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    ふじい

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    ふじい

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    『十歳からはただの人』
    10歳まで、炎神の子として扱われるkbさんと龍神の子として扱われるkbnくん。kbさんは人になるまで魔に惑わされないように女の子の格好をしている。kbさんの周囲は厳格な信者なので強く信じさせられているけどkbnくんは宝物庫等から自分で調べて迷信だと思ってる。そんな二人が出会う話。

    4EVA428開催おめでとうございます!
    未完での参加で申し訳ありません……。

    #kbnkb

    十歳からはただの人城の壁のそばで小さくうずくまっている真っ白い布の塊を最初、ゴーストかと思った。布はそよ風にゆらゆらと揺れて、そのはためく布の端からチラチラと見える小さな指先が地面を掻いているのが見えた。
    ナックルシティは古い街だし、ナックル城は昔からゴーストがいると言われていたから、やっと会えたのかとワクワクした。音をたてないようにそっと歩いて布の塊に近づく。そぅっと、そぅっと……。
    「捕まえた!」
    「うひゃあ!?」
    体全体で体当たりをするように白い布の塊に突っ込んで、逃がさないように両手でぎゅうっと抱き締めた。途端に、甲高い悲鳴をあげる塊。そして自身の手や胸やくっ付いたところ全部にポカポカとした熱を感じ、オレは首を捻った。
    「うわ、ゴーストってこんなあったかいのか」
    「幽霊やなかばいッ」
    思わず呟いた言葉に過剰に反応した布の塊は、驚くほど大きな声を出して、俺はいつの間にか空を見上げていた。
    「え?」
    地面に投げ出された足が痛い。頭を打っていないのは、白布のゴーストがオレの腕をしっかりと掴んでいたからだ。腕を起点に投げられた、とようやく理解できた頃には、オレを投げた張本人である白布ゴーストがオロオロと慌てだしていた。
    「しもうた……。大人しゅうしとらないけんのに……。どげんか隠しゃな」
    仰向けに倒されたオレはまだ事態をしっかり把握できていなくて、ポカンと白布ゴーストを見上げた。白布ゴーストの正体は、真っ白い布を重ねたスカートみたいなものを身につけた小さな異国の女の子だったようだ。いや、もしかしたら異国の女の子のゴーストなのかもしれないけど。とりあえずあったかい手のひらに掴まれた腕がギリギリと握られて痛いので、ゴーストというのは勘違いだとは、思う。
    「いや、本当に痛い。イタタタ、謝るから許してくれ!」
    「ひゃあ!? い、生きとる……!」
    「えっウソ、殺すつもりで投げ飛ばしたの!?」
    「え、分からん。えずかったけん全力でやった」
    「えず……けん……?」
    「ぁ……、え、ええと、怖くて……、突然、捕まえ、られたし……」
    バタバタと暴れて手を離してもらえたのはいいが、目の前の女の子は小さく震えて体を縮こまらせていた。確かに、これはオレさまが驚かせたのが悪い。少し首を下げた視線の先にある布を被った小さな頭を見つめて納得して頷いた。そう思ったらすぐにオレさまは、真っ白い布だけを身につけた女の子の前に片膝をついて彼女の顔を覗き込んだ。
    「ゴメン、オレさま、初めてゴーストを見たんだと思って嬉しくて、考えなしに飛びついたんだ。女の子に急に抱きつくなんて紳士として良くなかった。本当にごめんな」
    胸に手を当てて彼女を真っ直ぐに見つめる。オレさまの真剣な想いが伝わるように。
    本当は、彼女が本物のゴーストならよかった。同い年のゴーストなら、いつまででも一緒に遊んでいられたのに。
    一瞬よぎる考えを押し込めるように笑顔を張り付けて、オレさまは目の前の彼女を見つめ続けた。
    「いや、僕は女ん子やなかけどね」
    「ん?」
    そんな彼女から返ってきた言葉は、ちょっと分からなかったけど、意味は分かった。けど、やっぱり分からなかったので、思わず貼り付けたはずの笑顔がポロリと落ちる。
    「あ、ええと……。僕は、女の子じゃ、ないです、よ?」
    きょとんと見つめてくる白布の彼女が、オレさまにも伝わるように言い直してくれたけど、やっぱり分からなくてオレさまの頭の中はハテナで埋め尽くされる。
    「え、でもスカート履いてるだろ、君」
    「こりゃ肌襦袢ちゅうもんで……」
    今まで頭から被っていた白い布を肩に掛けて両手を広げる彼女だったが、見せられたその格好にオレは、今度は目を丸くした。
    「ぁ、わ、わ……、こ、これは着替えん最中に逃げてきたけん、それで、僕、僕……っ」
    自分から見せておいて顔を真っ赤にして可哀想なくらいブルブルと震えている。オレさまの目の前には、肌の色を透かした白い布をまとった体が晒されていた。下着も透けて、ほとんど裸のようなものだ。頭から被った布でやっと布の白さを見ることができるくらいの……つまり目の前の『彼』はほぼ半裸のようなものだった。
    「ぅっ、つーーーーーー!!!!!!」
    悲鳴にならない悲鳴をあげて、『彼』は自分の体を抱き締めると脱兎のごとく逃げてしまった。地面に膝をついて、間抜けな顔を晒したままのオレさまを置いて。




