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    蝋いし

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    蝋いし

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    ガスマリ、10章前編ふたりきりの食事の話

     マリオンが自室を出ると、朝食を作るいい匂いがした。レンは病室療養中でなくともこの時間に起きていないし、ヴィクターはいたところで朝食を自分で作らない。
     お腹が鳴った。
    「はよ、マリオン。そろそろ起きてくるころだと思ったぜ。朝飯作ったんだけど、食べるだろ?」
    「……食べる」
    「ははっ、顔洗ってこいよ。そのあいだにトーストを焼いとくからさ」
     ガストに言われずとも、洗面所へ向かうつもりだった。マリオンはむっとしてガストから顔を背けた。
     レンは療養、ヴィクターは研究でマリオンとガストがふたりきりになってから数日経った。マリオンが面倒をみてやるルーキーはガストひとりになったものの、ヴィクターがいないぶんメンターとしてマリオンの仕事は以前の倍以上だ。
     トレーニングやパトロールはいつもどおり行うので、この生活になってからマリオンに掛かる負荷は単純に増えていた。もちろん、音を上げる気はないが。
     増えた仕事に時間を割くので、夜は寝るのが遅い。だいたいの日がガストの方が早起きだった。
     マリオンがあくびを噛み殺してダイニングへ向かえば、ガストが機嫌良さそうにテーブルへ朝食の皿を並べている。
    「……いただきます」
    「おう、召し上がれ」
     ガストの作る甘いスクランブルエッグは嫌いじゃなかった。バターの香りがよく馴染む。
     このあと午前中は各自でトレーニングをし、午後からガストとふたりでパトロールの予定だった。単独行動の禁止令が出ているため、パトロールは基本ふたり一組だ。レンもヴィクターもいない状況で他に選択肢はなく、ここ数日毎日マリオンはガストとパトロールしている。不本意ながら。
     マリオンが午前のトレーニングから戻ると、またガストはキッチンに立っていた。
    「おかえり。マリオンもオムライス食うか?」
    「食べる、けどオマエ、戻るの早くないか? トレーニングはどうした」
    「いやいや、サボったんじゃねぇからな! ちょうどいたアキラと筋トレしたら、ヘトヘトになっちまってさ」
     競争のような勢いでトレーニングしてしまったから、早めに切り上げたのだとガストは言った。馬鹿じゃないのか、とマリオンは息をついた。
     ガストのオムライスはマリオンの口にも割合とよく合った。ガストがマリオンの玉子の上にケチャップで猫を描いて寄越したので、それはレンにしてやるべきだろうとマリオンは指摘してやった。
     昼食後、午後は大したことないパトロールを終えて、ノヴァたちと楽しく夕食をとった。部屋へ戻って報告書作成やメンター仕事の作業を済まし、就寝、翌日はまたガストの作った朝食で一日が始まった。今日はフルーツサンドだ。
     クリームがおいしい。コイツ、料理上手いな。
    「どうした? 味は悪くねぇだろ」
    「あ、当たり前だ。ジャックが用意したフルーツを使ってるんだから」
    「そうなんだよな」
     作りながらフルーツをつまみ食いして、おいしかった話をガストが始める。つまみ食いだなんて、何をやっているんだか。
     マリオンが適当に相槌を打ちながら食べ進めていたら、ガストに出されたフルーツサンドはあっという間になくなってしまった。自分はもういいからやる、とガストがまだ手をつけていないフルーツサンドをマリオンに寄越した。食べきれるぶん以上を作るなよと思いながら、マリオンは残りのフルーツサンドも平らげた。
     昼食と、今日は夕食もマリオンはガストとノース部屋でとることになった。メンターふたりでこなすはずの仕事はなかなか量が多く、食事の時間のたびガストの料理が食べられるのはマリオンにはだいぶ都合がよかった。
    「最初は『こんなもの口に合うか!』とか言われちまうかと思ったけど、マリオンがちゃんと毎日食ってくれてよかったぜ。作り甲斐がある」
     ヘラヘラと笑ってガストが言い、マリオンは思わず夕食のパスタを口へ運ぶ手が止まった。
     忙しいマリオンの役に立てて嬉しい、もっと頼ってくれていいぞ、リクエストはないのか? ガストがぺらぺら喋るので、マリオンは腹の中に苛立ちが湧くのを感じた。
     マリオンは、ガストに食事を頼っているわけじゃない。ガストの作る食事はたしかに味は悪くないが、マリオンが頼んでいるのではないのだ。やろうと思えば料理なんていくらでも自分で作れた。
     それをコイツは、今になって恩着せがましくペラペラと。
    「えっ!? なんだよ、今日のは口に合わなかったか?」
    「……別に」
     明日は見ていろ、とマリオンはガストを睨みながら食事を再開した。
     マリオンは残っていた作業を急いで片付け、翌朝は思い切り早起きした。昨日のうちにメールで頼んでおいたので、朝すぐにジャックが朝食の材料を届けてくれた。朝食なら自分が作ろうかというジャックの申し出をマリオンは礼を言って断った。今日はふたりぶんの朝食をマリオンが作るのだ。
     マリオンはパンケーキを焼く予定でいた。朝からきちんとエネルギーをとれるし、何より甘くてとてもおいしい。パンケーキを嫌いな人間なんていない。ノヴァたちとよく焼いているから、マリオンにとっては何より自信のあるレシピだった。
     フライパンですぐに一人前を焼き上げ、次の生地の準備に取り掛かる。ノース部屋のボウルは小さくて、生地の用意が一度にまとめてできない。
