夏の日、残像 06 義勇いつも、独りだった。義勇ではない、夢の中のアイツのことだ。義勇自身はけっして孤独ではない。物心ついた頃に両親が事故で亡くなり、みなしごになった時だって、十ほど歳が離れた姉があつもそばにいた。施設にいるときもずっと、片時も離れず。だから、姉が就職して引っ越しをすることになったとき、迷わずついて行くことを選んだ。それは義勇自身の意志だ。生まれ育った地元にあまり執着もなかったし、そもそも、義勇には姉以外の執着なんてない。学校のクラスに話し相手がいないこともなかったが、特別に仲がいいわけでもない。表面上だけの付き合いだ。自分がついて行くことで姉の足手まといになりたくなかったが、姉自身も義勇を置いて行く気はないとハッキリ言ってくれたので、それに甘えた。
それに、夢のこともあった。
両親がいなくなってからたびたび見るようになった、鬼狩りの夢だ。
初めて見たその時から、ガチの殺し合いであることはすぐに分かった。戦隊ものヒーローのように、ピンチになれば必殺技を出せば必ず勝てるというものではない。必殺技的なものは持っていたようだが、そこに至るまでに味方はバンバン死ぬ。ところ構わず血飛沫が舞い飛ぶあまりの惨劇ぶりに、始めこそは目覚めた後、恐ろしさのあまり泣いていた。けれども、それも回数を重ねるごとに段々と感覚が麻痺していった。今では多少の血を見たところでなんとも思わない。我ながらなんとも可愛くないことだと思う。
その血で血を洗う死闘の中で、彼はいつも独りでいた。決して他の仲間と慣れ合おうとせず、会話だって必要最低限しかしない。
そのさまは、どこか、他人と親しくなることを恐れているようなところがあった。
もっと仲良くしろよ、協力しろよ、と義勇などは思わなくもなかったが、仲良くしたところですぐ仲間は死んでしまうものだから、ああ、だから仲良くしようとしないのだとそのうちに納得することにした。
そして、仲間とは話さない代わりに、彼はいつも頭の中で誰かと話しているのだ。
その相手が、『サビト』だった。
はじめ、義勇はサビトが彼の想像上の人物だと思っていた。なぜなら、彼の頭の中のサビトはあまりにも強く、男気にあふれており、そんな人間はいないよと言いたくなるくらい、どこか超越した存在だったからだ。サビトはけっして弱音を吐かない。後ろ向きなこともけっして言わない。そうして、彼の背を押し続けてきた。
その姿はとてもリアルだったけれど、親兄弟にしては姿が正反対なくらい異なるので、おそらく彼の友人か何かだろうかとそのうちに思うようになっていた。
義勇はサビトが実体として彼の横にいたところを見たことがなかった。それは何故なのか、薄々察するところではあったものの、その辺りは夢で見ないものだから、ハッキリとしたことはわからない。
いずれにしろ、誕生日が来るたびにだんだんと姿が似てくる……義勇自身が彼に寄せているという自覚はないものの、髪を伸ばせばもう瓜二つというほど同じ顔になってしまった彼を、義勇はもはや『俺』だと認識していた。
前世の記憶というものなのか、それとも義勇の妄想なのか、妄想だとしたら気味が悪いほどリアルで頭おかしいとしか思えないのだけれども、そうとしか説明がつかなかった。
そして、その夢の中の俺が崇拝する
『サビト』
その、サビトと、瓜二つの人間が目の前に現れて、俺と友達になりたい、などと言ってきたら。
夢の中の人間に引っ張られている、とは思いたくもないけれども、だからといって、嬉しいと思わないはずはなかった。
そう、嬉しかったのだ。サビトが目の前に現れたことが。
俺と、関わりたいと言ってくれたことが。
そのせいなのか、我ながら驚くほどの行動力が出た。普段なら、学校も違う、チームも違う、そんな男を、まるで追っかけのように出現箇所を予測して行ってみたりはしない。
彼が崇拝するサビトと、目の前の錆兎は別人だ。そうは思っていても、どうしようもない、抗いがたい何かがあった。
陳腐な言い方をすると、運命?宿命?
