黎明のティターニア アスカガ新刊サンプル① オーブ連合首長国オノゴロ島、モルゲンレーテ本社。
アグネスは配属先の部隊を離れ、自身に縁もゆかりも無い国、オーブに訪れていた。アグネスがこの国に訪れた理由。それは此度、オーブ連合首長国を主導にプラントと大西洋連邦の三陣営が共同で設立する新組織に、出向願い届をザフト軍本部へ提出した事に関係する。
──世界平和監視機構コンパス、正式名称 compulsory observational making peace serviceは現オーブ代表首長を務めるカガリ・ユラ・アスハ主導の下、オーブ・ザフト・大西洋連邦が共同で創設する新しい組織だ。プラントはコンパスへ出向したい者をザフトで募り、アグネスはコンパス出向へ志願したのだった。
何度かの選考を潜り抜け、最終選考まで残ったアグネスはコンパス創設の主導国であるオーブに呼ばれた。もう一度選考審査を残しているとはいえ、ここからメンバーの増減は余程の事がない限り変動する事はなく、このまま正式通達されるとアグネスはプラント政府高官である両親から聞いている。まだ選考最中ではあるが殆ど内定状態に近いため、コンパス設立を主導するオーブが今回選考に残ったメンバーをオノゴロ島へ招請したのだ。
その意図として一つ目にコンパス所属のMSパイロットとなるアグネスたちには、本人専用のOSが与えられる手筈となっている。実際に搭乗するパイロット達に触れてもらい、最終調整を図るためだ。そして二つ目の理由はなんて事はない、どこの組織でもあるメンバーの顔合わせと交流だ。その二つの理由からアグネスは初めてオーブに足を踏み入れ、そして土地勘のない場所に現在、不覚にも行き先を迷ってしまった。
一緒にオーブに来た同期のシンやルナマリアはオーブ到着するや否や早々に別行動となりアグネスと行動を共にしておらず、どうしたものかとアグネスは事態解決のために考えを巡らす。ちょうどそこへオーブ軍人が着用するオレンジ色の作業着を着た女性が、アグネスの視線の先を横切って行った。
「ねぇちょっと!そこのあなた!」
作業員と少し距離がある為、普段より僅かにアグネスは声を張って通過して行ったオーブ軍人を呼び止める。金の髪を一つに結い上げ、眼鏡をかけ、作業員の帽子を被った女性が振り返った。
「えっと…私か?」
呼び止める声に振り向いてキョロキョロと辺りを見回す女に、アグネスは呆れたように手を腰に当て溜め息を吐く。
「そうに決まってるじゃない、今あなたと私しか居ないんだから。私、MS開発部の演習場に行きたいの。あなた、案内してくれない?」
「私がか?」
戸惑うような口振りと、返ってきた返答はまるで同世代の友人に話しかけるような砕けた口調で、初対面の相手に対してそれではない。
アグネスは僅かに眉を顰める。この目の前の女性が、アグネスがその身に纏っているザフトの赤服をどういうものか知らぬ訳はないだろう。とは言っても現在、プラントとオーブは友好国関係にある。ここで一個人の私情で荒波を立て、上から叱責を食らうのはごめんだ。
頭にクエスチョンマークを浮かべる相手に案内してとアグネスは放つ。
「私、オーブは初めてなの。土地勘も無いのにすぐ近くだからって口頭で行き方を説明されただけで、他国の軍人を一人にして放っぽり出すなんて…一体どうなってるのよ、この国」
アグネスはオーブに招かれた身で、言わば客人のような立場だ。それだけであればまだ良かったのだが、ザフトに軍籍を置く身。セキュリティ面で自国の軍人でない者をそんなホイホイと一人で出歩かせて良いものではない。いくら中立国家で諸外国と比べて治安が良い状態を保っているとはいえ、これはいくら何でも平和ボケが過ぎる。しかもここは軍事施設だ。
遠回しにその意味も込め、呆れてアグネスは苦言を呈すれば弁解の余地もないなと女は苦笑した。そしてアグネスの格好を頭から爪先まで見て、ぱちくりと不思議そうに目を瞬かせる。
「ザフトの兵士だよな?君は今回招請されたコンパス選考メンバーか?」
「そうよ。…ひょっとしてまさか、あなたもコンパス選考メンバーの一人?」
選考メンバーの有無を尋ねられアグネスはピンとくる。そして鸚鵡返しに自分が先程された同じ質問を目の前の彼女に返した。アグネスの問いかけに彼女は両手をぶんぶんと横に振って否定を示す。
「いや、違うよ。今日ザフトから選考メンバーが数人来ると業務連絡があって、それで君がそうなのかなって」
「あらそう、ご明察の通りコンパスの選考メンバーよ。だから案内してちょうだい」
