた。
     え。モクマは出来うる限り下を向いたが分からない。しかしチェズレイの表情を見るからに、傷跡の触れ合いの前に首筋を吸ったのだろう。
    「首筋のキスは執着の証です」
    「——ハハハ、光栄だねえ」
     それを聞いたら、モクマも自然と身を乗り出してその真白な首筋に吸い付いていた。小さく、けれど確かに跡が残るようにするとその肌には似合わないほど真っ赤な印が浮かんだ。
    「俺たち似た者同士だね」
    「ええ、本当に」
     チェズレイがしなだれかかるようにその体を預けてきた。
     長い髪がカーテンのように揺れる。真っ直ぐにストンと落ちた絹糸がベッドシーツで蛇のようにうねりを描いた。
    「ね、モクマさん」
     ちゅ。名前を呼ばれながら耳に一つキスをされる。わざと音を大きく立てたのは、チェズレイなりの煽りだったのかもしれない。
    「凄い誘惑してくるじゃない」
    「えェ、そうですよ。それがここへのキスの意味ですから」
     噛み付くようにキスをした。遊びのような時間が、もう終わるのだと告げるようなキスだった。呼吸の仕方も忘れるくらいに食らい付いて、そうして一度離してまた名残惜しく口付けた。
    「物知りなチェズレイさんはどっかしてもらいたい場所とかあるの?」
     わざと隠し事をするような潜めた声で言うと、チェズレイも小さく笑った。チェズレイが声を抑えようとして笑うと、それは鈴みたいにコロコロ鳴るのでモクマは気に入っていた。
    「そうですね、ではここでしょうか」
     言いながら、右手を持たれる。薬指だろうか。その予想は裏切られ、チェズレイのキスをしすぎてもうずっとテラテラと輝いている色めいた唇でその付け根、手首に一つ。キスが落とされた。
    「これで、約束は終わりです。さて、私は何度キスをしたでしょうか」
    「え、このノリでそれ聞くの?」
     もう絶対抱ける流れだと思ってたのに。と、声こそ出なかったが顔と声音で出てしまったのだろう。チェズレイから睨みが飛んでくる。
     律儀者のこいつのことだ。答えなければ先には進めまい。
     そしてきちんと暴れそうな下半身を抑えながら可愛らしいチェズレイの猛攻を数えていたモクマもまた、律儀者が移ってしまったのかも知れなかった。
    「三十九回、でしょ」
     多分、そう。間違っていないはず。
     正解のチャイムはチェズレイの嬉しそうな笑い声だった。
    「フフ、当たりです。モクマさん三十九歳のお誕生日、おめでとうございます」
    「いやはや、まさかこんなクイズが始まるとは思っていなかったけど、正解者へのご褒美はあるのかな」
    「おや、ずいぶん欲しがりでいらっしゃる。けれど、まァ、いいでしょう。正解したモクマさんには先ほどの手首のキスの意味を教えて差し上げましょう」
     正解を当てたことで僅かに張り詰めていた空気を完全に抜いて、モクマは話をしながらチェズレイの肌を撫でた。モクマばかりがヤキモキしていたと思っていたら、チェズレイ自身も昂りを見せているので嬉しい。性感を高まらせるようなそれと、戯れの中間のような触れ方をした指をチェズレイの指が隙間なく組み合わせるように絡めてきた。
    「手首のキスは欲望の意味。さあモクマさん、私たちは子供じみた小指の契りで結ばれましたが、その実態は獣のそれだと言うことを。うちに秘めたその感情で私に教えてくださるのでしょう?」
     近寄った顔ですんでのところで止まった。
    「さっきまであんだけしてくれたのに、キスしてくれんの?」
    「えェ。今日はあなたの年齢の数分だけと決めていましたからね」
     面白そうに歪められたすぐ近くにある美しい顔を、そりゃ残念と言えるような自分では、もちろんなく。
    「さっき貰った『なんでも券』使わせて」
    「おや、何をお願いするのです?」
    「こっからお前さんが好きなだけ俺にキスしてくれるって言う『なんでも券』!」
     駄々っ子のように声だかに言うと、チェズレイは心底おかしそうに笑うと、またその唇を合わせてくれた。ちゅ、ちゅ、ちゅ、と何度も何度も繰り返し、唇が乾く前からまた合わせてくれる。
     先ほどのクイズの延長であれば、自分はとうに還暦も迎えているくらいの数を施されるのを浴びながら、モクマはその数分、いやその数以上こうして隣にいたいと願い、そうして飼い慣らし続けていた獣の檻と鎖を外してようやくその白磁の身体を組み敷いたのだった。
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