陽だまりの目「類、今、少しいいか?」
「司くん?別に大丈夫だけど、なんの用だい?」
突然教室の引き戸が開かれたと思ったら、天馬くんが教室に入ってきた。多分天馬くんがB組の教室に顔を出した時点で、うちのクラスの全員、「天馬くんが神代くんに話をしに来た」と、常識レベルでそんな共通認識を持っていると思う。それくらい、見慣れていた。だから、今の天馬くんが少しおかしいことくらいお見通しだった。私が分かるくらいなのだから、より親密な仲である神代くんが、見抜けないはずもなく。
「なんだか元気ないけど、どうしたの?」
天馬司という男は、冗談抜きで本当に騒がしい男だ。
違うクラスの教室に用事があったとして、同じ学年だとしても見慣れない光景のなか、私だったら普段より気後れしてしまう。でも、天馬くんは違っていた。初めて天馬くんがB組の教室を訪ねたとき、私は入口から一番遠いすみっこの席に座っていた。だというのに。
「A組の天馬司だ!神代類はいるか?」
よく通った声だった。はっきりとしている、堂々とした声。皆が喋っていて、賑やかな教室の中でも、その声はかき消されず、私の耳にも入った。思い返せば彼の第一印象は声の大きい人、だった。第一印象というものは、意外と心に残っている。今日は彼にしては少しだけ控えめな印象で違和感を覚えた。だから、気になって神代くんと天馬くんの会話にこっそり耳を傾けてしまう。
「…類は、その」
「?」
珍しく彼が言いづらそうに口籠る。神代くんは不思議そうに彼を見つめる。その視線がより天馬くんにプレッシャーを与えているのかもしれない。いつもの彼ならそんなもの、跳ね除けてしまいそうだが。
「好きな人、とか、いるか?」
「……うん?」
まさかの恋バナ。流石の神代くんも面食らってしまったようだった。そんなに改まって話すことではないのでは?普通に聞けばいいのに、なんて一瞬デリカシーのないことを思ったけれど、はっと気付く。閃いてしまった。
——まさか、天馬くん、神代くんのこと…!?
そう思った途端、私は勢いよく机に顔を伏せた。額を机に思いきりぶつけた。地味に痛い。周りから心配の声が聞こえる。でもそれどころではなく、私はふたりの声を聞き取るのに全神経を注ぎ込んでいた。
「…まあ、居るには居るけれど…どうして?」
神代くんは聡いから、きっと天馬くんの気持ちを悟ったのだと思う。その上で理由を聞くのはきっと期待しているからに違いない。この様子は脈アリだ!頑張れ、天馬くん!脳内でそんなことを思いつつ、天馬くんの反応を伺う。でも、予想とは少し違う反応だった。
「そ、そうか」
いやに落ち着いているというか、もしかして勘違いしているのかもしれない。神代くんが別の子を好きだって。そんなはずはないのに、違うと言いたいのに、ただの傍観者の私は声に出すことができない。
「あ…そろそろ戻る!聞いた理由は後で話す!答えてくれてありがとう!またな!」
タイミング悪く予鈴が鳴る。初めて予鈴を恨めしく思った。
神代くんは授業を基本的に真面目に聞かない。超名門校から転入してきただけあって相当頭は良いらしい。ある意味いつも通りではあるんだけども、やっぱりどこかうわの空というか、落ち着きがないように思う。
「……つかさ、」
ボソッと呟かれたそれは私の心臓にとても大きな衝撃を与えた。それは、心臓が止まったと錯覚するほど。呼び捨ての破壊力は凄まじいものだった。変人ワンツーフィニッシュのことばかり心配していたけれど、自分の心配をした方がいいかもしれない。心臓が持ちそうにない。授業なんて、聞けるはずもなかった。
結局、天馬くんから神代くんのところに来ることはなかった。
痺れを切らしたのか、昼休みが始まった途端神代くんは見たこともない速さで席から立ち、教室から出て行ってしまった。多分隣のクラス、すなわち天馬くんのいるクラスに乗り込もうとしているのだと思う。私も隣のクラスの友達に会いに(というのは建前で)A組の教室に向かった。予想通り神代くんと行き先は同じだったみたいで彼の背中が見える。
ん?何か背中に隠して…あれは、ロー…プ!?
そんなの持ち歩いているの!?っていうか何に使うの!?