    これが、炎神の子と龍神の子の、最初の出会いだった。





    *****





    足が痺れた? 黙って座っていることもできないんですか、炎神の子だと言うのに。

    もっと美しく食事をしなさい、炎神の子の自覚を持ちなさい。

    他の子とアナタは違うのですよ、炎神の子。一緒に遊ぶだなんてとんでもない。

    立ち振る舞いがみっともない。そんなことで炎神に顔向けできますか。

    気安く人と接してはいけません。アナタは炎神の子でしょうに。


    洪水のようだと、カブは思った。
    カブという存在が、洪水に押し流されてカケラも残さずに流されてしまう。後に残るのは『炎神の子』という、得体の知れないものだけだ。
    町の古くからの言い伝えでカブの家で産まれた子供を炎神の子として扱ってきた。町全体で崇め祭り、大切に育てる。十歳になるまでは。その子が十歳になれば神性がなくなりただの人の子となる。そしてごく普通に暮らし、また次の神子を育てるのが、その町のしきたりだった。
    現在、家にいる十歳以下の子供はカブだけだ。今年九歳になろうというカブは他の神子のことを知らない。つまりここ数年、神子はいなかったのだ。
    町の期待が全てカブにのしかかり、カブはやがて心を閉ざすようになった。
    柔らかい頬から表情が抜け、やんちゃに動き回っていた手足は棒のようになった。大人たちが止めるまま、家の奥にこもる肌は陽を浴びない白さで、炎を宿していた瞳は暗く沈んだ。
    「僕は神ん子なんやけん」
    まるで綺麗な人形のように大人たちから着飾られて、カブは広間の畳の上で念仏のように呟く。カブの小さな体をその場ごと吸い込んでしまいそうな広い空間で、その小さな呟きは誰に届くこともなくカブの口の中に溶けた。




    *****





    両一族のみで盛大に行われた龍神と炎神の婚礼の儀。厳かに粛々と進められた式は人の多さも相まって息の詰まる思いがしたのに、一歩、ナックル城の外に出ればただただ普通の営みがそこにあった。遠くに見える門の外、開かれた門の先で、買い物帰りの親子連れが楽しそうに歩いて行くのが見えた。遠くに市場の活気溢れる賑やかな声が聞こえる。
    帰り支度や片付けの慌ただしさの隙間を縫い、キバナとカブはこっそりと中庭に出て夕暮れに焼けていく空を見つめていた。背中を預けた城の壁は昼間の陽の吸い取ってポカポカと温かい。今すぐに豪奢で重たい礼服を脱ぎ捨てて壁にペタリと張り付いてしまいたいとキバナは思った。平気なつもりでいたが、やはり緊張していたようだと、キバナは冷たくなった自分の指先を擦り合わせた。
    龍神の子と炎神の子は、両家の定められた日に縁を結ぶ。それが古くからの決まりで、今日がその日だった。キバナの隣で膝を抱えて座り、まろい頬と吊り目がちな目を夕日に照らされている白布ゴーストことカブは、ついさっき、両家の視線に晒されながら粛々と縁を結んだばかりだ。今日会ったばかりなのにな、とキバナはため息が出そうになるのを堪えて、真っ直ぐに夕日に目を奪われているカブの頬をつついた。
    「そんなに太陽を直視したら目が見えなくなるぞ」
    充分に発酵したパン生地のような感触のカブの頬をツンツンとつつきながらキバナが声を掛けると、はぁっとカブが息を吐いてキバナの方を見る。
    「この街は、とってもキレイだ!」
    夕日に負けないくらい爛々と目を輝かせたカブにキバナは面食らう。そして興奮した様子のカブの頬に突き刺した指先がポカポカと温かくなってきたのを感じてキバナは可笑しそうに笑った。
    「そりゃドーモ。夕焼けもキレイだよな。でもオレさまのおススメは、日の出かな。ナックル城の上から街を見るんだ。そうするとワイルドエリアの向こうから朝日が昇ってきてさ。街をサーッと照らすんだぜ。オレさま、神様は信じてないけどあの光景が神々しいって言うんだなって思……」
    カブの頬を両手で包み込みその温かさを堪能していたキバナは、自分の話に夢中になっていたようでハタと手と言葉を止める。無意識のキバナにいい様に頬を揉まれていたカブは眉を寄せて顔を真っ赤にし唸っている。まるで怒れるガーディのようで、ブハッと吹き出すとキバナは腹を抱えて笑った。
    「何ば笑いよーったい!」
    頬は解放されたが益々顔を赤くしてカブが怒鳴るが、キバナは目に涙を滲ませながら笑うばかり。頬を膨らませてキバナを睨むが、次第にカブも可笑しくなったのかクスクスと笑いだして、しばらく二人の笑い声だけがその場にあった。