そんなことはどうでもいい。
この、細い糸を逃してはいけない。
ただ、その一心があった。
そして、義勇はどうしても彼に聞いてみたいことがあった。
——お前も、夢を見るのか、どうか。
◆
「お前に乱暴狼藉を働いたディフェンダーは、エグチというらしい」
バーガーが乗ったトレイをテーブルの上にガンと置くなり、義勇はそう言った。
錆兎が肘打ちを食らって倒れた後、素早くスタメン表を見て背番号と名前を覚えてきたのだ。今度試合で当たることがあれば、仕返しをしてやるつもりだった。
おいおい、ランボウロウゼキってなんだよ。と、錆兎が半笑いしながら小さい声で言う。本人はやり返そうとは少しも思っていないふうだ。優しいやつである。だから、ここでささやかな復讐をしてやることにした。
「そして俺が買ってきたのはこれ。エグチだ」
そう言いながら座り、義勇はバーガーを指差した。
エグチと言っているのは、エッグチーズバーガー、略してエグチ。最近幅をきかせてるあいつのことだ。
「俺はこれを食う。食ってやる。錆兎の、敵討ちだ!」
義勇は大真面目な顔をしてガシリとエグチを掴んだ。そこで錆兎がもう辛抱できないといった顔をして、ブハッと吹き出した。
「敵討ち……かたき……アハハ」
いったん吹いてしまったらもう止まらないようで、錆兎は腹を抱えて大口を開けて、ギャハハと笑い転げた。頭を振るたびに赤い髪がバサバサと揺れる。
なんかすごいウケた。思った以上の反応がまんざらでもない。俺だってこれくらいできるのだ、と義勇はフンと鼻を鳴らした。
「お前、まさかこれやりたくてマックに?」
ようやく笑いがおさまった錆兎が顔を上げる。頬が紅潮してより幼く見えた。義勇は、これがギャップというものかと感心しながら、「そういうわけでもないが」と呟く。そして錆兎用に買ったバーガーを手に取った。これでもう一押しである。そしてそれを錆兎に手渡しながら、
「錆兎は倍テリヤキだ。やはり錆兎は牛が似合う」とダメを押した。
「う、牛が似合うって!」
錆兎が再び噴き出す。そして笑いを必死で押さえながら、義勇からバーガーを受け取った。
「ありがと。テリヤキ好きだからいいけど、牛が似合うって…」
「ああ。牛食って早く元気になれ」
微妙に会話が成り立っていない気もしないでもないが、義勇は全く気にしない。とりあえず笑わせることができたのは嬉しかったけれども、それは顔を出さずに、さっさとエグチの紙を剥いでかじりついた。
「さっきから気になっていたけど」
錆兎が笑いすぎで目尻ににじんだ涙を拭い、バーガーの紙を剥がしながら義勇を見上げた。
「家におじいちゃんとかいたりする?」
突然そう聞かれて、義勇は思わず一旦口を止めた。
「む?」
なんで?と聞きたかったけれども、食べかけの口を開くわけにはいかない。急いでモグモグゴックンする間は無言になってしまうのは仕方ない。
けれども錆兎は「む?」だけで察してくれたのか、ニコニコ笑いながら先を続けてくれた。
「いや、なんかしゃべり方が時代劇っぽい気がして」
そこでようやくパンのカケラを飲み込むことができた。
「そうか?」
「うん、なんか難しい単語もよく知ってるし。おじいちゃんのしゃべり方をマネしてんのかな、と思った」
「……いや?」
そんな自覚はなかった。けれども夢の中のアイツに似ているかもしれない、とちょっと思う。
「祖父はいない」
「そっか。なんか家でじいちゃんが待ってるイメージなんだよな。義勇は家に連絡入れたか?」
「してない」
「え、心配してるんじゃないのか?」
「してないだろう」
看護師をしている姉は、今日は夜勤のはずだ。けれども、家に誰もいないわけじゃない。そのことを思い出して、義勇はちょっとうんざりしてしまった。
「新婚なんだ」
「は?」
少し唐突だったか、錆兎が目を丸くした。
いつも姉に「義勇は言葉足らずなのよ」と言われることを思い出した。言いづらいことだが、これはちゃんと説明をするべきだなと瞬時に反省して、義勇はコーラを手に取った。
「うちは親がいなくて、姉さんだけなんだが…その姉さんが、最近結婚して」
そしてコーラをズルズルと吸って、ため息をつく。
「なんでか旦那と同居。新しい兄さんは、嫌いじゃないんだけど…」
そして、ポテトをパクリと口に入れた。
「なんふぁ、いひぇにいづらひ」
「こら、口にもの入れてしゃべるな」
照れ隠しにポテトを食べながらしゃべったら、即座に錆兎からお叱りが飛んだ。なんだ、兄貴面だなとは思ったけれども、逆になんだかそれが嬉しくて、義勇は二マリと口の端を上げた。
「姉さんひとりだけなのか?」
「ああ。親は俺が六歳の時に事故でまとめて死んでしまった。姉さんは大学を諦めて就職して、俺の面倒をみてくれた。だから」