私はオーブ側からしたら賓客なんだからと、アグネスは心の中で呟いた。こっちと作業員の女がアグネスを呼びMS開発部へ案内を始める。カツカツの二人分の靴音だけが響く通路で、アグネスの数歩前を歩く彼女が少しだけ顔を後ろに向けてアグネスを見ながら尋ねてきた。
「名前は何と言うんだ?」
オーブ軍の一介の軍人でしかない彼女とザフト軍所属のアグネス。再び見える(まみえる)可能性は殆ど無いに等しいも関わらず、そんな事を尋ねてくる。
「あら、人に名前を尋ねる時はまず自分からと言わないかしら?」
アグネスのチクリと刺すような物言いに、目の前の女性は特に気分を悪くした様子もなく素直に名乗る。
「そうだったな、すまない。私はカガリ・ユラだ」
「ふーん、そう。私はアグネスよ、アグネス・ギーベンラートよ」
「ギーベンラート…?まさか君、噂の月光のワルキューレか?」
「あら、詳しいのね。そうよ、別に私が言い出した訳じゃないけどそう言われてるわ」
自身に付けられた異名を他国の者が知っている事にアグネスは幾らか気を良くする。月での活躍は聞き及んでいるよと更にカガリから言い募られると、アグネスは興味がなかった彼女と少し話し相手をしてやろうという気持ちが湧いた。
「月での活躍は聞き及んでいるよ。あの混乱した戦場で異名が付けられるくらいだ、腕は確かなものなんだろう?すごいな。君からその腕を教授願いたい者も多いんじゃないか?」
流れるようにアグネスへ届けられる賞賛に、当然だと言わんばかりにアグネスは鼻を高くする。
「そういうあなたはオーブの代表と同じ名前なのね」
「あ…その、よく言われる。カガリはこの国では多い名前だからな!ははは…」
アグネスは今回の件が無ければオーブと縁が無かった人なので、お国柄からそうなのかと特に疑問も無く素直に思うだけだ。苦笑いする作業員もといカガリの言う名の女性にアグネスは、さして興味を示す事もなく適当な相槌を返す。
「さ、着いたぞ」
カガリが足を止め、アグネスにここだと告げる。
“Mobile Suit Technology development department”(モビルスーツ技術開発部)と壁に書かれた文字と、人の背の二倍ほどある高さの扉。今開ける、とカガリは壁に埋め込まれている開閉装置に首から下げていたカードキーを上から下へスライドして機械に読み込ませ、次に暗証番号を慣れた手つきで打ち込む。
ピピッとセキュリティ装置から機械音が鳴り、カガリは扉の中央に付いているボタンを押した。ガコンの重厚な扉が左右へ開き、開いた扉の向こうからは整備の機械音と人の声。賑やかな光景がアグネスの前に広がる。ドッグの両サイドにはズラリと並ぶMSの数々。どの機体も技術士達が調整に集まり、メンテナンスの機械音や議論をしていて賑やかだ。きょろりとアグネスは大きな空間に目を配らせる。こっちとカガリに促されるまま、アグネスは開発エリアに足を踏み入れるのだった。
◇
「アスカ大尉、ご要望の駆動系優先のOSに比率を修正しました。ご確認お願いします!」
MS技術開発部の機体収容ドッグで、モルゲンレーテ社の技術開発者とシンは話し込んでいた。同じ画面を覗き込んで意見を交わしていると、頭上からまた別の技術者に呼ばれ、シンは呼ばれた方向を見上げる。カラーリングがまだ反映されていないグレーの機体のコクピットから、人が顔を覗かせシンを見ていた。
「今、そっちに行きます!」
すみませんと話していた技術者に断りを入れ、シンは駆け足で高所作業車用のリフターに乗り込み上昇ボタンを押した。ウィンと天井に向かって上がっていくリフターは、シンを乗せてコクピットの場所まで運ぶ。目的地に到達するとガコンと動きを止め、シンは自分を呼んだ技術者の元へ歩み寄った。技術者と入れ替わりでシンはコクピットに座り、画面に表示された複雑な文字の羅列に目を走らせる。
「どうだ?」
「大丈夫です、ありがとうございます」
次はライフルのOSだと意気込んだその時、シンの聞き知った声が少し離れた所から聞こえてきた。手元にあったキーボードを横に立て、シンはコクピットを出ると乗ってきたリフターに移る。声の主を探す為に地上に目を配らせれば、居た。とシンは無意識に呟く。そして本人に聞こえるよう声を上げた。
「アグネス、どこ行ってたんだよ!」
突然上から降ってきた自分の名を呼ぶ声。声のした方を見上げると、調整中のMSのコクピットから顔を出す見知った顔がアグネスの目に飛び込んできた。そこにはアグネスが着用している同色の軍服、ザフトレッドの軍服を身に纏う同期のシンが立っていた。コクピットから出てきたシンはリフターに乗り移り、地上に降りるとアグネス目掛けて駆け寄ってくる。
「んもぅ、うるさいわね。そんな大声出さなくても聞こえてるわよ」
