凪誠士郎はその日、超絶不機嫌だった。
オフシーズンに入り、日本に帰国していた凪はその日取材を受ける予定だった。それが終わった後同じくオフシーズンでつい先日帰国してきた潔と合流して、そのまま凪が帰国中の拠点としているマンションへ一緒に帰る予定だった。
のだが。
まず、最初の予定の取材。
その取材をセッティングした人達が指定した場所へ向かう途中、事故が起きたことによる道路渋滞に巻き込まれてしまい全く動けなくなってしまったというのだ。
いつ到着できるかも不明だったため、その日の取材はリスケとなってしまった。
その為、予定より早く自由になってしまい、むしろ潔と合流するまで時間を持て余すことになってしまった。
「ま、こういう日もあるさ。仕方ねーから適当に近くで飯にしようぜ」
慰めのように肩をポンと叩いてそう言ったのは玲王。凪と一緒に取材を受ける予定だった為、同じく時間が空いたのだが、玲王は取材後の予定が入っているらしく、あまりゆっくりもできないようだった。
とはいえ、凪をそのまましておくのも忍びなかったためせめて飯くらいは、と声をかけたのだった。
近場で何度か来たことのある店に入り、注文していく。そこでも再び凪は不運に見舞われてしまった。
「申し訳ございません。本日そちらのセットは売り切れてしまいまして……」
凪が注文しようとしていたセットが売り切れてしまっていたのだ。
(えー……、ここに来たらこれって決めてたのに……)
仕方なく別のセットにしたものの、これ、と決めていたものが頼めなかった事に、凪のテンションは少なからず下がってしまい、テーブルに突っ伏してしまった。意外とこういう所は凝り性だったのだと成人してから知った。
「まーまー!たまたまだって!落ち込むなよ凪」
なんだかんだ長い付き合いになってきた玲王は、こんな感じで凪が落ち込むと意外と尾を引く質なのだと知っているため、必死に宥める。
「ほら!この後潔とも久々に会えるんだろ? じゃあこんなことで落ち込んでなんていらんねーだろ!」
「……そうだ、いさぎ」
ここぞとばかりに一番凪に効果抜群の名前を出すことで何とか機嫌を直してもらおうと画策する。案の定、凪は潔の名前に反応し顔を上げる。
二人が所謂恋人同士ということは玲王も把握しており(むしろ凪から強制的にバラされた)最初は若干戸惑いはしたものの、今では良き理解者である。
「ほら、潔は何時頃終わるって言ってたんだ?」
「んと、確か」
潔も今日は別の取材と撮影が入っていたため、お互い仕事が終わり次第会おうということになっている。
そう言って凪がスマホを取り出しカレンダーの予定を確認しようとしたところ、ちょうど着信が入る。
画面に表示されてるのは、今まさに話題になっていた潔だった。
「もしもし、潔?」
『あ、凪……』
「どうしたの? もしかして早く終わりそう?」
『……残念ながらその逆』
「え」
『撮影で機材トラブルみたいでさ、まだ復旧の目処がたってないんだ。リスケしようにも、他の人達のスケジュールもあるから調整が難しいらしくって何とか今日中に終わらせたいって言われた』
「うん……」
『だからごめん、今日は何時になるか分からない』
「そっか、うん、わかった……」
『ごめんな、凪』
「潔が悪いわけじゃないでしょ、終わったら連絡ちょーだい。迎えに行くから」
『いや、いつになるかわかんねぇし、悪いよ』
「悪くない。俺、今日久しぶりに潔に会えるのすごい楽しみにしてたんだから。何時だって待ってる」
『凪……、あ、悪い。呼ばれたから切るな』
「あ、いさぎ……」
電話口から潔を呼ぶ声がかすかに聞こえ、それを確認したらしい潔は会話もそこそこに電話を切ってしまった。
凪は耳元に当てていたスマホを下ろし、無言のままスマホの画面を消す。視線を前に戻すと、会話の内容からおそらく良くない方の内容だったことを察知した玲王が、これまでにないくらい哀れみの視線を向けて諦めのような表情を浮かべていた。
「もうヤダ」
ごつん、と割と大きめな音を立てて凪はテーブルに完全に突っ伏してしまった。こうなってしまってはもうお手上げ、子供のように拗ねてしまった凪に玲王はもはや為すすべがなかった。
「お待たせいたしましたぁー!ニンニク増し増しスタミナ丼大盛りです!」
そして、タイミング悪く来る店員。しかも。
「あの、それ、うちの注文じゃないです」
玲王が苦笑しながらそう告げれば、店員は失礼しました!と注文の再確認のため去っていく。
