諦め悪い独占欲【影犬】*影犬短篇集⦅恋に傾熱⦆
「うわあ…、やってくれたねカゲ。ていうか、おれ首のところに噛み跡ついてんだけど。」
二人きりのツインルーム。カゲに『お前が刺してくる感情の説明をしろ』なんて言われて掴み掛かられ、ついには首も噛まれた。血こそ出てはいないがこれは数日痛むやつだろう。
ちなみに、当の本人はこれ以上おれの相手を続けるのは不毛だと判断したのか、自分のベッドへといそいそと潜り込んでいる。けれども残念なことに、まだこちらにはこの話が終わったという認識はない。堅く言えば『おれの感情』とやらの説明責任を果たせてないんだからと、目の前の獲物に再び声を掛けた。
「…カゲ、知ってる?首のキスマークって『君を誰にも渡したくない』っていう意味があるらしいよ」
言葉を届けるもこちらに背を向け、横になっているターゲットはうんともすんとも言ってこない。
「…だからキスマークどころか噛み跡を付けたカゲは、『おれのことを絶っ対に誰にも渡したくない』ってこと?」
もう対話しようが大揉めしようが何も意味はない、と諦めた背中だけが虚しく視界に映った。仕方なく視線を無言を貫く男の頭へ移すと、普段は全く拝むことのない不可侵の首筋が目に入った。そこには先ほどの掴み合いで噛み付いたおれの歯形がやんわりと残っている。
———そう。噛み跡の件について、本当のことを言えばおれの方が先にカゲの首へ噛み付き、そのあと数倍の勢いで噛み返されたというのが実情だった。だから噛み跡についてはお互い様だろう。それ以外のことについては知らない。
なんて先程のまでの激しいやり取りを頭の中で反芻していると、カゲが一言分だけ口を開いた。
「………んなこと考えてるわけねえだろうが。いつまでもくだらねえこと言ってんじゃねえ、俺は先に寝る」
しばらくの沈黙から返された言葉は、噛み跡の理由にキスマークだとか、誰にも渡したくないだとか、そういう意味は一切含んでいないというもっともな言い分だった。
「まあ、カゲはそうだろうね」
カゲからしたらこの噛み跡自体はくだらない、あくまでおれが噛み付いたから噛み返しただけの取るに足らない事案だ。
けれど、こちらはそうではないのだ。カゲに噛みつかれたことよりも、おれが噛み付いた理由こそがこの会話の真意だ。
———おれが噛み付いた理由こそ『そういう意味』からで、その理由がカゲを刺している『おれの感情』の説明だと。
とどのつまり、おれはカゲのことを誰にも渡したくないということになる。この気持ちを可愛らしく言えば恋愛感情、言い方を変えれば独占欲と呼ぶのが相応しいだろう。おれはカゲのことがそれはそれは大好きで。それを説明しろなんて、カゲも酷なことを言うものだと思う。そんなことを考えていれば『カゲ、大好き』といった好意的な感情が溢れ出して、カゲのことをまた件の感情で刺してしまった。加えてさっきまでのおれの態度も重なってか、カゲはおれのことが本格的にうざくなってきたらしい。折角見えていた首筋から頭の天辺までもろとも布団の中に隠されてしまった。これは完全に夢の世界に逃げられただろうな。
でも、その寸前に見えたカゲの首筋は歯形の腫れにしては随分と真っ赤に染まっていたので、おれの説明責任は果たせたと捉えて良いだろう。