第一話 一
「初めまして、雪です。」
そう言った彼は涼しげな髪色と目の色が印象的で、ここに居る誰よりも無垢だった。
「ホストクラブ?」
話があるとわざわざ執務室まで自分を呼んで、こんなくだらない話を持ちかけてくるなんて、どういう神経だと疑った。
たまには息抜きをしなさい、とその老人は言ったが、それとホストクラブとがどんな関わりがあるのだと呆気に取られているうちに、瞬く間に日付が決まり、そして今、駐車場へと車が着いた。
「神道くん、安心したまえ。ここの店はちゃんと顧客の秘密を護るから」
でなければ困る、心の中で悪態をつきながら、口からはおべっかを吐く。仕方がない、どこかのタイミングで何か適当に理由をつけて帰宅しよう。
車を降り、エレベーターに乗って階数を上がる。
到着のベルと共に開いた扉、その向こう側には左右にズラリと並んだ見目のいい若い男たち、統率のとれた迎えの挨拶を聞きながら通されるまま個室へ入ると、後を追うように三人の男が入室した。
ひとりは老人の贔屓、もうひとりは贔屓の連れ…いや、サポート側だろうか、いずれも老人を囲むようにして座る。それからもうひとり、特に若そうな彼は新人らしく、先に席に着いた男が挨拶をするように促した。
「初めまして、雪です。お席ご案内します。」
「……よろしく」
名前にふさわしい涼しげな髪色に目元、給仕とは異なり白いスーツ姿である事からホストなのだろうが、先の二人とは異なり、瞳の奥に野望や出世欲といった物は一欠片も感じない。現に名乗った後は僕を席へエスコートしつつ、目線はずっとテーブルへ運ばれる食べ物へと注がれている。
「お腹空いてる?」
「うん、っあ、はい」
「ふふふ、どうぞ。たくさん食べて」
「え…」
ちらりと僕の向こう側、談笑している席を見、声をひそめて本当に? と言う。言いながらも視線は未だ食べ物を見ており、あまりの素直さに思わず笑ってしまった。いいよと箸を渡せば、ありがとうと頭を下げ、香り立つ唐揚げに箸を伸ばす。
「君、入ってどのくらい?」
「一か月…です。いつもはサポートで…一人きりで席に着くのは、今日が初めて……です。」
辿々しい敬語、話が流暢な訳でもなく、なぜこの職業を選んだのかほとほと疑問だが、しかし、不愉快ではなかった。
「僕もこういった所は初めてでね、そんなに緊張しなくていいよ。」
「そうなんだ…ですか!」
「ッフフ、敬語も無理しないで。」
ごめんなさいと目を伏せる、髪色と同じ色合いのまつ毛が、キラキラと光を散らせるのはなんとも美しい。
見目だけは、ホストに向いているような気がする。
「僕も君も初めて同士、折角だから記念にお酒を入れようか。何がいいかな」
この時の僕に、別に他意はなかった。
言葉のままだ、新人の慣れない接客に優しくしたい訳でも、彼に何か熱心にしてあげたいと思った訳でもなく、ただ、何となく。
そうしてメニューを渡した僕に、彼は、
「う、薄いのなら…」
と自信なさげに言った。
この部屋に入ってから数分、僕は何度笑ったのだろう。酒が飲めないホスト、じゃあどうやって売上をたてるのだろうか? これを笑わずして、どうしろと。
横目にちらりと隣の席を見れば、あっという間に老人が高いボトルをテーブルに並べており、侍らせた者たちは嬉しそうに媚びた声を出している。
それに気を良くした老人は高らかに笑い声をあげていて、心底下品な空間だと思った。
「得意じゃない?」
「うん、ソフトドリンクの方が好き」
「そうか、じゃあフードのならどうかな?」
「! いいの?」
一気に目を輝かせる彼。
そう言えば、いつの間にかテーブルにあった唐揚げが無くなっている。若さ故か、彼の胃袋のわんぱくさに興味を持った僕は、好きなように頼めと告げた。
すると彼はメニューを開いて、どれが美味しいかを楽しそうに話しながら、僕に食べられるかどうかを確認し、見繕ったいくつかを給仕へ注文した。
変わったホストも居るものだと笑っていた僕に、注文を終えた彼は振り返り、ふと目を細めて微笑む。
「……貴方は、優しいね」
なんて事ない、ただの微笑み。
でもそれが、今までに見た裏や含みのあるものでなく、無垢なそれで、僕は、