「……これから恋人に会うって言う時に、そんなの注文しないし……つか、そんなメニューここにあるのかよ……」
もはや完全に拗ねモードになってしまった凪は、どんな些細な事でも気に食わなくて。ちくちくじっとり、そんな表現が似合うようなどんよりとした空気を纏っていた。
(今日は完全に厄日だなこりゃ……南無三)
先程から凪の身に降りかかる不運の連続に、青い監獄時代にいたとある人物の口癖のように、玲王は心の中でひっそりと手を合わせた。
そこに再び店員がやってきた。
「先程は失礼しました!お先にお飲み物失礼しますね、アイスコーヒーとアップルティーです!」
「レモンティー……」
あまりの素晴らしき不運コンボに、玲王はさすがに心配を通り越して噴き出してしまったのだった。
それから。
あの後、降りかかる不運をやり過ごして何とか食事をとり、心配そうにする玲王と別れた。予定が一気に空いてしまい、結局少し早いが凪は家路についた。
ちなみにその後も不運は続いていた。
改札を通ろうとしたところ、チャージ金額が不足していて足止めされたり。
駅からマンションまでの間、横断歩道全てで赤信号で止まってしまったり。
ようやくマンションに辿り着いたと思ったら、エレベーターが点検中で止まっていたり。
大なり小なりでとにかく不運に見舞われ続け、凪の機嫌は落ちるところまで落ちていた。
(潔……まだ、連絡ない)
あれからそれなりに時間は経っていたが、まだ潔から連絡は無い。本格的に長引いてしまってるのだろうか。
(早く、早く会いたいのに……)
積み重なった不運でささくれ立つ心をなんとかしたくて。
凪はソファに横になりながら、抱えるクッションをぎゅっと握りしめた。
(潔……会いたいな、声、聞きたい)
電話越しではない、潔の声を。
その時、来客を知らせるチャイムが鳴り響く。
その音にガバッ、と身を起こす凪。慌ててソファから離れ、インターホンのボタンを押す。モニターに映し出された入口にいたのは、まさに凪が今恋い焦がれてた人物だった。
「悪い凪、遅くなった!」
走ってきてくれたのだろうか、息が少し荒くしてモニターにニコッと笑顔を向ける潔がいた。
「今開ける」
最低限の言葉だけ発して、凪は入口のオートロック解除ボタンを押す。そして玄関まで気持ちが抑えられないように駆け足で向かう。
少し経つと、再度チャイムがなる。もう確認しなくてもドアの前に誰がいるかなんてわかりきってる。
待機していた玄関でチャイムを確認すると、直ぐ様鍵を解除して扉を開ける。
「なぎ……っ、おわっ」
扉が開くと同時に姿を確認して、凪は潔の腕を掴み自分の方へ引き寄せる。そのまま、きつく自分の腕の中に潔を閉じ込めた。
「凪、待たせてゴメンな」
「んーん、来てくれたから大丈夫」
ぎゅっと玄関で二人立ったまま抱き合う。しばらくそのまま動かずにお互いの体温を、匂いを感じていた。
「連絡ちょーだい、って言ったのに……」
「あぁ、悪い。あの時は本当に何時になるか分からなくてあぁ言ったんだけど……」
「けど?」
続きを促すようにまっすぐ見つめられ、潔はあはは、と少し照れくさそうに続ける。
「終わった瞬間、これで凪に会える!て思ったら居ても立っても居られなくてさ、連絡いれる、なんて全然考えられなくて……、急いで向かわなきゃって事で頭がいっぱいになってた」
だから連絡入れそびれちまったゴメンな、と言えば凪はふるふると首を振る。
「嬉しい……潔も俺に会いたいって思ってくれてたんど」
「当たり前だろ」
「俺も、潔にめちゃくちゃ会いたかった。声聞きたかった」
すりっ、と潔の頭に頬を擦り付ける。ぎゅっと抱き締める力を強くすれば、潔は答えるように凪の背中に手を回した。
「今日の俺さ、本っっ当にツイてなくて」
「おう」
「これでもし、潔に会うことも出来なかったらどうしようって」
そう言葉を紡ぐ凪の声は、少しだけ揺れていて。
「でも、こうやって会えて、潔の声聞けたら、さっきまであんなに落ちてた気分が嘘みたい」
やっぱ潔ってすごいね、と潔の額に口付けを一つ落とす。擽ったそうにそれを享受する潔。
潔がいれば。いつもその声で俺を呼んでくれるなら。この先何があっても怖くないな。凪は本気でそう思う。
「ねー、潔。今すぐは無理でもさ、将来的には一緒に住もうね」
「……それってプロポーズ?」
「あ、そうか。じゃ、その時が来たら指輪持って迎えに行くから、ちゃんと待っててね」
予約ね、と潔の左手を取り薬指にちゅ、と口付けを落とす。
あんまり遅いと待っててなんてやらないからな、と少しだけ頬を赤らめた潔が優しく微笑んだ。