煩わしそうに返事をするアグネスに、シンも負けじと食いかかった。
「ルナが心配して探してたんだぞ…って、なんでアンタがここに?!」
あわや剣呑な空気が流れそうになったところで、シンの関心は一気にアグネスから逸れ、彼女の後ろに立つカガリに意識が向けられた。
「やぁシン。久しぶりだな、元気だったか?」
右手を上げて挨拶をし、親しげにシンと話す彼女をアグネスは訝しげに見る。ザフトの士官学校に在籍時、シンがオーブに対してあまり友好的な感情を持っていない事は他人に興味を示さないアグネスでも何となく知っていた。あのシンにオーブで知り合いがいるとは意外だった。まだオーブに住んでいた頃の知り合いだろうか。
「…お久しぶりです。で、なんでアンタがここに?」
「何って、用があるから来たに決まってるだろう?」
何を言ってるんだと言うカガリにシンは噛み付く。
「だからっ、俺はそう言う事を聞いてるんじゃなくて!」
あぁもうと頭をガシガシと掻いて困るシンに、カガリはケラケラと笑う。
「ここの場所を探してた彼女を会って案内してたんだ。シンやルナマリアは以前ミネルバでモルゲンレーテ(ここ)に来た事はあるけど、彼女は初めてだろう?」
そうカガリはシンとアグネスに交互に視線を配る。アグネスをそんなに責めてやるなとカガリはシンを宥めた。
「それよりシン、ジャスティスはどうだ?」
「え?」
「さっきコクピットに入ってたじゃないか」
「は⁈」
シンの素っ頓狂な反応と同時に、アグネスも驚きで口元に手をやる。その名を冠する機体をザフトの軍人で知らぬ者は居ない。
──ジャスティスガンダム、ザフトのXシリーズ。
最初の大戦の最中、当時のプラント最高評議会議長であるパトリック・ザラが命じ、自国の最高の技術者達をかき集め、その英知を結集して造られた機体。二度の大戦でジャスティスと同じくNジャマーキャンセラーを搭載した、フリーダムガンダムと共に最強と謳われたMSの名だ。シンは勢いよく振り返り、先程までモルゲンレーテ社の技術者と一緒にOSを調整していた機体を見上げる。
「ジャスティス⁈あれが⁈」
「機体名聞いてなかったのか?お前が乗るんだぞ、あれに」
カラーリングがまだ反映されていない灰色の機体は厳かに聳え立ち、二度の大戦でその名を馳せた英雄機は静かに動くその時を待っている。そしてカガリの口から飛び出た言葉にシンはカガリを凝視する。
「俺がって…あれはアスランの、」
躊躇うようにシンは呟く。
そう、あれはアスランの機体だ。ジャスティスとその名を聞けば誰もがそう自然と結び付ける。それ程あの機体はアスランのワンオフ機として、当然彼がパイロットとして乗る物だと周知されていた。
アグネスはシンの口から出てきたアスランと言う名前に思わず同期を注視する。ジャスティスが此処に在るという事、それは即ちオーブにアスランが居るという事と同意義だ。アグネスは内心、歓喜で打ち震え、そしてほくそ笑んだ。
アカデミー時代から彼女が狙っている極上の男、アスラン・ザラ。上手く立ち回れば会えるかもしれない。コンパス出向に手を上げ、遥遥(はるばる)プラントからオーブへ来た甲斐があった。
「アスランはこれに乗らない。あいつは別にする
事があるからな」
「別って、」
「シン」
渋る姿を見せるシンにカガリは凛と力強い声でシンの名前を呼んだ。カガリの雰囲気が急に変わり、シンの気が引き締まりアグネスも思わず攣(つ)られて背筋を伸ばす。カガリはただの一介の作業員でしかない筈だ。その彼女の後ろに、アグネスは何かを見た気がした。
「アスランは乗らないから、キラがお前に任せたいとご指名だ」
「キラさんが…?」
キラと言う人の名前が出た瞬間、シンは突然大人しくなる。また、アグネスの知らない名前。一体誰だろうかと思いながら、アグネスは二人の様子を見守る。
「嫌か?」
「狡(ずる)いですよ…。キラさんに頼まれたら、そんな…俺、断る理由なんかある筈ないじゃないか」
少し眉を下げたカガリに、シンは無意識にギュッと拳を握る。思い出すのは二度目の大戦が終わった後、訪れたオーブの岬でシンの家族が亡くなった場所に建てられた慰霊碑。その慰霊碑の前で一緒に戦おうとキラと交わしたあの握手と彼の手の温かさは、今でも鮮明に覚えている。あの時感じた温度と決意は、シンの中で絶えず燃えている。
「乗ります、ジャスティスに」
あの人と共に、目指す夢のために戦いたいと思ったからシンはコンパスに志願した。その彼が俺にと託すのなら、とシンは心を決める。決意の宿った赤い眼差しがカガリを見つめ、貫く。その意思にカガリは分かったと短く頷いたのだった。