甘えたがり②「なかなか感動的な映画だったな!」
「終盤は号泣してたもんねぇ、司くん」
「…っ見てたのか」
映画館を出てから司くんの顔を見ると未だに涙目で、まだ映画の余韻が抜け切れていないようだった。それを指摘すればたちまち司くんは頬を赤く染め、目を手で擦る。
「こらこら、目が腫れてしまうよ」
司くんの手首を掴み、その動作を止めてから、ハンカチでなるべく優しく涙を拭う。司くんはそれが不本意だったようでじっとりとした目線を送られた。
「…むぅ」
「……、司くん?」
「…なんだかオレの方が年下みたいじゃないか」
案外可愛らしい理由で不貞腐れていたようで思わず笑みが溢れた。なんとなく撫でてあげたくなって、先程撫でられた仕返しも兼ねて司くんのその柔らかそうな髪に触れる。その指通りの良い髪はずっと触れたいと思っていたものだった。嬉しくて、つい長い時間撫で続けてしまっていた。
「撫でるな!一応オレの方が誕生日は早いんだからな!」
「実質、一ヶ月くらいしか変わらないじゃないか」
「一ヶ月も!だ!」
のらりくらりと彼の言葉をかわせば、表情がくるくると変わっていくのがいとおしい。映画でしんみりとしていた空気から、恥ずかしがったり、拗ねてしまったり、怒ったり。そういった、彼の見せてくれるむき出しの感情が昔から好きだった。昔、というほど前からではないが、もうずっと前のことのように思える。それくらい自分を抑え込んでいたのだ。忘れようと、とにかく必死だった。
「……絶対逃さないからね」
「ん?なにか言ったか?」
ずっと手に入れたかった。でもそれ以上に、失うことが怖くて友人としてでしか踏み込めなかった。恋というより執着と呼んだ方が正しいのではないかというくらい、この感情は意地汚く重たい。しかし司くんなら受け入れてくれるかもしれない。そんな期待も入り混じったどうしようもない感情を僕に向けられて、ひどく、可哀想な人だと思う。
「…なんでもないよ、それより、行こうか」
そんなことを思いながら、僕は司くんの手を引く。昔の葛藤していた心はすっかり置き去りにして、もう、友人に戻るつもりも考えも、なくなってしまったのだった。
「行くってどこにだ?」
「僕の家だけど」
「えっ」
途端、司くんが固まってしまう。なにか変なことでも言ってしまっただろうか。司くんの反応を不思議に思っていると司くんが少し躊躇いがちに言った。
「…少し、早くないか…?まだランチも…」
「僕の家で食べようよ」
「お前の家にまともな食料があるとは思えんが…」
大学に進学して一人暮らしになってからというもの、たしかに僕は料理をまともに自分でしたことはなく、ほとんど外食やゼリー飲料で済ませていた。だとしたらなぜここまで司くんを家に呼ぼうとしているのか。簡単に言ってしまえば司くんの手料理が食べてみたいからである。
「司くん、お願いがあるんだけど…」
「お前がそう言うときは大抵嫌な予感がするな」
「司くん…ひどいよ…僕はただ司くんの手料理が食べたいだけなのに…」
よよよ、とわざとらしく嘆いていると司くんが盛大にため息をついてから僕を一瞥する。あ、と心の中で思った。
この表情は、きっと絆されてくれる顔だ。
「仕方ないから、スターお手製、愛妻弁当を作ってきてやろう!」
「…あいさいべんとう」
「ああ、お前の家に料理を作れるだけの材料があるとは思えんからな。一旦家に帰って弁当を作ってきてやる!」
生憎、僕が反応したのは"弁当"という単語だけではなく、"愛妻弁当"というところなのだけど。司くんはそれを汲みとってはくれなかったようだ。
「じゃあ、作ったらすぐにお前の家に持っていく!またな!」
司くんは急いで走り去った。気付いて呼び止めようとする頃にはもう背中がずいぶんと小さくなってしまった。
「…どうせなら一緒に帰りたかったな」
まあ、今となっては大学も違うので家は遠くはないが近いわけでもなく、そもそも方向が違うのでそんなことは不可能である。それでも、そんな実現不可能な願望を抱いてしまうほど僕はらしくもなく浮かれていたということだ。
