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    コウヤツ

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    大切なものはとっておかないタイプ オー晶♀「大切だから隠す、って聞いたことありますけどオーエンのケルベロスもそうなんですか?」
     三つ首の獣について、この人間は間抜けみたいなことを聞いてくる。もしかしたら本当に間抜けなのかも。突飛な質問に丸まっていたヘテロクロミアは一瞬のうちに晶を嘲るような形をとった。
     それは、隣から注がれる無言の圧力に気まずさを覚えた晶が提示した、中身のないただの雑談だった。犬は餌を隠す習性があるらしいが、ケルベロスもそうなのか。見上げてくる人間は純粋に疑問を呈しているらしかった。オーエンは口元だけで笑みを作る。
    「さぁね。でもあの子たち、僕が出してあげるときは大抵お腹を空かせてるみたいだし。隠すよりもその場でぺろりと全部食べちゃう方が多いんじゃない」
     三つの頭を持つ大きな獣がそれぞれの牙で敵をガブリとやっているところを想像したのか、晶はなんとも言えない表情で黙り込んだ。予想通りの反応を見せた晶に対し、青年の形をした魔法使いはよく出来た雪白の彫刻みたいな笑みを湛える。口よりも手を動かせよ。笑みからそんなメッセージを受けとった晶は彼の空気が少し不穏なものに変わるのを感じ、前を向く。ほとんど、防衛反応のようなものだった。気まずい空気を蹴散らすみたいに、泡立て器を操る彼女の腕は速度を上げた。泡立て器とボウルのぶつかり合う音が少し大きくなる。
     ホイップクリームは冷やしながら作らなければならない。クリームの入ったボウルよりもひとまわり大きなボウルの中に氷水を張り、その中にクリームの入ったボウルを入れて晶は作業を行った。氷と砂糖はオーエンが用意したもので、特に氷は不思議の力が作用している優れものだった。時間が経っても溶けにくく、クリームと容器をよく冷やした。
     しばらく二人は無言だったが、作業をしている間に気まずい空気を忘れてしまったのか、晶は手の動きをゆるめないまま口を開く。
    「大切だから隠す、って話だとオーエンもそうですね」
     視線をボウルに固定したままの晶をじっと見詰めて彼は耳を澄ませた。
    「魂を隠してますから」
     ホイップクリームはまだ出来上がらない。注目されながら作っていると、時間がやけに長く感じられる。ああ、ハンドミキサーがあったら良かったのに。晶は元の世界に存在したハンドミキサーがどれだけ偉大な発明であったか、そんなことに思いを馳せた。手に持った泡立て器でクリームを掬う。初めはまるきり液体だったものが、角が立つか立たないくらいになった。パンケーキに掛けたりケーキに塗る用のものであったなら適当なゆるさだったが、素のまま食べるのだったらもっと混ぜて空気を入れ、かために仕上げたほうが良い。どうせなら美味しいものを食べて欲しい、という思いで晶はひたすらボウルの中身を掻き混ぜていた。
     作業に夢中な晶は気づかない。生色のない魔法使いが少し屈み、己の耳元へと唇を寄せていることに。液全体がもったりとしてきて、そろそろクリームに角が立ちそうだ、と晶が思った頃だった。
    「ねぇ、賢者様。きみを僕の大切にしてあげようか」
     オーエンの突然の言葉に、その吐息の近さに、キッチン内で規則正しく鳴り響いていた音が不自然に乱れた。それまで真っ直ぐ生クリームを見つめていた瞳がちらりとオーエンに向く。そしてあまりの近さに晶は思わず息を止めた。
    「きみの魂を引っこ抜いて、誰にも見つからない場所へ大事に大事に隠してあげる」
     彼のヘテロクロミアは、やさしく晶を見つめている。砂糖を沢山入れて暴力的なくらい甘く煮詰めたベリーのジャムのようだった。蜂たちが花々一つ一つを丁寧に巡り巡って集めてきた蜜のようだった。とろりと甘く、べたつくような。
    「つらいことからずっと守ってあげられる。きみの魔法使いが石になるところを見ないで済むし、もしかしたらずっと帰れないかもしれないっていう不安からも逃げられる」
     蠱惑的な誘いに晶はぐっと言葉を詰まらせ、少しだけ悲しそうな顔をした。オーエンの視線に耐えられなかったのか彼女は手元のボウルを見つめる。晶は気持ちが表情に出やすい。オーエンにとって彼女は分かりやすく、かつ揶揄いやすい部類の人間だった。だから、彼女の突然の行動に驚いた。その動きに迷いは無かった。ホイップのついた泡立て器をオーエンの口元に寄せ、晶は真っ直ぐに彼の瞳を見据えている。
    「食べてみてください」
     空気を含んだふわふわの塊は落ちることなく器具にまとわりついている。晶の手ごと、オーエンは泡立て器を掴んで自分が食べやすい高さまで彼女の手を引っ張った。普段あまり見ることのできないオーエンの紋章が、賢者の魔法使いの証である黒い百合の紋章が、晶の目に映る。ぺろりとクリームを舐めてオーエンは彼女を見下ろす。
