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    手を引かれることがまるで愛みたいだなんて。フィガロと晶♀

    陽光の道を往く フィガ晶♀「記憶をひらかれる時、きみは怖くなかったの?」
     なんてことのない雑談だった。とても可愛がっているフローレス兄弟が他の国の若い魔法使いと一緒に市場に出かけて行ってしまっていたから何となく暇で、二度寝をしたってよかったけどミチルに二度寝について釘を刺されていたからフィガロはふらふら舎内をお散歩をしていた。そんな散歩の途中にたまたま見かけたから話しかけようと思っただけ。ただ、それだけのことだった。
     フィガロが見つけた彼女は中庭の、噴水の縁のところに腰掛けて魔法でミニマムにされた一頭の羊を撫でていた。
     あまりにも穏やかで、あまりにも平和の象徴みたいで、だから彼は賢者に話しかけるタイミングを一瞬だけ見失ってしまう。中庭に出てきたフィガロについて気付かないくらい彼女は羊に夢中で、妬けちゃうなぁと軽口の一つでもぽろりと出ていきそうだった。
     来訪者について、先に気付いたのは羊の方だった。メェ、とひと鳴き。羊の鳴き声でフィガロの存在に気付いたらしい彼女は羊を撫でる手を休めずゆっくり視線を持ち上げた。焦茶の、なんてことのない色の瞳がフィガロだけを映す。こんにちは、フィガロ。朝食の際きちんと顔を合わさなかったから、まずは挨拶から。こんにちは、賢者様。
    「賢者様はルチルたちと行かなかったんだ」
     食堂で話しているところを見ていたから、てっきり。言えば彼女は羊を撫でる手を止めて少しだけ疲れたような顔で頭を傾けた。
    「はい。今日中に整理を終わらせたい書類があったので」
    「じゃあ今は休憩中?」
    「そうなりますね。フィガロは?」
    「んー、まぁ賢者様と似たようなものかな」
     隣、いい? と首を傾ければどうぞ、と朗らかな笑みが返ってきた。手が止まったままなのを不満に思ったらしい羊が抗議をするみたいに鳴く。生意気な羊だな、とフィガロは思った。それから二人はぽつぽつと興味の赴くまま色んな話をした。なんで羊が一頭、彼女の膝に乗っかってるのか、とか、ルチルとミチルが遊びに行った先のこととか、今日の晩ご飯のこととか。そういう何でもない雑談の中でふと思いだしたのが少し前に賢者の記憶をのぞかせてもらったときのことだった。

     式典の記念に、賢者の魔法使いが肖像画に描かれることとなったのはもう数ヶ月も前のことになる。その際、肖像画のテーマについて良いモチーフがないか話し合い賢者の出した案が採用された。結果描かれることとなったのは箒に乗った魔法使いと、賢者の世界で占いに使われているというカードの絵柄だった。
     二十二枚それぞれに順番と絵柄のあるカードだった。途中までは彼女も自力で思い出していたが、数枚どうしても思い起こせない絵柄があり、最終的にフィガロが魔法で彼女の記憶を引き出したのだった。
     あの時フィガロは賢者が恐怖心を抱かないよう「他にも消したい過去があったら、一緒に消しちゃうけど、どうする?」なんて茶化したが、それにしたって賢者は記憶を弄られる前の人間とは思えないくらいリラックスしていた。あの場には画家もミスラもいたからさらっと流してしまっていたけど、普通、記憶を弄られたりとかそういうのって嫌なものなんじゃないのかなぁ。自分がそんなことをされようものなら、こっぴどくやり返してやる自信がフィガロにはあった。そうして冒頭の問いに戻る。