    「キバナ様は」
    「キバナ」
    「……キバナ、くん、は」
    「うん」
    笑いが収まると、また二人は壁に背を預けて城壁の向こうに沈んでいく太陽を眺めた。もうすぐそれは壁の向こうに行ってしまう。城の中も少しずつ落ち着いてきたことを二人は感じていた。
    「キバナくんは、龍神に会ったこと、ある、のかな」
    ポツリと、カブはそう言った。その言葉を聞いて、キバナは視線をやらずに小さく笑う。
    「あるわけない。龍神も炎神も、古い言い伝えって、それだけだろ」
    「龍神はいないの?」
    「いないよ。龍神の子だって言われてるオレさまが会ったことないんだからな」
    炎神だってそうだろ、と言外に含ませて笑いながらキバナはカブを見る。しかしカブはただ、「そうか」と返すだけだった。視線は遥かかなたに向けられて。そうして何かの感情を乗せて目を細めるカブは独り言のように呟いた。
    「彼はおらんのや……」
    キバナがその横顔に声をかける前に、
    とぷりと、ナックルの陽が沈んだ。




    *****





    「ようこそお越しくださいました、龍神様」
    ナックルシティとは全く違う趣の母屋で、キバナは数名の付き人と共に出迎えを受けていた。緑豊かなホウエン地方だが、それよりももっと森深くに佇むカブの生家。都市からは離れすぎていて、森に囲まれすぎていて。確かにこれは、夕日も朝日もカケラしか見えないだろうとキバナは思った。
    三つ指を立てている目の前の女人たちは顔を布で隠しているため表情はうかがえない。ナックルにはないしきたりに少々面食らいつつ、キバナは口を開く。
    「わざわざの出迎え、ありがたく。それで、カブはどこに?」
    「我らが炎神の子、アナタ様の番は奥に控えております。ご案内致します」
    サリ、と衣擦れの音が長い廊下に控えめに響く。女人たちは全員が同じような地味な色の着物を身にまとい、キバナを屋敷の奥へと案内した。
    長い廊下を歩きながらキバナは、屋敷の中に何人もの人の気配があるというのにほとんど音が聞こえないことに密かに鳥肌を立てていた。
    生活音というものがしない。
    まるで人の営みが森の木々の隙間に吸い込まれているような錯覚を覚えながらキバナは粛々と足を進め、前を歩く女たちの後に続いた。
    案内された部屋に、目当てのカブはいた。
    ただ、キバナは開け放たれた襖の前で目を丸くしてしばし立ち尽くしてしまった。畳の濃い匂いが鼻を抜けるが、その敷居を跨ぐことも戸惑っているキバナへカブが声を掛けた。
    「ようこそ、おいでくださいました。龍神様」
    その声は他に音がしない静かな空間に響かせることを遠慮しているかのように細く、カブが正座をして頭を下げている為に畳に吸い込まれそうだった。キバナはカブの小さなつむじを見つめて、ハッとしたように部屋の中へ駆け込むと、カブの腕を力任せに掴んで体を起こさせた。
    「なんでカブが頭を下げてるんだよ!?」
    無理矢理顔を上げさせられたカブは驚き目を丸くしてキバナを見るが、すぐに女たちへ目を向けると「下がって。龍神様のおもてなしはボクがします」と静かな声で告げた。カブの命を受けると女たちはまた小さな音だけを残してキバナのお付きを引き連れて姿を消した。
    廊下へと続く襖が閉められキバナとカブ、二人だけになる。サラサラという僅かな衣擦れの音と、キバナのお供達の足音が完全に遠ざかったのを確認してから、カブは盛大に息を吐き出した。
    「はっぁーーー……驚いた。急に起こすんだもの」
    「なんでカブが出迎えてくれないんだ」
    しゃんとしていたカブの背中が丸くなるほど腹の底から息を吐いているところを見ながら、キバナはムスッとした顔でそう言う。その顔が可笑しかったのかカブは笑いながら、キバナの手をそっと撫でて腕を離すように告げた。
