夏の日、残像 04 義勇「嫌いじゃない、俺も」
錆兎の言葉に、義勇は顔にこそ出さないものの少なからず驚きを覚えていた。
ちょっと、からかったつもりだった。
もう会うことがないと思っていた相手、まあ試合では会うかもな、程度にしか思っていなかったのに、偶然にもこの駅で会った。
本当に偶然か?
そこはちょっと疑わしいところではあったが、それよりもサビトのあの顔で誘われると、なんだか断りがたくて、またもや誘いに乗ってしまった。
そもそも、この俺のどこに好かれる要因がある?
義勇はぎこちない微笑みを浮かべる錆兎の顔を見てつくづく思う。
「それはどうも」
そう思ってしまったせいか、わざと興味がなさそうに返してしまった。ついでに余計な一言まで足してしまう。
「お前、友達多いだろう」
案の定、錆兎は戸惑った表情を浮かべた。
「え、まあそれなりかな…」
「何で俺に構ってくる?」
さらに畳みかけると、錆兎は目に見えてうろたえた。ちょっと、かわいそうだなと思ったけれども、自分の性格上、こんな聴き方しかできない。
「え、ええと。サ、サッカー、うまいから」
しどろもどろ。そんな言い方がぴったりだ。視線がせわしなく左右に散っている。わかりやすい奴だな、とは思ったけれども、それ以上になんだか動きが不審だった。義勇はわざと分かるように口元を歪めた。
「これまでサッカーの話、一言もしなかったのに?」
「いや、あの、それは今からしようかと…」
その時、不意に、コイツは『ただの良い奴』なだけではないだろうか、という考えが義勇の頭の中に浮かんだ。こういう人間が考えることはわかりやすい。
トモダチがいなくて可哀想。
ならば俺がなってやろう。
好きでひとりでいる義勇にとっては、ただのありがた迷惑でしかない。こういう手合いは何を言っても可哀想と言う。厄介なこと、このうえない。
「錆兎」
義勇は思わず苛立ってトレイの上のポテトをぐちゃぐちゃとかき混ぜた。
「こないだお前が見ていたように、俺は友達がいない」
口にするだけで心が暗くなるような気がした。ほんとうは、こんなことを言いたいわけじゃない。
けれども、善意からなんだか知らないが、他人を下に見て踏みつけてくる相手は、すべからく排除の対象。それは、心に決めていることだった。
義勇は、なるべく感情を込めないように注意して、錆兎の目をじっと見つめた。
「あわれんでいるのだったら、やめてくれ」
錆兎は目を見開いて、義勇の目を見つめ返した。
動揺がありありと見て取れる。
「そんなこと、思ってない」
返してきた声は、少し震えていた。
「うそだ」
「うそじゃない」
錆兎はそう言ったまま口をつぐんだ。口元がブルブル震えていて、目もみるみる間に潤んでくる。頭の中で、ものすごい勢いで何か考えている気配がした。
どうするんだろうか。
なんだかいじめているようで、気持ちが悪かった。わざわざ声をかけてくれたのに、俺は何をやっているんだろう。
これだから友達ができないんだ、と自嘲気味に義勇が思ったその時。
ふいに、暖かい手が、トレイの上の義勇の手の甲を包んだ。
そのまま、ギュウッと握られる。
義勇は驚いて一瞬固まった。
なんだこれ。想定外だ。
「ごめん、色々考えたけど、俺の短い人生経験では、答えが見つからない」
いちど握られた手を見て、すぐに顔を上げると、誠実そのものな瞳で錆兎がこちらを見つめていた。
「信じてもらえないかもしれないけど」
錆兎は続けた。
「俺がトミオカをあわれんでるなんてことは、絶対にない」
その間、曇りなきまなこにずっと目を見つめられていた。まるで金縛りにあったみたいに義勇は視線を外すことができなかった。
錆兎の目は全て見透かしているかのように、まっすぐ澄んでいる。その美しい瞳に見つめられていると、ふいに、義勇は浅ましい自分が恥ずかしくなった。
