「嘘と」「一ちゃん」
「どうしたの、マスターちゃん」
「ちょっと、疲れちゃった」
カルデアの広く長い廊下の真ん中で、斎藤は息を呑んだ。目の前の男がこうも容易く弱音を吐いたことに、至極驚いたのだ。
「立香ちゃん、」
なんと声をかけるべきか。夜食をともにしたあの夜言葉にしたそれは嘘ではなかった。嘘ではなかったけれど、準備はまだ、整っていない。その不甲斐なさに己を呪うことだけして今に至っていたのだった。
斎藤は大きく息を吸い込んで、そして
「立香ちゃん。いや、マスター」
「───なんて、ね」
「へ?」
「今日、エイプリルフールって言うんだ」
「えいぷりる、ふーる?」
「そう。嘘をつく日。ん?嘘をついてもいい日、だったかな?」
目を丸める斎藤に反して、マスターは口元に笑みを浮かべていた。両の手を顔の前で合わせて、「みんなの反応が毎年面白くて。騙すようなことしてごめんね」と戯けている。
「ふーん。嘘をついてもいい日、ね」
マスター藤丸立香の目前に手が差し伸べられる。黒革の手袋に包まれた斎藤の手だ。藤丸は首を傾げた。
「マスターちゃん。僕、ちょっと付き合ってほしいところがあるんだ」
***
管制室のお偉方に特別な許可をもらってシュミレーター室に籠もった二人は海辺に立っていた。藤丸はまたもや首を傾げる。
「一ちゃんが来たかったのって、海?」
「そう」
「なんで?」
「なんでって、疲れてるときにはいい景色とうまい飯、あとは睡眠が必要だからね」
それに酒がついてくれば万々歳であるのだか、何分、己のマスターは酒は飲まない質だった。
そんなことに思考を巡らせていると隣に立つ藤丸が俯いた。口を横一文字にきつく結んでいるのが横目で見ても分かった。斎藤は彼の背を優しく叩いた。
「......一ちゃんにはお見通しなんだね」
「そりゃぁ、ね。僕は立香ちゃんのサーヴァントですんで」
あの告白はきっと本当のものだったのだ。修飾する語が「ちょっと」ではなく、「とても」が正しいというところ以外は。
目の下に薄っすらとできた隈に先日背中と腕につけて帰ってきた大きな傷。それにきっと、心だって。
斎藤は察していながらも口にはしなかった。
マスターが嘘をついてもいい日を口実に、己を一部分だけでも曝け出してくれたのだから。
これはとある逃避行の予行練習。
目の前に広がる光景と同じ色の瞳をした少年は、靴と靴下を脱ぎ払って今、砂浜を駆けだした。