    「だってキミは龍神様なんだもの。炎神の夫だから、こちらは御家として礼儀を尽くさないといけないんだよ」
    「今日は龍神の子として来たわけじゃない。オレは、カブに会いたいってちゃんと伝えたんだけど」
    「うーん、ボクの家、礼儀とか礼節とか、色々拘りが強いからね」
    キバナが離した腕を摩りながらカブは苦笑する。
    「ごめん、痛かった?」
    カブの様子を見て我に返ったキバナが、申し訳なさそうにカブの腕を見つめる。
    「ううん、平気だよ。とりあえず座ろう」
    と言って、カブはキバナの手を取って立ち上がり、座布団へとキバナを誘導した。
    「あ、椅子の方がいいかな?」
    「大丈夫。胡座でもいい?」
    「うん、この部屋にはボクしかいないから」
    向かい合って座布団に腰を落ち着かせる。しばらく見つめ合うと、どちらからともなくプッと吹き出し、肩を揺らして笑い出した。
    「さっきの、土下座?」
    「違うよ、あれはおじぎ。うーんと、いらっしゃいのポーズ、かな」
    「カブがもっと小さくなっててビックリした」
    「ちょっと」
    クスクスと子供らしい声で笑い合う二人。
    「あ、さっき思い切り掴んじゃったけど、アザになってないか?」
    「ん。大丈夫。急にあんなことされるなんて思ってなくて驚いた」
    「ごめん。なんか、頭にカッときちゃって……」
    「……文化が違うからね。驚かせてごめん」
    徐々に笑いが収まると、今度は二人して頭を下げる。顔を上げて再度見合わせたら、もう再会を喜び合うだけだった。
    「それで、今日はどうしたの?」
    「え? どうもしない、カブに会いたかっただけ」
    「え……」
    大きな座敷机に用意されていたお盆を引き寄せ、それに乗っていた急須のお茶を二人分の湯呑みに注ぎながら尋ねたカブへ、キバナが不思議そうな顔でそう言葉を返す。一瞬カブの手が止まって、眉を下げたり上げたり口元をモゴモゴと動かしながら、最終的に困ったような嬉しそうな、そんな笑顔でキバナへ湯呑みを差し出した。
    「そう、なんだ……。ええと、来てくれて嬉しいよ。ありがとう」
    へにゃりと下がった眉と赤くなったカブの首元を見て、つられてキバナも耳を赤くする。
    「と、友達だし! 会いたかったら会ってもいいだろ!」
    「……うん」
    二人してへにゃへにゃと笑いながら、湯呑みに口を付ける。熱い、と悲鳴をあげたのはキバナの方で、カブはまた楽しそうに笑った。
    それから時間が許す限り二人は、とりとめもない話をした。婚礼の儀の時に見た夕日の話、キバナが語ったナックル城へ差す朝日の話。カブが帰ってからの話や、キバナと別れた後の話。
    あの日初めて会った二人は、あの日以来会っていなかった期間のことを共有するかのように語り合った。
    「そういえばカブ、ガラル語が上手になったんだな」
    ふと、会話の合間にキバナが言う。出会った日にはカタコトだったカブの言葉は、キバナに、ほとんど正確に聞き取れるほどになっていた。キバナの指摘に、カブの耳が赤く染まる。
    「うん、あれからちゃんと勉強したんだ。今までは全然やる気がなかったんだけど……」
    「だけど?」
    一度言葉を切ったカブへ、先を促すようにキバナが小首を傾げてカブの目を見る。その青い空の色に射抜かれてカブは、照れたように手で口元を隠しながら、
    「キミと、もっと話をしたかったから……」
    勉強を頑張ったのだと、カブは恥ずかしそうに体を縮めてそう告げた。
    顔を真っ赤にさせて照れ臭そうにモジモジと体を捩るカブ。初めての友人のそんな姿に、
    「っ!」
    つられるようにキバナも、頭の先までボッと赤くしたのだった。