家に帰って司くんを待っていると驚くほど時計の針の進みが遅く感じた。秒針の音がやけに重々しく聞こえるし、風が強くて窓から物音がしただけでも司くんが来てくれのではと、大袈裟に窓から司くんが来ていないか確認をしてしまう始末である。
永遠とも感じた時間は静寂に似合わない軽快な呼び鈴で終わりを告げた。実際のところ恐らくそこまで長い時間ではなかったと思う。ドアを開けると美味しそうな匂いを纏った司くんがいた。
「待たせたな!作ってきてやったぞ、できたてだ!存分に美味しく食べるがいい!」
「それは楽しみだなぁ。ありがとう、司くん」
その匂いの根源たる弁当を受け取ると思ったよりも重くて、たくさん詰められていることが分かる。これを全て僕のために作ってくれたと思うと嬉しくなった。
「少しオレは手を洗ってくるから、先に食べていてくれ」
司くんは以前からも友人として何度も僕の家へと遊びに来ていたから、間取りは分かりきっているのか、慣れた足取りで洗面所へと向かった。しかし、今の司くんは曲がりなりにも恋人である。司くんの姿が見えなくなると僕はひとり嘆息した。
「…どう意識してもらおう」
過去の自分が居たら、この悩みは馬鹿なものかもしれない、しかし僕は必死だった。頭がうまく働かなくて、脳みそに栄養が欲しい。そう思って司くんから渡されたお弁当箱の蓋を開けた。
「あ……おにぎりだ」
艶やかな白米に包まれた具は外からではわからない。もしかしたら野菜が入っているのではないか、なんて少し疑ってしまう。
他にもタコさんウインナー、卵焼き、から揚げなどのおかずが入っている。他にも恐らくデザートであろうタッパーに入ったうさぎ型のりんごが用意されていた。これらを見るに、野菜が入るとしたらこのおにぎりの中だとしか考えられなかった。
「…類、心配しなくても野菜は入っていないぞ」
「っ!司くん、戻ってたのかい」
いきなり背後から声がして驚いてしまった。おにぎりと集中してにらめっこをしていたところを見られていたと思うと格好がつかなくて居た堪れなかった。
「そこまで心配なら、あーんでもして食べさせてやろうか?」
司くんはそんな僕が珍しかったのかからかうようにしてそんなことを言ってくる。でもその申し出は僕にとって願ってもない話である。
「じゃあ、お願いしようかな」
「ちょっとした冗談のつもりだったんだが…」
「……」
無言で促すように口を開けると司くんがおずおずと箸を持った。そしておにぎりを器用に一口分に分けて箸で掴み、口へと運ぶ。
「…これで満足か?」
「うん、すっごく美味しい、司くんもほら食べてみなよ」
「いや、オレはちゃんと自分の分もあるから…むぐ」
司くんが置いた箸を再び僕が使って司くんの口へと運ぶ。司くんは言葉を遮られたことを不満に思っている様子だったが、司くんは両親の教育の賜物なのか、とても行儀が良い。食事中に話すのはいけないことだと教えられているのでしっかりと咀嚼して飲み込んだ。
「おい、人の口に勝手に…っもぎゅ」
またしても司くんの口へとおかずを運ぶ。話しているのを途中で中断させられても、律儀にもくもくと食べる。そんな様子が小動物を連想させて、ひどく可愛らしかった。気付けば僕の分のお弁当箱は空っぽになってしまっていた。
「このバカ類!」
「ごめん、つい…司くんが可愛くて…」
司くんに額を弱く小突かれる。言い訳を言えば司くんの動きがぴたりと止まり、司くんがそっぽを向いてしまった。司くんの顔は見えないが、耳が赤くなっている。ひょっとしたら怒らせてしまったのかもしれない。
「仕方ないから類はオレの分の弁当を食え」
手渡された弁当には当然のように野菜が入っていて、泣く泣く食べた。結論から言えば司くんのお弁当は野菜のことは何も言えないが、それ以外に関してはとても美味しかった。その後、映画の感想を言い合って近況を報告したりした。
そのときは、司くんが家に泊まる事態が起こるなんて、考えもしなかった。