幸福はそばに 清潔で真新しいシーツに変えられたベッド、衣類を取り払われ何も無くなったクローゼット。そして必要最低限にまとめられた荷物。
初めて部屋を与えられた状態に戻ったそこに、騎士の鎧を脱いだフレンは一礼をする。
フレンは今日、騎士団を退団した。
藍色を基調にした旅装束に身を包んだフレンは城門前でフレンは城を振り返る。ユーリと共に騎士団の門を叩いたのはもう十年以上も前だが、昨日のように覚えている。ユーリが夢半ばに去ったあともフレンは堅実に職務をこなし、様々な要因があったにせよ史上最年少で騎士団長の地位へと昇り詰めた。ユーリたちのおかげで救われたあとの世界を、国を良くして行こうと奔走する内に、あの旅はずいぶん遠い過去の物語になっていた。
世界は変わった。少なくとも、力無い誰かが不当に犠牲になることや、弱者のために振るった手が罪で汚れることはきっともうない。だからフレンはその地位を降り、これから帝都ザーフィアスを旅立つ。
「フレン!」
「エステリーゼ様」
「行くんですね、フレン。貴方の旅に、幸多からんことを。それから……ユーリに会ったら、よろしく伝えてください」
「ええ」
城の扉から駆け出してきたエステルにフレンは微笑む。数年前から伸ばし始めたという桃色の髪は腰に届きそうだ。色こそ違うが、まるでユーリのようだ。
フレンの旅の目的。それは三年ほど前にその姿を消したユーリを探すことだった。何か事件に遭ったわけではない。ただ、ある日を境にふわりといなくなってしまった。下町の下宿先は綺麗に整えられ、それまで借りていた分であろう宿代の入った布袋と、彼の武装魔導器だけが残っていた。
「あいつを見つけたら、エステリーゼ様の分まで殴ってやりますよ」
ユーリの魔導器を左手首に収めたフレンはその手を握りしめて笑う。エステルは若草色の瞳を瞬かせ、朗らかに笑った。お願いします、フレン。と言葉を添えて。
城を出て、市民街と下町を繋ぐ坂道を下る。下った先の広場にはフレンの門出を祝わんとする下町の住民がいた。
子供たちはあの頃の自分たちほどの年齢になり、いなくなってしまった人びともいるが故郷は変わらず暖かい。
「フレン、これ、ユーリに会ったら渡して欲しいの。私たちは受け取れないよって」
一際ユーリを慕っている少女が持つのはユーリが残した布袋だ。受け取るとそれは確かな重みを持つ。わかった、と頷き荷物の中におさめる。
住民から投げかけられる質問に一つ一つ丁寧に答えていたフレンだったが、テッドの日が暮れしまうという諌める言葉に、質問は止む。
「じゃあフレン、行ってらっしゃい!」
「うん、行ってくるよ」
達者でな!ユーリにもよろしく!と言った声に押されフレンは下町を出る。あの日のユーリと同じように。
ユーリがどうしてフレンの、フレンたちの前から去ったのか。真の理由はユーリにしかわからないが、フレンはどこか確信があった。罪を犯した自分は、ここにいるべきではないとか、そんなところだろう。何にも、わかっちゃいないとフレンは息を吐く。それでも隣にいて欲しいと、あれほど言ったのに。
ユーリがいなくなってからの数年は実に孤独だった。頼りになる部下も、仲間もいる。だけれどフレンは足りなかった。暗闇の中に放り出されたような気分だった。支えてくれる仲間がいなければ、どこかで狂っていたかもしれない。
フレンはそんなことを考えながら、デイドン砦を過ぎ、本格的な開花前のハルルを訪れる。そういえば、花の咲かないハルルの樹に花を咲かせたのはユーリたちだと聞いたときは驚いた。彼らは今でもハルルの救世主だと感謝されているらしい。ハルルの長……既に代替わりをしていたが、今の長も暖かくフレンを迎えてくれた。その中でやはり、ユーリの所在を尋ねられる。
「生憎、僕にも彼の居所は掴めていないんです」
「そうですか……。彼、魔導器がなくなってからしばらくはこのハルルに滞在していたのですよ。また魔物が現れたら大変だろうと。騎士様が常駐するようになってからは、去っていきましたが……」
「そうですか……」
「去る前、今でのお礼にと金銭を渡そうとしたらそれはオレのギルド宛てにしてくれ、と受け取ってもらえず……」
しゅん、と長は肩を下げる。ユーリは変わらずそう言う奴だとフレンはため息を吐いた。弱き者のために剣を奮い、その報酬は受け取らない。自分がしたことだから気にするなと笑う姿がありありと浮かんだ。
〜中略〜
「貴方、本当はユーリがどこにいるのか目星がついているんでしょう?」
バウルで空を駆けながら、甲板に佇むフレンにジュディスが確信を持って問いかける。その問いにフレンは誤魔化さずに頷いた。
「ああ、そうだよ。けど僕が真っ直ぐあいつのとこに向かわず世界を巡っているのは、ユーリの軌跡を追いたいんだ。あの旅もそうだし、あいつが消えてからどこを歩んだかも含めて、ね」
そうしなければ、ユーリに会えない気がしたとは言わなかった。がジュディスにはわかったのだろう、仕方がない人たちと笑む。
ノードポリカで降ろされ、彼女はそのまま依頼があるからと次の目的地へと去っていく。
〜中略〜
テルカリュミレースの西端に、その町はある。森と山の合いに位置する、切り立った崖を拓いて造られた町……シゾンタニア。フレンとユーリはかつてここで騎士の下積み時代を過ごした。
先の事件で一度は町から人が去り、廃墟同然となっていたがここ数年で少しずつ人が戻ってきているらしい。懐かしい空気を吸い込んで、フレンは真っ直ぐその場所を目指す。
昔二人で読んだ絵本に、二人の幼い兄妹が幸福の青い鳥を求めて旅をする話があった。青い鳥は結局家の中に居てその鳥も、兄妹の前から飛び立ってしまう結末だった。幼いフレンは青い鳥が飛び立った理由を掴めずに居て、ユーリはどう?と聞くと、彼は「さぁ、な」とそっけなく言って、そのまま眠りについてしまった。
フレンは今ならわかると、かつてかの人が座っていた椅子に座り、陽光に照らされてうたたねをするユーリをみ見た。
あれだけ探していた幸福は自分のすぐそばにあった。けれどそれに気づいた頃には幸福はどこかへ飛び去ってしまった。だから、フレンは探しに旅に出た。飛び去った青い鳥を見つけるために。
「やっと見つけた……ユーリ」