自分を守るために、他人を傷つけようとした。錆兎は俺を傷つけようなんて少しも思っていないのに。
ああ、と義勇は心の中で密かにため息をついた。
今すぐここから、走って逃げ出したい。
「…悪かった。試すようなことを言って」
義勇がようよう口を開くと、錆兎はホッと息を漏らした。義勇は続けた。
「面倒な人間が多すぎるんだ、お前もそうかと」
「お前じゃなくて、錆兎だ」
すぐさま言い返される。
「ああ、すまない、錆兎」
言い換えると、錆兎は満面の笑みを浮かべた。今のが会心だったと思っているのが、表情からありありとうかがえた。
義勇はこの先どうしたらいいのか分からなくて、もう一度握られた手を見た。
これは、いつまで握っているつもりなんだろう。
「錆兎」
「なんだ?」
「手、離してもらえないか?」
「わっ、ごめん!」
声をかけると、錆兎は慌てた調子で手を離した。
みるみる間に、火山が噴火しそうな勢いで、顔がボンと赤くなっていく。
「ああはずかしい。女子相手でもこんなに恥ずかしくなったことはないよ」
頬に手を当て、照れながらボソリと呟いた錆兎の言葉に、義勇は思わず驚いて目を見開いた。
無意識でやってたのか。
こいつ、もしかして天然だな。
そしてうかつにも、目の前の男が気安く好ましく見えてしまい、うっかり友達になりたい、なんて思ってしまって、そんなことを考えている自分にまたビックリした。
◆
生気(いき)を整える。死なないために。
ザリザリと嫌な音を立てながら、鬼が近づいてくる。全身全霊でその気配を感じながら、義勇は心の中でカウントをする。
さん。
「アハハァ、お前も仲間のところに送ってやるよゥ」
まだだ。息を深く吸う。足の筋肉に新鮮な空気を送る。
「に」
聞き覚えのある声に横を向く。錆兎だ。目を合わせると、軽く頷く。
大丈夫、やれる。錆兎の目がそう言っている。心の中に水を注ぎ込むように勇気が満ちていく。大丈夫、俺はやれる。錆兎がそばにいてくれるから。
「いち」
全集中。一気に体の中に力がみなぎった。もう、気配は隠さない。日輪刀の鯉口を切り、義勇は低い姿勢で飛び出した。
「出たなァァ!」
鬼が血鬼術の構えをとる。義勇は体を低くしたまま鬼のふところに飛び込んだ。
打ち潮。
足元を薙ぐ。クルリと反転し次は胴体。避ける鬼の体がぐらりと傾く。続け様に胸元に一撃。
水の呼吸は淀みなく繋げることが大事だ。次々に打ち込む。隙を与えない。そうやって敵の動きを封じる。
鬼は義勇に次々と斬りつけられて、明らかにうろたえていた。血鬼術を発現しようと大きく腕を開く。
その腕をすぐさま義勇は斬り落とした。
ギャアと叫び声が上がる。虫けらだと侮っていた相手にやられるのはどうだ。次々と斬撃を浴びせながら、義勇は冷静に頸を狙う。
今、だ。
その瞬間、錆兎の声が聞こえた。
鬼がたまらず体を丸める。そのうなじがガラ空きだ。
滝壺。
真上から刃を振り下ろす。それはまるで断頭台のように、スパリと鬼の頸を両断した。頭が落ちる。とっさに鬼は頸を捻ったので、顔が上だ。目が合う。
「キサマぁぁぁ!殺すぅぅ!」
悪足掻きのように、鬼は呪詛を吐いた。その頸が、体が、ボロボロと灰になって崩れゆく。
「どうやって?」
義勇は唇を歪めて鬼に問うた。もう消えるしかないのに。鬼の言葉なんて、すべて戯言だ。
嫌な匂いを撒き散らし消えていく鬼から目を逸らす。義勇はじんわりと両肩に暖かさを感じていた。錆兎の手の温もり。義勇の背を支えてくれる確かな暖かさ。
よくやったな。
そうねぎらってくれる親友の声が聞こえた、気が、した。
◆
なんだかんだと話してみると、錆兎は紛れもなくホンモノの善人だということが分かった。よく言えば無邪気、悪く言えばすぐ人に騙されそうな。