驚いて固まっていると、いつの間にか神代くんは教室に着くや否や天馬くんの腕を引いてどこかへ向かっていった。失礼、正確には違う。天馬くんは罪人のように両腕を巴結びにされていて、引きずられるような形で、神代くんに連れられていたのだ。
「…お、おい類!皆に注目されている!!ぐ、解けん!!」
「目立ちたがりの君にはぴったりじゃないか」
「逃げようとしたことは謝る!悪かった、だから」
「ほら、行くよ」
「ーッ!誰か、助けてくれ!!!」
天馬くん、神代くんのこと、避けようとして、捕まっちゃったんだ。必死な天馬くんには悪いけれど、なかなか面白い状況で、笑ってしまう。
もちろん天馬くんを助けようとする勇者はいなかった。
私が見たのはここまでだ。
「…結局、解けなかった…っくそ!」
類に屋上に連れられるまで、ずっとロープを解こうと奮闘したが、結び目が硬くてどうにも解けなかった。
「さて、どうしてあんなことを聞いたのか、教えてもらおうか」
いや、気になるからって普通腕縛るか!?分かりきっていたことだが、類は相当おかしな奴だ。
「……咲希には、黙っていてくれるか?」
「咲希くんに?…うん、言わないよ」
まるでなぜ咲希が出てくるのかが分からないって顔だな。こういうのは本人が伝えるべきだと思うが、仕方がない。
「咲希がな、“るいさんって好きな人とか居るのかな?お願いお兄ちゃん、聞いてきて!„って言うもんでな…」
「うん」
「複雑だが、兄としては妹を応援したいと思って聞いた次第だ。巻き込んでしまって、申し訳ない」
きっと咲希は類のことが好きなんだろう。それに気づいたとき、胸がキリリと痛んだ。
「……類の好きな人は、咲希ではないよな?」
「そう、だね」
「…だよなぁ。咲希に伝えても?類に好きな人がいること」
流石にオレの妹とはいえ、出会ったばかりなのだから当たり前だ。それも別の好きな人がいるというのなら尚更だ。
「大丈夫だよ」
類にオレの手を差し出せば、手首を縛っていたロープを解いてくれた。少しだけロープの赤い跡が残ってしまっている。
咲希へメッセージを送る。『類には好きな人がいるらしい』と。励ましの意味を込めて頑張れ!というスタンプを送る。すると、スマホに咲希の名前が表示された。どうやら電話がかかってきたらしい。類に電話が来たことを告げ、電話に出るとひどく焦った声が聞こえる。
『もしもし!?お兄ちゃん!?』
「咲希、その、残念、だったな」
『お兄ちゃん、なんか誤解してない?』
「え?」
『…も〜っ、もどかしいなぁ!』
「……どういうことだ?」
電話越しだが特にショックを受けた様子は咲希の声には感じられずほっとしたが、オレはなにを勘違いしているのだろうか。
『アタシがるいさんのことを好きなんじゃなくて、お兄ちゃんが、るいさんのことが好きなの!』
「そんなの当たり前…」
『ちがうよ!そういうんじゃないの!アタシ、自分で、お兄ちゃんに自覚してほしかったから…』
「ちがうのか…?自覚…?なにがなんやら、全く分からん!」
会話を聞いていた類が顔を真っ赤にさせて口元を手で抑えている。
「類?類はちゃんと咲希の言っている意味が分かるんだな?」
『るいさんいたの!?……ご、ごめんなさいっ!』
咲希がどうして謝るのかが分からない。こういうのは、本人が伝えるべきなのに…と咲希が申し訳なさそうに謝っている。誰に対してなのかは分からないが、先程のオレが思っていたことを口にしている。
「……咲希くん、安心してここは任せてほしいな」
僕も君のお兄さんのことは好きだから、と類が付け足した。なぜだか、胸がどくどくと落ち着かない。顔がかっと熱くなった。
『…!!…っお兄ちゃんをよろしくお願いしますっ!』
ブチっ
「え、待っ、咲希!?」
そう言い切れば、咲希は電話を切ってしまった。電話の画面をいくら凝視しても、電話を切られてしまった事実は変えようがない。
「司くん、」
類が真剣な表情でオレを見てくる。目が見れない。なぜ?
「こっち向いてよ」
「……いやだ」
「…なんで」
不満げなのにどこか寂しさを滲ませた声に心が痛む。なんでと言われてもオレにも分からない。ただ、なんだか照れくさくて、でも理由が分からなくて。オレは初めての感情に戸惑っていた。おずおずと顔を上げて、類の顔を見れば、子どもみたいな顔をしていて、思わず吹き出す。
「…どうして笑うの」
むすっと、拗ねたように言うのが、
「ッフフ、ハハハッ、不貞腐れて、かわいいと思っ…」
かわいいと思った。いとしいとも、思った?
「……あれ、オレ、もしかして」
男である類をかわいい、だなんて。それって。
「ッ、」
「つ、司くん?待って!!」
精一杯大きく進めるように踏み出して、走る。咲希の言っていた意味が分かって、自覚したそのとき、既に類にオレに気持ちがバレているなんて、耐えられない。恥ずかしくて、逃げる。
屋上から階段で下りる。段差に足が引っかかって階段から転がり落ち、
「っ危ない!!」
なかった。類が転がり落ちそうになった身体を差し止めてくれたのだと悟った。体勢を立て直しても、類はオレの手を掴んで離さない。助けてもらった手前、振り払うこともできない。
「…はぁ、君は本当に危なっかしいんだから…」
「ッ、すまん。い、嫌になったか、オレのこと」
「単刀直入に言わせてもらうけど」
類の真っ直ぐな声色に心が揺れる。
「司くんから目が離せないんだよ、困ったことにね」
だから、と類が告げる。その目からオレも目が離せない。
「君と一緒に、居たい。…隣に居させてほしい」
そう言った類の目はとても優しくて思わず胸がきゅんとなった。