あなたへ駆ける清々しい朝と、気持ち良さそうに鳴き声をあげながら海へ飛んでいくカモメたち。雲一つない青空。まるで今のカガリの心を表したような澄み切った青だ。
アスハ代表と呼ばれ振り向けば、そこには出会って十年近くの付き合いになるミリアリアが立っていた。
「お車の準備ができました。いつでも出発できます」
「ありがとうミリアリア、カガリでいいぞ。それに今日から代表はトーヤだ」
「そうだったわね、ごめんなさい。ついいつもの癖で」
「まぁ分らない事もないけどな。私もまだ実感無いし。またカガリと呼んでくれたら嬉しい」
ミリアリアとは同い年だし、これからはまた昔のように友人関係を築けたらとカガリは続けた。それにミリアリアはもちろんよと二つ返事で返し、それを聞いて嬉しそうにカガリは微笑む。
「ミリアリア」
そう名前を呼ばれれば、車に乗り込もうとしたカガリが姿勢を直しこちらを向く。先程と変わっていくらか真剣そうな表情で見つめられれば、ミリアリアも自然と背を伸ばした。
「・・・頼りない私を、今まで支えてくれてありがとう。ミリアリアが居てくれて本当に心強かった」
差し出された手をミリアリアは握り返し、そのままギュッとカガリに抱きついた。思いもよらない彼女の行動にカガリは一瞬面食らったが、同じように腕を回し抱擁を返す。カガリの首長退任は、最初の大戦から彼女と共に戦った者達にとって一つの大きな節目だ。今すぐという訳ではないが、コンパスもそう遠くない未来にその役目を終え解散するだろう。
──思い返せば、ミリアリアの知る限りで首長に就任してからのカガリは、苦難の連続だった。
昔、彼女がミリアリアに言ったことがある。自分は長くこの座にいるつもりは無い。時が来て、あの大戦を戦場を間近で知らぬ新たな芽が育ってきた時、このバトンを渡すと。
戦争ばかりしか知らぬ自分と、そうでない者。
後者の方がより根本の考え方が平和的で、より平和的解決とその未来を見い出せるからと言った。代表首長の執務室で、遠くを見てそう話すカガリの姿が今でもミリアリアの脳裏に焼き付いている。
『私達は引き金を引く重さを知っている、その軽さも。そして残念ながら引く事にも一度慣れてしまった。なら、引き金の重さも軽さも知らぬ者に未来を託した方がいい。その者達が再び引き金を引こうとした時、私達が止められる。それがあの大戦で未来を願い、散って逝った多くの命達への償いでもあると思うから』
そうどこか懺悔と哀愁を帯びた目で言う彼女にミリアリアは悲しかった。カガリがどれだけ平和な世を願い奔走したかを知っているし、そんな貴女だったから応えた世界と今がある事を伝えたかった。でも、どんな言葉も安っぽい慰めの言葉になるような気がしてミリアリアはその時何も言えなかった。 固い抱擁を解いたミリアリアの目には、薄い涙の膜が張っている。
「私こそ、カガリと一緒にオーブの為に働けて良かった。これからは友だちとして、よろしくね!」
ミリアリアの涙に気付きつつもカガリは敢えて触れず、返事に笑みを返した。
時間になっちゃうとミリアリアに急かされ、カガリは今度こそ車に乗り込む。
「気をつけてね。いってらっしゃい!」
そう言ってカガリを送り出し、彼女の乗ったその車が見えなくなるまでミリアリアは手を振った。
◇
世界平和監視機構コンパス所属、ミレニアム。そのブリッジにアスランはいた。
「調べていただきありがとうございます、ザラ一佐。助かりました」
アスランが渡したチップの受取り、軍人らしからぬ穏やかな口調で話す目の前の人物は、この艦の艦長であるアレクセイ・コノエ艦長。キラを始め、クルーから信頼の厚いこの男にアスランも信頼を寄せている。
「いえ、お役に立てれる内容のものかどうかは分かりませんが・・・」
そう言うアスランに充分ですよとコノエは返す。 「ところで、一佐は本日オーブに戻られる予定ですかな?」
「はい、その予定です」
「オーブは、本日から新代表が着任でしたな。…今日は、一つの時代の転換日となりましょう。アスハ前代表とはこの後お会いに?」
そう聞いてくるコノエにアスランはふるりと首を横に振る。コノエはアスランとカガリの関係性を知る数少ない人物の一人でもある。
「代表を交代したとはいえ、まだ忙しいと思います。会えるのはもう少し先になるかと」
「早くお会いになれると良いですね」
そう言って二人の事を案じてくれるコノエの気遣いに、アスランは素直に感謝を述べる。
ブリッジから見える雲一つない青空、オーブの空も今アスランが見ているものと同じ光景だろうか。かの国がある方角を見つめていれば、ブリッジに突然熱源を知らせる警告音が鳴る。先程穏やかだった空気は一変、ブリッジに緊張が走った。