いいかげん俺のことは放っといて、幸せになっていいんだ、とボソリと呟く。これは本音だった。新婚夫婦の邪魔をしているという感覚はいつもあった。それを言うと、姉にはいつも「子供のくせに何言ってんのよ」と軽くあしらわれてしまうのだけども。
「そうか。結構年上なんだな、お姉さん」
「十歳違いだ。お前は確か妹がいたよな」
前回聞いた情報を載せてそう返すと、錆兎は覚えていたんだな、と嬉しそうに頬を緩ませた。
「そう、今ちょうど一歳」
「いいじゃないか。名前は?」
「マコ。本当は、真菰だけど、面倒だからマコ」
「マコかあ。いいなあ妹」
生まれてからずっと年上に囲まれてきたから、妹がうらやましいというのは本当だった。といっても、いきなり小さい子供を連れてこられても、うまく接する自信はなかったけれども。
正真正銘の兄貴なのか。錆兎の面倒見の良さは、こういうところからきているのだろう、とも思う。
「うん、俺も一人っ子歴が長かったんだ。だけど、今、両親の関心は完全にマコに向かっているよ」
「さびしい?」
「いや、さびしいというより、解放された感じでむしろ清々しいかな」
「そんなもんか」
「そう」
そこでいったん言葉を切り、錆兎がこちらをみてニコリと笑った。
「俺たちはちょうど反対なんだな」
そう言われると、なんだかなあと思う。圧倒的弟より、兄貴の方が立場が強いのは目に見えている。ちょっとだけ、錆兎がうらめしい気がした。
「俺は錆兎がうらやましいよ。代わってほしい…」
深々とため息をつきながらそう告げると、何が面白かったのか、バーガーにかじりつこうとしていた錆兎が再び噴き出した。
◆
外に出ると少し涼しい風が足元を駆け抜けた。
「駅こっちだよな」
「うん」
相変わらず兄貴面をしている錆兎が、前に一歩出て義勇の手を引く。義勇は大人しく引かれるまま歩き出した。姉とはいつもこうだったから、自然とそうやってしまう。それもどうかと思わなくもなかったけれど、錆兎の手が心地いいので離したくないな、とも思ってしまったので、そのままにしておく。
と、その時ふいにヒュウ、と音がした。なんだ?と思って顔を上げると、前方のビルの隙間で、カラフルな大輪の花が炸裂するのが見えた。
「花火!」
錆兎が興奮した声を上げる。え、今、声出したの錆兎か?と、思って横を見ると、まるで幼児のようにキラキラした目で花火を見ている横顔が目に入った。
「行こう」
錆兎は前を見据えたまま、グイグイと義勇の手を引っ張り、走り出そうとする。
「え、行くのか?」
義勇が焦った声を上げると、錆兎は振り返り、不満そうに「行かないのか?」と言い口を尖らせた。
またその顔が子供っぽく、さっきまで兄貴だと思っていたのに、今度は弟のように見えてしまう。
やばいな、と瞬時に思った。
またもや意外な顔を見てしまい、だんだんと思考回路はグニャグニャになってくる。
「……行く」
義勇が足を踏み出すと、錆兎はニヤリと笑い、「急がなくていいぞ」と言った。そうは言っても走りで負けたくはない。手を繋いだまま、人混みの隙間をすり抜け、ビルの向こうをめがけて、転がるように走った。
ビルの隙間を抜けると、その向こうに河川敷が見えた。花火は川から上げているようで、ドン、ドンと音を立てて、次から次に夜空に大きな花を咲かせている。
それが見えたところで、突如、錆兎が道端で立ち止まった。
「向こうまで、行かないのか?」
「ここでいい」
「近い方がいいぞ」
「…人が多いだろ」
「うん」
話している間も、錆兎はひとときも打ち上がる花火から目を離さず、じいっと見つめている。
「花火、好きなのか?」
義勇が聞くと、「昔、親と見て以来だな」と錆兎がボソリと返した。たしかに小さい子供がいるのでは見に行けないだろう。
「そうか」
錆兎に合わせて、義勇もなんとなく花火を見上げた。
花火はこの間見に行った。花火好きの義兄に引っ張られるままに、姉が浴衣を着て、そっちの方が綺麗だなと思ったくらいだ。
菊、牡丹、千輪菊。確か名前があるんだよな、とは思いつつも、どれがどれなのかはさっぱり分からない。
夜空にパッと開いて、すぐに消える。夏そのもののように、激しくて、儚い。
チラリチラリと横を見ると、錆兎は相変わらず嬉しそうに花火を見上げていた。その横顔を見ているうちに、義勇は一つの考えにたどり着いた。
今なら。
今なら聞けるか?
試しに握ったままの手をギュッと握り締めてみる。錆兎はこちらを見なかったけれども、ほっぺたが少しずつ赤くなってきているような気がした。
意識はこっちに向いているだろう、と思う。
「錆兎」
問いかける。
ドン、と空に大輪の花が開く。
聞くなら今だ、と思った。
義勇は空を見上げたまま、花火の合間に呟くような小さな声で言った。
「お前の夢に、鬼は出るか?」