    「誤魔化すんだ?」
    「いえ、そういう訳では……美味しかったですか?」
    「……あまかった」
     彼女の手はオーエンのものより小さく、彼の革手袋越しにも生き物特有の温かさは感じられた。賢者は下手くそな笑みを魔法使いに向ける。
    「私が元の世界に帰れるかはまだ分かりませんけど、皆さんを石にはしません」
     魔力を失う訳ではない人間の約束に、果たしてどれだけの価値があるのか。約束を破ることで課せられるペナルティは人間に無い。だから人間の言う約束について、オーエンは率直に価値なんてないと思っている。けれど、聞かずにはいられなかった。
    「賢者様にできることなんてあるの?」
    「絶対に見つけます」
     握った手はそのままになっている。オーエンが今、晶へ害意を向けたとして彼女にそれを防ぐ手立てはない。悪意を以って傷付けられたなら容易く壊れてしまうような人間だ。弱い魔法使いよりも弱い賢者様。そんな弱い存在が魔法使いのために出来ることを見つけると言っている。石にしないと大口を叩いている。失う怯えを隠して、オーエンを見ている。
    「賢者様は弱いから、僕より先に死にそうだけど」
    「不吉なこと言うのやめてください……」
     苦笑いだったが今度は自然な笑みだった。オーエンは無言で晶からボウルを奪い取り、ふわりとその場に浮かび上がる。
    「あ、オーエン」
     引き留めるような晶の呼びかけにオーエンは返事をしなかった。構わず晶は言葉を繋ぐ。
    「私はあなたのこと、大切だと思ってますよ」
     媚びるようなものではない。命乞いをするようなものでもない。嘘を言っているようにも感じられなかった。北の人間であれば慈悲を乞い、よその国の人間なら大体は嫌悪や侮蔑を魔法使いにぶつける。そのどれにも当てはまらない。ふわりと浮いたままオーエンは彼女を眼下に見る。
    「……仲良しごっこは楽しい? 別に僕はきみのこと、大切じゃないけど」
    「なら片想いでいいです」
    「賢者様は僕に片想いしてるんだ」
    「あの、言っておいてなんですけど、そこだけ切り出して言われると恥ずかしいのでやめて下さい」
    「ねぇ、僕に片想いしてるならこのふわふわで甘いやつもっといっぱい作ってよ」
    「全然聞いてない……」
     お願いだよ、賢者様。良い子の笑みでオーエンは晶におねだりをする。
    「おまえが言ったんだよ、僕がこの表情をすればして欲しいことをしてもらえるって」
    「少し語弊があるような気がしますけど……」
     覚えていてくれたんですね、という言葉にオーエンは反応を示さない。晶はくすくす笑って眉を下げた。
    「シュガーの追加をお願いします」
     そして呪文は軽やかに唱えられ、シュガーの雨が晶の手のひらの上で生まれた。
     その後「賢者様、僕に片想いしてるんだって」というオーエンの嘘ではないが悪意のある切り抜き発言により、てんやわんやの騒ぎになるのだが、それはまた別の話である。
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    DONE
    りんごひとかけぶんの理性 ネロ晶♀ マグカップを両手で包んで晶は息をふうと吹き掛ける。弾みで耳に掛けられた髪が、丁寧に織られたカーテンのように彼女の横顔を覆い隠した。隣で見ていて、あ、とネロは思ったが彼の指先がその髪に触れることはなかった。
     触れたらいけないような。空夜に触れあいを咎める者はいないけれども、そんな意識が働いてネロの指はこれっぽっちも動かなかった。
    「ネロは私のことを子どもみたいに思っているんじゃないかって、たまに感じるんです」
     拗ねたような響きにどう反応するべきかネロの胸に迷いが生じる。全く思っていないと言えばそれは嘘になる。けれど本当に思っていることを伝える気はさらさらなかった。
    「賢者さん」
     正面、シンクの方を向いていた視線が隣のネロに向かう。乾燥させたりんごは、彼女の、引き結ばれた唇のあわいへ寄せられた。りんご一つ隔てれば触れることは容易かった。それは逆を言えば直接触れられないことの証左であったが。ぱちりと目があったかと思えばりんごのスライスはあっという間に半分が齧られる。手ずからりんごを食べる、その姿はどこか小動物めいていた。もっと躊躇ってくれたらやりやすかったんだけど。かといって拒まれたら拒まれたで傷の生まれることは必定だ。難儀なこと。りんごを味わっている間は目が口ほどにものを言った。
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