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    ねねねのね

    キメツの二次創作小説を書いてます٩( ᐛ )و

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    ねねねのね

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    ツードロに投稿した錆義です。お題は「かげろう」でした。

    蜻蛉 昔、蜻蛉の一斉羽化を見たことがあった。
    あれはまだ狭霧山にいた頃だ。夏が終わり秋が始まるそのちょうどそのくらいの時期、俺たちの修行は一通りを修め、これから習熟度を上げていこうという段階だった。いつものように相棒と山の中腹にある修行場に向かう途中、小川に渡された丸木橋に差し掛かったところで、ふいに視界が紙吹雪に覆われたように真ッ白になった。驚いて足を止めると、勢い余った相棒がドゥッと背中にぶつかってきた。
    「イッテ……どうした義勇」
    「いや……」
     自分の目がおかしくなったかとたたらを踏む俺の肩口から、彼はヒョイと顔を出し「うっわ」と声を上げた。
    「これは……」
     紙吹雪はヒラヒラとあたりを舞い、いっかな地上に落ちる様子もない。まるで壁のようだ。後ろから錆兎が手を伸ばし、パシッと舞っていたものを掴む。
    「見ろ義勇」
     そう言ってパッと手のひらを開くと、小指の先程の胴体に透明の翅が2枚ついた小さな虫がいくつも半分潰れた状態で乗っていた。
    「蜻蛉だ」
     錆兎はゆっくり息を吐いて、もう一度掌の上の小さな虫に目をやった。
    「これ全部か」
    「ああ」
     そうして目の前の壁のような蜻蛉の大群を見て、小さくため息をついた。
    「今日は通れないな。回り道をしよう」
    「待て。この虫はいつもこんなに大量発生するのか?先生に伝えた方が」
     すでに諦念している錆兎を見て俺は焦った。この小さな虫がこれから毎日このように大発生するものだったらたまらない。
    けれども彼は「いや」と軽く首を振った。
    「わざわざいう必要はない。これは今日だけだ」
    「今日だけ?」
    「そう」
     ふと上を見上げると、小さな黒い布のような物体が無数に舞っている。よく目を凝らしてみると、それは蝙蝠だった。蝙蝠たちは無数の蜻蛉を先ほどから無心にガツガツと食らっているのだった。
    「蜻蛉は一年に一日だけ、夕方に一斉に大人になるんだ。そして朝になるまでに死んでしまう。だいたい秋口だな。ちょうど今日がその日らしい」
    「一晩のみの命なのか」
    「そう」
    「儚いな……」
     俺がぽそりとそう言うと、錆兎は腕組みをしてフフンと鼻で笑った。
    「お前の口からそんな言葉が出るとはな」
    「む、心外……」
     思わず頬を膨らませると、錆兎はそれを見てケタケタと快活に笑った。
    「しかしコイツらは幼虫の期間が長いからそうでもないぞ。お前もよく釣りの餌に使うあの虫は、蜻蛉の幼虫だ」
    「あ、あれか……」
     ここにきた時は魚釣りなどしたこともなく、川の石をひっくり返して餌の虫を取るということもしたことはなかった。始めは虫を触るのにも躊躇があったけれども、郷に入れば従えの精神で今は平気になった。あの虫がこうなると思うと、少し不思議な気持ちではあったものの。
     よく見ると川面の方もバシャバシャとうるさく水が跳ねている。魚たちが水面に近づく蜻蛉たちを捕食しているのだろう。上には蝙蝠、下には魚。そこでは一夜限りの弱肉強食の饗宴が繰り広げられているのだった。
    「コイツらは大人になると弱くなるんだ」
    「大人になると弱くなるなんて、そんなことあるのか」
    「まあ見ろよ。この虫……あきらかに幼虫の方が強そうだぜ」
     そう言って錆兎はフウッと紙吹雪に向かって息を吹きかけた。全集中による強い息吹は簡単に虫たちを割って細い道を作った。けれどもその道はすぐに無数の虫たちに覆い尽くされて消える。
    「蜻蛉の命は儚いものさ……けれどもコイツらはこうやって命を繋いでいくんだ。一斉に発生するのはそのためだって言われてるんだぜ」
    「捕食されても数が多ければ生き残れる……虫の知恵ということか」
    「ま、そういうこと」
     そして錆兎は再度カカと笑い、さあ遅刻するから早く行こうぜと踵を返して走り出した。俺は不思議な蜻蛉の生態に多少後ろ髪を引かれたものの、先生の拳骨は怖い。そのことを思い出し慌てて錆兎の後を追った。
    繋げるための儚い命たちの饗宴を見たのは、それ一度きりだった。



     終わってしまった向日葵が首を垂れる。ビッシリと中に詰まった種を取らねばなあとぼんやりと眺める。
    空が高い。
    「そんなこともあったよな」
     縁側に腰掛けて茶を飲みながらボンヤリするのは、もはや恒例になってしまった。
    「あったな」
     俺の独り言のような呟きに、ハッキリとした返事が返ってくる。すがたかたちは見えないが、今でも鮮明に覚えている懐かしい声。
    「大人になったら弱くなると言うのは本当だな」
    「耄碌ジジイのようなことを言うなよ」
    「もう耄碌してもいいだろう。宿願は果たしたのだから」
    「そうだな」
     彼の声は出会った頃にはすでに声変わりをしていたので、きっとそのまま大人になっても同じ声だったのだろうなと思う。
     一瞬だけ大人になって、すぐに消えた、鮮烈な光。俺はずっとその光の影なのだと思っていたのだが、最後の最後の闘いの最中、俺も彼と同じ光だったのだと知った。そうして命をギリギリまで輝かせることができた俺は、もう直ぐに彼のいる処に辿り着くことができるのだろう。
    「弱くなったときが繋ぐ時なのだぞ、義勇」
     横からしかめつらしい声が聞こえる。
    「何だその口調は。先生の真似か」
    「うるさい」
     口が悪く喧嘩っ早いところも変わらない。あの時から彼の時間は止まっている。俺は止めることができなかったが、その分彼の願いを叶えることができるのだ。
     そう思いながら俺は、ハイハイとおざなりに返事を返した。
    ——大人になると弱くなる。
     それは、そうだと思った。つまらないしがらみや見栄や体面や——描いても悔やみきれない後悔や——そんなものにとらわれて俺は弱くなった。あの頃は怖いもの知らずで無敵だった。彼と共にいた日々、短くキラキラと輝き、あの蜻蛉たちのように鮮烈に弾けたあの頃に。
     俺は戻れるのだと、戻っていいのだと、心の中でひそかに許可を出した。
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