身振り手振りでサッカーのことやチームのことを話す錆兎を、義勇は苦笑いしながら見ていた。彼は義勇が口をほとんど挟まなくても、全部しゃべってくれる。フンフンと聞いているだけで、あっという間に錆兎の家族構成や学校の交友関係まで知ってしまった。
義勇にとってはアレコレ聞かれなくて楽だけれども、コイツ大丈夫かよ、と思わないでもない。
家族は四人。両親と、生まれたばかりの妹。
家はマンションの6階。いつも階段を使う。
学校で一番親しい友達はサッカー仲間のムラタ。
友達とワイワイ話すのが好き。
そんな錆兎情報を、次々に義勇は頭の中にメモしていった。
トレイの上のポテトがあらかたなくなった頃合いで、義勇はは時計をチラリと見た。そろそろ帰らないと、姉が不審がる時間帯だった。ちょっとでも遅くなるとすぐ大騒ぎするので、面倒なことにならないうちに帰らないといけない。
「そろそろ帰らないと」
錆兎の話の切れ目にそう滑り込ませると、錆兎はあからさまにエエーッ!と言う顔をした。まだまだ話し足りないみたいだ。
義勇は、同じく少し名残惜しいとか思っている自分に、ウソだろと思う。
「そうだな…俺も家に帰らないと」
歯切れ悪く錆兎は話を切り上げて、カバンを手に取った。
「よかったら連絡先、交換しないか?」
そう持ちかけられて義勇は困った。スマホは持ってないし、家に電話をかけられるのもなんだか気が進まない。
義勇は首を横に振った。
「スマホ持ってない」
「俺も持ってないよ」
「またここに来ればいい」
「俺が?」
「そう」
「だけどトミオカ…」
そう言いさした錆兎を義勇は手で制した。
なんだよ、トミオカって。その呼び方はひどく他人行儀な気がした。もちろん錆兎は他人なのだけれども、もうそんな気がしなくなっているのも事実で。
そもそも本人は名前で呼ばれるのがさも当然と言う顔をしているのに、義勇に対してはいまだに名字呼びなのはいかがなものか。
「義勇と呼んでくれないか」
思わずそんな言葉が口をつく。
錆兎は「え?」と驚いて目をしぱしぱと瞬かせた。
「俺のこと、誰も義勇とは呼ばない。俺は時々自分の名前を忘れそうになる。せめて友達には義勇と呼ばれたい」
畳み掛けるようにそう言うと、錆兎は目を見開いて、パッと頬を赤くした。
「友達…」
なんだか感激している。そこなのか。錆兎の中ではまだ義勇は友達ですらなかったらしい。
錆兎は目をキラキラと輝かせて、ゆっくり口角を上げる。
「俺たち、友達なんだな」
輝く笑顔とはこのことか。義勇はなんだかこの同い年の男が眩しくなった。それだけでここまで感激できるものなのかと。
「…違うのか?」
義勇が問うと、錆兎は首をフルフルと横に振った。
「あ、いや違わない。俺もトミオカと友達になりたいと思ってたから嬉しい」
「義勇」
「あ、ごめん義勇。義勇と俺は、友達だ」
そう言ってまた笑う。笑うと年相応に幼くなる。義勇もつられて思わず笑ってしまった。その顔を見て、錆兎がさらに笑った。
「またな」
義勇はそう言い、そのままサッと立ち上がった。
これ以上いるとズルズルと帰れなくなりそうだった。こんなことは初めてだった。
まあ、またここに来れば会えるだろう。
そんなことをちらりと考える。
店から出て行くとき、後ろから錆兎が「また会おう!」と言っているのが聞こえた。
義勇は振り返らずに、右手を上げて軽く振る。
早足で駅の改札に向かいながら、人知れず義勇は微笑みを浮かべていた。背中に添えられた温かい手が、現実の中にあった。嘘みたいだけれども、本当の話だった。その証拠に、握られた手はこんなにも温かい。
『サビト が あらわれた!』
ゲーム画面だと、こんな感じだろうか。
ふふっと笑いを噛み殺しながら、義勇は風のように人波をすり抜けていった。