ネスひろ幻覚「聞いてよ〜!」
ビール二杯、シャンパン二本開けた辺りで気分がふわふわと向上してきた俺は隣の嬢にだる絡みを始める。
「えぇ〜?どうしたのぉ?」
前のめりになってこちらに耳を傾ける嬢。ちらりと零れそうな大きな胸につい目線をやってしまうのは男の性だろうか。
「俺が推してた嬢がいたんだけどさぁ〜彼氏持ちだったんだよね〜せっかくさぁ一億稼いで車贈ろうかなって思ってたら彼氏に車買ってもらったんでって断られたの!どう思う?酷くない?」
「一億?!」
「そ、一億。でもさぁ振られたからさらに一億稼いで二億の車俺が買って轢き殺してやろうと思ってんだよねぇ」
「轢き…………」
ヒクリ、と嬢の顔が歪む。そりゃそうだ、突然こんな話をされたんだから引くだろうな、と酔っているのにやけに冷静な頭でそう思った。
けれども億の金に目が眩んだのか嬢はただでさえ距離がなかった間をさらに詰めて、ピタリと膝と膝を合わせてくる。膝だけど女性特有の柔らかさを感じる。きっと“あの人”はもう少しゴツゴツしていただろうな。接客を直接受けた訳じゃないから分からないが。
「ネスさん可哀想……あたしならそんなことしないのになぁ……」
ちらりと胸を腕で寄せて、目を潤ませて上目遣いでこちらを見る。これが彼女の必殺技なんだろう、これで一体何人の男を落としたんだろうか。
あの人は胸もなかったし身体はゴツゴツとしていたし、声だってこんな甘いものではなくハスキーだった。
忘れてしまえばいいのに、今も尚、轢き殺してやりたいと思うぐらいに脳に、胸に居着いている。知り合いのメカニックのアレが恋だというんなら、これはなんと呼ぶのだろうか。
轢き殺して、それから自分はどうするのだろう。身体も顔も潰れてぐちゃぐちゃの肉の塊になったあの人を見下ろす自分を想像する。その時、腕にむにゅっと柔らかな感触が思考を現実に引き戻した。
「ねーぇ!聞いてるのぉ?」
「あぁごめんごめん!」
「もぅ!……あのねぇ、あたしじゃダメ……かな?ネスさんの傷ついた心を癒してあげるの…………」
「癒してくれるの?それは嬉し──「えーお客さんこういうお店初めてなんですかぁ?」──は?」
聞き覚えのある声に部屋の外に視線を移せば、ちょうど客と同伴してきたのだろう、先程まで脳で真っ赤に染っていたあの人がクスクス笑いながら俺の部屋の前を通ろうとしていた。
「〇〇さんの初めてを頂けて嬉しいで……ッ!えっ?いえ、なんでもないですよ〜ほら!早く席に着きましょ?」
目と目が合う。でもそれは一瞬で逸らされ、あの人はすぐに隣にいる客の腕に自分の腕を触手のように絡ませて顔を背けた。
その瞬間、目の前が真っ赤に染まりすぐに近くにいたボーイに声をかける。
「どうしました?」
「今入ってきた子いますよね?あの子を指名で、席もVIPに移動って出来ます?」
「えっ、と…………」
「金ならあります」
口座の金を見せれば億単位のそれに目をぱちぱちとさせた後、少々お待ちください!と告げてその場を立ち去る。隣でいまだに腕を組んでいた嬢の腕を優しく振りほどくと、嬢は「は?え、なに?」と困惑していた。
「ごめん、金なら多めに払うから」
「っ!馬鹿にしないで!」
嬢は目の前のコップを掴むも、ぷるぷると腕を震わせるだけで持ち上げることはなく深呼吸した後に「対価を頂けるほどのサービスを提供しておりませんので謹んでご遠慮致しますお客様」と頭を下げ、近くのボーイに声をかけるとその場を立ち去った。彼女は悪くない、むしろ嬢としては優秀だったと思う。
それでも俺は、間違い電話はしてくるし、声だってたまに素が出るし、平気で客に彼氏いるとかぶちまける最低最悪のあの人しか心を動かされなかった。いつ何をしていてもチラリとあの紫の髪が視界に映る、声が脳に響く、抉られた心が痛みを訴える。
「お客様お待たせいたしました。お席も嬢も準備出来ましたのでこちらへどうぞ」
立ち上がり案内されるがままVIPルームへと移る。すぐにやって参りますので、と頭を下げるとボーイはその場を後にした。
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