    「記憶をひらかれる時、きみは怖くなかったの?」
     フィガロの問いに答えたのは彼女に沢山撫でてもらってうとうとしている羊だ。メェ。寝言なのかもしれない。羊が寝言を言うのかフィガロには分からなかったが。ていうかおまえには聞いてないよ。フィガロは脳内でちょっとの悪態をつく。賢者は少し考える素振りを見せた。
    「えっと、肖像画のテーマ決めをしたときのことですかね?」
    「うん」
     真意を見透かしてこようとする賢者の視線にフィガロは笑みで返した。多少訝しげな表情を見せたものの、真面目に答えを用意する気持ちは彼女の中にあるらしかった。どこかの誰かさんのおかげで、フィガロはある程度辛抱強く答えを待つことが出来る。一生懸命考えているらしい彼女の横顔を眺めて少し。そして彼女の唇が音を吐き出すために動く。
    「怖くは、なかったですね。その、フィガロには日頃から優しくしてもらってますし」
    「どうして? 俺は酷いことだってできるけど」
     疑り深いのは、もうそういうふうに形が定まってしまっているのだから仕方ない。今更変えられるものか、と己の中に積み重なった二千年が主張していた。ああでもちょっと意地悪な質問だったかも。それこそ南の魔法使いらしくない、そういう類の問いだったかも。俺は賢者様のそういうところ、好きだけど。ちょっと心配になるよね。そんな類の、忖度混じりのフォローの言葉を発しようとして失敗した。先に賢者が言葉を発する。
    「でも、優しくしてきたことが消えるわけではないですよ」
     追求するのがらしくないと分かりつつ。二千年生きてきたとしても、他人のことは分からないことだらけだ。
    「……酷いことをしてきたとしても?」
     困ったように彼女が笑う。
    「もしそうだとしても、私に優しくしてくれた事実は消えません」
    「わかんないなぁ。これから酷くするかもしれないでしょ」
    「……するんですか?」
    「ここまで来て引かないでよ。しないよ、もちろん」
    「ほら。しないって言った。だから大丈夫です」
     いったい何が大丈夫なんだろう。不思議でたまらないが、更に突っ込んで聞くなんて無粋なこともしたくない。見上げる瞳にあるのは尊敬とも畏怖とも違う感情の色。フィガロが求めているものに近い色。何があるわけでもないのに嬉しそうな形をしている。信頼と呼べるそれは、そのまま愛と呼んでもいいだろうか。
     片腕にレノックスの羊を抱えて、彼女は立ち上がった。今度はフィガロが逆に彼女を見上げる形になる。
    「そういえば、今日はパンケーキらしいですよ」
     賢者の空いている方の手が差し伸べられた。おやつを食べに行きましょう、という誘いらしい。正しく意図を理解していたが、彼女のいつもより少しだけ甘い対応に握手かなぁと惚けてみせると彼女は少しだけ口をとがらせて違いますよと答えた。
    「ミチルに教えてもらったんです」
     内緒話をするみたいに、こっそり教えられたのだそうだ。フィガロ先生は、手を引いてもらうのが好きなのかもしれません。

