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    コウヤツ

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    コウヤツ

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    足跡さえ愛しく オズと小さいアーサー 窓の向こう。遠く昔日に思いを馳せれど、留める意思なき記憶の断片は雪原に葬られその形を無くした。再度手のひらの上へそれを掬い出そうとしても、雪に塗れたそれはその輪郭すら掴むことが困難となっていた。掌上に掬った雪は水となり端から伝って溢れていく。ただそこに残るのは濡れた手のひらだけだった。それまでの彼であれば、気にも留めなかった。手が濡れていることにすら彼は気付かなかっただろう。葬られたものはそのまま。積もるそれらに意識をやったりなどしない。彼の在り方の全てだった。それが今ではどうだろう。すっかりらしくない己の行動について。風雨の日の雨音のように、あの双子は騒ぎ立てるだろうか。同郷の、双子の元で共に過ごしたあいつは。
     硝子一枚隔てた先。そこに世界は広がっている。全てを遮断するように閉じていた窓は今、開かれていた。

     珍しく蒼天が顔を出していた。ここ数日は不思議の力で守るまでもなく城の周りの天気は荒れていたが、その日は空の低いところから高いところまで雲の一欠片も無かった。
     自然の脅威をいまいち解しない子どもは好奇心旺盛で嵐にひどく興味を示した。吹き荒れる外の様子を見てその頼りない飛び方で窓の外へと繰り出して行こうとしていたが、城主に止められついぞ嵐でその羽を折ることは無かった。
     そして数日。分厚く空を覆っていたねずみ色の雲は散り、青い空はその顔を覗かせた。穏やかでありながら腑抜けすぎることもなく、雪崩の心配は無さそうだった。
     足を雪にとられながら、子どもは前を行く。雪原の上、保護色と見紛う白銀は弱き自分を守るための色に見えた。守護の魔法をかけてやらなければ肺まで凍ってしまいそうな寒さの中、小さなアーサーは己の進路を妨害してくる雪の煩わしささえ面白がった。あんまり頬を上気させるものだから「寒いのか」とオズは聞いた。あたたかな衣服を身に纏わせシュガーを食べさせた上で防寒の魔法をかけてあるのだから、寒いはずもない。わかっていても聞かずにはいられなかった。そんな問いが何故為されたのか分からないアーサーはきょとんと彼を見上げ次いで破顔した。
    「さむくありません!」
     にこにこ笑う子どもに、なんと言ったら良いのか分からずオズは黙ってしまう。ふと、大きな鳥の影が空から降ってきた。アーサーは「わぁ」と喜色の声をあげて空を見上げた。珍しい種ではない。けれど子どもは空を見上げながら鳥を懸命に追いかけた。
    「アーサー」
     ほたほたとその小さな足が柔らかな雪の上に足跡を残す。夢中で、聞こえていないようだった。追いつくのは容易く、合わせるのは難しかった。アーサーの隣を初めて歩いたとき、オズは遠い昔に己が兄弟子に歩調を合わせてもらっていたことを知った。あと一歩で完全に追いつく、といったところでオズの少し前を駆けていたアーサーがべしゃりと転んだ。
    「アーサー」
     声を掛ける。子どもはころりと転がって仰向けになりオズを見上げた。
    「オズ様」
     小さな唇がそっと吐息をこぼす。吐き出された息は瞬間白く色付いた。
    「少し、落ち着きなさい」
    「はい」
    「鳥なら、箒に乗って近くまで見に行けばいい」
     おまえは魔法使いで、私も魔法使いなのだから。
     そうっと鳥の雛を拾い上げるように持ち上げ、そして力強くオズはアーサーを抱いた。アーサーは自分の体を危なげなく支えるその腕が、頼めば撫でてくれるその大きな手のひらが大好きだった。前髪が乱れるのも気にせず、甘えるようにアーサーは彼の肩に擦り寄る。オズは微かにその焔の色の瞳を和らげた。
    「寒くはないか」
    「いいえ、さむくありません」
     昔から煩わしいことは好かなかった。だから、そんな好かないもので溢れている世界に興味なんて沸くはずもなかった。ずっとそう在るのだと、心のどこかで思っていた。
     踵を巡らせ、オズは背後の雪原を見る。二つ、こまごまとした小さな足跡と、小さな足跡より圧倒的に少ない数の大きな足跡が一本の道のように続いている。腕に抱かれたアーサーがきょとりとオズを見つめた。
    「オズ様、楽しいことがありましたか?」
    「……いや」
     熱い吐息をこぼすあえかな生き物は、明るい碧落の目をきらきらと輝かせてオズを見ている。
    「鳥を、見にいくか」
     子どもは少しだけ名残惜しそうに鳥が飛んでいった方向に目を向け、それから首を振った。
    「……帰りたいです」
    「そうか」
    「オズ様のパンケーキが食べたいです」
     あいもかわらず世界は煩わしいことで溢れていたが、しかしそれだけではないことを彼は知ってしまった。
     この世界で一番の魔法使いは、その腕に小さな子どもを抱きながら呪文を唱える。すると二人の姿はそこからたちまち消えて二つの足跡だけがそこに残った。はるか遠くから鳥の鳴く声が雪に吸い込まれずその場に届いたがいなくなった二人に聞こえるはずもなかった。
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    コウヤツ

    DONE
    りんごひとかけぶんの理性 ネロ晶♀ マグカップを両手で包んで晶は息をふうと吹き掛ける。弾みで耳に掛けられた髪が、丁寧に織られたカーテンのように彼女の横顔を覆い隠した。隣で見ていて、あ、とネロは思ったが彼の指先がその髪に触れることはなかった。
     触れたらいけないような。空夜に触れあいを咎める者はいないけれども、そんな意識が働いてネロの指はこれっぽっちも動かなかった。
    「ネロは私のことを子どもみたいに思っているんじゃないかって、たまに感じるんです」
     拗ねたような響きにどう反応するべきかネロの胸に迷いが生じる。全く思っていないと言えばそれは嘘になる。けれど本当に思っていることを伝える気はさらさらなかった。
    「賢者さん」
     正面、シンクの方を向いていた視線が隣のネロに向かう。乾燥させたりんごは、彼女の、引き結ばれた唇のあわいへ寄せられた。りんご一つ隔てれば触れることは容易かった。それは逆を言えば直接触れられないことの証左であったが。ぱちりと目があったかと思えばりんごのスライスはあっという間に半分が齧られる。手ずからりんごを食べる、その姿はどこか小動物めいていた。もっと躊躇ってくれたらやりやすかったんだけど。かといって拒まれたら拒まれたで傷の生まれることは必定だ。難儀なこと。りんごを味わっている間は目が口ほどにものを言った。
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