    「あれ。マリオン、今日は早いんだな。ジャック来てたか? おぉ、いい匂いがする」
    「オマエ、もう起きてきたのか!」
     驚くマリオンに、ガストは苦笑いした。
    「ジャックの声とか、キッチンの音とかで目が覚めちまった。マリオンの邪魔はしねぇから、ゆっくり食べてくれよ。ちょうど焼き上がったところだろ?」
     ガストは温かいパンケーキを見やってから、洗面所へ行ってしまった。
     作りすぎてしまったからオマエにもやる、と言うつもりでマリオンはパンケーキを焼いていた。"作りすぎる"前に起きてこられてはマリオンが追加で焼くのが不自然になってしまう。
     マリオンはままならない状況に顔をゆがめながら、もう一人前キッチンに出していた材料を棚へ仕舞い込んだのだった。大あくびで戻ってくるガストを放って、焼きたてのパンケーキを頬張った。
     朝食を済ませ、今日の予定は昼過ぎまでパトロールだ。担当エリアの交代時間の都合で、今日は昼休みを取るのが少し遅くなる。ここ数日と同じく、ガストとの不本意なふたり組でノースの見回りが始まった。
     街中を歩き始めてものの数分で、ガストの様子がおかしくなった。いつも以上にマリオンのことをちらちら見やる。
    「おいガスト、さっきからなんなんだ」
    「えっ! いや、用事ってわけじゃねぇんだけど……俺、マリオンになんかしちまったか?って思ってさ」
    「身に覚えがあるのか」
    「いやいやいや! ないから困ってる!」
     マリオンが睨み上げると、ガストは大慌てで両手を振った。
     今朝はガストがもう少し起きてくるのが遅ければ、マリオンの予定どおりだったのだ。それをコイツ、タイミング悪く部屋から出てきて――二度寝でもすればよかったものを。
     朝からずっと湧いていた怒りがさらに煮立って、マリオンは顔をしかめた。コイツが部屋から顔を出した時点で、鞭で打ってやればよかった。
    「な、なんか物騒なこと考えてねぇか……? そうだ、晩飯にマリオンが食べたいもの作ってやるよ。ほら、いつも俺が食いたいもんばっか出してるからさ」
    「……オマエ」
     マリオンがいま言われたくないことをガストは実に的確に言った。マリオンははらわたが煮えくり返るかと思った。「ひぇっ」とガストが情けない声で後退る。
    「なっ、なんだよ、毎日食ってくれてただろ! お前が忙しくしてるみてぇだから、ちょっとでも助けになればと思ったんだよ。まさか我慢して食ってたとか……いや、マリオンが気に食わないものを我慢なんてしないよな。えっ、マズいことあったか?」
    「あぁもう、うるさい、黙れ!」
     マリオンは喋り続けるガストを鞭で一打ちした。ペラペラペラペラ、本当によく喋るヤツだ。
     マリオンからガストに食事を頼んだことはただの一度もない。それをうまいだのマズいだのとコイツは。ガストが勝手に料理を作って、ガストが勝手にマリオンに振る舞っただけであって――いや、勝手にとはいっても、振る舞われた食事を受け入れたのはマリオン自身なのか?
     決してマリオンが音を上げるほどではなかったが、メンター仕事をひとりでこなすのは今までにない忙しさだった。決して決して、マリオンのキャパシティを超えるほどではなかったが。そんな中、ガストがおいしいご飯をマリオンへ振る舞うのだ。
     頼らされ、自分が頼ってしまっているかのようで腹が立った。
    「……マズくは、なかった」
    「はは、そっか。ならよかった」
    「おい。ボクに頼られたつもりで得意になるなよ」
    「な、なってねぇよ」
    「…………っ、勝手に、ボクの世話を焼くな。何とか言ったらどうなんだ。そのっ、具体的に。一方的なのは性に合わない」
    「へ?」
     詰め寄るマリオンにガストは間抜け面した。
     不本意に頼らされるのが一方的でなく、双方向なら話は別になる、はずだ。とマリオンは言っているつもりなのにガストは理解が遅かった。もし二度言わせたら鞭で打つ。
    「一方的、ってそんなことはねぇよ。洗い物してくれてるだろ?」
    「あれは、放っておけばジャックの手間になるから」
    「シンクにでも置いてくれたら俺が洗うって。でも、そうだな、マリオンがそんなふうに言ってくれるなら、今日のランチは俺のおすすめの店に行かないか?」
    「は?」
     何がどういうつもりで言っているのだ、コイツ。
     訝しく思うままマリオンが見上げていると、ガストはマリオンとランチしたかったのだ、というようなことをヘラヘラ言った。
    「今日は少し遅めに昼休憩入ることになるだろ? ランチタイムとずれるから、ちょっとは空いてるんじゃねぇかな。ノースにあるけど、お高くとまった感じがない店でさ」
    「ちょっと待て。オマエ、そんなことでいいのか」
    「ダメだったか?」
     マリオンは怪訝に感じはしたが、取りあえずガストへは否定を返した。
     ランチに付き合うことの何が今の流れに当てはまっただろうか。ガストはマリオンの疑問になど気づかず、今日のランチへ勝手に喜んでいる。そもそも、たかがランチの何が嬉しいのか。喜びすぎじゃないか。
     変に恥ずかしくて、腹が立ってきた。
    「ガスト、今日だけだからな」
    「はいはい、わかって――司令部から通信だ。って、マリオン!?」
     ジャックを通した司令部の指示先は、いまマリオンたちがいる通りのすぐ近くだ。気づいて駆け出す。感じた妙な恥ずかしさを振り払って走る。
     遅れてガストがついてきていることをマリオンは耳で確認する。足は止めてやらず、マリオンは現場へ到着するまでに風で頬の熱が冷めていることを祈った。

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