    *****





    ジワリ、と火が消える音がした。


    目を開けると辺りは薄暗くなっていて、いつの間にか寝てしまっていたのだと気付いた。部屋の灯りも消え、シン──と静まりかえっている。
    カブはまたくっ付いてしまいそうな瞼を指で擦りながら自分の体を抱き締めた。
    「寒か……」
    火を点けなければ。火鉢の炭も弱々しく、空気がひんやりとしていた。隣ですぅすぅと寝息をたてているキバナも体を丸めて寒そうにしている。
    「ぁっ! キバナくん!」
    その姿を見てハッと、ようやく覚醒するカブ。細かく体を震わせて寝ているキバナを横目に見ながら、慌てて掛け布団を取りに行った。

    ソッと掛けた布団が緩やかに上下し、寝息が静かに、部屋の中にこだまする。側に火鉢を引き寄せたカブはキバナの寝顔を見ながら愛おしげな微笑みを浮かべた。キバナの頬に垂れる一房の髪を指で横に流す。むにゃりと眠たげに動いた唇に、肩を揺らして笑った。
    部屋の灯りは消えて、火鉢の炭だけが赤く燃える。偶に爆ぜる音が、キバナの寝息に重なる。
    スッ───
    衣ずれの音を聞きカブが顔を上げる。その顔からは表情が消え、暗く沈む瞳には燃える炭の赤が反射する。
    廊下を歩く微かな足音。カブは小さな手をキバナの頬に添え、その足音が部屋の前で止まるのを聞いていた。
    ゆっくりと、廊下に面した襖が横に引かれる。
    着物の裾から覗く裸足が静かに部屋へ入ってくる様子をカブは無表情で眺めていた。
    赤い着物。よく知った着物だ。
    のたうつムカデのような、渦巻く炎のような柄。
    火鉢の僅かな灯りしかない部屋の中で、燃えるように立つそのモノは、存在自体で空間を明るくしてそこに存在していた。
    しっかりとした足は確かに畳を踏んで歩いてくるのに、軋む音、布が擦れる音は微かに聞こえる程度だ。
    着込んだ帯の上を彩る帯留めは青く、空のように緩やかで、不思議と色合いを変えている。
    人型をしたソレは、スルスルとカブの方へ歩み寄り、その目の前で空気を揺らして膝をついた。
    パクリ
    と、ソレの口が動く。持ち上がった口角は喜色をあらわにしていて、カブの手元を見つめている。
    伏せられた瞳を求めるようにソレが腕を伸ばした瞬間、カッとカブが目を剥いた。
    取り込んだ炭の赤を燃やしたかのように強く光るカブの瞳。眉間に深く皺を刻み、素早く手を振りソレがキバナに触れるのを払い除けた。
    「ボクの友達に触るな!」
    腹の底から燃え上がるようなカブの声。
    手を払われたソレは、驚いたようにカブに視線を向けると、目を細めて微笑んだ、ように見えた。
    眠るキバナに覆い被さり、ソレから庇いながらカブが睨み続けるのを軽くあしらう様に、次の瞬間ソレが消える。入って来た時の存在感など微塵も感じさせず、ただ、ソレがいなかった時と変わらない空間があるだけだった。
    火鉢の炭が爆ぜる。
    「んん、ぅ……」
    キバナがぐずるような声を出して、ゆっくりと目を開けた。そして目の前にカブの胸が接近していてビクンと体を硬直させるキバナ。
    「カ、カ、カ……っ」
    声にならない声を出すキバナに気付いたカブがキバナの頭の横に手をついた体勢から嬉しげにキバナの顔を覗き込む。
    「キバナくん、起きた?」
    「起きっ、起きたから……っ! ちょ、退いて、くれないかっ?」
    キバナの言葉であまりにも近い距離にいることに二人とも赤面し、しばらくの間炭の音だけが部屋に響いていた。




