幼児の養育に必要なもの。その一、良質な食事。これに関しては何の不安もない。人里離れた住処ではあるが、少し降ったところに国道が通っており、新鮮なそれが確保できる。
肉片ひときれ。あーんと口を開けて待つは、隊服姿の男、獪岳。鬼化の影響で精神のみ幼児退行し、今に至る。その両手はせっせと集めたドングリを離さないので仕方なく給餌する。
「あむあむ……むー……」
「頑張って噛み切れ……その牙は飾りか……」
「……」
幼児に頑張るという概念はないらしい。頑張ったらできると知らないのだからそれはそう。虚無を見つめて噛むのをやめた。代わりに口の中からチュゥチュゥと音がする。吸うな。パサパサの肉が残ることになるぞ。
案の定しばらくして顔をくしゃくしゃに。今にも泣き出しそうである。
「ぺっしなさい」
「ゔぅ……」
「ぺっ……」
「ひぐっ」
「あー……」
ぱかりと口が開いた隙を逃さず、パサパサの肉片とすりおろして作った肉団子を交換する。男の表情は、んぱーっときらめく。咀嚼に合わせて頬がふにふにと動いている。その頬は自前だろうになんとも柔らかそうである。
「んまー!」
「うむ」
若干の精神的疲労を吹き飛ばすほどの笑顔。可愛いから全て許されるとでも思っているのかと小憎たらしく。けれどまた、あーんと口を開ける瞳の眩しさに負けてしまう。
さてはて、吐き出すのは難しかったのか。しかし獪岳の身体は十八歳くらい、それも鬼。身体的な問題ではないとしたら、先程まで吸えていた肉が美味しくなくなったから悲しかったのか。それで途方に暮れて、うるうるの瞳で私に助けを求めたと。であれば仕方ないなと全て許した。
なんだったか。幼児の養育に必要なもの。そのニ、安全・清潔な環境。
なんでも口に入れる期はなんとか脱しつつある。先日、虚哭神去をしゃぶろうとしたので、鍔の形のおしゃぶりを作った。渾身の出来だったが、五分ほどで飽きられた。その一件で満足したらしい。与えられたかっただけなのだろう。作った甲斐があったというものだ。
とにかく気になったものは秒で触るので、諸々片付けねばならない。刃物はもちろん墨や火鉢。畳を爪で掻くので絨毯でもひこうか。拾ったのは男児だったか猫だったか。いや、鬼殺隊士だったはずなのだが。
当の本人は庭先で遊んでいることだろう。常にその気配だけは意識している。肉体だけは一丁前ゆえ、すぐ遠くに行ってしまうからだ。楽しげな声が……今はやけに静かだ。
「かい……?」
「……」
大きな水たまりの中、尻までどっぷり浸かっていた。真剣な眼差しで泥をこねている。静かなときほど良からぬことをするものだ。集中力がある証とも言える。けれど冷えてもいけない。邪魔をしないようそっと近づいた。
「………………んっしょ…………
……………んっしょ……………
…………………………!!こっこ〜!」
「気付いたか…はやいな」
私に気付くや屈託のない笑みを浮かべる。見て見てと言わんばかりに泥水をすくって投げる。遠くへ飛ばせた先を指しては誇らしげに私の顔を見る。
「うむ、投擲の才がある」
「へへぇ」
「おふろにいこうか」
「やぁん」
ぷいっと顔をそらされてしまった。傷心胸に響く。獪岳はまた真剣に泥をこね始めた。そういえば何か作っているようだ。せっせと手のひらに泥をすくい、ぎゅっと握りしめては指の隙間からほとんど流れ出る。
「泥団子か……もう少し土を増やしてはどうだ」
「やぁああ!」
「すまん……」
横から手を出してはいけなかったらしい。見守ろう。一人でやり遂げたいという意志は素晴らしいものだ。こんなに大きくなって。いや、大きいのは元からか。
「あーん!」
獪岳の手に乗っていたのは、不恰好な泥団子。私にくれるようだ。私が作ってあげた肉団子のお礼だろうか。なんたる良い子。受け取って食べるふりをすると、にんまり笑って抱っこをせがむ。