「MS接近、光学映像出します」
オペレーターの声と共にブリッジに光学映像が映し出される。そのMSにアスランは目を見開いた。
見慣れた赤みがかったカラーリングに、アーム部分に刻印された獅子のマークと百合の花。
「ストライクルージュ?!」
そしてそのMSを駆る人をアスランは一人しか知らない。ミレニアムに着艦体勢に入るストライクルージュにアスランは脇目も振らずブリッジを飛び出し、格納庫へと向かった。それをコノエは意味深な笑みを浮かべて横目で見送り、僅かに遅れて開かれた通信回線と画面が頭上に映し出される。
「ミレニアム、聞こえるか?こちらはカガリ・ ユラ・アスハ。貴艦への着艦を許可願いたい」
映し出されたのは昨日、オーブ首長を退任したばかりのカガリだった。
「こちらミレニアム。お待ちしておりましたよ、カガリ様。お越しになるタイミングも完璧です」
そう茶目っ気たっぷりに伝えるコノエに、いまいち要領を得ないカガリは首を傾げるしかなかった。
ブリッジを出て、いくつもの扉を通って通路を折りアスランは格納庫に向かって走っていた。だだっ広いこの艦の構造が今は恨めしい。漸く格納庫が見える展望デッキに出れば大きな窓から下を覗く。そこには丁度コックピットから降り、頭から外したへルメットを預けるカガリがいた。
不意にカガリが顔を上げ、アスランと目が合う。アスランと動いた唇に、窓から身を離し格納庫へ降りれる場所へと再びアスランは駆け出した。
一つ、二つと設定された速度で開く扉にもどかしさを感じながらカガリの元へ急ぐ。そしてまた扉が開いて潜れば、視線の先の扉もプシュッと音を立てて開いた。
「カガリっ!」
「アスラン!」
お互いに駆け寄り、サーモンピンクを基調としたパイロットスーツを身に纏うカガリがアスランの胸に思いっきり飛び込んできた。その勢いを受け止め切る為に、アスランは思わず後ろへたたらを踏む。ひとしきり再会と抱擁を二人は味わって、アスランはカガリと目を合わせるように少し体を離した。
「どうして君がここに?まさか一人で来たのか?!」
困惑気味にそう尋ねれば、悪戯が成功したように笑うカガリがいた。
「いつもアスランが私のところに来てくれるだろう?だからたまには私からアスランのところに行こうと思って。途中まで護衛は付いてたぞ、もうオーブへ返したけどな」
「返したって・・・君、いくら代表の座を退いたとは
いえ──」
そう呼ばれ次の瞬間ふに、とアスランの唇に柔らかな感触。驚きで目を見開くアスランにちゅ、とリップノイズを鳴らしてカガリは顔を離した。
鳩が豆鉄砲を食ったかのように呆気に取られるアスランにカガリは柔らかく微笑む。
「カガリ、」
混乱と状況整理で忙しない思考の中、アスランはどうにかこうにか絞り出した声に、当の仕掛けてきた本人は少しだけ頬を染めて意を決したように顔を上げる。
「アスラン」
アスランを安らげ、時に心を騒めかせる大好きな声だ。
「もう私は、ただのカガリだ」
もうこれ迄のように、そばにいる時は守ろうと神経を張り詰めなくていいとカガリは暗にアスランへ伝える。お互いがそばにいる時は、これからは守る緊張ではなく安らぐ癒しを与え合える存在になりたい。
「もう、ただのカガリなんだ」
世界を知ったような気でいて、そのくせまだ何も分かっていなかったあの頃。お互いまだ何者ですらなかった二人にまたなったのだと。だから貴方の元に来たよと、そうアスランに言い聞かせるように告げる。
その言葉にアスランは再び確かめるようにカガリを抱き締め、ゆっくりと腕に力を込めた。答えるように背中に回る手に、震えるような喜びを感じる。二人がいつかと願い続けたその時が、漸く訪れた瞬間だった。
もう一度カガリと名を呼び、今度はアスランからカガリの唇に自分の唇を重ねる。最初は重ね合うだけだったそれが、やがて食んだり啄んだり味わうような口付けへと変わる。
「ん・・・」
そう幸せそうに喉を鳴らす彼女に、アスランは堪らなくなった。そのまま壁に彼女を縫い付け、貪るようにキスを堪能する。そうしているうちにカガリがギブアップと言うようにアスランの胸を押した。
渋々それに応じるが、唇同士は触れ合ったまま アスランはカガリの言葉を待つ。
「〜〜しつこい!」
「仕方ないだろう?多めに見てくれ」
そう悪びれもせず言うアスランにカガリも強く嫌とは言えず押し黙る。おそらくそれすらも見越しての言葉なのだろう。カガリは少し拗ねたように言う。
「お前、ずるいぞ」
「褒め言葉だよ」
そう少し笑って言うアスランがまた唇を重ねてきて、カガリの抗議の声は飲み込まれたのだった。