    *****





    キバナが早く起きられた日の一日は、日の出と共に始まる。

    空が白んできている。キバナは白い息を吐きながら明るくなっていく外を見た。
    城壁塔の登り階段。レンガ造りの壁には所々、隙間窓がある。
    ガラスがはめ込まれていないその窓から取り込まれた明るさが、キバナの足元の階段を浮かび上がらせ、キバナの心も浮き足だってくる。
    まだ日の出には時間がある。そう分かっていても、キバナは大きな階段を急ぎ足で登っていった。
    日が出る前のナックル城はとても寒い。吐く息は白く、開口枠からにじむ日に当たると霧のように舞って消えた。
    「はぁっ……、着いた……っ」
    キバナが城の屋上に着いた頃、空は藍色を押し上げて橙色に染まりたがっていた。
    夜と朝を曖昧にしたような時間が、キバナは好きだった。
    季節に関わらず、ナックルシティの朝晩は冷える。ブルッと体を震わせたキバナは、着込んできた上着の襟元を掻き寄せてなるべく隙間がないように身を縮めた。
    ゆっくりと屋上の鋸壁に近付く。
    眼前には、日が生まれようとしている空と、雄大なワイルドエリア。そして、大好きなナックルシティの街並みだけが広がっている。
    ほぅ、とキバナは一つ息を吐き、鋸壁に体を預けた。ひんやりとして、キバナの熱を奪う無機質な壁だが、太陽の光を浴びるととたんにポカポカとして優しい温かさに変わることを知っている。そして、いつもこの街と人を守る立派で堂々とした壁であることも。
    「今日は、スクールが終わったら庭を見に行こうかな。あぁ、確か夕方に家庭教師が来る予定だった……。庭には昼頃に行って、帰りに気になってたスコーンの店に寄ろう。新しい図鑑も欲しいな……」
    キバナが壁にもたれ空を見つめながら一日の予定を考えていると、輝く太陽がゆっくりと頭の先を地平線から覗かせて、ナックルシティの一日の始まりを告げた。



    日の出前に起きられない日は、暖かいベッドの中で目を覚ます。
    「あぁ~……、よく寝た……」
    体を起こし、腕を上に伸ばしてあくびを一つ。まだしっかり覚めない頭を起こすため、後ろ髪を引かれる思いでぬくぬくとしたベッドから降りるキバナ。
    洗面所へ行く間に一日のスケジュールを組む。冷たい水で顔を洗えば、しゃっきりと目が覚めた。
    身支度を軽く整えて食堂で朝食をとる。自室に戻って持ち物を確認、「行ってきます」とエントランスで声を掛ければ、側仕えの人や従者の役目のある人たちは笑顔で送り出してくれた。
    キバナが街中を走ると、道行く人、店先で準備をしている人が顔をあげて声を掛ける。
    行ってらっしゃい、おはようございます。キバナさま、キバナさま、キバナさま。
    キバナは全ての声かけに手を挙げて応える。行ってくる、おはよう。おはよう、おはよう、おはよう。
    ブティックの前をキバナが走り抜けた時、ショーウィンドウに飾られていたスニーカーが気になった。帰り道、店を覗いていこうか。あぁ、ダメだ。今日は帰ってすぐに家庭教師が……。
    そこまで考えて、キバナは前を向いた。走る速度をあげる。この早さなら、スクールに着くのは普段より早い時間になるだろう。きっとまだ誰も登校していない。図書館は開いているかも。そんなことを考えながら、キバナは前へ前へと走り去る。帰り道は、ブティックの前を通らなかった。