     もっとずっと前は手を差し伸べる方が多かった気がする。相手が好きそうなことをしてやって喜ばれて。それが今はこうして手を差し伸べられる方が多くて、自身の好きそうなことをしてもらっている。ここには小さな積み重ねが確かにあった。差し伸べられた手、いたずらに笑う眼差し、ちらりと見える白い歯。
     記憶を弄ることは、積み木を崩してしまうことに似ていた。力加減が分からないから、フィガロは積み木の塔を構成しているパーツごと積んであるものを壊してしまう。一度限りしか挑戦できないその積み木は『記憶を弄る』というトリガーであっけなく崩れ去る。どうにか似たような形で積み直しても、新しく補充したパーツは一度目とは違うものだ。だからどれだけ似せた塔を作ってもそれは一度目の偽物ができるだけ。
     自身の、長すぎる人生の尺度で言えば人の存在などほんのちっぽけなものだ。彼女と歳の近い南の兄弟は魔法使いであるから、自身の寿命がまぁまぁ残っていればきっと彼女よりも長い付き合いになるだろう。賢者は出会ったばかりの人間で、これから長く付き合いの続く存在ではなかったが、それでも偽物にするのは違うと思った。けれど、どうしたって自分は酷いことを出来てしまう性質なので。
     だから酷いことをしなければならなくなってしまう瞬間が、こなければいいと思う。それか酷いことをしなければならない状況に陥っても、酷いことをしないという選択肢を選ぶことが出来れば、それで。
     きっとその道を進むのは面倒で、気も使うんだろうけれど。それくらいの労力は割いてもいいかな、と思っている。
     瞬きの間に命を燃やす形の似た生き物。人間のことは好きだと思う。個を思ったことはあまり無いが……目の前の、手を差し伸べる人間のことはどうだろう。今代の賢者様。異界はずいぶん平和らしい。重ねた手のひらはあまり苦労を知らなそうだ。まろい爪の乗る指先、自分のものよりかいくらか柔こい掌の皮。形を確かめるように己のものを重ねる。繋がる。体温が僅かにうつる。ほんの少し、高揚する。
     やわらかな陽光のもと、気の抜けたような羊の鳴き声がメェ、とフィガロの鼓膜を揺らした。光を飲み込む実りの榛色が嵐の灰色に打ち勝つ。ゆるりと、笑みの形をとった。この季節の陽光はあまりにも明るくて眩しい。
    「行きましょう、フィガロ」

     月影の道はただ一本しか無かったが、陽光に照らされた道はいくつもある。なんでも出来る魔法使いだから、どの道だって選べてしまう。選択肢が多いことは悪くはないけど、あまりにも多くの分岐路を見ていると辟易もする。だから手を引かれて、こっちですよと引っ張ってもらえるのはとても気分が良かった。まるで愛されているみたいで。
     石になる日のことを考える。冷たい石になるとき、きみが側にいるとは限らないけど。もしきみが側にいた時は俺のこと食べてもいいよ、なんて。そんな言葉を与えたらどんな顔をするのだろう。俺はほとんど何でも出来るきみの魔法使いだけど、最後だけ、魔法使いでないきみにとって役立たずに成り下がる俺のために、きみはどんな表情で、どんな言葉を俺にくれるんだろうね。冷たい石になったら、きっと見ることはかなわないんだろうけどさ。

     手を引かれながらフィガロは陽光の道を歩く。人と歩くことは箒に乗るより不便で歩調を合わせなければならなかったが、そんな煩わしさも愛しかった。
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    コウヤツ

    DONE
    りんごひとかけぶんの理性 ネロ晶♀ マグカップを両手で包んで晶は息をふうと吹き掛ける。弾みで耳に掛けられた髪が、丁寧に織られたカーテンのように彼女の横顔を覆い隠した。隣で見ていて、あ、とネロは思ったが彼の指先がその髪に触れることはなかった。
     触れたらいけないような。空夜に触れあいを咎める者はいないけれども、そんな意識が働いてネロの指はこれっぽっちも動かなかった。
    「ネロは私のことを子どもみたいに思っているんじゃないかって、たまに感じるんです」
     拗ねたような響きにどう反応するべきかネロの胸に迷いが生じる。全く思っていないと言えばそれは嘘になる。けれど本当に思っていることを伝える気はさらさらなかった。
    「賢者さん」
     正面、シンクの方を向いていた視線が隣のネロに向かう。乾燥させたりんごは、彼女の、引き結ばれた唇のあわいへ寄せられた。りんご一つ隔てれば触れることは容易かった。それは逆を言えば直接触れられないことの証左であったが。ぱちりと目があったかと思えばりんごのスライスはあっという間に半分が齧られる。手ずからりんごを食べる、その姿はどこか小動物めいていた。もっと躊躇ってくれたらやりやすかったんだけど。かといって拒まれたら拒まれたで傷の生まれることは必定だ。難儀なこと。りんごを味わっている間は目が口ほどにものを言った。
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