「ふっ……私に泥をつけた隊士は数百年ぶりだ」
「きゃ〜っ」
眺めが良いのだろう。抱き上げれば興奮して喜ぶ。いくらでも期待に応えよう。くるり回って風をきる。
「あぶぶぶ」
「おっと」
私の後ろ髪に埋もれてしまったようだ。いやいやと顔をふる。ついた毛を払ってやると、まばたきしてから私を見つめ、にへらと笑う。
「ばあ!」
「ふふ…面白いか」
きらんと目を輝かす。おもちゃとして認定した目つきだ。汚れる程度どうということはないが、飲み込んでむせてはこわい。髪を団子むすびしてみせると、またワァっと興奮する。
「あーん!!」
「ふ…そうだな」
どうやら肉団子、泥団子と同じと発見したらしい。実に聡明な子だ。頭をなでればギュッとしがみつく。抱きついていると表現すべきかもしれないが、不慣れな必死さが愛くるしい。抱き返してやると、くふふと嬉しそうに笑う。
「へっ、へっ、へぷち!」
「濡れたままではいけないな…」
獪岳は風呂が好きだ。きびきび万歳して脱がされる。泥を落とす前なのに湯船へ入ろうとするのを止めて、わしゃわしゃ洗えばキャッキャッと喜ぶ。
広くはない湯船だが、必ず一緒に入ろうとせがむ。狭いからと断れば今にも泣きそうな顔をさせてしまうゆえ、叶えるほかなく。一緒に入ったからと何するわけでもなく。膝の上、満足げに座っている。
ほてった身体を拭いてやれば、この世を極楽と信じて疑わない笑みを向けてくる。にぱーっと屈託のない笑顔に心打たれる。
「ねんねー?」
布団の上をごろごろ転がっていた獪岳。私が座るやまた転がってきて、すかさず膝を枕代わりにして見上げてくる。
「眠くはないか…?」
「ん!」
返事は元気だが、頭をなでてやればとろんと瞼が落ちてくる。まるで瞼が言うことをきかない、助けてとばかり額をすり寄せる。
「ん〜!」
「寝たくないのなら…こうしていてやろう」
膝の上に抱き上げて、包み込む。ひしと背中に回してくる腕が愛らしい。それも束の間、ゆりかごのように身体を揺らすと、ずるずると脱力してきた。
ゆっくり顔を覗き見れば、くかぁと安心しきった寝顔がそこにあった。幼児の養育に必要なもの。その三、無償の愛。
――
ぬくい布団の中にいる。起きなくてはいけない。きっとやるべきことがある。名残惜しい気持ちで目を開けた。ゼロ距離、上弦の壱が同じ布団で寝てた。
「ヒッ」
「ん……悪い夢でも見たか……」
俺に布団をかけ直した上弦の壱。背中に手を回してゆっくりなでている。今まさに悪い夢の中なのか。そうであってほしい。けれどあまりに現実味がある。
「いやっえ!?」
「どうした、かい…ちっちか……?」
「かい!?ちっち!?」
寝起きであろう上弦の壱は、俺を抱き上げスタスタと厠へ連れてった。勝手に前を解いて、さあ出せとばかり待つ。出せるわけがない。
「ッ!?、!?」
「ちーだぞ……ちーっ」
上弦の壱にイチモツを持たれた。圧倒的強者に排泄の権を握られるのは恥じゃない。状況がつかめない今、逆らうべきじゃないんだ。
「上手…上手……」
ピッピッと雫を切るのまでやってもらった。何かを失った気がする。上弦の壱はまた俺を抱き直して、布団の中へと戻った。また俺を寝かしつけている。寝たほうがいいんだろうか。目を瞑っている上弦の壱に、恐る恐る話しかけた。
「あの、俺、鬼になれてますよね…?」
寝かしつける手が止まった。一拍おいて、六つの目が見開かれる。思わず息を飲んだ。
「正気に戻ったか……」
「正気じゃなかったんですか……?俺が……?」
暗にアンタのが正気じゃなかったろと言ってしまったが、上弦の壱は怒るでもなく俺をじーーっと見つめている。
「安心しろ……私以外は知らぬ」
「ええ……俺がなにかご迷惑を……?」
「…………特に迷惑ではなかったな」
ふふっと笑った。幸せそうでもあるし、いじわるな怪しい笑みでもある。よくわからないものに魅せられて、顔が熱い。