    *****




    「キバナくん、もう帰っちゃうの……」
    心底寂しい、という顔をしてこんな事を言われたら、例え龍神でも胸がキュンとして今すぐ目の前の人物を抱き締めたくなると思う。そう心の中で思いながらキバナは、顔が熱くなるのを自覚しつつ一つ咳払いをして口を開いた。
    「またすぐ来るよ」
    「ほんとう?」
    「本当!」
    紳士的に、と己を律しようとした気持ちはすぐに霧散して、キバナは寂しそうに肩を落とすカブを両腕で強く抱き締める。
    負けん気の強いカブだが、今は本当に寂しさに耐えかねるのか、キバナの背中に自ら手を回しぎゅっと抱き付くと、彼の胸に頬をすり寄せながら小さく甘えた声で呟いた。
    「まってる……」
    こんな事を言われたら例え神様でも……。思考のループに陥りそうだとキバナは思った。うなじが燃えるように熱くて、頭に血が上りそう。「やっぱりまだ数日泊まっていこうかな」などと軽口をたたきそうになるが、自分の後ろで従者の一人が咳払いをしたので我に返る。
    「うん。また俺の家にも遊びに来てよ。連絡をくれたら迎えにくる」
    温かなカブの体を解放して、柔らかな頬を撫でながら期待を込めてカブの目を見る。
    また一緒に夕焼けを見よう。
    それから、俺様のお気に入りの場所でとっておきの朝日を見よう。
    街に出掛けよう。オススメのスイーツがある。
    カブの部屋で話しただろ、素晴らしい庭の家があるから一緒に訪ねよう。
    離れがたい心を隠すように矢継ぎ早に告げる。未来を語ればワクワクとした気持ちが勝った。ふわふわした気持ちのままカブを見つめるが、勝ち気な目が伏せられて「あれ?」と思う。カブが俺の手を握って、握手の形にした。
    「えぇ、また」
    まるで別れの挨拶のように、握り合った手を一つ振って、何の熱も残さずにカブは俺の手を離した。



    キバナがカブの生家を訪ねてから、ひと月が経った。
    夫婦の契りを交わし、お伽噺に従っただけとはいえパートナーとなったカブとの仲はもちろん……
    「なんっの音沙汰もない」
    カブとの仲は何にも進展していなかった。友達に、いや、複雑な家庭環境を持つ者同士、親友になれると思っていたのに。家のしきたりでパートナーになったからと言って、無理やりなことをするつもりはない。そういったことを警戒されている訳ではないと思うが……。
    「あんなに寂しそうにしてたくせに……」
    自室の窓枠に両腕を置いてその上に頬を乗せながらキバナは唇を尖らせて呟いた。いつも思い出すのは、あの日の帰り際のカブの姿だ。
    熱い腕、甘い声。カブの体はいつも暖かかった。柔らかくて強くて、繊細な心が美しいと思った。最後に離れる時、あの家に置いていかれるカブが可哀想で。俺の巣に持ち帰って、俺の胸で温めて、大切に大切に囲ってあげたくて……。
    「ん?」
    少し思考がボヤけた。キバナが軽く頭を振ると、つい数秒前まで考えていた事がなんだったかわすれてしまう。
    「えーと、カブだよ、カブ!」
    なんで連絡くれないんだ。俺から手紙を出してもよそよそしい大人ぶった返事しか返さないし。カブの家に行きたいと打診しても、あの家からは準備中としか返答がなかった。準備中って、なんなんだよ。
    「……つまんねぇの」
    腕に頬を乗せ直すとキバナの膨れた頬がしぼむ。彼の小さな呟きは、誰にも聞かれることなく、キバナの部屋の重厚な壁に染み込んだ。



    準備ができました。そちらへお伺い致します。



    カブの家からそんな内容の手紙が届いたのは、更に数週間後のことだった。



    「準備ってなんのことだ?」
    自室で一人、手紙を読み終わるとキバナが呟いた。
    簡素な手紙。それに、カブ本人からではなく、家人からの手紙であるということに納得がいかない。
    俺はカブに手紙を出しているのに、と憤る気持ちが、ワガママな理由であることはキバナにも分かっていた。
    しかし改めて手紙を見返せば、カブがキバナの家にまた来るという。そのことは純粋に嬉しくて、キバナは早速、自家の者に伝えようと部屋を出て駆け出した。

    日を決め、カブを迎える準備進める。
    カブが泊まる部屋はもちろんキバナの自室だ。寝室にベッドを一つ運び入れさせて、二人で寝られるようにする。カブの同行者を含めた食事の準備、離れの清掃、滞在中のスケジュール確認。カブの生家との調整が、両家の間で急ピッチで進められていく。キバナも、カブに街を案内するためにあれこれ考えていた。あそこへ連れていって、ここを見せて、とカブが自宅に来るまでワクワクとしながら夜遅くまで準備するのであった。


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