星を待つあんなに日が長かったのに、今はもう、気を抜けばすぐに真っ暗になってしまう。暑苦しくて、早く涼しくならないかなぁとぼやいていたくせに、なってしまえば心の中はスウスウと涼しい風が通り抜け、ほんのちょぴっと切なくなる。
夕方と夜の間の時間を足早に駆け抜けていけば、目の前に広がる不思議な色の空で、ぽつんと強く輝く星を見つける。
東の方角に見えたそれを指差して、哀ちゃん、と宙に言う。思い出の中の哀ちゃんは返事をせずきらきらと微笑む。
あれはなんという星だったかな。木星か、金星だった気がする。確かなことは、教えてもらった星の名前が漢字だったこと。哀ちゃんがすらすらと答えてくれたこと。せっかく教えてくれたのに覚えていないなんて勿体ない。でも、もう一度聞こうとしたときにはもう哀ちゃんはここにいなくて、だから、私が忘れてしまったのは哀ちゃんのせい。そんなことを言う私は悪い子。哀ちゃんだって、私を寂しくさせたくていなくなったわけじゃない。夜の闇がさっきよりずっと広がった気がして、私はひとり立ち止まる。闇に際立つ月に照らされて、まるでスポットライトのよう。風がざわざわと街路樹を揺らす。
私はこの道を毎日同じ時間に通るのに、星はだんだんと位置を変えていく。高く高く上に向かう。今は前を見ているだけで、星は私に光を届けてくれるけれど、しばらくしたら上を見上げなければならなくなって、そしてどこかへ行ってしまうのだ。
『でも、また、いつか。見えるようになるわ』
哀ちゃんは、地球が止まることなくくるくると回っているから、だと言った。
私の知る小さな枠の空から消えてしまうだけ。見えなくなっただけ。哀ちゃんなら、そう言ってくれるだろう。ずっと友達だと約束してくれたみたいに。小指を差し出したら、はにかみながらそっと指を絡ませてくれた哀ちゃん。
だけどね、見えなくなってしまうのは、いなくなってしまうのとおんなじことじゃないの?
私は、星を見なくても哀ちゃんのことを思い出せる。けれど、もっと寒い季節になると、私は空を見上げなくなるし、誰かと一緒に帰るときは、見上げることもない。
いつか、この季節が来ても、思い出さなくなってしまうときが来る。私が星の名前を忘れてしまうみたいに。あのときは確かに覚えていたのに。
忘れたくない。何度見えなくなっても、何度だって思い出したい。泣きたいと思うのに、涙は出ない。哀ちゃんがいなくなるときはあんなに泣いた。こうやって、だんだんと薄くなってしまうんだ。私はちょっと大人になったからわかる。だから、何度だって思い出して、自分の記憶に上書きを繰り返さないといけない。記憶の中の哀ちゃんは、どんどん優しくなっていく。もともと優しかったけど。でも、これをオモイデホセイって言うのだと誰かが言ってた。やだな。本当に優しくて、いつも私のことたくさん助けてくれたのに。それもいつか、オモイデホセイになってしまうの?オモイデホセイは偽物なのかな。
ああ、どうか哀ちゃんも、忘れたくないと思っていてくれますように。私がそこにいたことを覚えていてくれますように。私は星に向かって祈る。ふと、哀ちゃんが思い出す私もオモイデホセイされているのかもしれないなんて考える。私は一人でクスクス笑って、舞台から去る女優みたいにもう一度歩き始めた。さようなら。さようなら、は、お別れのことば。哀ちゃんはさようならと言わなかったから、私はまた、星を待つよ。